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五ノ巻
頁42
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突拍子もない提案だと思った。
阿呆らしいと。
だが今度こそ自分は人間を深く知り、関係を持つ事が出来る様になるのかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら、私は『あぁ』と短く告げ、彼の小さな手を握り返した。名は凛といった。
男は予想した以上に変だった。
一歩間違えたら喰われる身でありながらも自由で、私の中にズケズケと入ってくる良い意味で自分勝手な奴だった。私を恐れず、人に接するかの様に優しく笑ってくれる。そんな彼は、もう戻れる事の無い現世の話を自ら私に話していた。
『良い事なんて何一つ無かったよ。面倒な奴等ばっかだし』
彼は現世に未練一つ無さそうだった。
それどころか嬉しそうに何度も告げるのだ。此処に来てお前に出会えたのだから俺は充分幸せだ、と。私と一緒に居て幸せだと言ってくれた。
『そっかー、翡翠様は人間と共存するのが夢だったのか』
彼は絵を描くのが好きだった。
得意なのは墨絵らしい。紙が無いという理由で天井に自由に描かれた。彼を持ち上げる尻尾を更に掲げながら『とんだ夢物語だがな』と返すと、彼は愉しそうに自分を指して言った。
『俺達今共存してんじゃん。翡翠様の夢、叶ったな』
無邪気に笑う彼は私を満たした気持ちにさせてくれた。自分の中で何かが芽生えているのが分かる。この感情は一体何だろうか。彼に聞こうにも、気恥ずかしさを覚えて何となく聞くのを控えた。その事を、私は酷く後悔する事になるとは知らずに。
『…………』
目の前の血塗れになった両手を眺めながら呆然とする。
少し視線を下げると、横たわった凛が口から血を吹き出し『翡翠』と名前を呼びながら手を此方に伸ばしてくる。
『あんたは……なんも悪くないからな』
そう言って力の抜けた様に笑う彼の手を掴もうと自分も腕を伸ばすが、その前に彼の腕はパタンと力尽きてしまう。口を震わせながら彼の側に近付き『凛』と声を掛ける。
(………………)
凛は死んでいた。
数分前迄普通に笑っていた彼が、今は息絶えている。
恐る恐る身体を起こすが、ぐったりと自分の腕の中で項垂れる。彼の首辺りからふわりと甘い花の匂いがする。もう凛は息をしていないのに、自分は物凄く喰らいたい衝動に掛かっていた。
自分が彼に行った数分前の言動を思い返す。
彼から甘い香りがしたと同時に突然理性が切れて龍神の姿へと変わり果ててしまった自分は、勢いよく彼に噛み付いてしまった。彼の血がじんわり口に広がるのを感じている中、凛は喰らいつく私を止めようとすらしなかった。ただ笑顔で私を眺めて死んでいった。
阿呆らしいと。
だが今度こそ自分は人間を深く知り、関係を持つ事が出来る様になるのかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら、私は『あぁ』と短く告げ、彼の小さな手を握り返した。名は凛といった。
男は予想した以上に変だった。
一歩間違えたら喰われる身でありながらも自由で、私の中にズケズケと入ってくる良い意味で自分勝手な奴だった。私を恐れず、人に接するかの様に優しく笑ってくれる。そんな彼は、もう戻れる事の無い現世の話を自ら私に話していた。
『良い事なんて何一つ無かったよ。面倒な奴等ばっかだし』
彼は現世に未練一つ無さそうだった。
それどころか嬉しそうに何度も告げるのだ。此処に来てお前に出会えたのだから俺は充分幸せだ、と。私と一緒に居て幸せだと言ってくれた。
『そっかー、翡翠様は人間と共存するのが夢だったのか』
彼は絵を描くのが好きだった。
得意なのは墨絵らしい。紙が無いという理由で天井に自由に描かれた。彼を持ち上げる尻尾を更に掲げながら『とんだ夢物語だがな』と返すと、彼は愉しそうに自分を指して言った。
『俺達今共存してんじゃん。翡翠様の夢、叶ったな』
無邪気に笑う彼は私を満たした気持ちにさせてくれた。自分の中で何かが芽生えているのが分かる。この感情は一体何だろうか。彼に聞こうにも、気恥ずかしさを覚えて何となく聞くのを控えた。その事を、私は酷く後悔する事になるとは知らずに。
『…………』
目の前の血塗れになった両手を眺めながら呆然とする。
少し視線を下げると、横たわった凛が口から血を吹き出し『翡翠』と名前を呼びながら手を此方に伸ばしてくる。
『あんたは……なんも悪くないからな』
そう言って力の抜けた様に笑う彼の手を掴もうと自分も腕を伸ばすが、その前に彼の腕はパタンと力尽きてしまう。口を震わせながら彼の側に近付き『凛』と声を掛ける。
(………………)
凛は死んでいた。
数分前迄普通に笑っていた彼が、今は息絶えている。
恐る恐る身体を起こすが、ぐったりと自分の腕の中で項垂れる。彼の首辺りからふわりと甘い花の匂いがする。もう凛は息をしていないのに、自分は物凄く喰らいたい衝動に掛かっていた。
自分が彼に行った数分前の言動を思い返す。
彼から甘い香りがしたと同時に突然理性が切れて龍神の姿へと変わり果ててしまった自分は、勢いよく彼に噛み付いてしまった。彼の血がじんわり口に広がるのを感じている中、凛は喰らいつく私を止めようとすらしなかった。ただ笑顔で私を眺めて死んでいった。
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