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61 屋根の下のテント

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 ぷっとんをはじめとした拉致被害仲間がどこにいるのか。自分達の肉体は安全が保証されているのか。そもそも食事・睡眠・排泄など人間に必要なものはいったいどうなっているのか。
 不思議に思うことは山ほどあったが、今はそれよりもすべきことがある。ガルドは、大騒ぎするオヤジ達を眺めながらソファでまったりとくつろいでいた。手にはジンジャーエールとつまみで出したプラムが握られている。
 「ギルドホーム編集の権限ロックだが、ランダムにパスコードが生成されるよう組んである。その周期は俺のPCで把握している。言っている意味がわかるか?」
 「毎度毎度小難しく言うなよ、つまり模様替えするのにPCでコード吸わなきゃならないってことだろ?」
 「マグナのPC? どこにあるのさ」
 「自宅だ」
 「まじかよどうすんだよ!」
 「直せないの? せめて小部屋つくるとかさぁ」
 「家具アイテムの配置などは全てパスが必要だ」
 「自力で出来んのか?」
 「やってみろ」
 「ふぐぐぐぬぬぬ……」
 「動くわけないだろう。そういうものなんだから」
 「けっ! 知るかよ、雑魚寝でいいだろ!」
 「同感だ! 『葉っぱんつ』のようにカーテンを作ればいい」
 「榎本とジャスのデリカシーの無さ、どうにかなんない?」
 「ジャスは末期だ。榎本はアゴ下からアッパーで治るだろう」
 「よーし!」
 「待てよ、俺こいつと長いこと暮らしてたんだぞ! 麻痺するに決まってんだろ!」
 「だからって雑魚寝はないよねぇー!」
 「寝室とリビングの違いはでかいだろうな。天井から床までぴったり密閉された壁、施錠可能な扉……」
 「だってガルドだぞ!」
 そう榎本が指を指してくるのを、ガルドはプラムにかじりつきながら眺めていた。気持ちはありがたいが雑魚寝でも構わない、カーテンも特段必要ないというのがガルドの考えだった。
 この状況下でその言葉をこぼしても火に油を注ぐだけだろう。冷静に事の流れを見極めるつもりでいた。
 「別の建物とかはどうだ?」
 「ああ、青椿亭とか? 夜だけ……」
 「それこそ危険だろ。モンスター戦もまだ試してないってのに」
 「確かに」
 「じゃあ闘技場はどうだ!」
 「入れなくはないけど、あそこは時間制限あったよね」
 「……離れすぎてなくて、プライバシーが保てて、なおかつ長時間安定して睡眠がとれる場所、が条件だな」
 「……テントとかどうかな」
 夜叉彦が思わぬ用語を取り出したため、全員がそちらを振り向き一瞬静寂のまま時が止まった。
 「室内でテントか……!」
 アクティビティが趣味の榎本が目を丸くしてジョッキをテーブルへと置いた。彼にとってのテントは屋外オートキャンプであり、車のそばに仲間達とたてる大型のものだ。まず個人で一つなどという考えが浮かばない。
 同様に全員が盲点だった。
 「なんかの雑誌で見たんだよな~。子どもが喜ぶらしくてさ、ランチバスケットも作ってランタンつけて、ガーランドとかも飾っちゃうんだよ」
 「婦人雑誌だな」
 「別にいいだろ、嫁の読んだって」
 「おしゃれだしワクワクする! いいねいいね、ウチ、三角屋根のこーいうやつね」
 メロが手で円錐型のジェスチャをしながらそう熱く語り、他のメンバーに視線を投げた。
 「押入れの中に秘密基地を作るような感覚だな! よし、俺は高いところがいい!」
 「高いところ……ツリーハウスか!」
 「いいね、ジャス好きそう」
 「だろう!」
 そうきょろきょろとギルドホームのエントランスを見渡すと、「あそこを予約だっ」と言ってシャンデリアを指差した。
 「あんなところにどうやって設置するんだ……」
 あんぐりと口を開けて上を見るマグナに、ジャスティンは「ハンモックの要領で葉っぱを……」と説明し始めた。
 現実問題でそれが可能かはこれから考えることになる。とにかく今は個室の作成が仲間達五人の急務だった。
 ガルドはその様子を驚きながら見ていた。

 自分だけ特別扱いされるのは申し訳ない。何かアイディアが出たとしても却下するつもりで、ガルドは悠長に聞き手に回り座っていたのだ。雑魚寝でいい、女だということを忘れてくれ、と説得するつもりだった。
