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「……静かになりましたね」
ルーカスが夕焼け空を見上げながら呟いた。
「ええ。騒音の元が物理的に排除されたからね」
私はテラスの椅子に座り直し、冷めてしまったコーヒーを一口飲んだ。
アレクセイが空の彼方へ消えてから数時間。
側近たちも彼を追って去り、マリアは「小腹が空きました」と言って森へ狩り(おやつ探し)に出かけた。
つまり今、この別荘には私とルーカスの二人きりだ。
カラスがカァと鳴く声だけが聞こえる。
「……ミシェル様」
ルーカスが私の前の椅子に座った。
いつもなら私の背後に控えて立っている彼が、珍しく正面に向き合っている。
「何? 今日の作業報告なら後で……」
「いいえ。業務連絡ではありません」
ルーカスの声色が、いつもより少し低く、そして甘い響きを帯びていた。
彼はテーブルの上で組んだ手に力を込め、真剣な眼差しで私を見つめてきた。
「少し、プライベートな話をさせてください」
「プライベート?」
私は首を傾げた。
「昇給の相談? それとも有給消化の件?」
「違います。……私の気持ちの問題です」
ルーカスはそう言うと、ふぅっと深呼吸をした。
夕日が彼の銀髪を赤く染め、整った顔立ちを一層ドラマチックに演出している。
無駄に絵になる男だ。
中身が肥料マニアでなければ、王都の令嬢たちが失神するレベルだろう。
「先ほどの騒動を見ていて、痛感しました。……私は、貴女のそばにいるだけで満足していてはいけないと」
「えっ、不満があるの?」
「逆です! 満足しすぎて、危機感が足りていなかったのです!」
ルーカスが身を乗り出した。
「アレクセイ殿下のような『過去の男』や、隣国の商人のような『悪い男』が、次々と貴女に近づいてくる。貴女が魅力的すぎるからです!」
「……魅力?」
私は自分の頬を触った。
「私のどこに? 性格は悪いし、金にはがめついし、可愛げの欠片もないわよ?」
「そこです!!」
ルーカスが叫んだ。
「そこがいいんです!!」
「はい?」
ルーカスの瞳が怪しく輝き始めた。
「普通の令嬢は、猫をかぶり、愛想笑いを浮かべ、守ってもらおうとする。ですが貴女は違う!」
彼は熱弁を振るい始めた。
「金貨一枚のために悪魔のような契約を結ぶ、その貪欲さ! 王太子相手に着払いでゴミを送りつける、その冷徹さ! そして何より、害虫を駆除するように敵を処理する、その潔い事務処理能力!」
「……褒めてるのよね?」
「もちろんです! 貴女のその『悪役ムーブ』を見るたびに、私の心臓は高鳴り、血が滾るのです! ああ、もっと罵ってほしい! もっと冷たい目で指示を出してほしいと!」
「……ルーカス」
私は少し引いた。
「貴方、ただのドMじゃない?」
「違います! これは敬愛! 崇拝! そして……」
ルーカスは一度言葉を切り、私の手を取った。
騎士の手だ。硬く、大きくて、温かい。
「ミシェル様。……俺は、貴女のことが……」
彼の顔が近づく。
心臓がドクン、と跳ねた。
まさか。
この流れは。
少女小説で何度も読んだ、あれか。
私は息を飲んだ。
ルーカスは潤んだ瞳で私を見つめ、そして言った。
「俺は、貴女の……その計算高いところが、好きだ」
時が止まった。
「……計算?」
「はい。全てを計算し尽くし、利益を追求するその姿勢。……愛しています」
私の脳内で、警報が鳴り響いた。
『計算』。
その単語が、私の思考回路をビジネスモードへ強制接続させた。
「……待って、ルーカス」
私は彼の手を振りほどき、バッと立ち上がった。
「計算、と言ったわね?」
「は、はい。貴女の計算高さが……」
「まさか……私が、計算間違いをしていると指摘したいの!?」
「え?」
ルーカスの目が点になった。
