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フィレンツェ
サンタ・トリニタ教会
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「はぁ、疲れた……」
私たちはショッピング後、トルナブオーニ通りからアルノ川へと歩いて行く途中のカフェに入った。そして、そのカフェのテラス席に座るなり、大きな溜息をつく。
「結局ネックレス買っちゃうんだもの、トモったら強引なんだから」
「とてもよく似合ってますよ」
私は胸元に輝く花のネックレスを指でいじりながらトモをじろりと睨んだ。私の咎める視線も気にならないくらい彼は満足そうだ。
はぁ、もういいや。タルト食べよ。
嘆息しながらひとくち口に含むと、たくさんのフルーツと中に入ったヨーグルトの酸味とはちみつの甘み。そして紅茶やココナッツオイルの香りが鼻を抜ける。
美味しい……!
先ほどの疲れが一気に癒やされていくように感じて私はふにゃっと笑った。この感動を分かち合いたくて、フォークで一口ぶんを切り分け、トモの前に差し出す。
「美味しいからトモも食べてみて」
「ありがとうございます。とても美味しいですね」
すると、トモが私の手をそっと握ってタルトを食べてくれる。が、そのまま私の手を引き寄せフォークを持っている指までも口に含もうとした。
「ちょっと! 私の指まで食べないでよ!」
慌てて手を引っ込めると、彼が残念そうな表情をしたので、シモーネが苦笑いしながら肩を竦めた。
「トモヒトは本当にカリナのこと好きだね」
「はい。大好きです」
シモーネの言葉にすごく幸せそうな顔で即答されて、かぁっと顔が熱くなる。
トモったら照れたりしないのかしら? 私はつい気恥ずかしさが先に立っちゃうんだけど……
「トモヒトはいつカリナを好きになったんだい? 二人の馴れ初めを聞きたいな」
「馴れ初めというか……最初は僕が一方的に……。学会で研究の発表をしている花梨奈さんを見た瞬間から気がつくと花梨奈さんのことばかりを考えていました」
「へぇ、一目惚れだったんだね」
「はい。恋というものは本当にある日ふと落ちるのだと実感させられました。理屈ではなく、この人が欲しいと心が強く望んだんです。そうなるともう止められません」
トモは照れたように笑いながら、自分の心を奪った人が何者なのかを調べてしまったと言った。
私もそこのところが気になったので、タルトを食べながら二人の話に耳を傾ける。
「好きになってしまった人の名前を知ると、どんどん深みにハマっていきました。いけないと思いつつも、花梨奈さんが働いている会社にこっそり見に行ってしまったこともあります。……そのうち、それだけでは足りなくなって、ボディガードを花梨奈さんにつけて、その日の彼女の様子を教えてもらっていました」
「は?」
彼のその言葉を聞いた途端、私はくわっと目を見開いた。シモーネもびっくりして固まっている。
「トモヒト。それはダメだよ。好きになったなら声をかければいいじゃないか」
「そうなんですけど……。逃げられないように外堀を埋めてからにしようと思って必死すぎて、そこに考えが及びませんでした……」
「……普通は逆だと思うわ」
私が呆れた声を出すと、トモが苦笑いしながら頭を掻く。
普通なら、逃げられないように捕まえようと考えるより、声をかけて仲良くなろうと思うのが先なんじゃないの?