 しかし話の流れが大きく転換し、メロがガルドより先に自室を希望した頃からその命題は失われた。
 ガルドがリアルで女だから個室を設けるのではない状況になり、これならば罪悪感なく部屋が持てると嬉しくなった。さすがロンド・ベルベットだ。ガルドは自分のテントを想像する。
 そして小さな憧れを声に出した。
 「天蓋てんがいがいい」
 「豪華なベッドみたいなやつ?」
 「ソファで代用して、柱をたてる」
 「おーゴージャス! リアルじゃ無理なことをやってこそのVRだよな」
 「ああ」
 夜叉彦は天蓋の言葉だけでイメージが共有できた。円形のものから蚊帳が出ているタイプと、ベッド専用の柱と屋根からカーテンが垂れている四角いタイプとがある。ガルドが想像したのは後者のタイプだった。
 「天蓋って……なんだ?」
 「おお、ヨーロッパの貴族みたいなベッドのことか!」
 「映画とかで見るあれか?」
 「王妃様が病に臥せて顔が見えなくてメイドには顔色も病状もわからないシーンの、あれだろう?」
 「なんだよ、その例え」
 「映画だ。息絶える瞬間の手の動きにズームするんだ。呼吸の荒い様子が天蓋越しのシルエットで見えるカットでな、それが急に止まり手だけパタッと……」
 「緊迫の場面だな」
 ガルドと夜叉彦の話を聞いた仲間達が反応する。天蓋という言葉に耳馴染みがない様子の榎本も、マグナのストーリー性がある例えにイメージがついたようだった。
 「どうやって作るかだが、布などというアイテムは存在しないぞ。どうする」
 「とりあえず直近用にジャスの言う通り葉っぱ?」
 植物はむしりとることが出来ていた。一定のダメージを与えれば消失するが、しばらくはその場であり続ける。本来の用途である「現地素材を使用した設置罠」のために、三日ほど保つのではないかというのがマグナの予想だった。
 「とりあえずは」
 「布代わりの素材確保は落ち着いたら着手、かな」
 「賛成」
 「衣・食・住の住はこれでよし。衣もこうして装備着れてオッケーだし。あとは……」
 「食い物だな」
 「いっぱいある」
 ガルドはそう言いながらプラムの最後を噛み砕いた。種ごとでも難なく砕く顎はアバターの自分で気に入っている部分である。
 「ああ、いっぱいある」
 「アイテムボックスに何個あった?」
 「同一アイテムの複数持ちの個数をカウントしない状態で、俺だけで四千」
 「俺もそんなもんだ。酒は除いてだぞ? 含めたら万いくなぁ!」
 「つーことは、食いもんだけで四千種類程度あるってことか」
 「それが多いやつで九十九個もあるってことかよ」
 「心配しなくてもよさそうだな……ドロップアイテムもある。AIがいない今、調理することは不可能だが」
 フロキリにはお料理スキルなどという都合の良いシステムは実装されていない。全ての料理は窓口となるAIが素材と金から変換して作り出す。
 「とりあえず果物でいいさ」
 「焼き肉と焼き魚は出来るし、酒はいっぱいあるし、野菜もあるし!」
 「生野菜もいいよな。つまみに」
 「パプリカとかうまい」
 「アーティチョークとか、フロキリっぽい外国野菜もいっぱいあるよ。生で食べられるかわかんないけど」
 「腹壊すシステムはないから大丈夫だろ」
 「……そういやさ。ジャンクフードならイベントエリアのコラボ島行けば食えるんじゃないかな?」
 「だから調理しないと食えないって……」
 「いやだから、あれって全部ドロップで調理済みのがアイテムとして落ちるからさ」
 「ま、まじかよ!」
 夜叉彦が言うエリアでは、コラボした実在企業の商品が再現されドロップアイテム扱いで入手できる。専用モンスターがデザインされ、そのレベルに合わせて商品も高額なものへと変化していく。
 ガルド達の時代ではメジャーとなっている一種の広告方法であった。
 「おおっ! あれって過去のコラボ全部行けるよね! うわぁ目もくれなかったけど今じゃすっごい便利じゃん!」
 「ぼんち揚げ」
 「フェアトレードチョコレート祭もあったなぁ……」
 「カップヌードル」
 「『ハムの人』降臨イベイベント、バカにしてごめん……助かるぅ……ソーセージもハムもベーコンも焼き立てで落ちてくるんでしょ? スゴい……」
 「神だな」
