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本編
15 過ぎたものは戻らない①
「裕也!」
「え……母さん?」
街で歩いていると、見知った顔に話しかけられる。一世代前の服を着こなして俺に話しかけてきた女性は、俺の母親だった。
最後にあったのは、確か3年前。眼の前にある顔は最後の記憶よりも少し老けている。
「久しぶりね。あんた、顔色ちょっと良くなったんじゃない」
開口一番に、自分でもコンプレックスに感じていたことを突かれる。思わず顔をしかめそうになるが、ぐっとこらえた。続いて飛んできた「彼女できた?」という言葉は聞き流した。シカトしたとも言う。正直、この人に自分のデリケートなところをさらけ出す気にはなれない。あなたが知らないうちに彼女ができていて、あなたが知らないうちに別れました、なんて言う気もない。
何も知らない母親は、なんてことない顔をしながら笑みを浮かべた。
「まあ、あんたに彼女ができるわけ無いか。それより聞いて。あんたに報告したいことがあったの。まずはこれを見て」
母さんは手に持っていたファイルから一枚の紙を取り出すと、俺に書面を見せる。えーと、なになに……
受理証明書、という大きな文字。その下の届出欄には、離婚と書かれている。その次に、母親と父親の名前、住所、誕生日……
「これって……、」
「そう!ようやくあいつと離婚できたのよ!」
心底嬉しそうに声を上げる自らの母親に返事をしつつつ、どこか冷めた感情で書面を見つめる。
やっと離婚したのか。それは良かったじゃないか。でも、だからといって俺の生活が変わるわけじゃない。今も実家ぐらしをしていたなら、「もうあの人に怯えなくて良い」と喜ぶ感情はあったのかもしれないけど。三年前、逃げ出すようにして家をでてから、あの人と会う機会は全く無かった。数年経ってるし、父親ともずっと顔を合わせていない。そりゃ会いたいわけでもないけど、でも、もっと早く離婚してくれたらよかったのにと思わずにいられなかった。
「待って、俺の名字ってどうなるの」
「あんたもう成人してるでしょ。成人を迎えた子供は名字がそのままでもいいの。変えなくてもいいけど、私と同じにしたかったら変えなよ」
「面倒だからこのままでいいよ」
「そう?」
母親は、やっと夫の名前を捨てれたことに精々したようだった。その表情は憑き物が取れたように晴れやかで、そのこと自体は良いことだと思う。
「ねえ、あんた今彼女いるの?」
「いないよ」
「じゃあ、一緒に住まない?」
「え、やだ」
何をいきなり言い出すんだ。こっちはもう成人してるし、社会人なのに。一回別居した親子がまた同居するって、おかしくないか。というか、一緒に住む理由がわからない。
「はぁ~?あんたも、家事手伝ってくれる人が家に居たら助かるでしょ」
「別に……。一人でも大丈夫だよ。家事は得意だし」
放ったらかしにされがちだった幼少期のお陰で、家事は一通りできる。そんなこと、母さんだって知っているだろうに。
何より、今俺の家には、クラゲさんがいるのだ。あの、生物だか化け物なんだかよくわからないものを母さんに見られたら、何を言われるか、考えただけでも頭が痛いし。それがきっかけでクラゲさんと暮らせなくなったら嫌だ。
「なによ。私と住むのが嫌なの?家族なのに……何を今更」
わざとらしく不機嫌そうに顔を膨らませた母さんが、ため息をつく。最後にぼそっと聞こえた言葉に、刺々しい痛みが喉元を込み上げた。胸が苦しいようで、焦っているようで、色々な感情が入り混じって何が何だかわからなくなる。
……今更?今更って、何だよ。俺と母さんの今までって、何?
