63 / 96
10. 本質はそう簡単に変わらないものです。
本質はそう簡単に変わらないものです。②
しおりを挟む二人を見送った先生二人。
しんと静まり返った職員室に、明美の嘆息が響いた。明美を振り返る和馬。明美も手を止めて、くるりと椅子を回して和馬を見た。
「先に教えとくんだったわ。あたしもうっかりしてた」
「やっぱ地雷踏んじゃいました?」
「思い切りね。優くんの前で婚約者と言わざる得ない状況下だと、話が拗れていくから」
隣の席から椅子を引っ張って来た和馬が座るのを見、「ちょっと昔話していい?」と確認し、和馬が頷くともう一度息を吐き出して口を開く。
「実はあの二人、あたしが保育士になって初めて担任した児童だったのよ」
「二人って幼馴染みなんですか?」
「お母さん同士が親友で、生まれる前からのね。そして許嫁同士」
「うっわー。生まれたら結婚相手決まってるって、きっつーっ」
引くわーと背凭れに寄り掛かった和馬。
気持ちが解らないではない明美は苦笑する。
「これでお互い好きじゃなかったら、目も当てられないですよね」
「そうなんだけど、当時から優くん、美佳先生のことが大好きでねぇ。未だに美佳先生にご執心で、迂闊に近付くと痛い目に遭うから気を付けてね?」
「い、痛い目って…暴力的なんですか? 優男っぽいのに」
「暴力は……さすがに、もうね」
「もうって何ですか!? 先生。目を逸らさないで下さいよ!」
目を逸らしたついでに飲みかけのお茶を啜り、「せんせーっ」と喚いている和馬に向き直った。
「優くんも本当に美佳先生と結婚したいらしいから、捕まるようなことはしませんよ。もちろん。けどね、何と言うか、あの寒気がする威圧感で、じわじわと精神的に追い詰めて行くと言うか…それで以前居た男性の先生、怖いって辞めちゃったのよね。けど優くんは見ているだけだから、始末に悪いと言うか。でもまあ彼の前で美佳先生に近付かなければ、多分? 大丈夫」
「多分って何です!?」
「だから、多分。保証は出来ない。けど辞めないで欲しいかな」
明美は乾いた笑いを零し、両肩を叩かれた和馬は着任早々、気が重いことになりそうな予感に大きな溜息を吐くのだった。
優に引っ張られながら家路に向かう美佳は、不機嫌な優の横顔をチラチラと見てはこっそり溜息を漏らした。
そのまま和良品家に二人で帰宅し、無言の夕食を済ませると美佳の部屋に行った。
着替えを済ませ、鞄から作業途中の仕事をローテーブルの上に出すと、ベッドに座っていた優が覗き込んだ。
「お誕生カード?」
「うん。お遊戯会の準備に時間盗られちゃって、ゆっくりコメント考えられないから、持って帰ったの」
美佳は多種多様のカラーペンをペン立て毎ローテーブルに置いて、“私は仕事があります” を優にアピールすると、正座して彼に向き合った。
「まず優。和馬先生は臨時の先生なので、変な追い込みは止めて下さい。でないとあたしの残業増えちゃうからね? あたしも優が不安にならないように気を付けます」
「気を付けるってどうやって? 無自覚でホイホイ引っかけるくせに」
「うっ…」
それを言われると返す言葉もない。
短大時分も合コンを断り切れず引っ張って行かれ、優が迎えに来なければお持ち帰りされそうになった事数回。その度「俺の忍耐を試しているのか」と優を激怒させた。
恵莉曰く、あの疎遠になっていた時期でさえ、優は自覚なしに美佳の周辺の男を排除していたらしいので、美佳が思っていたほどモテない子じゃなかったらしい。
(優は猫も杓子もだったけどね)
その優は律儀に一穴を守っているらしい。
らしいというのは、未だ入れ替わりをするのか検証してないからで、坂本の一件から入れ替わる事なく平穏無事に過ごしている。
優はベッドから下りて美佳の前に正座すると、彼女の手を取った。