だから婚約の話が先に来たのかと、私は得心がいった。
その後はなぜかトモのストーカー談義で盛り上がり、彼のヤバさを強く実感したところで教会へと向かった。
「わぁ! サンタ・トリニタ教会だわ!」
「せっかくだし、トモヒトは教会で自らの行いに懺悔でもしたらどうだい?」
「懺悔? そんなもの必要ありませんよ。僕は何ひとつ悔い改めなければいけないことはありませんから……」
そう言いきるトモに、シモーネが呆れを滲ませた溜息をつく。
いっそ清々しいわよね。
私も同様に溜息をつくと、トモが手を握ってくる。
「トモなら私にストーカーしなくても、たくさん縁談きていたでしょ? わざわざ法に触れそうなぎりぎりなことしなくても良かったと思う」
「僕だって最初はそう思いましたよ。一体何をやってるんだって……。でも、やめられないんです。花梨奈さんじゃないとダメなんです。その想いはこうやって直接触れ合って、さらに強くなりました」
「……っ!」
強い眼差しでそう言い切られて、顔にボッと火がつく。
怒らなきゃいけないのに、なぜかできなかった。
私、やっぱりトモに甘くなってるかも……
私は軽く眩暈を覚えながら、教会の前に立った。
十一世紀に創設され十三世紀に再建。十六世紀になってからメディチ家監修の元、改築されたこの教会は『羊飼いの礼拝』や『罪を悔いたマグダラのマリア』など、ルネサンス期の貴重な絵画や彫刻を見ることができる。
まあいいわ。トモがストーカーなのは最初から分かりきっていたことだし、その想いの強さに絆され政略結婚を受け入れたのも事実だから、今さら怒っても仕方ないのかも。
今後しないなら、それでいいや……。そんなことより、今は教会よ!
そう諦めながら中に入ると、ルネサンス芸術の発祥と言われる花の都フィレンツェに来たのだという実感が沸々とわいてくる。
メディチ家の支配のもと、芸術都市として栄えたその頃の面影を留めるように、今も変わらない美しい街並。そして数多くの絵画や彫刻。それらに触れられるのは、本当に感動だ。
私は強く心を揺さぶられるのを感じて、胸元で手を組み、ほぅっと息をついた。
「ほら、二人とも。この右翼廊にあるサッセッティ礼拝堂のフレスコ画がドメニコ・ギルランダイオが描いたものだよ。あと、そこの祭壇画も……」
「わぁ、素敵!」
私が感動に震えていると、シモーネが丁寧に教えてくれる。その解説を聞きながら教会内をぐるっと見回した。
本当に素晴らしい作品ばかりだわ。
「感動的だね、トモ!」
「そうですね。花梨奈さんは、観光している時はとても無邪気でキラキラしていて、僕も嬉しいです」
「だって好きなんだもん」
トモの微笑ましそうな表情に照れ笑いを浮かべる。すると、彼が私の髪を撫でながら切なそうに息を吐いた。
「……?」
「イタリアと同じくらい、いやそれ以上に僕のことを愛してくれると嬉しいんですが……それにはもう少し時間がかかりそうですね」
「え?」
何よ、それ……
トモの言葉に戸惑いを覚える。
なんと返していいか分からずに目を伏せた私の髪をひと掬いしキスをしたので、私は彼の手を掴んだ。
「そんなもの比べるものじゃないわ」
「それでも……嫉妬してしまいます」
トモはそう言い私の指に自分の指を絡め、こつんと額を合わせてくる。その彼の行動に私は何も言えなくなった。
教会に入ってから夢中になりすぎて、トモを放っておきすぎたかしら。
何かに夢中になりすぎて、周りの人をおざなりにするのは良くない。
父は仕事ばかりで家族に目を向けなかった。それなのに要求だけは高くて……できないと機嫌が悪くなる。ひどい時は殴られたり物が飛んでくることだってあった。
私ったらいけないわね。気をつけないと……
程度の差はあれど、周りをかえりみれない人間にはなりたくない。
「ごめんなさい。気をつけるわ。でも勘違いしないでほしいの。トモやシモーネと観光できていることが何より楽しくて嬉しいのよ」
「もちろん分かっています。少し拗ねただけです」
トモにぎゅっと抱きつくと、シモーネに肩をとんとんと叩かれる。そして「二人とも目立ってるよ」と笑われた。
「……!」
「目立って何が悪いんですか? 教会で皆に見届けてもらえるなんて最高じゃないですか」
「わ、私は恥ずかしいわ! ちょっと離れましょう!」
慌てて離れようとした私をさらに抱き込んでこようとしたトモの腕の中からなんとか逃げ、私はシモーネの背中に隠れた。
私たちはショッピング後、トルナブオーニ通りからアルノ川へと歩いて行く途中のカフェに入った。そして、そのカフェのテラス席に座るなり、大きな溜息をつく。
「結局ネックレス買っちゃうんだもの、トモったら強引なんだから」
「とてもよく似合ってますよ」
私は胸元に輝く花のネックレスを指でいじりながらトモをじろりと睨んだ。私の咎める視線も気にならないくらい彼は満足そうだ。
はぁ、もういいや。タルト食べよ。
嘆息しながらひとくち口に含むと、たくさんのフルーツと中に入ったヨーグルトの酸味とはちみつの甘み。そして紅茶やココナッツオイルの香りが鼻を抜ける。
美味しい……!
