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第三章 開戦の幕開け

第五十五話 南方の血

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 (第三者視点)



 その日。
 帝都は久しぶりに訪れた南方からの積荷を載せた商船が多く入港していた。
 夏から秋の終わりのこの時期は、海上は荒れることが多い。
 外洋でその落ち着きを見計らっての、入港だった。
 その中には帝都内で路上の市場を立てる許可を求める商人も多くいた。

 彼等がその品の市場を大通りで広げたことから、昼前から帝都はにぎわいを見せていた。
 ハーベスト大公家の公旗を掲げた馬車と馬群の一団がその真ん中を通り抜けていく。
 彼らはそのまま、皇帝の居城へと内門を抜け、何層にも渡って城の周りを囲う内塀を抜けて行く。

 あらかじめ指定された場所で馬車と馬を預け、ハーベスト大公ユンベルトは執務場へと向かう。
 海を背後にして東西に大きく左右に、鳥が翼を広げたような造りをこの城はしている。
 その東側。
 本殿とはそこそこの距離にある離宮へとユンベルトは足を運ぶ。
 与えられた執務場、帝国宰相専用の東離宮。
 司空宮と呼ばれる四層建ての建物が彼の職場となっていた。

 宰相着に着替えると、些少だけ溜まっていた書類と報告を聞き、各大臣からの訪問を受ける。
 それに午前を費やし、午後からは各国の外相や大使たちとの交渉。
 彼はこの国で最も忙しい貴族の一人だった。
 夕方になり、来訪も落ち着いたところでユンベルトは部下に宝珠を用意するように指示を出した。
 国内各軍事拠点や上位貴族、城塞都市の管理者たちとの魔導による画像と音声を併用した会議が始まる。
 
 帝国と南方大陸との交易状況。
 北方での、枢軸連邦やそれ以外の小国と青き狼などの騎士団との小競り合い。
 王国側と法王庁との最近の動向や帝国内からの司祭の招聘令の確認。
 三角洲の管理監督権の交渉に当たっている大臣や上位貴族からの報告。
 そしてーー

「では、グレイシー提督。
 ロアでは帝国海軍とロア高家お抱えの海軍の模擬戦闘はやはり、ロア側が優位だと?」

 城塞都市ロアに駐留している帝国海軍提督のグレイシー准将。
 彼は白髪混じりの老齢の男性だが、まだ現役として艦橋で指揮を執る重鎮の一人だ。

「そうですな、宰相閣下。
 湾内ではやはり、ロアの持つ中型、喫水の低い帆船の方が小回りが効きやすいかと」

 ふーん、そうユンベルトはなにかを思案する。

「それはどうだ、提督。
 あの三角洲付近であっても、同様か?」

 三角洲?
 ああ、あのシェス大河の海との間にあるあの島か。
 提督の答えは明瞭だった。

「いいえ、閣下。
 あの場は外洋からの海流の流れが押し出す力が強いですからな。
 逆に潮流を読まねば、外洋へと行くでしょう。
 ロアの船ならば。
 まあ、商船程度ならば大河の上流まででも行けるでしょうが。
 そう、王国の外洋船、それも戦艦などとなると。
 ロアの船では厳しいでしょうな。
 まずその前に魔導師団による長距離砲撃が先に来ますから、それをかいくぐり白兵戦に持ち込むなら。
 有用かとは思いますが」

「魔導の優位性がある中で、わざわざ敵船に乗り込んで斬りあいをする時代はもう終わった。
 そうだろう? 提督」

「それはそうですが。
 しかし、一角のように突撃艇として使うなら、早い潮流を捕まえればーー」

「なるほど。
 乗員は大型船のほうで転送魔法で回収、そういう話か」

「ええ、そうです。
 実際、ロアはそれが得意ですよ、宰相閣下。
 今回は大型の戦艦が帆先を上手く回頭しきれない間に、側面をやられましたからな。
 はっは、いや、面目ない」

 楽しそうに提督は笑うがその眼は笑っていない。

「ただし、我が方はそれも込みでも、二重の側面構造。
 この10年の間に、王国海軍に対抗するための措置としては、まあまあかと」

 側面の二重構造か。
 どうせ、排水機構もうまく用意して沈没を防ぐようにしたのだろう、この老獪な提督は。
 ユンベルトはそう思った。

「で、宰相閣下。
 いつ、発ちますかな?
 ロアを始め、ラズ、ユンバスと。まあ、レブナスは南方の要ですから厳しいですが、ベシケア大公家からは。
 出されるかもしれませんな。
 そろそろ、あの王子の持つ海軍とも一戦やっておきたいところ。
 シアードの海軍は王国最強と言うではありませんか。
 この老骨もそろそろ、待つには飽きてきた頃でしてな」

