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10. 本質はそう簡単に変わらないものです。

本質はそう簡単に変わらないものです。②

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 二人を見送った先生二人。
 しんと静まり返った職員室に、明美の嘆息が響いた。明美を振り返る和馬。明美も手を止めて、くるりと椅子を回して和馬を見た。

「先に教えとくんだったわ。あたしもうっかりしてた」
「やっぱ地雷踏んじゃいました?」
「思い切りね。優くんの前で婚約者と言わざる得ない状況下だと、話が拗れていくから」

 隣の席から椅子を引っ張って来た和馬が座るのを見、「ちょっと昔話していい?」と確認し、和馬が頷くともう一度息を吐き出して口を開く。

「実はあの二人、あたしが保育士になって初めて担任した児童だったのよ」
「二人って幼馴染みなんですか?」
「お母さん同士が親友で、生まれる前からのね。そして許嫁同士」
「うっわー。生まれたら結婚相手決まってるって、きっつーっ」

 引くわーと背凭れに寄り掛かった和馬。
 気持ちが解らないではない明美は苦笑する。

「これでお互い好きじゃなかったら、目も当てられないですよね」
「そうなんだけど、当時から優くん、美佳先生のことが大好きでねぇ。未だに美佳先生にご執心で、迂闊に近付くと痛い目に遭うから気を付けてね?」
「い、痛い目って…暴力的なんですか? 優男っぽいのに」
「暴力は……さすがに、もうね」
「もうって何ですか!? 先生。目を逸らさないで下さいよ!」

 目を逸らしたついでに飲みかけのお茶を啜り、「せんせーっ」と喚いている和馬に向き直った。

「優くんも本当に美佳先生と結婚したいらしいから、捕まるようなことはしませんよ。もちろん。けどね、何と言うか、あの寒気がする威圧感で、じわじわと精神的に追い詰めて行くと言うか…それで以前居た男性の先生、怖いって辞めちゃったのよね。けど優くんは見ているだけだから、始末に悪いと言うか。でもまあ彼の前で美佳先生に近付かなければ、多分? 大丈夫」
「多分って何です!?」
「だから、多分。保証は出来ない。けど辞めないで欲しいかな」

 明美は乾いた笑いを零し、両肩を叩かれた和馬は着任早々、気が重いことになりそうな予感に大きな溜息を吐くのだった。



 優に引っ張られながら家路に向かう美佳は、不機嫌な優の横顔をチラチラと見てはこっそり溜息を漏らした。
 そのまま和良品家に二人で帰宅し、無言の夕食を済ませると美佳の部屋に行った。
 着替えを済ませ、鞄から作業途中の仕事をローテーブルの上に出すと、ベッドに座っていた優が覗き込んだ。

「お誕生カード?」
「うん。お遊戯会の準備に時間盗られちゃって、ゆっくりコメント考えられないから、持って帰ったの」

 美佳は多種多様のカラーペンをペン立て毎ローテーブルに置いて、“私は仕事があります” を優にアピールすると、正座して彼に向き合った。

「まず優。和馬先生は臨時の先生なので、変な追い込みは止めて下さい。でないと残業増えちゃうからね? あたしも優が不安にならないように気を付けます」
「気を付けるってどうやって? 無自覚でホイホイ引っかけるくせに」
「うっ…」

 それを言われると返す言葉もない。
 短大時分も合コンを断り切れず引っ張って行かれ、優が迎えに来なければお持ち帰りされそうになった事数回。その度「俺の忍耐を試しているのか」と優を激怒させた。
 恵莉曰く、あの疎遠になっていた時期でさえ、優は自覚なしに美佳の周辺の男を排除していたらしいので、美佳が思っていたほどモテない子じゃなかったらしい。

(優は猫も杓子もだったけどね)

 その優は律儀に一穴を守っているらしい。
 らしいというのは、未だ入れ替わりをするのか検証してないからで、坂本の一件から入れ替わる事なく平穏無事に過ごしている。
 優はベッドから下りて美佳の前に正座すると、彼女の手を取った。