 「リアルで買えるような安いのばっかりで無視してたのお前らだろ!? 再現率も低いからって……手のひら返してまったくもー! 俺いくつか持ってるよ!」
 夜叉彦だけがこうした広告宣伝イベントに積極的に参戦していた経緯がある。
 「夜叉彦、さすがだ!」
 「よっ、メシマズ嫁!」
 「俺の嫁さんはエキゾチック料理専門なの!」
 和洋中が苦手な嫁を持つ夜叉彦の食卓は、潤沢なハーブとスパイスが主役だった。
 「恵んで!」
 「今日はそいつでディナーだ!」
 「とりあえず食べ物も平気そうだな。よし次、未解決のパンツ問題についてだが」
 「……どうする?」
 「……ウウム、葉っパンツを越えるものが思い付かん」
 「ジャスってばその呼び方気にいってんだね」
 仲間達はひたすら様々なことを語り合った。ガルド達フルダイブ世界とリアル世界では時間軸がずれていることも忘れ、閉じ込められたこの世界で生き抜くための方法を考える。
 彼らの電子世界が徐々に大きく膨らみ始めていることに、まだ彼らは気付いていなかった。


 時間は少し巻き戻る。
 彼らが脳のモデリングに驚愕し、未だ自分達が敵の手中だと気付いた頃。
 「ぱっぱっぱ、パンプキン。ぴっぴっぴ、ピーナッツ。ぷっぷっぷ、プリン。ぺっぺっぺ、ペペロンチーノ」
 奇妙な歌のようなそれは、彼が心から望む食べ物というものを片っ端から思い出すための呪文だった。
 何も口に出来なくなってから五年。
 「ぽっぽっぽ、ぽ、うーん……ぽ?」
 ぽから始まる食べ物を思い出しながら、見飽きた塔の一室から外を見る。出ることは叶わない。内側も、その小さな枠の外側も見飽きてしまっている。男はただ惰性でそれを眺めているだけだった。
 「ぽ、ポップコーン!」
 閃いたような顔をして手を叩き、その軽やかで映画館のお供の代名詞となったそれを叫んだ。
 「バター味、キャラメル味、醤油味、塩味……はちみつレモン味!」
 そう言ってフレーバーを一つずつ追い、奇妙な味を叫びながらくるりとその場でターンする。
 彼は半ば狂い気味だったが、リストカットのような自傷行為だけはしなかった。その中途半端に理性的で豊かな思考はほぼ食べ物へと向けられ、残りは睡眠浴と性欲に当てられている。
 謎解きの意欲も犯人への怒りも、最初の一年で使い果たしてしまった。
 「レモンキャンディー!」
 幻のそれを指でつまみ放り投げ、上を向いて口を大きく開けてぱくりとキャッチする。
 不思議と舌の横がきゅんとした。
 「レモン牛乳! レモン鍋! レモンラーメン! レモ……ん?」
 彼は違和感に目を疑った。
 「れ、あれ、あれ?」
 窓の枠の外は、五年間毎日二時間以上見続けてきた白のイラストだったはずである。まるでおもちゃの城をリアルに楽しむために、紙で描いた背景を設置したかのような、ちゃちで安易な雪道の絵だ。
 それが少しだけリアルに見える。
 「白いねぇ、うんうん。白いしろい」
 それはただの雪だった。圧雪で歩きやすそうなその雪道と、強い風に混じる雪が外を真っ白に染め上げている。
 それは見慣れたイラストと変わらない。
 「風?」
 しかし本当に雪が風に吹かれている。よく耳を澄ませると、暴風のびゅうびゅうという激しい音が彼の耳まで入ってきた。体感できないが、風は吹いている。
 「背景絵じゃない……これは本当の風? 本当の雪?」
 五年前から成長も老化も止めてしまったその体で、窓に近づきへばりつく。目を凝らしても白以外の要素は見えるようにならなかったが、彼にはそれでも大きな刺激になった。
 「……動いてる! 動いてるじゃないか!」
 思わず窓を思いきり叩き、その場で数度ジャンプした。
 「ううう、うあああ! 生きてる、生きてる!」
 顔をぐしゃぐしゃに歪め、ジャングルのチンパンジーのような甲高い雄叫びをあげる。彼は一人で喜びに咽び泣き続けた。その声は彼が閉じ込められた部屋と、彼を生かし続けている部屋の両方に響きこだまする。
 生そのものを感じられなくなって五年、彼が久しぶりに見た「命」だった。
 

 そして、ガルド達がフロキリに似たこの世界にやってきてから、夜叉彦が持つ時計でカウントして約三日という時間が瞬く間に過ぎていった。
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