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フィレンツェ
結婚指輪
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「どういうこと?」
「僕の拠点はイギリスなんですよ。なので、会社も自宅もロンドンにあります」
「えっ? そうなの? 私、てっきり日本だと……」
トモの言葉にハッとして立ち上がる。そして鞄の中に入れたままだった彼からもらった名刺を確認した。
すると、そこには確かにロンドンの住所が記載されていた。
「本当だ……! やだ、早く言ってよ……。私、ずっと勘違いしちゃっていたわ」
「すみません。多分誤解しているんだろうなとは思っていましたが、中々言い出せなくて……」
「私が別人のふりをしていたからよね。ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げると、トモがぎゅっと抱き締めて頬擦りをしてくる。
もっと早くちゃんと見ていたら、結婚後に日本に住む必要がないって分かったかも……。私ったら……
「謝らないでください。興味のない相手の名刺なんて、実際じっくり見ないものですし」
「……。そ、それより、ロンドンの企業なのに、どうやってお父様に政略結婚の話を持ちかけたの?」
痛いところを突かれて、私は慌てて話を変えた。
興味がない……というよりは、逃げるつもりだったから見る必要がないと思っていたのよね。
「花梨奈さんの実家は国際海上輸送を中心とした国際物流の荷主企業をされているでしょう。僕は海運会社を経営しているので、近づきやすかったんですよ」
「へぇ」
「花梨奈さん。そんなことよりヴェネツィアとロンドンはそんなに遠くないんですよ。直行便も出ていますし、結婚後はヴェネツィアに住みましょう。そうすれば、花梨奈さんは仕事を続けられるでしょう?」
ヴェネツィアとの直行便?
予想もしていなかった言葉に返答に窮すると、彼がいたわるように背中をさすってくれる。
「子供がたくさんいる賑やかな温かい家庭を築きましょう。花梨奈さんが得られなかった分もたくさんの愛情を注いであげましょうね。それに花梨奈さんも僕や将来生まれてくるだろう子供たちから、いっぱい愛を受けてください」
「トモ……」
嬉しい。
まるで過去すらも温かく包み込んでもらえるような彼の言葉に、瞳の奥が熱くなって滲んでくる涙をぐしぐしと拭う。
「ありがとう。でも、お兄様たちとは仲がいいし、母方の伯父さんもとても良くしてくれていたから、愛情を知らずに育ったわけではないのよ。ちゃんと愛してもらっていたわ」
私なんかより、兄たちのほうが大変だ。私は勉強を理由に留学させてもらい『外』に逃げたが、彼らは違う。
跡取りとして、ずっとあの家に縛りつけられている……
彼の胸に甘えるようにすり寄ると、よしよしと頭を撫でてくれる。
「私、あの家から出られない二人のことが心配なの。だから、早いうちに報告がしたいな。……今まであまり連絡しなかったのに虫がいいかもしれないけど」
「そんなことありません。絶対に喜んでくれますよ。それに花梨奈さんが思うほどお兄様方は弱くないはずです。なので、自分だけ家から逃げてきてしまったと贖罪の念をいだかないでください」
「……うん、ありがとう」
トモの言葉に我慢していた涙がぶわっとあふれた。彼は「もう大丈夫ですよ」と言って、何度も背中をさすってくれる。その優しさに心の奥深く刺さった棘が抜けていくように感じた。
「花梨奈さん。貴方が何かを我慢する必要はないんですよ。もし赤司さんに今までの鬱憤をぶちまけたいなら協力させてください」
「ありがとう。その覚悟ができた時はお願いするわ。それより……トモ。ヴェネツィアとロンドンを直行便で往復だなんて絶対に許さないから」
「ですが……」
私を抱き締めたまま、困ったような顔をするトモに私は大きな溜息をついた。
体を重ねたからだろうか……。確実に以前よりトモに惹かれている気がする。この手を離したくないと思っている……
「トモだって、私といるために色々なことを我慢しちゃダメなのよ」
「花梨奈さん……」
「だからバカンスの間は結論を待ってほしいの。必要なら転職も考えるし……子供がたくさんいる賑やかな家庭を望むなら、仕事を辞めて家庭に入ってもいいと思ってる。二人に一番いい形を話し合って決めていこうね」
「はい、そうしましょう。花梨奈さん、ありがとうございます。必ず幸せにします」
トモが泣きそうな声を出して、私の肩に頭を乗せた。涙をこらえている彼を、次は私が頭を撫でてあげると、彼の大きな手が私の頬を辿って顎を掴んだ。そのまま唇が深く重なり合う。
