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Capitulo 0 ~prologo~
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聖ドミニコこどもの家
六歳の斗真は恵令奈の手を握り、いつ迎えに来るか分からない母親を待ち続けていた。妹の恵令奈と二人、この聖ドミニコこどもの家に連れて来られもう二カ月が経つ。
恵令奈の赤くなった手を擦りながら斗真が鼻を大きく啜る。二カ月前に着せられていたのはトレーナー一枚。防寒着やましてや手袋なんて物は母親に持たされていなかった。
「トイレに行くけど、恵令奈はどうする?」
「行かない」
「一人で待てる?」
「うん」
ちらちらと降り出した雪に肩を竦め斗真が振り返る。地べたにしゃがみ込んだ恵令奈は何かを描いているのか地面に人差し指を走らせている。用を足す二、三分の時間も心配なのか、それ程大きくない庭を斗真は後ろ歩きで、恵令奈を見守っていた。
職員室の横のトイレを使えば二分で戻れるはずだった。だけど一階にあるそのトイレは職員と来客専用だから、使ってはいけないと聞かされていた。
毎日毎日増えていくルール。もしちゃんとルールを守るのなら二階のトイレに行かなければならない。だけど恵令奈を長い時間一人で待たせるより、見つかった時に叱られた方がましだと斗真は思った。
きっかり二分。先生たちに見つかる事なく用を足し、庭の一番端、門の横にしゃがんだ恵令奈めがけて走り出す。そんな斗真の目に恵令奈と並んでしゃがむ知らない男の子の姿が飛び込んできた。
「お前、誰?」
しゃがんだ恵令奈の手を引き、知らない男の子に声を掛けてみる。だけど男の子は見上げる事もせずしゃがんだままだ。自分達だけで門の外に出てはいけない。それも毎日増えていくルールの一つだったけど、斗真は気にも留めず門の外に首を伸ばした。
「おばさん、誰?」
門の外には知らない女の人が立っていた。じっと男の子に視線を落としていたのに、斗真の声に驚いて足早に逃げていく。
「おばさん!」
斗真がもう一度声を掛けた時にはその姿はもう見えなくなっていた。
知らない男の子の頭を人差し指と中指で小突く。
「お前、誰? 名前は?」
返事をしない男の子は、恵令奈と向かい合ってまだ指で何かを描いている。何かと言ってもそれはただの線で形になっている分けではない。
「歳は? いくつ?」
名前を聞いても返事をしなかった男の子が人差し指と中指と薬指。指を三本立てた。
「三歳? 恵令奈と一緒だ」
「恵令奈と一緒」
男の子の三本の指を握って恵令奈が笑った。
「先生を呼んでくる。恵令奈、その子と二人で待てる?」
「うん。待てる」
恵令奈が男の子の指を握ったままもう一度笑う。
さっきトイレに行った時。オルガンの音が聞こえていた事を思い出して、斗真は学習室のドアを勢いよく開いた。
「あら、斗真君。恵令奈ちゃんは? 皆と一緒にここでお歌うたう?」
「ううん。うたわない」
「それじゃ、どうしたの?」
他の子達がレイコ先生と呼ぶ、若い女の先生がオルガンを弾く手を止めて目を丸くしている。このこどもの家に来て二カ月が経つけれど、斗真はまだ一度もレイコ先生と呼んだ事はなかった。
「知らない男の子がいて、おばさんが走ってどこかへ行った」
「知らない男の子? おばさん? 斗真君。その男の子の名前は?」
「知らない。でも恵令奈と一緒。三歳だって」
「斗真君。悪いんだけど、職員室に園長先生がいるから、園長先生の所に行って話してくれる? 先生まだ皆とここでお歌うたわないといけないから」
