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母の話2

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「私の家系はアカツキを支える姫巫女の家と対局の、国の穢れを担う一族でした。同じ人間ではありますが、姫巫女は人々から信仰されて高い霊力を持ち、私の家系は姫巫女の吉凶の占いに用いる生贄の命を預かる家でした。そのため人の身ではありますが、人ならざる能力もあります。姫巫女のために流される血は、私の家系にも負の意味合いで高い霊力を与えます。そのうち私は思春期になると人の死が見えるようになり、それを口にすれば魔女だと言われるようになりました」

 初めて聞く母の身の上話に、クレハは何も言えないでいた。

「姫巫女の住まう太陽の神殿と対極の位置にある夜の神殿で私の一族は暮らし、そんな折に西方から人とは異なる種族もアカツキを訪れたようです。私の母……クレハの祖母は、美しい魔族に恋をしました。神殿を出てその魔族と駆け落ちすらしようと思ったらしいのです。が、道ならぬ恋は周囲の者に勘づかれ、母は私が幼い頃に粛清を受けました」

「……母さん、その魔族の人はどうなったの?」

 おそるおそる尋ねるクレハに、カエデはノアを見て、それから娘を見て儚く笑う。

「とても綺麗な赤毛を持つ吸血鬼……。イリヤという人は掴まって、処刑されそうになったそうよ。けど、母が『もう間違いは起こさない。アカツキのために、姫巫女のために一生を捧げる』と誓ったら、命だけは助けられてどこか遠くへ追放された。と母は言っていたわ」

 悲しそうなカエデは、娘に遥か東国の悲しい物語を聴かせ、それからノアを見る。
 カエデの視線を受けたノアは、呆然と彼女を見つめ返しながら唇を震わせていた。

「それは……。イリヤは僕の祖父です。僕の祖父は若い頃にどこかで片目の視力を失い、それから屋敷の奥で誰にも会わず……。モミジという女性を今でも想い続けている」

 ノアの言葉に、カエデは少し沈黙したあとにゆっくり息を吐き出した。
 その吐息のなかに、「やっぱり」という呟きが含まれている。

「……私の母は、あなたのお祖父さまから光を失わせた女性です」

 ある種の覚悟を決めた目でカエデはノアを見つめる。
 その目は運命の皮肉さを悲しんでいた。
 娘の恋を応援したいというのに、自分の母は娘の恋人の祖父を傷つけた存在だ。

「お祖母ちゃんは……、ノアさまのお祖父さまと恋に落ちていたの?」

 カエデの話を懸命にまとめようとしているクレハは、混乱しているのを隠せないでいた。

 だが思い返せば頷ける。
 ルクスが屋敷に帰って来て、クレハの姿を見て一瞬動きを止めた。

 あれは、クレハの姿のなかに、祖父が恋をした東国の魔女の面影を見たのではないだろうか。

「そうね、クレハ。母さんはお祖母ちゃんに『こんな自由に人を愛せない恐ろしい国は、出てしまいなさい』と言われたの。それで母さんは……」

 一人、アカツキを出た。

 最後まで言葉にされることのなかったカエデの出自に、クレハは想像もできない悲しみを思うしかできない。

 愛する人の命を救う代わりに、一生国のために尽くすと誓った祖母のモミジ。
 カエデもまた、当たり前に家族である母を愛していただろう。

 そんな母や一族を残して一人国を出たのは――、どれだけ辛かったのだろう。

「お父さん……トーマスさんと出会ったのはね。母さんが長旅で疲れてボロボロになっていたのを、お父さんに拾ってもらったの。お互いが人から距離を取りたいと思っていた者同士だから、最初は随分よそよそしかったわ。けれど、お父さんはとても優しい人だった。母さんに温かな料理を作ってくれて、寒そうにしていたら動物の毛皮でマントを作ってくれた」

 クレハの父であるトーマスとの出会いを話すカエデは、やや和らいだ表情をしていた。

「それに、これはお父さんのインキュバスとしての能力かもしれないけれど、母さんはお父さんの側で眠ると、とても幸せな夢を見られたの。インキュバスだから、本来なら少し官能的な夢になるかもしれない。けれど母さんの体に流れる魔女の血で少し薄められて……。自分が望む、幸せな夢をみせてくれたわ」

 遠い国からたった一人で旅をしてきた若いカエデは、死に場所を探していたのかもしれない。

 すべて想像でしかない。
 けれど絶望にかられた若いカエデは、トーマスに会って、ようやく安らげたのではないだろうか?

