死ねば感動するんだろう?
男は死ねば何でも感動ものになると思い、筆を執りました。
病気で死なせました。
突然の不幸で死なせました。
クライマックスで死なせました。
読者の惜しむ声を聴いて男はご満悦でした。
死はいつまでも色褪せないテーマですね。
死という残酷で美しい果実を、どう読者に味わってもらうのか。どう味付けすればいいか。物語を書きながら、そんな風に考えることがよくあります。
トネリコさんの話を読んで気がつきました。
「死」とは、登場人物の「生き様」をぎゅっと凝縮させたものなんだと。
だから、感情移入されるような愛されるキャラクターの死は、激しい共感を呼ぶんだと。
一方で作者にとって登場人物の死は、別の意味もある気がします。
たとえ悪役だとしても、作家にとってキャラの一人一人は天塩にかけて育てた、大切な存在ですから、その死はむしろ最大の見せ場なんだと。
だから死んだあとのフォローも含めて、ちゃんとキャラクターを成仏させてあげなきゃなと思ったりもします。
しっかり描写してあげることや、登場の機会を設けてあげること、印象的な死場を用意してあげること。
これらは、物書きにしかできない登場人物への愛情表現なんだと感じました。
小説の読者は、紙の上の登場人物に自分を重ねて読む事が多いですからね。
『死』という避けられない別離を疑似体験するにあたり、人に愛される存在、惜しまれる存在、可哀想だと憐憫の情を抱ける存在は理想の自分像が重なるので自己を投影しやすく、抵抗感が少ないですね。
逆に嫌悪の情を抱かれる様な人物には自己を投影し辛い。
これは想像が追い付かない事が一つ。
そして、自分の醜い一面を見ないで済む様にとの自己防衛本能が働くからでしょうか。
この主人公たる作者は、些か皮肉屋で斜に構えた性格の様に見受けられます。
故に『クズ』と呼ばれる様な登場人物を客観的に見られる。
また、小説の登場人物は作者の性格の一部分などを強調して味付けした作者自身とも言える存在なので、当然、自己投影出来ますね。
加えて、読者は登場人物の人生を書かれた範囲でしか知り得ませんが、作者はその登場人物の生誕から死亡まで、すべてを想像出来る。なぜ彼の性格が歪み、精神が腐り、ろくでもない生き方を選択していったのか、選択せざるを得なかったのか。
それらを知る故に、ただ『嫌な奴』では納められない。
そのクズ男の物語
刑務所の受刑者や、暴力団に所属する人物等に読ませてみたいですね。
一般人とは、少し違った反応になるのでは?と、思います。