***
「わぁ! 人がいっぱい……!」
朝食後はシモーネに連絡を取り、トルナブオーニ通りへ向かったのだが、やはり夏のバカンス中とあって、中々に混雑していた。観光客の姿も多い。
ひしめく有名ブランドのお店の中から、ストロッツィ宮寄りにあるお店へ吸い込まれていくトモの後ろを、私とシモーネがついて行く。
「ねぇ、近くにサンタ・トリニタ教会やストロッツィ宮があるんだって。あとサルヴァトーレ・フェラガモ博物館もあるらしいよ。あとで、行かない?」
「それは結婚指輪よりバッグや靴が欲しいということですか?」
「違うわよ。トモの買い物が終わったら観光しようって言っているの」
本店じゃなくて博物館を覗いてみたいって言っただけなのに、どうしてそういう見解になるのか……。よく分からない。
大仰な溜息をつくと、シモーネが私の肩を軽く叩く。
「見るだけならタダなんだし、とりあえず色々なお店を覗いてあげたら、トモヒトの気もすむんじゃない?」
「でも……」
とても高価な指輪を今日もらったばかりだから、本当に何もいらないのに……
結婚指輪もそんなに焦る必要ないと思うんだけどな。
トモは困惑している私をよそに、楽しそうに今年の新作を見せてもらっている。ここで「これ可愛い」なんて口が滑った日には、速攻で決まってしまいそうだ。
「トモヒト。その時の流行りのデザインを選ぶと、すぐに飽きてしまうよ。あと、豪華な装飾は日常生活では不便だから結婚指輪はシンプルなほうがボクはいいと思うな」
「そういうものですか?」
「結婚指輪は人と被らないデザインにして特別感を出したいという方もいらっしゃいますが、個性的と派手は必ずしもイコールではありません。シンプルなデザインでもダイヤモンドの配置やアームのラインで個性を出すことができますよ」
シモーネの言葉に捕捉するように店員のお姉さんがシンプルなデザインの指輪をいくつか見せてくれる。
それを見ながら、トモの服を引っ張った。
「そうだよ。今日もらった婚約指輪が立派だから、これと重ねづけができるようなのがいいな」
見た目の相性がよくて、アームのラインがぴったり合うものとかだと両方ともつけられていいと思うのよね。
私の言葉にトモが「なるほど」と頷いた。
「では、オーダーにしたほうがいいかもしれませんね。じゃあ今日は、花梨奈さんに贈るネックレスでも買いましょうか」
「え? ネックレスなんていらないわ」
絶対に何かプレゼントを買わないと気がすまないのだろうか。第一、結婚指輪の話をしていたのに、どうしてネックレス?
トモの思考回路がよく分からず、疑問符を飛ばしているとシモーネが苦笑する。
「男からのアクセサリーのプレゼントなんて、ほとんどが独占したい、束縛したいっていう心の表れだよ。何か一つくらいねだってあげたら気がすむんじゃないの?」
「でも……」
それならこの婚約指輪で充分じゃないかしら?
「僕の拠点はイギリスなんですよ。なので、会社も自宅もロンドンにあります」
「えっ? そうなの? 私、てっきり日本だと……」
トモの言葉にハッとして立ち上がる。そして鞄の中に入れたままだった彼からもらった名刺を確認した。
すると、そこには確かにロンドンの住所が記載されていた。
「本当だ……! やだ、早く言ってよ……。私、ずっと勘違いしちゃっていたわ」
「すみません。多分誤解しているんだろうなとは思っていましたが、中々言い出せなくて……」
「私が別人のふりをしていたからよね。ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げると、トモがぎゅっと抱き締めて頬擦りをしてくる。
もっと早くちゃんと見ていたら、結婚後に日本に住む必要がないって分かったかも……。私ったら……
「謝らないでください。興味のない相手の名刺なんて、実際じっくり見ないものですし」
「……。そ、それより、ロンドンの企業なのに、どうやってお父様に政略結婚の話を持ちかけたの?」
痛いところを突かれて、私は慌てて話を変えた。
興味がない……というよりは、逃げるつもりだったから見る必要がないと思っていたのよね。
「花梨奈さんの実家は国際海上輸送を中心とした国際物流の荷主企業をされているでしょう。僕は海運会社を経営しているので、近づきやすかったんですよ」
「へぇ」
「花梨奈さん。そんなことよりヴェネツィアとロンドンはそんなに遠くないんですよ。直行便も出ていますし、結婚後はヴェネツィアに住みましょう。そうすれば、花梨奈さんは仕事を続けられるでしょう?」
ヴェネツィアとの直行便?
