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第22話 ジャズ・ロックを叩いて渡る 5

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 ティホンの身体が割れたガラステーブルに沈んでいく。
 頑丈なガラステーブルが真っ二つに割れ、破片を飛び散らす。
 勝はティホンの鳩尾に突き立てた踵を軸にして、ティホンの上に立ち体重をかけてティホンの身体を踏みつけた。
 ティホンが床にぶつかって、その僅かな衝撃に勝の満身創痍の身体は耐えきれず前屈みに転がり落ちた。

 もう立ち上がるなよ、大男。
 仰向けに倒れた勝は願うように天井を仰いだ。
 息を整えることすら困難なほど全身に痛みが走る。
 意思と反して、どうにかこの痛みが解消されないかと求めるように身体は呼吸を欲した。

「元レスラーだかの大男を倒したのだ、誉めてやるべきかな? いや、こんな何処の馬の骨かもわからないチンピラ風情の若者に簡単に倒されるようなヤツを宛がわれた事を嘆くべきか」

 ティホンの声とは違う男の声が聞こえた。
 ティホンに指示を出した男の声だ。
 勝は起き上がろうとしたが身体に力が入らなかった。

「まぁ、倒したと言ってもそれじゃあ良くて相討ちといったところか。いや、ティホンは死んだわけでもなさそうだし、お前がこのまま死なないわけでもない。私がいるということを考えると、やはりお前の負けというのが正しいところか?」

 七三分けの白いスーツの男が勝の顔を覗き込むように見る。

「なぁ、質問してもいいか?」

 男は蛇のような目をして勝を見下ろしていた。

「ああ、いや、了承を得たいわけじゃないから、勝手に質問するんだが──お前、何者だ?」

 男の眼光が鋭くなった。
 勝は酷く冷めた威圧を感じた。
 触れられていないのにまるで首を絞められているような錯覚。

「何処かの組の人間か? いや、こんな馬鹿な事をして得するヤクザがいるとは思えない。こんなところにカチコミとかいうのを仕掛けて何の意味がある? 無いな。ならば、お前は何者だ? 単なる馬鹿野郎か?」

 一目見た雰囲気から勝は男を日本人ではないと判断したが、その流暢な口調にその判断が正しかったのかわからなくなった。

「単なる、馬鹿野郎だよ」

 辛うじて声が出たので勝はそう言葉を返した。
 自分が何者かと問われても、確かな答えなど持ち合わせていなかった。
 強いて言うならば、男が口にしたその表現が一番近いのだろう。

「そうか、それは・・・・・・面白い答えだ」

 男は笑うでもなく口角をつり上げて、勝の視界から離れた。

「なるほど、よくわかったよ。この街は変な街だな。流れ者にはあってるのかもしれない。ビジネスのしがいは、まぁ、無くもないか。ああ、そう、一つだけ言っておくことがあるんだ──」

 男の足音が遠退いていった、そう勝が思って何とか首を動かして男の姿を捉えようとした瞬間。
 ぐしゃ、っという音が勝の耳に響き顔面に強い衝撃と痛みを感じた。
 蹴られた、そう理解すると共に身体は大きく転がりソファーにぶつかる。
 止まりかけていた鼻血が再び噴き出す。

「銃だ、ナイフだ、と私が持っていなくてもお前は死ぬ可能性がある、ということをしっかり認識しておくべきだ。例えば、もう二蹴りもすれば顔面の骨を砕いてやるのも造作もないことなのだ」

 ぐわんぐわん、と音が鳴るような頭の痛みに男の声が重なる。

「人の頭蓋骨は硬いというのは聞いたことがあるか? マウントを取って殴ったとしても、殴った側の拳が砕ける事の方が多いそうだ。だがしかし、それは一般的な話、というヤツだな。こっちの世界は頭なんて簡単に砕かれる。手や足、肉体のあらゆる部分が凶器となって、間抜けをあっさりと殺すんだ」

 ああ、よくわかってるよ。
 全身の痛み、特に今受けたばかりの顔面の痛みから勝は男にそう言葉を返してやりたかった。
 返してやりたかった、がそれは声として出せなかった。
 噴き出す鼻血が口へと垂れて、荒いままの呼吸に紛れて喉元に入る。
 喉がつまり、血を吐き出した。

「今日お前はロシア人の大男を打ち倒したと胸を張って帰るんじゃない。馬鹿な事をして間抜けと罵られ無様に生かされて帰るんだ」

 帰れるのか、と勝は思った。
 そして、帰れないと考えていた自分に気づいて驚いた。
 どこかで死ぬことを受け入れていたのかもしれない。
 痛みに頭がやられたか、心がおれたか、情けない。

「さて、長々と話してしまったな。ああ、一つだけと言ったがあれは言葉のあやだ。ん、言葉のあやで合ってたかな? まぁいいか、私はそろそろ去らせてもらうとしよう。お前も気が済んだらさっさと帰るんだな。ティホンも時期に起き上がるだろう。そいつは元レスラーで、体力には自信があるんだそうだ。アルバイトの面接で質問に迷って答える長所みたいだろ? そいつを宛がったヤツがセールスポイントのようにそう言ってたよ」

 男の声が足音と共に遠退いていく。
 今度は本当に遠退いていくのを音で理解したが、勝は何かされるのかもと気を張っていた。
 キャバクラの店内の奥だろう方向からドアが開閉する音が聞こえて、勝は息を吐いた。
 言葉通り男が去っていた、そう安堵した。

 身体を動かせるようになるまであと何回呼吸を繰り返せばいいか。
 満身創痍の身体の痛みに勝の思考回路はまともに機能していなかった。
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