輪廻の果てに咲く桜

臣桜

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過去1-2

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 レストランで彼女は美作葵と名乗り、小さな姉妹は上の子が白根一華、下の子が沙夜と名乗った。
「なーににしよっかなぁ」
 ファミリー向けの洋食レストランで姉妹は足をブラブラさせてメニューを覗き込み、時人はオーダーをどうしようかと悩みながら葵が優しい笑顔で姉妹に接しているのを、半ばボウッとして見ていた。

 どうしてこんないい匂いがするんだろう。
 香水とかの匂いではないのは分かっている。
 体臭?
 ――けれど。

 気になるのは彼女から香る桃源郷の桃のような香りで、彼女が音大生だとか、姉妹の母が結婚をして東京にいるとか、そういう事はデータ程度にしか頭に入ってこない。
「時人さん、あのT大の学生さんなんですねぇ。凄い」
 簡単に済ませた時人の自己紹介を聞いて、葵が感心した声をあげる。
「いえ……、今まで打ち込むものが勉強ぐらいしかなかった、暗い青春だったので」
 ともすれば友人に怒られてしまいそうな事を言い、時人はチラリとテーブルの上に乗った葵の細い指先を盗み見する。
(綺麗な指だな)
 ピアノ専攻というだけあって、お洒落に気を遣っている女性のように爪は伸ばされていなかったが、深爪気味の爪はクリアピンクのマニキュアが塗られていた。
 その指が時人の知らない音色を紡ぎ、魔法のように動くのかと思うと妄想が広がってしまう。
 おまけにその指が料理を作り、文字を書いたり洗濯物を畳んだり……、そんな所まで想像して、自分の変態具合に内心溜息をついてもいた。
「時人さん、何にします?」
「あぁ、俺は……」
 そこまで言って時人は本当に困ってしまう。
 彼はほとんどの食べ物、飲み物を「美味しい」と思えない体質だった。
 煮込んだ物などの匂いを嗅げば気持ち悪くなってしまうし、肉や魚は苦手。
 唯一、生野菜や純粋な炭水化物、水、コーヒー、お茶等の物だけはほぼ抵抗がなく口にする事ができている。
「時人さん、男性にしては細いですさかい、ちゃんと食べなあきまへんえ?」
 そう言って葵が笑い、それにつられて時人も笑ってくれる事を期待していたのだが、時人は整った顔を曖昧に微笑ませたままだ。
「……すみまへん。細いとか言われんの嫌でしたか?」
「……いいえ、そうじゃなくて……」
 言い淀む時人に、葵は向かいの席から顔を寄せて彼の目を覗き込んでくる。
「そうやなくて?」

 言ってしまおうか。
 初対面の彼女に、自分の秘密を。

「……ベジタリアンなんです」
 一瞬の間に様々な葛藤があった後、時人は無難にそう答えておいた。
「あぁ、ベジタリアン」
 その単語に葵は納得したような声を出し、大きな目を更に丸くさせてしげしげと時人を見る。
「葵ちゃん、べじたりあんってなぁに?」
 早々にメニューを決めてしまい、じっと物欲しそうにデザートの写真があるページを見ていた一華が、そう尋ねた。
「お兄ちゃんはね、お野菜が好きなんだ」
 それに時人が答えてやると、一華は沙夜と顔を見合わせてから特別大きな「ふぅん」を言って、やはりしげしげと時人を見てくる。
「……変、かな」
 自分のこの体質は、やはり普通の人間とは違うのだろうか?
「ううん! お兄ちゃん偉いね!」
「えっ?」
 だが、返ってきた言葉は意外にも時人を褒める言葉だった。
「いちもさやも、あんまりお野菜好きじゃないの。だから、お野菜ばっかり食べるお兄ちゃんは、偉いなぁって」
「……そう、かい?」
「うん!」
 また、じわりと心が温かくなるのを感じた。
 大人なら「変わっている」とか、「満遍なく食べないと体に悪い」とか、そういう一般常識を押し付けてくるのに、純粋な子供達の目は違う。
「ほな、時人さんサラダはどうです?」
「え?」
「ほら、グリーンサラダ美味しそうですし、大根サラダもどうですか?」
「あ……、はい」
 男がベジタリアンだなんて引かれるかと思ったが、意外にも葵は何でもない事のように受け入れて、すぐに対応してきた。
 偏見を持たずに柔軟な姿を見せる葵に感謝と尊敬を抱き、時人はサラダを二種類頼む事にした。
 葵と姉妹はスパゲティやハンバーグを頼み、姉妹は外食が食べられるのでご機嫌だ。
 オーダーしたものを食べながら二人が互いの学生生活がどんな様子かと話す間、姉妹はテーブルの下で蹴り合いっこをしたりして、時折り葵に怒られるのだった。
 いつもなら不快な臭いや、雑多で不快な音が氾濫する苦手なレストランという場所が、この三人といるだけで魔法のように楽しい場所に変わっていた。

**

「はぁ、食べた」
 レストランの入っている百貨店から出ると、外は蒸し暑い。
「時人さん、お付き合いしてくれはっておおきに」
「いいえ」
 自然と流れはその場で解散という空気になっていたが、姉妹はすっかり時人に懐いてしまったようだ。
「葵ちゃん、さやまだお兄ちゃんと一緒がいい」
「いちも!」
 いつもは聞き分けのいい沙夜からそんな声があり、活発な姉も譲らない。
「えぇ?」
 困って葵が時人を見るが、時人も困ったように笑うしかない。
 本当ならもっと葵とこの姉妹と一緒にいたいというのが本音だが、初対面なのにそんな図々しい事を申し出ても、このご時世変な男として見られてしまっては困るし、葵を困らせるのも本意ではない。
 でも、本当は一緒にいたい。
 あわよくば、連絡先を聞いてこれからも会いたい。
 そんな気持ちを抱えて時人が葵の黒い目を見つめ返すと、やはりニコッと笑って先に決めたのは葵の方だった。
「ほな、私の家でええですか?」
「え?」
「電車で一駅なんです。もし、この子たちを預かってる時間までご一緒してくれはるなら、甘いもん買うて一緒に食べましょ」
「……いいんですか?」
「はい」
 力強く頷くその笑顔は、どこまでも透明で、そして無防備にも見える。
「……葵さんは不用心ですね。もし俺があなたを狙うストーカーになったらどうするんですか?」
 葵の純粋さに憧れ、ねじれた気持ちでそう脅してみても、葵はケロリとして言い返す。
「あら、時人さんそないなお人なんですか?」
「……いいえ」
 その上手な切り返しに、時人は思わず笑ってしまう。
(葵さん、綺麗なだけじゃなくて頭もいいんだな。学力が高いとかじゃなくて、こういう風に咄嗟の機転が利く人は魅力的だ)
 どんどん時人の中で、初恋のときめきが盛り上がってゆく。
 この人と一緒にいたい、恋人になりたい。
 そんな欲がこんこんと沸いてきて、時人の想いは今にも溢れそうだった。
 目の前にいる彼女が何より愛しい。
 許されるものなら、今すぐに告白をして細い体を抱きしめたい。
 彼女の夫になりたい。
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