「わかりました」
斗真が小さく頭を垂らし、勢いよく開けたドアを静かに閉める。
「はい、もう一度最初からね」
レイコ先生は再び鍵盤に指を下ろしたようで、ドアの向こうにオルガンの音が響いていた。斗真は廊下の反対側。レイコ先生に言われた通り職員室のドアを開く。
「園長先生。園長先生はいますか?」
できるだけ大きな声を出したつもりだったけど返事はなかった。だけど職員室の中に首を伸ばし様子を窺っていると、後ろから園長先生の声が聞こえた。
「斗真。どうしたんだ」
職員室の横のトイレからちょうど園長先生が出てきたところだった。
「知らない男の子がいて、おばさんがどこかへ走って行って」
「知らない男の子? おばさん? 男の子の名前は?」
園長先生もレイコ先生と全く同じ事を口にしていた。また別の先生の所へ行かされるのかな? 斗真は少し崩した顔を園長先生に向けた。
「恵令奈はどうした? その男の子と一緒か?」
園長先生の大きな手が斗真の頭に降りる。
「うん。一緒。恵令奈と一緒にいる」
大きく返事をして斗真が庭へと飛び出していく。門の横にはまだしゃがんだままの恵令奈と男の子の姿があった。
「園長先生、ほら」と斗真が振り返る。
「君、名前は?」
園長先生が男の子へと歩み寄る。
「歳は? 幾つ?」
男の子が指を三本立てる。さっきと同じように名前を聞かれても返事をしないのに、歳を聞かれた時にはすぐ反応するようだ。
「斗真と恵令奈は皆の所で一緒に歌をうたうか部屋へ戻っていなさい。こんな寒い日にそんな薄着でずっと外にいたら風邪をひいてしまうだろ」
園長先生の大きな手がまた頭に降りてきたけど、それは一瞬の事で、大きな手は知らない男の子の小さな手に伸びていた。
「恵令奈。部屋に帰るよ」
「うん」
園長先生と、園長先生に手を引かれた知らない男の子の背中を見ながら、斗真は恵令奈を立たせた。
斗真と恵令奈が初めて麻里央に会った日の事だ。
六歳の斗真は恵令奈の手を握り、いつ迎えに来るか分からない母親を待ち続けていた。妹の恵令奈と二人、この聖ドミニコこどもの家に連れて来られもう二カ月が経つ。
恵令奈の赤くなった手を擦りながら斗真が鼻を大きく啜る。二カ月前に着せられていたのはトレーナー一枚。防寒着やましてや手袋なんて物は母親に持たされていなかった。
「トイレに行くけど、恵令奈はどうする?」
「行かない」
「一人で待てる?」
「うん」
ちらちらと降り出した雪に肩を竦め斗真が振り返る。地べたにしゃがみ込んだ恵令奈は何かを描いているのか地面に人差し指を走らせている。用を足す二、三分の時間も心配なのか、それ程大きくない庭を斗真は後ろ歩きで、恵令奈を見守っていた。
職員室の横のトイレを使えば二分で戻れるはずだった。だけど一階にあるそのトイレは職員と来客専用だから、使ってはいけないと聞かされていた。
毎日毎日増えていくルール。もしちゃんとルールを守るのなら二階のトイレに行かなければならない。だけど恵令奈を長い時間一人で待たせるより、見つかった時に叱られた方がましだと斗真は思った。
きっかり二分。先生たちに見つかる事なく用を足し、庭の一番端、門の横にしゃがんだ恵令奈めがけて走り出す。そんな斗真の目に恵令奈と並んでしゃがむ知らない男の子の姿が飛び込んできた。
「お前、誰?」
しゃがんだ恵令奈の手を引き、知らない男の子に声を掛けてみる。だけど男の子は見上げる事もせずしゃがんだままだ。自分達だけで門の外に出てはいけない。それも毎日増えていくルールの一つだったけど、斗真は気にも留めず門の外に首を伸ばした。
「おばさん、誰?」
門の外には知らない女の人が立っていた。じっと男の子に視線を落としていたのに、斗真の声に驚いて足早に逃げていく。
