突然ですが、侯爵令息から婚約破棄された私は、皇太子殿下の求婚を受けることにしました!

星ふくろう

文字の大きさ
70 / 150
第四章 動乱の世界

第六十九話 魔女の微笑

しおりを挟む
 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 西のエベルング大陸ーー
 神聖ムゲール王国の北方、枢軸との国境付近に位置するルケーア子爵領。
 子爵家とか言っても屋敷は街の商人の自宅程度の石造りの平屋。
 部屋数も数部屋しかない。
 使用人もおらず、近隣にある数か所の村からの税金で領地を運用する貧乏貴族の土地だ。
 従って、領主自ら牧羊をしたり、農地を開墾したりと。
 普通の農家と変わらない生活が当主の元エイシャことミレイアとその夫、アンバス子爵シルドを待っていた。
 例の第四王子と共にいた大司祭からかけられた魔法など、とうの昔にシルドが別の依代に移している。
 ミレイアは誰はばかることなく、この場所に着いてから降りた馬車の前でポツンと呟いた。
「本当に、この人といて大丈夫かしら‥‥‥」
 と。
 その呟きは隣にいる青年の心に深く突き刺さる。
 六年で大公にーー
 あの約束を果たせない時は死ぬまで。
 そう言い切ったこの妻の苛烈さにシルドはあの夜から頭が上がらない。
 まだ十五歳。
 シルドは二十一を迎えたばかりだ。
 数え年でも五歳も違う幼い妻に尻にしかれるとは、自分でも少しばかり情けなかった。
 その日から一月余り。
 数週間前に銀鎖の影が解体され、第一、第二、第三ともに北鹿の角へと配属されていた。
 それも、混成軍団としてバラバラにされ、以前のような統一形態が保てないままの運用だった。