先ほどの疲れが一気に癒やされていくように感じて私はふにゃっと笑った。この感動を分かち合いたくて、フォークで一口ぶんを切り分け、トモの前に差し出す。
「美味しいからトモも食べてみて」
「ありがとうございます。とても美味しいですね」
すると、トモが私の手をそっと握ってタルトを食べてくれる。が、そのまま私の手を引き寄せフォークを持っている指までも口に含もうとした。
「ちょっと! 私の指まで食べないでよ!」
慌てて手を引っ込めると、彼が残念そうな表情をしたので、シモーネが苦笑いしながら肩を竦めた。
「トモヒトは本当にカリナのこと好きだね」
「はい。大好きです」
シモーネの言葉にすごく幸せそうな顔で即答されて、かぁっと顔が熱くなる。
トモったら照れたりしないのかしら? 私はつい気恥ずかしさが先に立っちゃうんだけど……
「トモヒトはいつカリナを好きになったんだい? 二人の馴れ初めを聞きたいな」
「馴れ初めというか……最初は僕が一方的に……。学会で研究の発表をしている花梨奈さんを見た瞬間から気がつくと花梨奈さんのことばかりを考えていました」
「へぇ、一目惚れだったんだね」
「はい。恋というものは本当にある日ふと落ちるのだと実感させられました。理屈ではなく、この人が欲しいと心が強く望んだんです。そうなるともう止められません」
トモは照れたように笑いながら、自分の心を奪った人が何者なのかを調べてしまったと言った。
私もそこのところが気になったので、タルトを食べながら二人の話に耳を傾ける。
「好きになってしまった人の名前を知ると、どんどん深みにハマっていきました。いけないと思いつつも、花梨奈さんが働いている会社にこっそり見に行ってしまったこともあります。……そのうち、それだけでは足りなくなって、ボディガードを花梨奈さんにつけて、その日の彼女の様子を教えてもらっていました」
「は?」
彼のその言葉を聞いた途端、私はくわっと目を見開いた。シモーネもびっくりして固まっている。
「トモヒト。それはダメだよ。好きになったなら声をかければいいじゃないか」
「そうなんですけど……。逃げられないように外堀を埋めてからにしようと思って必死すぎて、そこに考えが及びませんでした……」
「……普通は逆だと思うわ」
私が呆れた声を出すと、トモが苦笑いしながら頭を掻く。
普通なら、逃げられないように捕まえようと考えるより、声をかけて仲良くなろうと思うのが先なんじゃないの?