私は顔面蒼白になった。
「嘘でしょう!? どこの帳簿!? ハーブの売り上げ!? それともアレクセイへの請求書!?」
私は慌てて懐から手帳とペンを取り出した。
「指摘してくれてありがとう! 私としたことが、浮かれてミスをしていたのね! どこ!? どこが間違っていたの!?」
「い、いえミシェル様、そうではなく……」
「『計算高いところが好き』というのは皮肉よね!? 『計算高いふりをして、実は詰めが甘いところを見抜いているぞ』という騎士団長流の警告よね!?」
「違います! 文字通りの意味で……!」
「ああ、恥ずかしい! 元・王国の頭脳と呼ばれたこの私が、計算ミスを指摘されるなんて!」
私はパニックになり、猛スピードで帳簿を見返し始めた。
「1+1は2……ここも合ってる……税率も合ってる……どこ!? 隠さないで教えて!」
「ミシェル様、落ち着いてください!」
「落ち着いていられるもんですか! 1円のズレは死に値するのよ!」
ルーカスは頭を抱えた。
「……ダメだ。この方、色恋沙汰の偏差値がゼロだった」
彼は天を仰いだ。
せっかくの夕日も、今はただ帳簿を照らす明かりにしかなっていない。
「……わかりました、ミシェル様」
ルーカスは諦めたように肩を落とした。
「計算ミスはありません。貴女の計算は完璧です」
「本当?」
私は手を止めた。
「慰めはいらないわよ? ミスがあるなら修正申告しないと……」
「ありません。貴女は完璧です。……俺が言いたかったのは、その完璧な計算で、俺の人生設計も管理してほしいということです」
「人生設計?」
「はい。俺の給料、老後の資金、そして……墓の場所まで。貴女に委ねたいのです」
私は瞬きをした。
そして、ポンと手を打った。
「なーんだ。ファイナンシャル・プランナーになってくれってこと?」
「……まあ、遠からず近からずです」
「お安い御用よ! 資産運用なら任せて! 貴方の稼ぎを倍にしてあげるわ!」
私はニッコリと笑った。
ルーカスは複雑そうな顔で、でも優しく微笑んだ。
「……ええ。お願いします。一生、貴女に預けます」
「契約成立ね! 手数料は高いわよ?」
「望むところです」
甘い雰囲気は霧散し、結局いつもの「商談成立」に落ち着いてしまった。
でも、まあいいか。
ルーカスが隣にいてくれることには変わりないのだから。
「さあ、そうとわかれば夕食にしましょう。マリアも帰ってくる頃よ」
「はい。今日のメニューは?」
「もちろん、アレクセイ殿下の置き土産(置いていった高級食材)を使ったシチューよ」
私たちがテラスを片付けようとした、その時。
ドタドタドタドタ!!
森の方から、マリアが全速力で走ってきた。
「た、大変ですぅぅぅ!」
「どうしたの? おやつがなかった?」
「違います! み、見つけちゃいました!」
「何を?」
マリアは息を切らしながら、森の奥を指差した。
「さっき飛ばしたアレクセイ殿下が……村の古い穀物倉庫の屋根を突き破って、中に落ちてたんです!」
「……で?」
「倉庫の鍵が外からかかっちゃってて、出られなくなってて……中で『誰かここから出せぇぇ! 暗い! 狭い! 怖い!』って泣いてます!」
「……」
「どうしましょう? 助けますか?」
私とルーカスは顔を見合わせた。
そして、同時に言った。
「「見なかったことに」」
「ええっ!?」
「いいことマリア。下手に助けると『監禁された!』とか騒ぐタイプよ、あの人は」
「放置こそが最大の慈悲です」
「そ、そうですか……。じゃあ、鍵穴にガム詰めときますね」
「それはやりすぎ」
私たちはシチューの準備に戻った。
しかし。
この私の判断が、翌日、国中を揺るがす大事件に発展することになる。
『王太子、行方不明!』
『犯人は元婚約者ミシェルか!? 辺境で監禁事件発生!』