「このままでは、枢軸に攻められても国境線を押されるな‥‥‥」
 悪友こと元第二師団長のエルムンド侯が軍議だ、という名目でルケーア子爵領に自軍を駐屯させてから二週間。
 彼は毎日のように、シルド宅を訪問していた。
「エルムンド様。
 そろそろ、何か心づけが必要ではありませんか?」
 ただでさえ少ない食糧がお菓子などに変わって行く。
 その光景がミレイアは気に入らない。
 毎日ただやってきては、任されている北鹿の角騎士団第八師団を鍛えにいくから任せたぞ。
 などと逃げる夫を背に、彼はのんびりとこの牧歌的光景を楽しんでいる。
 昼食はおろか、夕飯まで食べて駐屯地に戻る始末。
 まるで自分がこの子爵家の主人だとでも言うような振る舞いに、家政婦を黙ってしていたミレイアもそろそろ限界が来ていた。
 暗黙裡に何か食糧を寄越せ、そう言っていた。
「ん?
 そんなに余裕がないのか、この農家は?」
「農家ではございません!」
「そうとしか見えんが‥‥‥??」
「では、農家では侯爵様を歓待できる御用意が出来かねます。
 お帰りを」
 冷たい嫁御だ、とエルムンド侯はやれやれと首を振る。
「二人分も三人分も変わらんだろう?」
「一人で三人前食べるのが一匹いるんですよ!!!」
 一匹。
 この表現が気に入ったのだろう、彼はしばらく笑いをこらえられないでいた。
「お、奥方。
 それは流石にあのシルドが可哀想‥‥‥」
「旦那様だけではなく、あなた様も同類です‥‥‥。
 兵士の方がこれほど食されるなんて。
 家計がどんどん大変ー‥‥‥」
 貧乏暮らしは実家で慣れていたから文句は無かった。
 ただ、手持ちの金貨が尽きる速度が早すぎる。
 この冬を越える用意もしなくてはいけないし、シルドの上司への心付けや部下に恥ずかしくない装い。
 そういった見えないところにも蓄えはあっという間に消えて行った。
「では、元奴隷でもあるわけだし。
 その辺りの農家で身体でも売るとかしたらどうだ?」
 平然と言いながら紅茶をすする夫の悪友を、刺し殺してやりたい。
 ミレイアは手にしていたホウキが剣にならないものか、そう願ったものだ。
「この身体は旦那様だけの、そんな話をしないでください。
 貴族たるしかも侯爵様が!!」
「だが、事実だろう?」
 後ろを振り返らずに、ソファーにくつろぐこの男をどうしてやろうか。
 ミレイアは辺りを見回すが適当な武器がない。
「なら、エルムンド侯が買われますか?
 元奴隷にされたのもあなた。はした女にすると言われたのもあなた。
 シルドとの間に亀裂が入れば、あの人も少しは自分で稼ぐことを覚えるでしょう?」
 そう嫌味を言ってやるとエルムンド侯の笑いが止まった。
「そうだな、それもいいかもしれん。
 ここでもいいぞ、奥方。俺は何も困らん。
 こんな悪友を家に招いて放置したシルドの責任だ。
 来られてはどうだ?」
「そうですか‥‥‥」
 武器ならあるではないか。その手の中に。
 ふとその事実に気づくと、実父から叩きこまれた剣術の型を取りそのまま打ち据えることができるように歩法を整えて近付いていく。
 これなら間違いがない、そんな距離まで来た時だ。
「その構えではわたしは殺せないな、奥方」
「え、なぜ?!」
 後ろに目があるようにも見えないのに、彼はいや、楽しいと笑っていた。
「その気を抑えないことには、敵は斬れない。
 剣気が強いな‥‥‥」
 カップをテーブルに置くと、立ちすくんだミレイアにエルムンド侯が近付いていく。
「構えと歩き方、体捌きは慣れたもの、か。
 それはエシャーナ侯から?」
「ええ、そうです‥‥‥侯?」
 ふと、ミレイアが聞き止めた言葉にエルムンドはしまった。
 そんな顔をする。
 しかし、この少女の反応は彼の考えていたものとは違っていた。
「そうですか、侯爵。
 ‥‥‥皇帝陛下が温情をかけて下さったのですね」
 そう言って寂しそうな顔で実家がある方向を見たからだ。
「温情、とは?
 姉上がグレン皇太子と婚約されて栄達ではないのか?」
 まさか、そうミレイアが首を振る。
「なぜ、そう否定する?」
「だって、エルムンド侯様。帝国には大公家が四つ。
 そのうち二家と帝室が縁を結べば残り二家が黙っていませんわ。
 御姉様はよくて愛妾。それも帝都ではなく、南か東の大公家の領地に近い僻地。
 わたしの様に領地を与えられて数年に一度、グレン殿下が来ればいいほうでしょう。
 可哀想な御姉様。
 旦那様もわたしより、御姉様を選んでおけば良かったのに」
「いや、それはーー」
「それよりも、エルムンド侯。
 金貨十枚です」
「なに?」
 ミレイアはほうきを放り出すと上着を脱ぎ棄てた。
 あとには室内着のみ。
「いや、待て‥‥‥それは!??」
「ですから、抱くならば金貨十枚です。
 それだけなければ、冬を越せません。旦那様の馬があと二頭は必要です。
 今のままでは、他の団長様方から笑われてしまいます」
「いや、おいー‥‥‥それはどういうことだ?」
 充分な支度をしたはず。
 そうエルムンドは言いたかった。
「ここは北ですよ、元義父上様!
 南でいる感覚では、数倍お金がかかるのです。
 大公にまでなれと言わせたのに。家計は妻が支えるものです。 
 少なくとも、お母様はそうされていました。御姉様の母上様と共に苦労されて‥‥‥。
 でも仕方がないではないですか。このミレイアのわがままでそうさせたのですから。
 ですのでーー
 金貨十枚を食費としていま頂くか、それともこの身体を抱くか。
 友情と欲情どちらが強いですか?
 まあ、言いませんよ‥‥‥何があっても」
 エルムンド侯は勘弁しろ、そう言ってそれ以上の金貨をミレイアに手渡す。
「あら、ありがとうございます」
「まさしく、魔女の微笑だな?
 ここで抱いたら、生涯に渡りシルドへ忠誠を尽くさなくてはならんわ。
 まったく‥‥‥」
 そのぼやきに幼い妻は嬉しそうに微笑んだ。
「はい、名の通り、魔女の女帝になりたいですから」
 そう言いながら‥‥‥
しおりを挟む
感想 130

あなたにおすすめの小説

婚約破棄ですか???実家からちょうど帰ってこいと言われたので好都合です!!!これからは復讐をします!!!~どこにでもある普通の令嬢物語~

tartan321
恋愛
婚約破棄とはなかなか考えたものでございますね。しかしながら、私はもう帰って来いと言われてしまいました。ですから、帰ることにします。これで、あなた様の口うるさい両親や、その他の家族の皆様とも顔を合わせることがないのですね。ラッキーです!!! 壮大なストーリーで奏でる、感動的なファンタジーアドベンチャーです!!!!!最後の涙の理由とは??? 一度完結といたしました。続編は引き続き書きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

