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第14話① 尋問
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「いい加減、白状したらどうなんだい!」
冒険者ギルドのサブマスターは、女の顔を目の前の桶の中に乱暴に突っ込んだ。
女はじたばたと足を鳴らし、桶の中の水が辺りに飛び散る。
そうして女が窒息する寸前を見計らって、その頭を力づくで引き上げる。
「一体誰が裏で糸を引いているんだ! 言えッ!」
女――トットの耳元で、サブマスターのつんざくような怒鳴り声が響いた。
尋問というには少々荒々しい手法だが、それに異を唱える者はいない。
「はぁ、全部正直に白状したじゃないですか……」
しかしトットは水責めにもちっとも懲りた様子も無く、小馬鹿にした呆れ声を返すばかりだった。
その言葉通り、トットはこの尋問が始まった時から全ての質問に正直に答えている。
自分はただ訴えに際して嘘の証言をしただけ。
商工ギルドに投げ込まれた書類に関しては知らない。
だが尋問を執り行うサブマスターが、そんな答えを一向に信じようとはしなかった。
「そんな馬鹿なことがあるかっ! どうせ商工ギルド辺りに頼まれてスパイでもしてたんだろ!」
サブマスターのその言葉には、半分ぐらいは「そうであったら良い」という願望が含まれていた。
何か奴らに嵌められたという証拠でもあれば、今のこの状況から抜けだされるかもしれない。
そんな細い糸を手繰るような、わずかな希望。
「だからそっちは知りませんよ。どうせいつもの足の引っ張り合いでしょう? アナタがやったように」
だがトットはにべも無くそう切って捨てた。
証拠など無いが、おそらくそれが正しいのだろうという確信もある。
正しい者が正しい事をすれば、正しい結果が付いて回る。
世の中にはそう信じて疑わない馬鹿が必ずどこかにいるものだ。
そして冒険者ギルドでそんな馬鹿が集まるのは、このサブマスターと敵対するギルド長の下。
「心当たりの職員の名はもう教えたでしょう? 私もその人たちの前で精一杯煽りましたから、『健全なギルドの為に』とそんな馬鹿なことをする馬鹿な人が出たんじゃありませんか?」
「そんなことぐらいでボクたちがこんな目に会ってたまるかっ」
サブマスターの言葉は、最後はもう慟哭と言っても良いような響きだった。
トットはそれを冷めた目で見ている。
「まぁ、私も商工ギルドは想像してませんでしたよ。穏当に騎士団に垂れ込むぐらいだと思ってたんですけどねえ」
ご愁傷様、とトットはわざとらしいほど親身な声でサブマスターを労わった。
◆
あれから冒険者ギルドは蜂の巣をつついたような騒ぎだった。
商工ギルドに証拠付きで自分たちの醜聞がバレただけで無く、今は一部で冒険者引き抜きの動きまで見せているという。
単なる一冒険者のトラブルに過ぎないはずの問題が、冒険者ギルドの存続が危ぶまれるような事態に発展してしまった。
――自分が親に売られた時も、こんな騒ぎだったのだろうか。
霞む意識の片隅で、トットはぼんやりとそんなことを考えていた。
トットはこのロ―ジアン周辺にあるエルフの集落の生まれだ。
幼いころは近所の森の中を駆け巡って、それなりに幸せに日々を送っていた、と記憶している。
それが変わったのは、村の近辺に冒険者の一団が姿を現す様になってからだった。
ロ―ジアンの開拓が進み、トットの住む村までその手が伸び始めたのだ。
エルフの村を取り巻く環境は大きく変わった。
冒険者たちは獲物を狩り、草木を切り倒し、森を削っていった。
その変化にエルフたちは付いていけなかった。
それまでは森の恵みで細々と食いつないでいたが、それも年を越すごとに減っていく。
文句を言おうにも、どこからどこまでが自分たちの所有の土地かはエルフたちにも判然としない。
そうこうしている内に端から森は削られ、立派な交易路が村のそばを通るようになった。
人間たちは「森で喰えないのならば」と交易を申し出てきたが、それもエルフにとっては毒の一滴に過ぎない。
確かにそれで食料を買うことは出来たが、余計な生産をしないエルフたちに売り物になるものなど早々ありはしなかった。
貨幣経済などになれていないエルフたちは、祖先の遺産を二束三文で売り払い、あっという間に借金漬けになった。
ものの数年の間のことである。
結果、村の中で最後の手段として売り払われたのがトットのような若いエルフたちだった。
「……替わろう」