「美佳がさっさと妊娠すりゃいいのにしないし、俺タネないのかと思って検査までしたのに。いつになったら結婚してくれんの!? 子供出来るまでなんて待ってらんない」
真摯な眼差しで射竦められ、美佳はたじろぐ。
そろそろ限界か。
(このままじゃ本当に婚姻届偽造しかねないもんね)
とは言え、遅かれ早かれ優と結婚するのが決定事項なら、まだ結婚したくないという思いも強い。
(優が嫌いになったとか、そんなんじゃないんだけどねぇ)
結婚したら今以上に束縛が強くなりそうで怖い。
ふと、絹の記憶が呼び覚まされる。
ちょっと意識を飛ばしている間に、優が立ち上がって何やら物色し始めてた。
「何してんの?」
「この辺に前貰ってきた婚姻届仕舞ってたろ?」
チェストの引き出しを開けて引っかき回している。美佳の額に思わず冷や汗が滲んだ。
(ヤバい! そこは…)
美佳が立ち上がりかけた時、優の動きが止まった。そしてゆらゆらと立ち上る怒りの波動。
美佳は終末の鐘の音を聴いた。
優は美佳に背中を向けたまま机に向かい、ぷちぷちと音をさせる度にカチッと小さな落下音がする。それが聞こえなくなると、今度はゴリっと砕く音がし始めた。
何をやっているのか、見て確かめるまでもなく判った。
ついにバレてしまった。
優のお怒りが剣山のように肌をザクザクと刺してくる。
じりじりと扉に向かって後退した。手がノブに掛かり回そうとした瞬間、振り返った優が空になったシートを抓んだままにじり寄って来る。
「これと同じものを恵莉の部屋で見たことがある。何で美佳の部屋にも有るのか、説明して貰おうか?」
終わった。完全に。
優に見つかったものは、ピルだった。
高二の夏から飲み始めて、今朝まで飲み続けたもの。
「いつから? 陰で俺を笑ってた?」
手の中にシートを握り潰し、空いた手が美佳の項をぎっちりと掴み取る。逃げることは許されない。
(あ~っ! あたし‼ 何であそこに婚姻届けを仕舞った!?)
今更悔やんだって仕方ないけど、優が見ている前で、何も考えずそこに仕舞った自分が呪わしい。
美佳は全てを白状させられた。
そして、優が探し出した婚姻届けにサインをしっかりさせられ、腕を掴んでリビングまで引き摺られて行き、テレビを観て寛いでいた美佳の両親に証人のサインを頼むと、翌朝優が取りに来るまで厳重に管理して欲しいとお願いした。
娘が半泣きで優に連行されて行ったのを見送った両親は、テーブルの婚姻届けを見詰めながら、
「急に婚姻届けって……」
複雑そうな父親の呟き。
「孫かしら!? ついに孫が出来たのかしら!?」
母の歓喜。
「美佳には結婚してから子供作って欲しかったなぁ」
「何言ってるのよ。蛙の子は蛙でしょ。因果応報よ」
「…責めてる?」
上目遣いで妻の顔色を確認する。妻はケロッとした顔で答えた。
「責めてないですよ。けど美佳のことだから、こうでもなきゃなかなか結婚しようとしないわよ? 待ってる優くんが気の毒で仕方なかったくらいよ」
結婚してくれないと優がボヤくのを何度も聞いて来た母は、漸く胸の痞えが取れて安堵の笑みを浮かべ、壁のカレンダーで六曜の確認をしている。
「明日出すのかしら? 明日なら…友引だから良いわねっ」
「今時の若い子はあまり気にしないんじゃないか?」
少し引き気味の夫の隣に腰かけ、「気分の問題よ」と言って更に続ける。
「今更あの二人が別れることは無いにしたって、六年の空白期間があるから心配じゃない」
「優くんなら大丈夫だろ。心配なのは寧ろふわふわしてる美佳だからな?」
「…そうね」
実の親からも信用して貰えない娘である。
後日、孫は糠喜びだったと知り、母は大いに落胆し、父は胸を撫で下ろすのだった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
234
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる