カラスの鳴く夜に

木葉林檎

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何でも屋編

3話

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‌ 


鳥飼さんの元で働き始めて約3ヶ月…。
仕事にも随分慣れてきた。
まあ…私は言われた通りに動いてるだけだし
それに体を張るのは割と慣れている。

「少し髪伸びてきたね。」
鳥飼さんが私の髪にそっと触れてそう言った。

ここ最近の私はずっと仕事と
鳥飼さんから借りている別荘の行き来しかしていない。
だから髪なんて切ってる時間は無いわけで…。

それに会話もずっと鳥飼さんとだけだ。
たまにターゲットに近付く時だけ
少しは言葉を交わすが
それは会話と言わないだろう。


最近は以前よりも嘘が上手くなったと自分でも思う。
それに自分の感情を出すことが
社長達と一緒にいる頃に比べて無くなった。

ずっとニコニコしている鳥飼さんの性格はこうして作られたんだと何となくわかった気がする。


「衣笠さんに今日任せる仕事は…」

鳥飼さんが仕事の説明をしてくれようとした時、突然私の胸ポケットに入れていた携帯の着信が鳴った。

マナーモードにしてなかったのは
鳥飼さんの所でお世話になってる今、電話を掛けて来る相手は鳥飼さんだけだったから…。


そんな中で着信音だけが車内に響く。

私はそっと携帯を取り出した。

画面を見ると見覚えのある番号で
登録はしてないけれど直ぐに誰かわかった。


ずっと…ずっと待ってた相手。
私の手は震えていた。

「出なよ。」

鳥飼さんが私に小さくそう言った。
携帯を耳に当てた私は「もしもし…」と相手の返事を待つ。
緊張して声がかすれてうまく出ない。


「おう。梨乃、久しぶりだな。」

忘れかけていた感情が一瞬で溢れ出し
私は自分の口を手で抑えてた。

こうでもしないと
いろいろと爆発しそうだったから……

うっ、うっ、と嗚咽が出てくる。

それでも電話の相手は冷静で…。

「戻ってこい。もう大丈夫だ。
ただ前の事務所はもう使えなくなった。
新しい住所は鳥飼が知ってるだろ。

じゃあな。」


電話相手は私とは違い淡白で
本当にそれだけ伝えると
次に聞こえてきたのは無機質なツーツーという機械音だけだった。


私は道路の端に寄せられて止まっていた車から勢いよく飛び出し
道路にある植え込みの花壇の傍で吐いてしまった。

「はあはあ…」

自分の感情がうまくコントロール出来なくなって体がおかしくなってしまった様だ。
何となく今日は朝ご飯を食べ損ねて
何も食べず水だけだったおかげで
胃から出たのは透明な水分だけだった。

「……あーあ。君とももうお別れかー…」

鳥飼さんが私の背中をさすってそんなことを言ってくる。

「車で送るよ。」

鳥飼さんは自然にそう言ったが
事務所が新しくなってた事を知ってて一度も教えてくれてなかったんだと気付く。


私はフラフラと車に戻り鳥飼さんの運転で新しい事務所へと向かった。


助手席から外を眺めていてわかったが
以前の事務所があった場所とは少し離れているし
前回の事務所は階段を上がってスグが事務所だったのに
今回は雑居ビルの一室のようでエレベーターで上がり三階の1番奥にあった。

エレベーターから下りると廊下の先に磨りガラスの扉が見える。
だけど新しい事務所を前にして私の足は動かない。

「行かないの?」

鳥飼さんがそっと私の背中を押してくれるが前に進むのが怖かった。


ずっとみんなに…
社長に1番会いたくて
鳥飼さんの傍でずっと頑張って働いて
この日が来るのを待っていたのに……
それなのに今は会うことが怖くなっている。


「俺が先に行こうか?」

鳥飼さんが笑顔でそう言って私の前を歩いていく。

だけど私は…
いつの間にか鳥飼さんの腕を掴んで止めていた。

「私が先に行きます……。」

震える体を無理やりおさえて
短い廊下をゆっくりと進む。

短い廊下のはずなのに何故か今の私には遠く長く感じてしまう。


磨りガラスの扉の前に立ちドアノブをしっかりと握った。

ゆっくり扉を開くとみんながこっちを振り返る。


「…ただいま、もどりました…。」

どんな顔をすればいいのかわからない。
初めて入った新しい事務所は
以前いた所よりも少しだけ広くて
社長は入ってすぐ…真正面にいた。

大きな窓の近くに前回の事務所で使ってた
社長専用の椅子とデスクが使われている。


「おっ!梨乃!久しぶり!」

黒崎さんが笑顔で立ち上がり私にそう言ってくれた。

「仕事で使うデスクとかは変えてないけど…
場所だけ少し変えたんだ。
梨乃ちゃんの仕事の席は俺の隣になったからよろしくね?」

影山さんが私のデスクを指さして優しく笑う。


そして……
社長は立ち上がり私の元へゆっくりと近付いて来た。

目の前に大好きな社長がいる。
これは夢じゃない…現実なんだ。

「おかえり梨乃。」

「社長……ただいま。」

涙を堪えて私は無理して笑顔を見せる。

社長はそんな私に
「会わないうちに笑顔が下手になったな。」

そう言って私よりも下手な笑顔で
社長が私を抱き締めてくれた。

社長の胸の中…懐かしい柔軟剤の香り
3ヶ月前…
彼と一緒に過ごしてた記憶が
ぶわッと一瞬で溢れだし全て思い出す。

もう我慢ができなかった。

私は声を出して社長の胸の中で泣いていた。


「………あぃ…ったかったあぁぁ…!」

声にならない声を上げて泣く私に対して
社長は何も言わずに私が落ち着くまで
ずっと背中を優しく撫でてくれてた。
だけど今の私はそれだけで十分幸せだった。


暫くして落ち着くと…
今度は逆に落ち着いた途端、恥ずかしくなって社長の腕の中から離れられなくなる。

「…みんなのこと見れない……」

私がそう呟くと、社長は無理に引き剥がすこともせず
子供のように泣いていた私の事なんか気にもせずに
私の後ろにいた鳥飼さんと普通に話し始めた。


「梨乃が世話になったな。」


「ふふっ。
また困った事があったらいつでも言ってよ。
やっぱり衣笠さんは僕が望む最高のパートナーだったからさ。」

「ふん。勝手に言ってろ」

私は借りていた鍵の存在を思い出して
ゴソゴソとポケットから取り出すと
泣いた顔を見せたくなくて俯いたまま鳥飼さんの元へ近付く

「今迄お世話になりました…鍵お返しします。」

鍵を前に差し出すと深いため息とともに
鳥飼さんはゆっくりと鍵を受け取って

「これから君と仕事を一緒にできないなんて
すごく寂しいよ。
それに君を失ってしまうことが何よりも辛い」
と、言った。

私はそれに関して何も答えない。

「衣笠さんが望んでくれるなら
いつでも戻って来てくれていいからね?
僕はいつでも待ってるから…」

本心かどうか分からない。
鳥飼さんの事だからそれらしい事を言ってるだけだろう。
だけど…少なくとも鳥飼さんのお陰で私は助かってた部分もあった。
それは紛れもなく事実だ。

「鳥飼さん…。
もし貴方に〝愛〟があって
その部分が欠落して無い人間だったのなら
私ももしかしたら多少は〝情〟が出来て
惹かれてたのかもしれませんね…。

なので逆に頭のネジが外れていてくれて助かりました。
ありがとうございます。
これで心置き無く社長の元へと戻ることが出来ます。」

私は顔を上げて鳥飼さんの目を見てそう伝えた。

するとほんの少し驚いた顔をしたあと
彼は笑い始める。

「はぁー…本当、梨乃は面白いな…。
今迄出会った女の中で特別だ。
いいよ。ずっとそのままの君でいてね?
ずっと俺が興味を無くさないように……。」

大きく目を見開いて私を捉える彼の瞳は
相変わらず闇が渦巻いている。

「おい…早く帰れ。」

社長の声が私の後ろから聞こえ鳥飼さんにそう伝えた。

「じゃあまたね。衣笠さん」

鳥飼さんはいつもの調子に戻って
笑顔で手を挙げて事務所から出て行った。


私はクルッと回って黒崎さんと影山さんに目線を移し

「先程は取り乱してしまいすみませんでした…!
今日からまたよろしくお願いします!」
と伝え私が頭を下げると2人は笑顔で「おかえり」と返してくれた。

私は「ただいま!」と返事を返して
私のために用意されていた席に座った。


社長は私が座ったのを確認すると自分の椅子へと戻って行く。

久しぶりにデスクに戻ってきた私は何だか新鮮な気持ちになる。

「あ…私のタイムカード押してくれましたか?」

私が立ち上がって社長の方を見ると
社長は小さく笑ってタイムカードを上にあげる。

「もう押してあるよ。」

私は笑顔で社長の方を見て「ふふ、ありがとうございます。」そう答えていた。





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