完結済 ドブネズミの革命 ─虐げられる貧民たちは、自由を求めて下克上する─

ちはやれいめい

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革命戦争編(親世代)

五十六話 焼けた市場のその後、ハキムの容態

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 偽反乱軍の襲撃から三日。
 市場の再建が進んでいた。
 大工たちが焼け落ちた天幕や柱を取り払い、均した場所に新たな店を建て直す。
 その傍らでは、手押し車での商売が再開していた。何かあったときにすぐに商品ごと逃げられるようにという、苦肉の策だ。

「おっちゃーん。パンくれ。これで買えるだけ」

 ユーニスは十ハルドコインを二枚握りしめ、パン屋の店主に話しかける。

「おう坊主。今日はちゃんと金を持ってきたな。兄ちゃんに頼まれたか?」
「うん。おっちゃんの店大丈夫だったんだな」

 代金を受け取った店主は平たいパンを三つ、ユーニスの手に持たせる。ユーニスが渡したのはパン一個分の金額だ。大した枚数ではないから、数え間違えるはずもない。

「おっちゃん。多いぞ」
「兄ちゃんと姉ちゃんも食べるだろ」

 そう言われても、おまけをもらう理由にはならない気がして首を傾げる。
 店主はバツが悪そうに頬をかいて笑う。

「あー……。うちのおふくろが、火事のとき坊主の兄貴に助けられたんだ。これくらいしかできねぇが、礼を言っといてくれ」
「わかった、兄ちゃんにもそう言っとく」

 ファジュルとルゥルアにと言うのなら、受け取っておいていいのかもしれない。とくに、ルゥルアはお腹の子のために少しでもたくさん食べないといけないから。

 ぐるりと市場を見渡すと、買い物客はいつもよりも少ない。事件があったばかりだし、必要に迫られないかぎり、買い物する気にならないのかもしれない。

 巡回の兵がふたり市場に来たが、買い物客たちからの視線が凍てつくような冷たさだ。

 あちこちから「恥知らずの国王の犬!」「税金泥棒!」と非難の声があがり、石礫《いしつぶて》を投げられる。
 言い返す言葉もなく、兵たちは逃げるように去っていった。

 それを横目に、おしゃべり好きそうなおばさんたちの声が耳に届く。

「あの事件の犯人たち、王様に雇われたって本当? 反乱軍って名乗ってたけど」
「運ばれた人が聞いたって。大怪我した王国兵が、『全部国王に命じられてやったことだ』って言ってたんだって」
「あたしらを巻き込まないでほしいわぁ。そんなの雇うお金があったら税を下げてくれればいいのに」
「そうよね。そいつらを雇ったお金だって税金でしょ? さっきの兵だって、巡回と言いながらいつ襲ってくるかわかったもんじゃない」

 そのおばさんたちだけでなく、そこかしこで先の事件のことを話題にして、顔をしかめている。
 ユーニスにはまだ税金うんぬんのことはわからないけれど、大変なんだなというのだけは伝わった。

「じゃーな、おっちゃんありがと!」

 ユーニスはパンを抱えてスラムに帰った。
 そう。ユーニスの中では、ここが帰る場所になってしまっていた。
 両親が迎えに来てくれるかもしれないという期待はない。そんなことよりも、ファジュルたちの力になりたかった。

 歩きなれた迷路を進んで、スラムの拠点に帰り着く。診療所前に集う仲間たちの輪にファジュルがいた。

「兄ちゃんただいま!」
「おかえり、ユーニス。どうだった」
「焼けたものとって、たてなおしてた。少しだけど店もやってたよ。はいこれ、兄ちゃんと姉ちゃんのぶん。おっちゃんがオマケしてくれた。兄ちゃんに、『おふくろを助けてくれてありがとう』って伝えてくれって言われた」
「おふくろ? ……ああ、もしかしてあのときの。ならありがたくもらっておくか。ユーニス、お疲れ様。自分のぶんを食べるといい」
「わーい」

 ひと仕事終えて報酬《パン》にかぶりつく。
 幼いユーニスなら、反乱軍の偵察だなんて思われない。これはジハードの案だ。
 ユーニスも、戦えない代わりにこうして役に立てるなら嬉しい。そしてこの店のパンは美味しいから一石二鳥。

「お、いいもん食ってんじゃん。オレにもくれよユーニス」
「ふががが! むー!」

 パンを取ろうとしたサーディクの手を、エウフェミアが叩いた。

「いい年して、子ども相手に馬鹿なことやってんじゃない」
「ちちち、違うんだエウフェミア。今のは本気じゃなくて、おふざけで~」
「ふざけていいときと悪いときがあるのがわからないの?」