予想もしていなかった言葉に返答に窮すると、彼がいたわるように背中をさすってくれる。
「子供がたくさんいる賑やかな温かい家庭を築きましょう。花梨奈さんが得られなかった分もたくさんの愛情を注いであげましょうね。それに花梨奈さんも僕や将来生まれてくるだろう子供たちから、いっぱい愛を受けてください」
「トモ……」
嬉しい。
まるで過去すらも温かく包み込んでもらえるような彼の言葉に、瞳の奥が熱くなって滲んでくる涙をぐしぐしと拭う。
「ありがとう。でも、お兄様たちとは仲がいいし、母方の伯父さんもとても良くしてくれていたから、愛情を知らずに育ったわけではないのよ。ちゃんと愛してもらっていたわ」
私なんかより、兄たちのほうが大変だ。私は勉強を理由に留学させてもらい『外』に逃げたが、彼らは違う。
跡取りとして、ずっとあの家に縛りつけられている……
彼の胸に甘えるようにすり寄ると、よしよしと頭を撫でてくれる。
「私、あの家から出られない二人のことが心配なの。だから、早いうちに報告がしたいな。……今まであまり連絡しなかったのに虫がいいかもしれないけど」
「そんなことありません。絶対に喜んでくれますよ。それに花梨奈さんが思うほどお兄様方は弱くないはずです。なので、自分だけ家から逃げてきてしまったと贖罪の念をいだかないでください」
「……うん、ありがとう」
トモの言葉に我慢していた涙がぶわっとあふれた。彼は「もう大丈夫ですよ」と言って、何度も背中をさすってくれる。その優しさに心の奥深く刺さった棘が抜けていくように感じた。
「花梨奈さん。貴方が何かを我慢する必要はないんですよ。もし赤司さんに今までの鬱憤をぶちまけたいなら協力させてください」
「ありがとう。その覚悟ができた時はお願いするわ。それより……トモ。ヴェネツィアとロンドンを直行便で往復だなんて絶対に許さないから」
「ですが……」
私を抱き締めたまま、困ったような顔をするトモに私は大きな溜息をついた。
体を重ねたからだろうか……。確実に以前よりトモに惹かれている気がする。この手を離したくないと思っている……
「トモだって、私といるために色々なことを我慢しちゃダメなのよ」
「花梨奈さん……」
「だからバカンスの間は結論を待ってほしいの。必要なら転職も考えるし……子供がたくさんいる賑やかな家庭を望むなら、仕事を辞めて家庭に入ってもいいと思ってる。二人に一番いい形を話し合って決めていこうね」
「はい、そうしましょう。花梨奈さん、ありがとうございます。必ず幸せにします」
トモが泣きそうな声を出して、私の肩に頭を乗せた。涙をこらえている彼を、次は私が頭を撫でてあげると、彼の大きな手が私の頬を辿って顎を掴んだ。そのまま唇が深く重なり合う。
***
「わぁ! 人がいっぱい……!」
朝食後はシモーネに連絡を取り、トルナブオーニ通りへ向かったのだが、やはり夏のバカンス中とあって、中々に混雑していた。観光客の姿も多い。
ひしめく有名ブランドのお店の中から、ストロッツィ宮寄りにあるお店へ吸い込まれていくトモの後ろを、私とシモーネがついて行く。
「ねぇ、近くにサンタ・トリニタ教会やストロッツィ宮があるんだって。あとサルヴァトーレ・フェラガモ博物館もあるらしいよ。あとで、行かない?」
「それは結婚指輪よりバッグや靴が欲しいということですか?」
「違うわよ。トモの買い物が終わったら観光しようって言っているの」
本店じゃなくて博物館を覗いてみたいって言っただけなのに、どうしてそういう見解になるのか……。よく分からない。
大仰な溜息をつくと、シモーネが私の肩を軽く叩く。
「見るだけならタダなんだし、とりあえず色々なお店を覗いてあげたら、トモヒトの気もすむんじゃない?」
「でも……」
とても高価な指輪を今日もらったばかりだから、本当に何もいらないのに……
結婚指輪もそんなに焦る必要ないと思うんだけどな。
トモは困惑している私をよそに、楽しそうに今年の新作を見せてもらっている。ここで「これ可愛い」なんて口が滑った日には、速攻で決まってしまいそうだ。
「トモヒト。その時の流行りのデザインを選ぶと、すぐに飽きてしまうよ。あと、豪華な装飾は日常生活では不便だから結婚指輪はシンプルなほうがボクはいいと思うな」
「そういうものですか?」
「結婚指輪は人と被らないデザインにして特別感を出したいという方もいらっしゃいますが、個性的と派手は必ずしもイコールではありません。シンプルなデザインでもダイヤモンドの配置やアームのラインで個性を出すことができますよ」
シモーネの言葉に捕捉するように店員のお姉さんがシンプルなデザインの指輪をいくつか見せてくれる。
それを見ながら、トモの服を引っ張った。
「そうだよ。今日もらった婚約指輪が立派だから、これと重ねづけができるようなのがいいな」
見た目の相性がよくて、アームのラインがぴったり合うものとかだと両方ともつけられていいと思うのよね。
私の言葉にトモが「なるほど」と頷いた。
「では、オーダーにしたほうがいいかもしれませんね。じゃあ今日は、花梨奈さんに贈るネックレスでも買いましょうか」
「え? ネックレスなんていらないわ」
絶対に何かプレゼントを買わないと気がすまないのだろうか。第一、結婚指輪の話をしていたのに、どうしてネックレス?
トモの思考回路がよく分からず、疑問符を飛ばしているとシモーネが苦笑する。
「男からのアクセサリーのプレゼントなんて、ほとんどが独占したい、束縛したいっていう心の表れだよ。何か一つくらいねだってあげたら気がすむんじゃないの?」
「でも……」
それならこの婚約指輪で充分じゃないかしら?
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