周りの景色が、道行く人たちの動きがスローモーションに見えた。母さんと楽しく会話した思い出はたくさんあるはずなのに、脳裏に浮かぶのは辛い記憶ばかり。
父さんに殴られて、口からたくさん血が出てきて、とうとう死ぬんじゃないかって怖くなって泣いていた幼い自分が目の前に見えた。父さんの足元で涙を流す俺を、母さんは遠くから見ていた。いや、見てすらいなかった。目障りなものを見たくないと言わんばかりに顔をそらして、足早に自室に入っていく。そんな寂しい記憶ばかりだ。
母さんのことは恨んでいない。だって、誰だって怖い人に自分から関わろうなんて思わないだろ。でもだからといって、好きだったわけでもない。母さんのことを親として見たことがない。パチカスの父親と幼い俺を養うために日夜働いていたことはすごく感謝しているし、これから自分の生活に余裕ができたら親孝行もしていくつもりだ。母さんがちゃんと養ってくれたから、俺は不幸じゃなかった。
今までと言うほど、俺と母さんの間に何かあるのだろうか。俺には思いつかない。
「そっちこそ、今更なんなの」
声色に苛立ちが乗ってしまった。母さんは驚いたように目を大きくさせて、一瞬息を詰めた。わざとわかりにくいように言葉短く言ったのだが、母さんには俺が言いたいことが伝わったようだ。
「え……母さん?」
街で歩いていると、見知った顔に話しかけられる。一世代前の服を着こなして俺に話しかけてきた女性は、俺の母親だった。
最後にあったのは、確か3年前。眼の前にある顔は最後の記憶よりも少し老けている。
「久しぶりね。あんた、顔色ちょっと良くなったんじゃない」
開口一番に、自分でもコンプレックスに感じていたことを突かれる。思わず顔をしかめそうになるが、ぐっとこらえた。続いて飛んできた「彼女できた?」という言葉は聞き流した。シカトしたとも言う。正直、この人に自分のデリケートなところをさらけ出す気にはなれない。あなたが知らないうちに彼女ができていて、あなたが知らないうちに別れました、なんて言う気もない。
何も知らない母親は、なんてことない顔をしながら笑みを浮かべた。
「まあ、あんたに彼女ができるわけ無いか。それより聞いて。あんたに報告したいことがあったの。まずはこれを見て」
母さんは手に持っていたファイルから一枚の紙を取り出すと、俺に書面を見せる。えーと、なになに……
受理証明書、という大きな文字。その下の届出欄には、離婚と書かれている。その次に、母親と父親の名前、住所、誕生日……
「これって……、」
「そう!ようやくあいつと離婚できたのよ!」
心底嬉しそうに声を上げる自らの母親に返事をしつつつ、どこか冷めた感情で書面を見つめる。
やっと離婚したのか。それは良かったじゃないか。でも、だからといって俺の生活が変わるわけじゃない。今も実家ぐらしをしていたなら、「もうあの人に怯えなくて良い」と喜ぶ感情はあったのかもしれないけど。三年前、逃げ出すようにして家をでてから、あの人と会う機会は全く無かった。数年経ってるし、父親ともずっと顔を合わせていない。そりゃ会いたいわけでもないけど、でも、もっと早く離婚してくれたらよかったのにと思わずにいられなかった。
「待って、俺の名字ってどうなるの」
「あんたもう成人してるでしょ。成人を迎えた子供は名字がそのままでもいいの。変えなくてもいいけど、私と同じにしたかったら変えなよ」
「面倒だからこのままでいいよ」
「そう?」
母親は、やっと夫の名前を捨てれたことに精々したようだった。その表情は憑き物が取れたように晴れやかで、そのこと自体は良いことだと思う。
「ねえ、あんた今彼女いるの?」
「いないよ」
「じゃあ、一緒に住まない?」
「え、やだ」
何をいきなり言い出すんだ。こっちはもう成人してるし、社会人なのに。一回別居した親子がまた同居するって、おかしくないか。というか、一緒に住む理由がわからない。
「はぁ~?あんたも、家事手伝ってくれる人が家に居たら助かるでしょ」
「別に……。一人でも大丈夫だよ。家事は得意だし」
放ったらかしにされがちだった幼少期のお陰で、家事は一通りできる。そんなこと、母さんだって知っているだろうに。
何より、今俺の家には、クラゲさんがいるのだ。あの、生物だか化け物なんだかよくわからないものを母さんに見られたら、何を言われるか、考えただけでも頭が痛いし。それがきっかけでクラゲさんと暮らせなくなったら嫌だ。
「なによ。私と住むのが嫌なの?家族なのに……何を今更」
わざとらしく不機嫌そうに顔を膨らませた母さんが、ため息をつく。最後にぼそっと聞こえた言葉に、刺々しい痛みが喉元を込み上げた。胸が苦しいようで、焦っているようで、色々な感情が入り混じって何が何だかわからなくなる。
……今更?今更って、何だよ。俺と母さんの今までって、何?
周りの景色が、道行く人たちの動きがスローモーションに見えた。母さんと楽しく会話した思い出はたくさんあるはずなのに、脳裏に浮かぶのは辛い記憶ばかり。
父さんに殴られて、口からたくさん血が出てきて、とうとう死ぬんじゃないかって怖くなって泣いていた幼い自分が目の前に見えた。父さんの足元で涙を流す俺を、母さんは遠くから見ていた。いや、見てすらいなかった。目障りなものを見たくないと言わんばかりに顔をそらして、足早に自室に入っていく。そんな寂しい記憶ばかりだ。
母さんのことは恨んでいない。だって、誰だって怖い人に自分から関わろうなんて思わないだろ。でもだからといって、好きだったわけでもない。母さんのことを親として見たことがない。パチカスの父親と幼い俺を養うために日夜働いていたことはすごく感謝しているし、これから自分の生活に余裕ができたら親孝行もしていくつもりだ。母さんがちゃんと養ってくれたから、俺は不幸じゃなかった。
今までと言うほど、俺と母さんの間に何かあるのだろうか。俺には思いつかない。
「そっちこそ、今更なんなの」
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