そんな号外が王都を駆け巡り、私たちが「指名手配犯」になる未来が、すぐそこまで迫っていた。
ルーカスが夕焼け空を見上げながら呟いた。
「ええ。騒音の元が物理的に排除されたからね」
私はテラスの椅子に座り直し、冷めてしまったコーヒーを一口飲んだ。
アレクセイが空の彼方へ消えてから数時間。
側近たちも彼を追って去り、マリアは「小腹が空きました」と言って森へ狩り(おやつ探し)に出かけた。
つまり今、この別荘には私とルーカスの二人きりだ。
カラスがカァと鳴く声だけが聞こえる。
「……ミシェル様」
ルーカスが私の前の椅子に座った。
いつもなら私の背後に控えて立っている彼が、珍しく正面に向き合っている。
「何? 今日の作業報告なら後で……」
「いいえ。業務連絡ではありません」
ルーカスの声色が、いつもより少し低く、そして甘い響きを帯びていた。
彼はテーブルの上で組んだ手に力を込め、真剣な眼差しで私を見つめてきた。
「少し、プライベートな話をさせてください」
「プライベート?」
私は首を傾げた。
「昇給の相談? それとも有給消化の件?」
「違います。……私の気持ちの問題です」
ルーカスはそう言うと、ふぅっと深呼吸をした。
夕日が彼の銀髪を赤く染め、整った顔立ちを一層ドラマチックに演出している。
無駄に絵になる男だ。
中身が肥料マニアでなければ、王都の令嬢たちが失神するレベルだろう。
「先ほどの騒動を見ていて、痛感しました。……私は、貴女のそばにいるだけで満足していてはいけないと」
「えっ、不満があるの?」
「逆です! 満足しすぎて、危機感が足りていなかったのです!」
ルーカスが身を乗り出した。
「アレクセイ殿下のような『過去の男』や、隣国の商人のような『悪い男』が、次々と貴女に近づいてくる。貴女が魅力的すぎるからです!」
「……魅力?」
私は自分の頬を触った。
「私のどこに? 性格は悪いし、金にはがめついし、可愛げの欠片もないわよ?」
「そこです!!」
ルーカスが叫んだ。
「そこがいいんです!!」
「はい?」
ルーカスの瞳が怪しく輝き始めた。
「普通の令嬢は、猫をかぶり、愛想笑いを浮かべ、守ってもらおうとする。ですが貴女は違う!」
彼は熱弁を振るい始めた。
「金貨一枚のために悪魔のような契約を結ぶ、その貪欲さ! 王太子相手に着払いでゴミを送りつける、その冷徹さ! そして何より、害虫を駆除するように敵を処理する、その潔い事務処理能力!」
「……褒めてるのよね?」
「もちろんです! 貴女のその『悪役ムーブ』を見るたびに、私の心臓は高鳴り、血が滾るのです! ああ、もっと罵ってほしい! もっと冷たい目で指示を出してほしいと!」
「……ルーカス」
私は少し引いた。
「貴方、ただのドMじゃない?」
「違います! これは敬愛! 崇拝! そして……」
ルーカスは一度言葉を切り、私の手を取った。
騎士の手だ。硬く、大きくて、温かい。
「ミシェル様。……俺は、貴女のことが……」
彼の顔が近づく。
心臓がドクン、と跳ねた。
まさか。
この流れは。
少女小説で何度も読んだ、あれか。
私は息を飲んだ。
ルーカスは潤んだ瞳で私を見つめ、そして言った。
「俺は、貴女の……その計算高いところが、好きだ」
時が止まった。
「……計算?」
「はい。全てを計算し尽くし、利益を追求するその姿勢。……愛しています」
私の脳内で、警報が鳴り響いた。
『計算』。
その単語が、私の思考回路をビジネスモードへ強制接続させた。
「……待って、ルーカス」
私は彼の手を振りほどき、バッと立ち上がった。
「計算、と言ったわね?」
「は、はい。貴女の計算高さが……」
「まさか……私が、計算間違いをしていると指摘したいの!?」
「え?」
ルーカスの目が点になった。
私は顔面蒼白になった。