必死にトットを水桶に押し付けるサブマスターの腕を止めたのは、いつの間にか尋問部屋に入ってきたギルド長だった。
トットはギルド長に迂遠な目を送る。
「今更なんのつもりだっ」
トットの疑問を代弁するようにサブマスターが吠えた。
いかめしい表情を一切崩さず、ギルド長がそれに答える。
「彼らが吐いた。帳簿を投げ込んだことを認めたよ」
サブマスターの一瞬目が丸くなり、次いで大声で笑いだした。
「ははっ、そうか! じゃあ、もうコイツは良いや。ボクがアイツらの方から誰の差し金か聞きだしてやるよ!」
「……これ以上絞っても何も出て来やしないと思うがね」
そう言ってギルド長はトットの方を見た。
彼らの証言も、トットのそれとそう変わらなかったという意味だろう。
「ふん、それは君が甘いんだよ。だからこっからはボクの腕前の見せどころってわけさ。キミは今後の身の振り方でも考えておいた方が良いんじゃないかな?」
サブマスターは最後にそんな嫌味を言うと、足早に部屋を飛び出していった。
「はぁ、あの人はどんな時でも人生楽しそうですね」
「……見たい物だけを見る人間だからな。これが一筋の光明になると本気で考えているんだろう」
薄暗い部屋の中、二人っきりで閉じられた分厚い扉を見つめた。
きっとそんな人間はサブマスターだけでは無い。
「それで、ギルド長は私に何の御用で? もう話せることは話ましたよ?」
それともサブマスターの言う通り、また「甘いこと」をしようとでも言うのか。
売り払われたトットの購入を決めたのも、この男だった。
責任は冒険者ギルドにもあると言って。
――ここで働きながら経済や人間社会の仕組みを学び、いつか君がそれを村に持ち帰ると良い。
そんな甘いこと言って、夢を見させた。
「それともまた希望を見せつけて、目の前で取り上げるつもりですか? それがどれだけ人を傷つけるかも知らずに」
「……それがこんなバカげたことを仕出かした理由か?」
「違いますよ。愛の為です」
ギルド長はそれまで頑なに形作っていた顔を盛大にしかめる羽目になった。
それを見てトットはくつくつと笑った。
「まぁ、良い。もう君のことは私でも庇いきれんよ。ここに来たのは、ちゃんと全てを知っておくことが私の義務だと思ったからだ」
それを聞いてやはり甘い人だな、とトットは嘲笑った。
どうしようもなく下らないその理由を聞いたら、目の前のこの男は次はどんな顔をするのだろうかと思いながら。
冒険者ギルドのサブマスターは、女の顔を目の前の桶の中に乱暴に突っ込んだ。
女はじたばたと足を鳴らし、桶の中の水が辺りに飛び散る。
そうして女が窒息する寸前を見計らって、その頭を力づくで引き上げる。
「一体誰が裏で糸を引いているんだ! 言えッ!」
女――トットの耳元で、サブマスターのつんざくような怒鳴り声が響いた。
尋問というには少々荒々しい手法だが、それに異を唱える者はいない。
「はぁ、全部正直に白状したじゃないですか……」
しかしトットは水責めにもちっとも懲りた様子も無く、小馬鹿にした呆れ声を返すばかりだった。
その言葉通り、トットはこの尋問が始まった時から全ての質問に正直に答えている。
自分はただ訴えに際して嘘の証言をしただけ。
商工ギルドに投げ込まれた書類に関しては知らない。
だが尋問を執り行うサブマスターが、そんな答えを一向に信じようとはしなかった。
「そんな馬鹿なことがあるかっ! どうせ商工ギルド辺りに頼まれてスパイでもしてたんだろ!」
サブマスターのその言葉には、半分ぐらいは「そうであったら良い」という願望が含まれていた。
何か奴らに嵌められたという証拠でもあれば、今のこの状況から抜けだされるかもしれない。
そんな細い糸を手繰るような、わずかな希望。
「だからそっちは知りませんよ。どうせいつもの足の引っ張り合いでしょう? アナタがやったように」
だがトットはにべも無くそう切って捨てた。
証拠など無いが、おそらくそれが正しいのだろうという確信もある。
正しい者が正しい事をすれば、正しい結果が付いて回る。
世の中にはそう信じて疑わない馬鹿が必ずどこかにいるものだ。
そして冒険者ギルドでそんな馬鹿が集まるのは、このサブマスターと敵対するギルド長の下。
「心当たりの職員の名はもう教えたでしょう? 私もその人たちの前で精一杯煽りましたから、『健全なギルドの為に』とそんな馬鹿なことをする馬鹿な人が出たんじゃありませんか?」
「そんなことぐらいでボクたちがこんな目に会ってたまるかっ」
サブマスターの言葉は、最後はもう慟哭と言っても良いような響きだった。
トットはそれを冷めた目で見ている。