婚約破棄された際もらった慰謝料で田舎の土地を買い農家になった元貴族令嬢、野菜を買いにきたベジタリアン第三王子に求婚される

さくら
恋愛
婚約破棄された元伯爵令嬢クラリス。 慰謝料代わりに受け取った金で田舎の小さな土地を買い、農業を始めることに。泥にまみれて種を撒き、水をやり、必死に生きる日々。貴族の煌びやかな日々は失ったけれど、土と共に過ごす穏やかな時間が、彼女に新しい幸せをくれる――はずだった。 だがある日、畑に現れたのは野菜好きで有名な第三王子レオニール。 「この野菜は……他とは違う。僕は、あなたが欲しい」 そう言って真剣な瞳で求婚してきて!? 王妃も兄王子たちも立ちはだかる。 「身分違いの恋」なんて笑われても、二人の気持ちは揺るがない。荒れ地を畑に変えるように、愛もまた努力で実を結ぶのか――。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

不貞の子を身籠ったと夫に追い出されました。生まれた子供は『精霊のいとし子』のようです。

桧山 紗綺
恋愛
【完結】嫁いで5年。子供を身籠ったら追い出されました。不貞なんてしていないと言っても聞く耳をもちません。生まれた子は間違いなく夫の子です。夫の子……ですが。 私、離婚された方が良いのではないでしょうか。 戻ってきた実家で子供たちと幸せに暮らしていきます。 『精霊のいとし子』と呼ばれる存在を授かった主人公の、可愛い子供たちとの暮らしと新しい恋とか愛とかのお話です。 ※※番外編も完結しました。番外編は色々な視点で書いてます。 時系列も結構バラバラに本編の間の話や本編後の色々な出来事を書きました。 一通り主人公の周りの視点で書けたかな、と。 番外編の方が本編よりも長いです。 気がついたら10万文字を超えていました。 随分と長くなりましたが、お付き合いくださってありがとうございました!

「犯人は追放!」無実の彼女は国に絶対に必要な能力者で“価値の高い女性”だった

賢人 蓮
恋愛
セリーヌ・エレガント公爵令嬢とフレッド・ユーステルム王太子殿下は婚約成立を祝した。 その数週間後、ヴァレンティノ王立学園50周年の創立記念パーティー会場で、信じられない事態が起こった。 フレッド殿下がセリーヌ令嬢に婚約破棄を宣言した。様々な分野で活躍する著名な招待客たちは、激しい動揺と衝撃を受けてざわつき始めて、人々の目が一斉に注がれる。 フレッドの横にはステファニー男爵令嬢がいた。二人は恋人のような雰囲気を醸し出す。ステファニーは少し前に正式に聖女に選ばれた女性であった。 ステファニーの策略でセリーヌは罪を被せられてしまう。信じていた幼馴染のアランからも冷たい視線を向けられる。 セリーヌはいわれのない無実の罪で国を追放された。悔しくてたまりませんでした。だが彼女には秘められた能力があって、それは聖女の力をはるかに上回るものであった。 彼女はヴァレンティノ王国にとって絶対的に必要で貴重な女性でした。セリーヌがいなくなるとステファニーは聖女の力を失って、国は急速に衰退へと向かう事となる……。

幼い頃、義母に酸で顔を焼かれた公爵令嬢は、それでも愛してくれた王太子が冤罪で追放されたので、ついていくことにしました。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 設定はゆるくなっています、気になる方は最初から読まないでください。 ウィンターレン公爵家令嬢ジェミーは、幼い頃に義母のアイラに酸で顔を焼かれてしまった。何とか命は助かったものの、とても社交界にデビューできるような顔ではなかった。だが不屈の精神力と仮面をつける事で、社交界にデビューを果たした。そんなジェミーを、心優しく人の本質を見抜ける王太子レオナルドが見初めた。王太子はジェミーを婚約者に選び、幸せな家庭を築くかに思われたが、王位を狙う邪悪な弟に冤罪を着せられ追放刑にされてしまった。

当て馬令息の婚約者になったので美味しいお菓子を食べながら聖女との恋を応援しようと思います!

朱音ゆうひ@11/5受賞作が発売されます
恋愛
「わたくし、当て馬令息の婚約者では?」 伯爵令嬢コーデリアは家同士が決めた婚約者ジャスティンと出会った瞬間、前世の記憶を思い出した。 ここは小説に出てくる世界で、当て馬令息ジャスティンは聖女に片思いするキャラ。婚約者に遠慮してアプローチできないまま失恋する優しいお兄様系キャラで、前世での推しだったのだ。 「わたくし、ジャスティン様の恋を応援しますわ」 推しの幸せが自分の幸せ! あとお菓子が美味しい! 特に小説では出番がなく悪役令嬢でもなんでもない脇役以前のモブキャラ(?)コーデリアは、全力でジャスティンを応援することにした! ※ゆるゆるほんわかハートフルラブコメ。 サブキャラに軽く百合カップルが出てきたりします 他サイトにも掲載しています( https://ncode.syosetu.com/n5753hy/ )

処理中です...