 このジジイめ‥‥‥。
 ユンベルトは自分よりは10以上年齢の開きがある戦い好きの老提督を呆れた顔で見る。

「そろそろ、孫の方にでもその将籍を譲られてはいかがですか、提督。
 まだ、こちらからは何の海軍への打診はしていないはずですが?」

「おいおい、ユンベルト。
 こんな南と東の境目にいる老いぼれにも聞こえてきておるぞ。
 殿下との婚約の話。
 まあ、あの王国貴族からの破棄を受けて、お前の受け入れたエシャーナ伯の子女殿か。
 見事に死のうとされたと聞いて、わしは感銘を受けたわ。なぜ、男子に生まれなかったのか。
 是非、我が軍に欲しいものよ。その器量。
 まあ、お前もそれを見越しての養女としたのか、それともーー」

 かつてまだ若い時代。
 ユンベルトの上官だった提督は羨ましそうに言う。

「まったく。
 殿下が声を上げぬまま終われば、我が家の孫の嫁に欲しいものだ」

「提督閣下‥‥‥。もうそちらのお孫殿は25ではありませんか。
 ラズ高家辺りの双子の姫でも迎えれば宜しいでしょうに‥‥‥。
 あの場は殿下の恩寵でおさまったようなもの。
 当家のユニスはまだ世を知らぬ若さ。それは買いかぶりというもの」

「ラズか?
 ふむ、まあ、我が家は侯爵ではあるから格的にはいいが。
 あそこの片方はもう、おるからなあ。息子が」

 ほう?
 そんな話はユンベルトの耳にも、貴族社会の噂にも聞いていない。

「閣下。
 そのような話、初耳ですな。
 どちらと婚儀を?」

 うーむ、とグレイシーは渋い顔をする。

「なにか問題でも?」

「それがなあ、ユンベルト。
 あの双子、ニーエ様とライナ様だが。
 いま19か。先の、北部戦線があっただろう?
 闇の牙と、北部山脈に領地をもつ枢軸連邦の辺境伯軍との戦いだ。
 あれでな、夫になる前に戦死されたと聞いている」

「戦死?
 しかし、それであればまだ5年前。
 相手側の爵位を継承し、もし子爵であれば女子爵など、名乗れば良いのでは?
 なぜ、まだ実家に?」

「言いにくいがな、あれにはほれ。ラズ高家の陸兵も参戦しただろう?
 その中のな‥‥‥若い平民の男子だったそうだ。
 それを知られては、家の恥、とな。
 出産以来、実家に軟禁されていると、そんな話だ」

 ああ、そういうことか。
 ユンベルトは納得する。家の恥をさらさないためにする、貴族社会ではよくある手だ。
 死ぬまで、屋敷内の鉄格子の中で住まわせる。その親子ともに。
 古い格式にこだわる高家の一つ、ラズならやりそうなことだと思った。

「ですが、閣下。
 まあ、若い時分を思い出しての閣下とお呼びしているのですから。
 あまり、これは言わないで欲しいですが」

「ふん、あの若僧がいまでは帝国第二の実力者。
 わしももう少し恩を売っておくべきだったか?」

「御冗談を。
 ですが、そのお話。どこで耳に成されたので?」

「孫のな。
 戦友があそこの第三子息だ。
 うちの海軍でいま鍛えとる。もう少しすれば、戻り自分で指揮を執るだろうよ」

 世の中の縁というのは怖いものだ。
 ユンベルトはそう思う。

「ああ、そういえば。
 ユンベルト、婚儀はいつするのだ?
 跡取りはどうするつもりだ?
 お前に実子はおるまい?」

 ええい、うるさい爺様だ。
 うちのことなど、ほっておいてくれ。
 そんな顔をして、宰相は返事をする。

「まだ、殿下の即位前ですからな。
 陛下の御気分次第。
 王国との問題もあります。
 閣下、とりあえずは出る用意だけは‥‥‥」

「ん。わかった。こちらは上手くみせかけておこう。
 特にベシケアには、な。
 レブナスの高家。あの城塞都市は南方に近すぎる。
 陛下が第一皇子をベシケア大公家に婿入りさせたのは正解かもしれん」

 やはり、南と西。 
 そして、北。
 三方からかかる気か。
 裏にはまあ、猊下、だな。そしてーー
 ユンベルトの頭は回る。
 提督が相手をしたいと言った、王国海軍最強のシアードを育てた‥‥‥。

「王子か」

「なにか言ったか? 宰相殿よ」

「いえ、提督。
 では、その段取りでーー」

 そう言い、通話を切ろうとしたその時だ。
 グレイシー提督は思い出したようにぽつりと言った。

「そういえば、ユンベルト。
 あのライナの子な。
 南方の血が入っているとそう、うちのが言っておったわ。
 まあ、どうでもいいことだ。ではーー」

 通話が切れ、そしてハーベスト大公は妙な胸騒ぎを覚えた。
 南方の血?
 その一言が、どうにも気になった通話だった。

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