輪廻の果てに咲く桜

臣桜

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「まぁ、時人さんお久しぶりやね」
 美弥を美作の家まで送っていくと、美弥の声を聞いて玄関まで迎えた実来が笑顔を見せた。
「実来さん、ご無沙汰しております」
 時人が丁寧に頭を下げ、土産にと途中で買った高級菓子の紙袋を差し出す。
「ご丁寧におおきに。体はどうですか?」
「ええ、少しずつ回復しています」
「お上がりやす。少しお話しましょう」
「いえ、俺は……」
「ねぇ、時人さん。少しぐらい、いいでしょう?」
 美弥が時人の顔を覗き込むと、時人が微笑する。
「けど、突然押しかけたら悪いだろう」
「ね、いいでしょ? お婆ちゃん」
「ええ、時人さんは美作の家にも、私たち白根にも、大切なお客さんです」
 実来が微笑み、その隣に夫も姿を現して、好意的な笑みを浮かべて頷く。
「時人さん、久しぶりに東京の話を聞かせて下さい」
 人の好さそうな笑みを浮かべる夫がそう言って中へ招くジェスチャーをし、それに時人も折れたようだ。
「では……すみません。少しだけ」
 時人が靴を脱ぐのを美弥が「やったぁ」と喜び、その様子を窺っていた家人が、馴染みの客が来たという顔でもてなす準備を始めた。

**

 夕食は実来が腕を振るい、京都らしい味付けの煮物や、京野菜を使った料理を出してくれた。
 時人は実来の夫にビールを勧められ、飲み過ぎない程度に付き合いながら、せがまれるままに変わりゆく東京や仕事の話をし、美弥にも笑顔を見せる。
 そんな明るい食卓を、実来は温かい気持ちで見守っていた。

 葵の事があってから、生きながら死んでいるような時人の姿を見て、自分自身も妹を喪って絶望しつつ、時人を見ていて辛いという気持ちもあった。
 苦しそうな時人の姿を見ると、本当なら妹はあの人と幸せになるはずだったのに、と何度も思ってしまう。
 そう思って心に傷を受けた自分はカウンセリングなどに通いながらも、少しの間時人を避けていた期間もあった。
 けれど二人の娘が時人に懐いて会いたがり、結果的には自分にも時人にもいいリハビリになったのだと思う。
 家を継ぐ道に入って立派な社会人になった時人は、「恩返し」と言って度々食事などに誘ってくれるようになり、一華と沙夜の成長を楽しみにしているその姿に、自分も救われる思いだった。
 そして今は、孫の美弥をとても大切にしてくれている。
 優しくて傷付きやすい彼と、一緒にこの苦難を乗り越えて幸せを掴み取ったのだという自負と誇りが実来にはあった。
 これから先、時人と美弥の関係がどうなるのかは分からない。
 だが彼女の母である沙夜が認めるのなら、自分は時人の友人として、美弥の祖母として、どんな事も受け入れるつもりだ。
 彼がもし妹そっくりの美弥を一人の女性として望むのなら、それもまた彼が選んだ彼の人生で、応援したいと思う。
 一華が結婚をして間もなく、迷いに迷ったという風に沙夜が明かしてくれた時人の秘密。
 それを聞かされて「まさか吸血鬼だなんて」と笑いたくもなったが、まだ一華と沙夜が幼かったあの日からほとんど外見を変えていない時人を見守り続け、今はそれを信じている。
 きっと、妹の葵もどこか影のある時人の秘密に触れ、惹かれたのだろう。
 そして妹は時人を愛した事に、絶対に後悔などしなかった。
 だから今は、自分が時人の幸せを見守る権利と義務がある。

 食後にイチゴを食べている時人は、まるで葵と一緒にいる時のように穏やかな顔をしている。
「イチゴ、たんとありますさかい」
 実来の声も、自然と明るくなっていた。

**

 昭に挨拶をしてから一度仏壇には手を合わせていたが、夕食が終わってくつろぐ時間になり、時人はもう一度仏間を訪れた。
 線香の香りがする和室で、時人は葵の遺影を見つめる。
 いつもこの仏壇の前に座ると、罪悪感と深い悲しみと孤独に苛まれていた。
 自分は生きる価値がないと思い、何度も何度も葵の後を追いたいと思っていた。
 幸せになってはいけないと思い、葵を守れず、憎いとはいえ後藤に酷い暴力を振るい、そんな自分は一生贖罪をしながら生きていくのだと思っていた。
 けれど今は、普通の人間として生を全うした、実家の仏壇の祖母に手を合わせているような凪いだ気持ちでいる。
 目の前には故人がいて、その人はもう動かず、ものも言わず、笑いもしない死者で、何を望んでも叶わないと分かっている。
 もういない人に向かってちぎれるほど「救いたい」とか「許してほしい」と願う気持ちは、心にほとんどなかった。
 そこにあるのは、静かに死者を悼む気持ち。
「葵さん」
 鈴を鳴らした音の余韻が残っているような、静けさに守られた仏間に、時人の静かな声がする。
「美弥は大きくなりました。……葵さんにそっくりになりました。あの子の中に葵さんを感じます。……けれど、違うんですよね」
 今までなら美弥が葵であるという事を誰かに否定されたら、自分が生きる上ですがっているものを否定された気持ちになった。
 でも今は、自分でそれを「違う」と言う事ができる。
「そぉですね」
 遺影の中の葵が、穏やかにそう返事をしてくれる気がした。
「俺は……これから前を見て進んでいきます。葵さんを忘れる訳じゃないんです。ただ、あなたが見られなかった景色や世界を、あなたの分も俺が見て、聞いて、感じたい。……あなたが望んだように、笑顔でいられて『幸せです』とあなたに胸を張って言えるようになりたい」
 思いを言葉にすると、それが自分自身に対する誓いのようにも思える。
 葵と一緒に京都で神社回りをしたいという話をしていた時、葵が言っていた。

「お参りをしたり絵馬にお願い事を書く時は、『○○になれますように』やなくて、『○○になる』って宣言した方がええんですよ」

 きっとそれは、願っているだけではなくて、自分自身に力のある言葉で誓うことで、発破を掛けたり強い気持ちになれるのだろう。
 だから、葵の前でそう誓いたい。
「俺は幸せになります。見ていて下さい」
 正座をしたそのスラリとした後ろ姿は、凛とした決意に満ちていた。
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