「母さんの家族……。アカツキにいる一族はどうなったの?」

 クレハの問いに、カエデは緩く首を振った。

「分からないわ。……分からないほうがいいのだと思う。あの国は狂っていた。光り輝く姫巫女のためになら、民はなんだってしたわ。このエイダ王国のように、王さまが民を守るような素晴らしい国じゃない。あんな国……滅んでしまえばいいのよ」

 最後の一言に、カエデという穏やかな女性ですら嫌悪する国――アカツキの事情が窺えた。

「……カエデさん、辛いお話をありがとうございました」

 疲れたような顔をしているカエデに、ノアは礼を言う。
 それから最後に、というように、カエデは言葉を付け加えた。

「クレハが体に流れる血のことで悩んでいるのなら、きっと問題ないわ。私たちの一族には、姫巫女の巨大な力に匹敵するほどの負の力がある。今まで忌まわしいとしか思えなかったその力だけれど……。きっとノアさまの子を産むのに、クレハの体を守ってくれるわ。それに、お父さんの血もあなたを守ってくれる」

 その言葉にノアとクレハはホッと安心し、互いを見つめ合って微笑んだ。

 このエイダ王国の隅で一般市民に紛れて暮らしていた女性は、東国の魔女の血を引いていた。
 その壮絶な生い立ちに触れて同情しつつ、ノアはこれから自分たちが複雑な縁を整理しないとならないのだと感じた。

「僕としては、これでクレハさんと結ばれるのに何の心配もないと知ることができました。それにあなたが退院したら、ぜひうちの偏屈な祖父に会って頂きたい。誰にも会いたくないと言っている頑固な祖父ですが、恋をした女性の血筋になら心を開くかもしれません」

 ノアの言葉にカエデは微笑する。

「そう……ですね。私の母が原因で酷い目に遭ってしまったことを、娘である私がちゃんとお詫びしないとなりません」

 カエデがそう言うと、ノアはクレハに向かって笑いかけた。

「心配することはないよ、クレハ。僕らの血筋の昔は昔、今は今。僕らは僕らの人生を生きればいいんだ」
「……はい、ノアさま」

 クレハはようやく心からの笑顔を取り戻した。
 ノアと愛を確かめ合った時に感じた、「彼を信じれば間違いない」という原点に戻れた気がした。

「母さん、たくさん話して喉が渇いたでしょう? オレンジを剥くわね」

 そう言ってクレハは、ベッド横のフルーツかごからオレンジを手に取った。
 ベッドサイドの引き出しからナイフを取り出し、クルクルと皮を剥き始める。

「祖父は愛した女性を不幸にしてしまったとばかり、嘆いています。残念ながら僕はモミジさんがどうなったのかを知りません。祖父も知らないままだと思います。けれど、その血筋がこうして生き延びて幸せに暮らしていると知ったら……。きっと祖父も喜ぶと思います」

「えぇ、そうですね。ですが、イリヤさまの奥さまはどうされたのですか?」

 目の前にノアがいるということは、イリヤにそのご妻ができたということだ。
 オレンジの香りが鼻孔に爽やかに香り、気分はずっと良くなったような気がした。

「僕の祖母は典型的な貴族でした。良い母として良い血筋を残す。それだけを目的としてウェズブルク家に嫁ぎ、祖父からの愛情はあまり求めなかったそうです。生まれた父を厳しく育て……。祖父が王族にも繋がる強い血を持つ人だったので、父がある程度育った頃には体調を崩してしまいました。今は遠方の別荘で静養しています」

「そう……ですか」

 返事をして、カエデは顔も知らぬノアの祖母に思いを馳せた。

 自分の使命は貴族として子をなすことと思っていても、嫁いだ先で夫が別の女性をずっと想っているというのは、どういう気持ちだろう。
 それもその女性は同じ国にはおらず、旅先で出会ったという女性だ。
 きっとそこには想像を絶する我慢と、貴族としてのプライドがあったのかもしれない。
 本来なら離婚したいとすら思ったかもしれない。

 けれどそこはやはり、自分の感情よりも家や子供のことを優先させたのかもしれない。
 血統を重んじる貴族というものは、自分たち庶民が思っているよりずっと厄介なものだと思う。

「……あなたたちが出会って惹かれ合ったのは……。なにかの運命があったのかもしれないわね」

 カエデは娘を見て目を細めた。
 そこにクレハから「あーん」とみずみずしいオレンジを差し出され、口を開く。
 母がオレンジを食べるのを見て、クレハは明るく笑う。

「でも私、お祖母ちゃんのことを知らなくても、ノアさまに恋をしたもの。私は私よ。母さんと父さんの娘よ」
「そうね」

 娘がちゃんと『今』を生きていることに、カエデは嬉しくなった。
 同時にいつまでも過去に囚われ、子供の頃の記憶をなかったことにしようとする自分を密かに恥じた。

「母さんも、お父さんを亡くしてしまったけれど、今はあなたがいて幸せよ」

 そんな母子の絆をノアは微笑んで見守り、クレハに向かって「僕も」と口を開いてオレンジをねだった。

「ふふ、ノアさま子供みたい」
「いいんだ。僕は君にだけ甘えると決めているんだから」

 開き直ったノアの言い方に、クレハもカエデも明るく笑うのだった。



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