 泣きそうな顔でエウフェミアにすがりつくサーディクは少し……いや、かなりかっこ悪い。
 見なかったことにして、ユーニスは残りのパンを食べる。

 ファジュルは自分のぶんには手を付けず、二つともルゥルアに渡した。

「ルゥが食べるといい」
「ふふっ。気持ちは嬉しいけど、一度に二つも食べ切れないよ。それはファジュルが食べて」

 隣り合って座り、一つずつ食べるふたり。サーディクが今度はファジュルのぶんを取ろうとして、エウフェミアに蹴られた。


 そんなやり取りをしていると、ヨハンが診療所から出てきた。

「ファジュル様。ハキムが目を覚ましました。ジハードが状況の説明をしたので、話をできます」
「ありがとう、先生」
「いえ。これが医者の務めですから」

 ハキム。ファジュルたちが家事の現場から連れ帰ってきた王国兵だ。
 大怪我していて、ヨハンがつきっきりで治療と看護をしていた。

 ファジュルが診療所に入っていき、ユーニスも処置室の窓から様子を覗き見る。サーディクとディーも気になるようで、壁に張り付いて聞き耳をたてていた。

 処置室の中にはファジュルとジハード、ヨハン、そしてハキムがいる。
 ハキムは簡易ベッドに腰掛け、ファジュルを真っ直ぐに見る。

「ウスマーン大将から話を聞きました。貴方様はまこと故アシュラフ王のご子息であられるのですね。敵であるわたくしの命を助けてくださる寛容な御心に、感謝いたします」
「ジハード。いったいどんな説明をしたんだ」

 丁寧すぎる言葉をかけられ、ファジュルが鳥肌をたてた。

「私はただ自分の身の上とハキムの置かれた状況を話しただけです。ここは敵地の中ですし、見知った人間がいたほうが安心するかと思いまして」

 ジハードは、自分がウスマーンであることをハキムに打ち明けた。
 正体不明の何者かに言われるより、信頼している上官に説明されたほうが聞き入れる気になるから。

「頼むハキム。普通に、同僚と話すような感じにしてもらえないか。貧民育ちだから、そんな王族相手に話すような言葉遣いをされるのは慣れないんだ」
「ですが、貴方様が王子であるのなら敬意を払うのは当然の」
「普通にしてくれ」

 ファジュルは心底嫌そうな顔で、ハキムの言葉を遮った。

「今後どうしたいかはハキム自身に任せる。ガーニムがハキムの両親にまで罪を負わせるつもりなら、家族揃って国外に亡命できるよう手を貸そう。ガーニム王政のうちは、この国に居づらいだろう」
「……そう、ですね。私のせいで両親が罪に問われるのは避けたい。国外に逃がすのが、私ができる最後の孝行でしょう」

 ハキムはうつむいて、掠れた声でつぶやく。
 襲われた市場の人々と罪を着せられた者たちすべてを助けようとした結果が、裏切り者の汚名。
 詳しい事情を知らない人間には、国王命令に背いた戦犯でしかない。

 さっきユーニスが見た兵たちのように、ハキムの家族は石を投げられる人生が待っている。

 ハキムはファジュルに頭を下げる。

「両親を助けてもらう上に頼みごとをすること、厚かましいとは思います。ですがどうしてもお願い申し上げる。同じ目に遭う人間を増やすのは、私の信義に反する。この怪我が治ったら、貴方の剣となることをお許しいただきたい。ガーニム様がこの上罪を重ねるのを止めたいのです」

 ガーニムを怨んで討つのではなく、ガーニムが罪を重ねる前に止めたい。それがハキムの願い。
 革命を願うファジュルの目的とは違えど、ガーニムを止めることは同じ。

「わかった。ハキムがそう願うのなら、力を貸してくれ」
「ありがとうございます」


 ハキムの両親は、王都の南端で麦を育てながら細々と暮らしているという。
 遣いの人間を出して国外逃亡の手はずを整える。幸い、ガーニムの手は及んでいなかった。
 ハキムの両親を保護するのと同じくして、ディーがとなり町に滞在中のヨアヒム一座を呼んできた。

 持てる最低限のものだけ持ち、ヨアヒムの一座に同行して国境を超えた。
 ハインリッヒ伯は事情を聞いた上でハキムの両親を保護してくれた。



 そして市場の火事から七日目。スラムに王国軍が攻め入って来た。これまでの数倍、城勤めの兵すべてを投入したのかと思えるほどの大軍が。
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