「おばさん!」
斗真がもう一度声を掛けた時にはその姿はもう見えなくなっていた。
知らない男の子の頭を人差し指と中指で小突く。
「お前、誰? 名前は?」
返事をしない男の子は、恵令奈と向かい合ってまだ指で何かを描いている。何かと言ってもそれはただの線で形になっている分けではない。
「歳は? いくつ?」
名前を聞いても返事をしなかった男の子が人差し指と中指と薬指。指を三本立てた。
「三歳? 恵令奈と一緒だ」
「恵令奈と一緒」
男の子の三本の指を握って恵令奈が笑った。
「先生を呼んでくる。恵令奈、その子と二人で待てる?」
「うん。待てる」
恵令奈が男の子の指を握ったままもう一度笑う。
さっきトイレに行った時。オルガンの音が聞こえていた事を思い出して、斗真は学習室のドアを勢いよく開いた。
「あら、斗真君。恵令奈ちゃんは? 皆と一緒にここでお歌うたう?」
「ううん。うたわない」
「それじゃ、どうしたの?」
他の子達がレイコ先生と呼ぶ、若い女の先生がオルガンを弾く手を止めて目を丸くしている。このこどもの家に来て二カ月が経つけれど、斗真はまだ一度もレイコ先生と呼んだ事はなかった。
「知らない男の子がいて、おばさんが走ってどこかへ行った」
「知らない男の子? おばさん? 斗真君。その男の子の名前は?」
「知らない。でも恵令奈と一緒。三歳だって」
「斗真君。悪いんだけど、職員室に園長先生がいるから、園長先生の所に行って話してくれる? 先生まだ皆とここでお歌うたわないといけないから」
「わかりました」
斗真が小さく頭を垂らし、勢いよく開けたドアを静かに閉める。
「はい、もう一度最初からね」
レイコ先生は再び鍵盤に指を下ろしたようで、ドアの向こうにオルガンの音が響いていた。斗真は廊下の反対側。レイコ先生に言われた通り職員室のドアを開く。
「園長先生。園長先生はいますか?」
できるだけ大きな声を出したつもりだったけど返事はなかった。だけど職員室の中に首を伸ばし様子を窺っていると、後ろから園長先生の声が聞こえた。
「斗真。どうしたんだ」
職員室の横のトイレからちょうど園長先生が出てきたところだった。
「知らない男の子がいて、おばさんがどこかへ走って行って」
「知らない男の子? おばさん? 男の子の名前は?」
園長先生もレイコ先生と全く同じ事を口にしていた。また別の先生の所へ行かされるのかな? 斗真は少し崩した顔を園長先生に向けた。
「恵令奈はどうした? その男の子と一緒か?」
園長先生の大きな手が斗真の頭に降りる。
「うん。一緒。恵令奈と一緒にいる」
大きく返事をして斗真が庭へと飛び出していく。門の横にはまだしゃがんだままの恵令奈と男の子の姿があった。
「園長先生、ほら」と斗真が振り返る。
「君、名前は?」
園長先生が男の子へと歩み寄る。
「歳は? 幾つ?」
男の子が指を三本立てる。さっきと同じように名前を聞かれても返事をしないのに、歳を聞かれた時にはすぐ反応するようだ。
「斗真と恵令奈は皆の所で一緒に歌をうたうか部屋へ戻っていなさい。こんな寒い日にそんな薄着でずっと外にいたら風邪をひいてしまうだろ」
園長先生の大きな手がまた頭に降りてきたけど、それは一瞬の事で、大きな手は知らない男の子の小さな手に伸びていた。
「恵令奈。部屋に帰るよ」
「うん」
園長先生と、園長先生に手を引かれた知らない男の子の背中を見ながら、斗真は恵令奈を立たせた。
斗真と恵令奈が初めて麻里央に会った日の事だ。
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