万人の災厄を愛して

三石成

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第二章 二人の過去

二 兄

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 そうして、浄暗殺作戦が決行されることになった。

 作戦の内容はいたって単純だ。

 寿が浄に、藤と二人で松柏ソ近くの集落を秘密裏に壊滅せよという任務を命じる。浄と藤は実際に任務へと向かい、道中や戦いの最中に、隙を見て藤が浄を殺す。

 浄を殺すことさえできれば、手段は毒殺でも罠を仕掛けても寝首をかいても何でも良く、その判断は藤に一任された。

 任務で向かう松柏ソとは、白虎の海岸線に近い島にある村だ。壊滅が命じられた集落は、主に海上警備を行う松柏組員が多く住む。大掛かりな戦闘を仕掛ければ海上戦になり、海上戦に長けた松柏の有利となる。そのため、隠密で集落を潰すことに利があった。

 真の目的は浄の暗殺だが、表向きの任務にも、おかしなところはひとつもない。元より、頼まれたことは決して断らない浄が、任務を受諾することは間違いなかった。

 

 白亜城からの帰り道。藤は番傘に当たる雨粒の音を聞きながら、今までのことを思い出していた。

 一二歳の時に白虎へ来た藤にとって、六堂は故郷でありながら、記憶に薄い存在になっている。思い出そうとして浮かぶのは、苦しかった修行の日々と、あの朝の村の惨状。両親の顔も、誰よりも愛していた妹の顔も、思い出すことはできない。

 一〇年探し続けた仇が見つかり、その仇討が現実味を帯びた。そして寿は、藤が浄の首を持ち帰れば、彼を無傷で六堂に帰すことも約束した。

 だが藤は、喜ぶことはできなかった。過去はあまりにも重く、復讐にかけた一〇年の歳月は、長すぎた。

「おかえりなさい、藤さん」

 家の戸をあけ、かけられた明るい声に藤は顔を上げる。

 四畳半しかない長屋の狭い部屋の中で、優が食事をつくって待っていた。入り口の土間で、炊いた米を茶碗によそっている。

「そろそろお帰りになるんじゃないかって、思っていたんです。もうお夕飯できていますよ。なんと今日の煮物は鶏肉入りです!」

 胸を張って溌剌と話す優の様子に、藤は自然と小さく笑った。

「それは、豪勢だな」

 優も「そうでしょう」と嬉しそうに笑い、器によそった食事を箱膳に乗せる。

 優は自分も一緒に食べるつもりで、隣の家から自分の箱膳も持ってきていた。二人で配膳を済ませ、畳に上がって腰を下ろす。

 夕餉は、白米に味噌汁、鶏肉と人参、蓮根の煮物、漬物という献立だ。お互いに手を合わせ、和やかに会話をしながら食べ始めた。

「寿様からのお話って、何でしたか?」

「ああ……戦ではないのだが、隠密作戦の任を受けた。急だが、明日発つ」

「いったい、どうして寿様直々に?」

「わたしが戦で手柄をあげられていないと、うちの大隊長が寿様に世間話のついでに話したらしい。そこで、隠密作戦で何らかの功績を立てろと」

 藤は表情をまったく変えずに嘘をつく。

「それってつまり、藤さんが、寿様に期待されているってことですよね」

 優の声が弾んだ。

「そうか? むしろ、何かしらで役立て、ということだと思うのだが」

 煮物も味噌汁も、味付けが藤好みでちょうど良い。二人の箸は、会話の中でも止まることなく動いている。

「いえいえ、期待していなかったら、活躍の場なんてわざわざ用意しませんよ。藤さんは身軽で、頭の回転も早いですから。ただ正面からぶつかるだけの戦よりも、隠密作戦の方がお力を発揮できるかもしれませんね。作戦がうまくいったら、一気に隊長まで昇格してしまうかもしれません」

「なぜ優が嬉しそうなのだ」

 我がことのように胸を張る優に、藤が問う。

「藤さんの日々の努力とすごさを、僕は知っていますから。藤さんが認められたら、僕も嬉しいですよ」

 そんなものだろうかと、藤は軽く肩を竦めた。味噌汁の残りを茶碗に入れると、口をつけて流し込むように、最後の米一粒まで食べきる。

 優は「それに……」と言葉を続けた。

「藤さんのことを、兄のように思っています」

 ごく小さく、おずおずといった様子で呟かれた言葉に、藤は数回目を瞬く。その呆気にとられたような表情を見て、優は慌てて手を振った。

「あっ。すみません、勝手に。ご迷惑でしたよね」

「いや……」

 藤は言葉を濁した。

 優のことを、藤は可愛く思っている。優が戦で両親を失ってから六年間、共にこの長屋の隣同士で暮らしている。今では藤にこうして料理までつくってくれる優だが、もっと幼かった頃は、藤もそれなりに優の生活の世話を焼いた。夜が怖いと、布団に潜り込んできた彼と共に寝たこともある。

 彼から寄せられた気持ちは純粋に嬉しい。だが、藤は優にも自身の出自のことを話していない。根本を騙し、嘘を重ねている中で、兄面などできるはずもなかった。

「優には、わたしよりもっと良い兄貴分ができる」

 穏やかな声で、藤は言葉を返す。遠回しな、拒絶の一言。藤は、自身を見つめてくる優の瞳に、ごく薄く涙の膜がはるのを、見逃さなかった。

「ごちそうさまでした!」

 優は返事をせずに、食べ終えた膳を持って立ち上がる。

「僕、今日はこれで失礼しますね、おやすみなさい」

 変わらず明るい声。長い付き合いがなくても分かる。明らかな彼の虚勢だった。

 藤は一瞬、その頭を撫でようと手を伸ばしかけて。己を抑え込むように、拳を握った。

 明日には、浄の暗殺をするために旅に出る。暗殺に失敗して、返り討ちにあう可能性もある。あわよくば成功したとして、もう二度と、この長屋には戻らないだろう。

「おやすみ、優」

 いつもと変わらぬ声音で、挨拶を返す。

 優は振り返らぬまま、土間へと降りて戸を開けた。

「隠密作戦、いってらっしゃいませ。どうかお気をつけて」

 去り際、かけられた言葉に、ただ「ああ」と応える。優のその小さな背中を、藤は戸が閉まる最後の瞬間まで見つめていた。
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