夫に離縁が切り出せません

えんどう

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 見つめあってどれほどの時間が経ったか、微動だにしないステューに口を開いたのはカレンの方だった。
 自分勝手だろうか。久しぶりに会う彼は以前とは随分と違って、私は懐かしみを感じはしたけれどあんなにも溢れていた嫌悪感や憎悪は全くと言って良いほど無かった。
「お久しぶりね」
 雨の音にかき消されそうな私の声にピクリと反応はしたけれどやはり固まったままでステューは動きもしない。
「念のために鍵は閉めたと思ったのだけれど──どうやら貴方は合鍵を持っているようね」
「…どうしてお前がここにいる」
 やっと絞り出すようなその言葉があまりにも面白くてカレンは笑ってしまった。
「私は家主から許可を得てここへ荷物を取りに来たの。どちらかといえば貴方の方が不法侵入ではなくて?最も貴方が自ら望んでここへ来たとも思わないけれど…」
 大嫌いなアレクの家に来るくらいならばやはりまたおじ様のおつかいだろうかと考える。
「私に会ったことは言わないでいてくれると助かるわ。久しぶりに貴方に会えたのは嬉しかったけれどもう行かないと、」
「──月日が経てば嫌いな奴にも少しは優しくすることを覚えたのか?それともようやく兄貴と結ばれたからそう言うのか」
 どこか失笑するような言い方をしてきたステューにほんの少しだけ気を悪くしそうになったけれど先に酷いことを言って傷付けたのは私の方だし、恐らく私の言葉は今もなお消えず彼の胸の奥へと突き刺さっているのだろうと思う。
 傷付けば良いと確かにあの時は思っていたのに、今となっては自分の行いが酷く浅ましく哀れなものであることに気が付いてしまった。けれども素直に謝るにはあまりにも時間が経ち過ぎてしまったし、最後に自分の言った言葉は謝罪で消えてしまうものでもない。
 そんなことは言い訳で本当は自分に謝るだけの勇気がないだけだろう。
「意地悪なことを言うのね」
 辛うじてそれだけ返せば彼はグッと眉にシワを寄せたまま黙り込んでしまった。
「本心よ、久しぶりに貴方に会えて嬉しいわ。貴方はもう私になんて会いたくなかったかもしれないけれど」
「………」
「あの時に言ったこと、」
 ごめんなさい。その一言を言うことが出来ないのは、彼に自分の非を認めたことを知られるのが怖いからだろう。ただの逆恨みで歳下の子供を傷付けてしまったのだから。今思えば社交パーティーでも一切彼の顔を見かけることも、名前を聞くことすら無かった。意図的でなければあんなに会わないということはまずないだろう。
「…悪かったと思っているわ。貴方の気持ちを酷い言葉で罵ったことをずっと後悔していたの」
 それが今のカレンの精一杯だった。全てを夫に曝け出し、心から悔やみ、けれども面と向かって非難されることは怖かった。
 願わくば昔のように嫌味の応酬を出来るくらいには話せるように、なんて。あまりにも都合の良すぎることだった。
「俺を馬鹿にしているのか?」
 冷たくこちらを睨みつけたステューの顔は歪んでいた。
「お前の言う通り、お前が俺を死ぬほど嫌いだと言ったから、二度と顔を見たくないと言ったからお前の前に決して現れないように徹底した!!」
「ステュー、」
「全部お前が望んだからだ!!なのに今更そうして謝るなんて、これ以上俺を惨めにさせる気か!?」
 その言葉で、その声で、その顔で嫌でも分かってしまった。彼はまだ囚われたままなのだ。あの日のまま何も変わらず、ステューに逆恨みして告白の言葉を罵り拒否した私にずっと囚われたまま。
 私の言葉はどれほど彼を縛り付けその心の鎖となっただろう。想った人にあんな風に言われた気分は、気持ち悪いと言われた彼の心は、想像だけでも辛く苦しいことだと分かった。
 それが分かったのは全て受け入れてくれた夫のおかげだ。
「…貴方、まさかまだ私のこと」
 ステューの大きく開いた瞳と、一瞬で耳まで染まった赤色は言葉よりもよく教えてくれた。
 どうしてかは分からない。あの頃も、今も、私にそれほど愛されるだけの価値があるのか分からない。いつだってそばにいたのは物心着く前から絶対的な方だったアレクだけだったから。
 もしもっと早く、アレクがあんなことになる前にステューの気持ちを知っていたら何か変わっていたのだろうか。
「──お前なんか大っ嫌いだ…!」
 振り絞るように怒鳴って部屋を出て行ってしまったその姿を見送り、カレンはその場に座り込んだ。足は震えていてしばらくは立てそうにない。
 自分の過ちを相手に詫びることがこんなにも難しいことだなんて知らなかった。
(…追いかける…のは、無理ね。昔から足が速いもの…)
 傷付けられる前に傷付けるべきだなんて馬鹿なことを思っていた。そうすれば自分は傷付かずに済むと思っていた。相手にどれほどの傷を残したって構わなかった。そんな風に、生きているのがあの頃の私には普通だったから。
 耳の奥に響く雨の音は、先ほどよりますます勢いを増していた。

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