だから婚約の話が先に来たのかと、私は得心がいった。
その後はなぜかトモのストーカー談義で盛り上がり、彼のヤバさを強く実感したところで教会へと向かった。
「わぁ! サンタ・トリニタ教会だわ!」
「せっかくだし、トモヒトは教会で自らの行いに懺悔でもしたらどうだい?」
「懺悔? そんなもの必要ありませんよ。僕は何ひとつ悔い改めなければいけないことはありませんから……」
そう言いきるトモに、シモーネが呆れを滲ませた溜息をつく。
いっそ清々しいわよね。
私も同様に溜息をつくと、トモが手を握ってくる。
「トモなら私にストーカーしなくても、たくさん縁談きていたでしょ? わざわざ法に触れそうなぎりぎりなことしなくても良かったと思う」
「僕だって最初はそう思いましたよ。一体何をやってるんだって……。でも、やめられないんです。花梨奈さんじゃないとダメなんです。その想いはこうやって直接触れ合って、さらに強くなりました」
「……っ!」
強い眼差しでそう言い切られて、顔にボッと火がつく。
怒らなきゃいけないのに、なぜかできなかった。
私、やっぱりトモに甘くなってるかも……
私は軽く眩暈を覚えながら、教会の前に立った。
十一世紀に創設され十三世紀に再建。十六世紀になってからメディチ家監修の元、改築されたこの教会は『羊飼いの礼拝』や『罪を悔いたマグダラのマリア』など、ルネサンス期の貴重な絵画や彫刻を見ることができる。
まあいいわ。トモがストーカーなのは最初から分かりきっていたことだし、その想いの強さに絆され政略結婚を受け入れたのも事実だから、今さら怒っても仕方ないのかも。
今後しないなら、それでいいや……。そんなことより、今は教会よ!
そう諦めながら中に入ると、ルネサンス芸術の発祥と言われる花の都フィレンツェに来たのだという実感が沸々とわいてくる。
メディチ家の支配のもと、芸術都市として栄えたその頃の面影を留めるように、今も変わらない美しい街並。そして数多くの絵画や彫刻。それらに触れられるのは、本当に感動だ。
私は強く心を揺さぶられるのを感じて、胸元で手を組み、ほぅっと息をついた。
「ほら、二人とも。この右翼廊にあるサッセッティ礼拝堂のフレスコ画がドメニコ・ギルランダイオが描いたものだよ。あと、そこの祭壇画も……」
「わぁ、素敵!」
私が感動に震えていると、シモーネが丁寧に教えてくれる。その解説を聞きながら教会内をぐるっと見回した。
本当に素晴らしい作品ばかりだわ。
「感動的だね、トモ!」
「そうですね。花梨奈さんは、観光している時はとても無邪気でキラキラしていて、僕も嬉しいです」
「だって好きなんだもん」
トモの微笑ましそうな表情に照れ笑いを浮かべる。すると、彼が私の髪を撫でながら切なそうに息を吐いた。
「……?」
「イタリアと同じくらい、いやそれ以上に僕のことを愛してくれると嬉しいんですが……それにはもう少し時間がかかりそうですね」
「え?」
何よ、それ……
トモの言葉に戸惑いを覚える。
なんと返していいか分からずに目を伏せた私の髪をひと掬いしキスをしたので、私は彼の手を掴んだ。
「そんなもの比べるものじゃないわ」
「それでも……嫉妬してしまいます」
トモはそう言い私の指に自分の指を絡め、こつんと額を合わせてくる。その彼の行動に私は何も言えなくなった。
教会に入ってから夢中になりすぎて、トモを放っておきすぎたかしら。
何かに夢中になりすぎて、周りの人をおざなりにするのは良くない。
父は仕事ばかりで家族に目を向けなかった。それなのに要求だけは高くて……できないと機嫌が悪くなる。ひどい時は殴られたり物が飛んでくることだってあった。
私ったらいけないわね。気をつけないと……
程度の差はあれど、周りをかえりみれない人間にはなりたくない。
「ごめんなさい。気をつけるわ。でも勘違いしないでほしいの。トモやシモーネと観光できていることが何より楽しくて嬉しいのよ」
「もちろん分かっています。少し拗ねただけです」
トモにぎゅっと抱きつくと、シモーネに肩をとんとんと叩かれる。そして「二人とも目立ってるよ」と笑われた。
「……!」
「目立って何が悪いんですか? 教会で皆に見届けてもらえるなんて最高じゃないですか」
「わ、私は恥ずかしいわ! ちょっと離れましょう!」
慌てて離れようとした私をさらに抱き込んでこようとしたトモの腕の中からなんとか逃げ、私はシモーネの背中に隠れた。
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