「美佳がさっさと妊娠すりゃいいのにしないし、俺タネないのかと思って検査までしたのに。いつになったら結婚してくれんの!? 子供出来るまでなんて待ってらんない」

 真摯な眼差しで射竦められ、美佳はたじろぐ。
 そろそろ限界か。

(このままじゃ本当に婚姻届偽造しかねないもんね)

 とは言え、遅かれ早かれ優と結婚するのが決定事項なら、まだ結婚したくないという思いも強い。

(優が嫌いになったとか、そんなんじゃないんだけどねぇ)

 結婚したら今以上に束縛が強くなりそうで怖い。
 ふと、絹の記憶が呼び覚まされる。
 ちょっと意識を飛ばしている間に、優が立ち上がって何やら物色し始めてた。

「何してんの?」
「この辺に前貰ってきた婚姻届仕舞ってたろ?」

 チェストの引き出しを開けて引っかき回している。美佳の額に思わず冷や汗が滲んだ。

(ヤバい! そこは…)

 美佳が立ち上がりかけた時、優の動きが止まった。そしてゆらゆらと立ち上る怒りの波動。
 美佳は終末の鐘の音を聴いた。

 優は美佳に背中を向けたまま机に向かい、ぷちぷちと音をさせる度にカチッと小さな落下音がする。それが聞こえなくなると、今度はゴリっと砕く音がし始めた。
 何をやっているのか、見て確かめるまでもなく判った。

 ついにバレてしまった。
 優のお怒りが剣山のように肌をザクザクと刺してくる。
 じりじりと扉に向かって後退した。手がノブに掛かり回そうとした瞬間、振り返った優が空になったシートを抓んだままにじり寄って来る。

「これと同じものを恵莉の部屋で見たことがある。何で美佳の部屋にも有るのか、説明して貰おうか?」

 終わった。完全に。
 優に見つかったものは、ピルだった。
 高二の夏から飲み始めて、今朝まで飲み続けたもの。

「いつから? 陰で俺を笑ってた?」

 手の中にシートを握り潰し、空いた手が美佳の項をぎっちりと掴み取る。逃げることは許されない。

(あ~っ! あたし‼ 何であそこに婚姻届けを仕舞った!?)

 今更悔やんだって仕方ないけど、優が見ている前で、何も考えずそこに仕舞った自分が呪わしい。

 美佳は全てを白状させられた。
 そして、優が探し出した婚姻届けにサインをしっかりさせられ、腕を掴んでリビングまで引き摺られて行き、テレビを観て寛いでいた美佳の両親に証人のサインを頼むと、翌朝優が取りに来るまで厳重に管理して欲しいとお願いした。



 娘が半泣きで優に連行されて行ったのを見送った両親は、テーブルの婚姻届けを見詰めながら、

「急に婚姻届けって……」

 複雑そうな父親の呟き。

「孫かしら!? ついに孫が出来たのかしら!?」

 母の歓喜。

「美佳には結婚してから子供作って欲しかったなぁ」
「何言ってるのよ。蛙の子は蛙でしょ。因果応報よ」
「…責めてる?」

 上目遣いで妻の顔色を確認する。妻はケロッとした顔で答えた。

「責めてないですよ。けど美佳のことだから、こうでもなきゃなかなか結婚しようとしないわよ? 待ってる優くんが気の毒で仕方なかったくらいよ」

 結婚してくれないと優がボヤくのを何度も聞いて来た母は、漸く胸の痞えが取れて安堵の笑みを浮かべ、壁のカレンダーで六曜の確認をしている。

「明日出すのかしら? 明日なら…友引だから良いわねっ」
「今時の若い子はあまり気にしないんじゃないか?」

 少し引き気味の夫の隣に腰かけ、「気分の問題よ」と言って更に続ける。

「今更あの二人が別れることは無いにしたって、六年の空白期間があるから心配じゃない」
「優くんなら大丈夫だろ。心配なのは寧ろふわふわしてる美佳だからな?」
「…そうね」

 実の親からも信用して貰えない娘である。

 後日、孫は糠喜びだったと知り、母は大いに落胆し、父は胸を撫で下ろすのだった。


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