「嘘でしょう!? どこの帳簿!? ハーブの売り上げ!? それともアレクセイへの請求書!?」
私は慌てて懐から手帳とペンを取り出した。
「指摘してくれてありがとう! 私としたことが、浮かれてミスをしていたのね! どこ!? どこが間違っていたの!?」
「い、いえミシェル様、そうではなく……」
「『計算高いところが好き』というのは皮肉よね!? 『計算高いふりをして、実は詰めが甘いところを見抜いているぞ』という騎士団長流の警告よね!?」
「違います! 文字通りの意味で……!」
「ああ、恥ずかしい! 元・王国の頭脳と呼ばれたこの私が、計算ミスを指摘されるなんて!」
私はパニックになり、猛スピードで帳簿を見返し始めた。
「1+1は2……ここも合ってる……税率も合ってる……どこ!? 隠さないで教えて!」
「ミシェル様、落ち着いてください!」
「落ち着いていられるもんですか! 1円のズレは死に値するのよ!」
ルーカスは頭を抱えた。
「……ダメだ。この方、色恋沙汰の偏差値がゼロだった」
彼は天を仰いだ。
せっかくの夕日も、今はただ帳簿を照らす明かりにしかなっていない。
「……わかりました、ミシェル様」
ルーカスは諦めたように肩を落とした。
「計算ミスはありません。貴女の計算は完璧です」
「本当?」
私は手を止めた。
「慰めはいらないわよ? ミスがあるなら修正申告しないと……」
「ありません。貴女は完璧です。……俺が言いたかったのは、その完璧な計算で、俺の人生設計も管理してほしいということです」
「人生設計?」
「はい。俺の給料、老後の資金、そして……墓の場所まで。貴女に委ねたいのです」
私は瞬きをした。
そして、ポンと手を打った。
「なーんだ。ファイナンシャル・プランナーになってくれってこと?」
「……まあ、遠からず近からずです」
「お安い御用よ! 資産運用なら任せて! 貴方の稼ぎを倍にしてあげるわ!」
私はニッコリと笑った。
ルーカスは複雑そうな顔で、でも優しく微笑んだ。
「……ええ。お願いします。一生、貴女に預けます」
「契約成立ね! 手数料は高いわよ?」
「望むところです」
甘い雰囲気は霧散し、結局いつもの「商談成立」に落ち着いてしまった。
でも、まあいいか。
ルーカスが隣にいてくれることには変わりないのだから。
「さあ、そうとわかれば夕食にしましょう。マリアも帰ってくる頃よ」
「はい。今日のメニューは?」
「もちろん、アレクセイ殿下の置き土産(置いていった高級食材)を使ったシチューよ」
私たちがテラスを片付けようとした、その時。
ドタドタドタドタ!!
森の方から、マリアが全速力で走ってきた。
「た、大変ですぅぅぅ!」
「どうしたの? おやつがなかった?」
「違います! み、見つけちゃいました!」
「何を?」
マリアは息を切らしながら、森の奥を指差した。
「さっき飛ばしたアレクセイ殿下が……村の古い穀物倉庫の屋根を突き破って、中に落ちてたんです!」
「……で?」
「倉庫の鍵が外からかかっちゃってて、出られなくなってて……中で『誰かここから出せぇぇ! 暗い! 狭い! 怖い!』って泣いてます!」
「……」
「どうしましょう? 助けますか?」
私とルーカスは顔を見合わせた。
そして、同時に言った。
「「見なかったことに」」
「ええっ!?」
「いいことマリア。下手に助けると『監禁された!』とか騒ぐタイプよ、あの人は」
「放置こそが最大の慈悲です」
「そ、そうですか……。じゃあ、鍵穴にガム詰めときますね」
「それはやりすぎ」
私たちはシチューの準備に戻った。
しかし。
この私の判断が、翌日、国中を揺るがす大事件に発展することになる。
『王太子、行方不明!』
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