万人の災厄を愛して

三石成

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第四章 日常の瓦解

三 梧

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 竹林の家を出たのは昼過ぎ。それから日没まで走り続けて、藤を連れた一行は松柏ロまで辿り着いた。

 松柏ロは、松柏の中では珍しく海に面していない、内陸の村だ。ちょうど松柏本土の中心地といえる場所にある。海の代わりに、間楼山を源流とする川が村の中を流れている。その川を下っていけば松柏の町にまで続いているため、川を利用した交易を主な生業にしていた。

 村の中に立ち並ぶのは、屋号を大きく掲げた商家と舟屋と立派な宿。行き交う人々の身なりも小綺麗で、小さな村が多い松柏の中では異質な街並みだ。

 一時、松柏各地を転々としていた藤にとっても、松柏ロに来るのは初めてのことだった。だがしかし、彼に街並みを見ている余裕はない。半日馬に揺られ続けた藤の傷は開き、熱が上がり、体調は悪化の一途を辿っていた。

 一行がとった宿は、かつて藤と浄が利用していたような宿とは別格の高級宿だ。ゆえに、藤が部屋へ運び込まれようとした時、宿の主人に咎められた。すでに藤の着物は、腹部側から染み出してきた血で赤く染まっていた。宿泊客がどうなろうと知ったことはない安宿ならばさておき、高級宿で死人は困る。

 主人は藤を宿に入ってすぐの座敷に寝かせると医者を呼び、宿中がにわかに騒がしくなった。

 「正直、生きているのが不思議な傷です」というのは、藤の傷を検分した医者がはじめに発した言葉だ。

「傷はすでに綺麗に縫われていますから、消毒をして熱を下げる薬をお出ししますが、わたくしの方では他にできることはありません」

 藤は熱で意識が朦朧としており、医者が語りかけているのは藤本人の方ではない。そこに渋々といった様子で立ち会っている役人だ。

 医者は言葉通りに処置を済ませると、紙に包まれた薬を役人へと手渡す。

「ああ、それで十分だ。どうも」

 役人は軽い調子で答えて薬を受け取った。彼は続けて代金を支払おうとするが、医者は言葉を重ねた。

「しかし、お役人様方は都へお帰りになられる途中だとか。このお体で、馬での移動は厳しいかと思われますよ。下手をすれば移動の途中で命を落とされます。どうですか、数日こちらでお休みになられては」

 医者の言うことはもっともだが、役人は眉をしかめて後ろを振り向いた。視線の先には、藤と共に馬に乗っていた一人の武士が控えている。彼は首を横に振った。

「浄は二日後にはあの家に戻ります。手紙を見てこいつのことを追ってきた時、我らだけでは太刀打ちできません。早く都に入っておかねば」

「分かっている。この策は都の警備の厚さがあって初めて成立するものだ。なれば明日は予定通りに……」

 武士と役人が低く抑えた声でそう会話を交わしていた、その時。

「浄って、あの白虎の浄のことかい?」

 宿の奥からふらりと現れたのは、青碧の着物をまとった男だった。

 年の頃は浄と変わらない程度。腰のあたりまである長い髪を、垂らすに任せている風貌は異質だ。だが、優男風な顔立ちに似合っているため、不潔な印象はない。

「貴様、何奴」

 突然現れた正体不明の男に、すかさず武士が太刀を抜いた。周囲で様子を見ていた野次馬たちから悲鳴が上がる。しかし、男は向けられた刃にも、問いかけにも意に介した様子はなく、袖に両手を入れたまま藤の元へと近寄ってきた。

「あらら、これはひどい。この子は浄ではないね? こんな状態の子を馬に乗せてきたのかい?」

「離れねば今すぐ叩き斬るぞ!」

「お役人様がた、どうか刀をお収めください。このお方は……」

「黙れい!」

 宿の主人がことを荒立てまいと必死に留めるが、武士は殺気を漲らせる。すると、男はようやく武士の方を見て笑った。笑顔を浮かべると、柔和な印象の顔立ちがいっそう華やぐ。

「私は梧だよ。いくら朝廷の役人といえども、私を斬ることはできない。そうだね?」

 梧。そう男が名乗った瞬間、役人の表情が変わった。梧とは松柏の組長の名だ。つまり、白虎でいう寿と同じ立場にあたる。

 朝廷は今現在、白虎、六堂と全面戦争状態にあるが、松柏とはいまだに消極的友好関係にある。

 松柏は諍いを嫌い、白虎、六堂とも派手な戦いをしていない。仕掛けられれば戦うこともあるが、ときには物品を贈りながら上手く外交で立ち回り、また海の多い独自の地形と水軍を生かし、自治を保ってきた組だ。

 だからこそ、朝廷の者はそう安々と梧に手を出すことはできない。白虎、六堂、松柏の三組織が手を組んでしまったら、さすがの禁軍といえども勝敗は目に見えているからだ。

 役人に促され、武士が太刀を収める。

 梧は満足そうに頷くと言葉を続ける。

「それで、君たちが一体何を企んでいるのか、私にも聞かせてくれるかな?」

 役人と武士は戸惑うように顔を見合わせるが、その様子を見て、梧はまた笑みを深めた。

「悪いようにはしないから」
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