「まぁ、私も商工ギルドは想像してませんでしたよ。穏当に騎士団に垂れ込むぐらいだと思ってたんですけどねえ」
ご愁傷様、とトットはわざとらしいほど親身な声でサブマスターを労わった。
◆
あれから冒険者ギルドは蜂の巣をつついたような騒ぎだった。
商工ギルドに証拠付きで自分たちの醜聞がバレただけで無く、今は一部で冒険者引き抜きの動きまで見せているという。
単なる一冒険者のトラブルに過ぎないはずの問題が、冒険者ギルドの存続が危ぶまれるような事態に発展してしまった。
――自分が親に売られた時も、こんな騒ぎだったのだろうか。
霞む意識の片隅で、トットはぼんやりとそんなことを考えていた。
トットはこのロ―ジアン周辺にあるエルフの集落の生まれだ。
幼いころは近所の森の中を駆け巡って、それなりに幸せに日々を送っていた、と記憶している。
それが変わったのは、村の近辺に冒険者の一団が姿を現す様になってからだった。
ロ―ジアンの開拓が進み、トットの住む村までその手が伸び始めたのだ。
エルフの村を取り巻く環境は大きく変わった。
冒険者たちは獲物を狩り、草木を切り倒し、森を削っていった。
その変化にエルフたちは付いていけなかった。
それまでは森の恵みで細々と食いつないでいたが、それも年を越すごとに減っていく。
文句を言おうにも、どこからどこまでが自分たちの所有の土地かはエルフたちにも判然としない。
そうこうしている内に端から森は削られ、立派な交易路が村のそばを通るようになった。
人間たちは「森で喰えないのならば」と交易を申し出てきたが、それもエルフにとっては毒の一滴に過ぎない。
確かにそれで食料を買うことは出来たが、余計な生産をしないエルフたちに売り物になるものなど早々ありはしなかった。
貨幣経済などになれていないエルフたちは、祖先の遺産を二束三文で売り払い、あっという間に借金漬けになった。
ものの数年の間のことである。
結果、村の中で最後の手段として売り払われたのがトットのような若いエルフたちだった。
「……替わろう」
必死にトットを水桶に押し付けるサブマスターの腕を止めたのは、いつの間にか尋問部屋に入ってきたギルド長だった。
トットはギルド長に迂遠な目を送る。
「今更なんのつもりだっ」
トットの疑問を代弁するようにサブマスターが吠えた。
いかめしい表情を一切崩さず、ギルド長がそれに答える。
「彼らが吐いた。帳簿を投げ込んだことを認めたよ」
サブマスターの一瞬目が丸くなり、次いで大声で笑いだした。
「ははっ、そうか! じゃあ、もうコイツは良いや。ボクがアイツらの方から誰の差し金か聞きだしてやるよ!」
「……これ以上絞っても何も出て来やしないと思うがね」
そう言ってギルド長はトットの方を見た。
彼らの証言も、トットのそれとそう変わらなかったという意味だろう。
「ふん、それは君が甘いんだよ。だからこっからはボクの腕前の見せどころってわけさ。キミは今後の身の振り方でも考えておいた方が良いんじゃないかな?」
サブマスターは最後にそんな嫌味を言うと、足早に部屋を飛び出していった。
「はぁ、あの人はどんな時でも人生楽しそうですね」
「……見たい物だけを見る人間だからな。これが一筋の光明になると本気で考えているんだろう」
薄暗い部屋の中、二人っきりで閉じられた分厚い扉を見つめた。
きっとそんな人間はサブマスターだけでは無い。
「それで、ギルド長は私に何の御用で? もう話せることは話ましたよ?」
それともサブマスターの言う通り、また「甘いこと」をしようとでも言うのか。
売り払われたトットの購入を決めたのも、この男だった。
責任は冒険者ギルドにもあると言って。
――ここで働きながら経済や人間社会の仕組みを学び、いつか君がそれを村に持ち帰ると良い。
そんな甘いこと言って、夢を見させた。
「それともまた希望を見せつけて、目の前で取り上げるつもりですか? それがどれだけ人を傷つけるかも知らずに」
「……それがこんなバカげたことを仕出かした理由か?」
「違いますよ。愛の為です」
ギルド長はそれまで頑なに形作っていた顔を盛大にしかめる羽目になった。
それを見てトットはくつくつと笑った。
「まぁ、良い。もう君のことは私でも庇いきれんよ。ここに来たのは、ちゃんと全てを知っておくことが私の義務だと思ったからだ」
それを聞いてやはり甘い人だな、とトットは嘲笑った。
どうしようもなく下らないその理由を聞いたら、目の前のこの男は次はどんな顔をするのだろうかと思いながら。
応援ありがとうございます!
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