金沢友禅ラプソディ

逢巳花堂

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第一話 カフェ「兎の寝床」

隔絶

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「ねえ。余ってる筆くらい、あるでしょ。私に分けてくれない?」
「生まれて初めて見た。厚顔無恥って、藍子さんみたいな人のことを言うんだね」
「何とでも言いなさいよ」
「そうだね、うん、その強気な態度に敬意を表して……」

 綾汰は作業場の中に引っこんだ。

 かと思えば、すぐに出てきて、巾着袋を投げてきた。

 藍子はその袋をキャッチすると、中身を確認した。

 筆が一一本入っている。下絵の青花用の筆が一本。普通の彩色筆と、片羽の筆が五本ずつ。
 欲を言えば、もっと筆の数は欲しいところであるが、今の藍子には十分な本数だ。

「一度逃げ出した人が、また友禅作家を目指そうなんて、そんな甘いことを考えているんじゃないよね? それだったら、今すぐ、その袋、返してもらうけど」

 綾汰は、口元は笑っているが、その瞳は冷ややかだ。

「そんなこと考えてないわよ」

 さすがに藍子は、綾汰を睨みつけた。

 しばらく二人は、階段の上と下で対峙した。無言のまま、目線を逸らすことなく。

 かつて、この國邑工房は、國邑千都子の師匠の工房だった。藍子の母もここで活動していた。いつか母が跡を継ぐと目されており、そうなれば藍子も、自由に使わせてもらえるはずだった。

 今となっては、夢まぼろしに終わった。

 藍子の母亡き後、國邑千都子が跡を継ぎ、國邑工房として再スタートし、藍子はそこに客分として修行に入ったが、あまりの厳しさについていけず、飛び出してしまった。
 以来、ここはもう二度と、藍子が自由に使える場所では無くなった。

 そのことを強調するかのように、階段の上に、綾汰は立ち塞がっている。

「筆、ありがたくいただいてくわ」

 藍子は袋を掲げながら、きびすを返し、階段から下りた。

「もう諦めればいいのに」

 不意に、上の方で、綾汰がボソリと呟くのが聞こえた。だが、藍子は、何を言われたのか聞き取ることが出来なかった。

「どうしたの? 何か言った?」
「いや……なんでも」

 綾汰は目をそらすと、部屋の中へと戻っていった。

「変なの」

 藍子は首をかしげた。ともあれ、少しでも仕事に必要な道具を入手出来たのだから、これ以上ここに長居する必要もない。
 千都子に見つからないよう気をつけながら、裏口を通って外に出た。
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