42 / 72
42_ダフネ前皇后陛下
しおりを挟む皇宮に戻り、しばらくの平穏を満喫している時に、私はある発見をした。
庭に面した渡り廊下を歩いていると、洗濯物を干す侍女達の姿が目に入った。真っ白なシーツが陽光を弾いて、とても眩しい。
「あの方は・・・・」
その中の一人の顔に、見覚えがあるような気がして、私は立ち止まった。
「どうかしましたか?」
「カタリナ、あの人の顔に見覚えがあるような気がするんだけど、あなたは彼女のことを、何か知ってる?」
カタリナは私の視線を追って、洗濯物を干している女性に目を留めた。
「あの方は、ユリア・サビーナ様ですね。ダフネ前皇后陛下にお仕えしていた、侍女の一人です」
どうりで顔に見覚えがあるはずだと、私は納得する。
私がイネスとして皇宮に入ったとき、ダフネ前皇后陛下はまだ、皇宮で暮らしていた。はっきりと覚えてはいなかったものの、ユリアさんとも、何度か廊下ですれ違っていたのかもしれない。
「どうしてまだ、皇宮に留まっているのかしら?」
皇后に仕える侍女達は、身分が高いご令嬢から選ばれる。年頃になれば、親の意向で結婚し、皇宮を去るので、若い人が多い。
家の事情で残る人、離縁、あるいは夫と死別して戻ってくる人もいるけれど、多くはいなかった。
「一度結婚して皇宮を出たそうですが、夫に先立たれ、戻ってきたと聞きました。夫の死後、寡婦として修道女になるという話もあったそうですが、修道院で貧しい暮らしをするよりは、皇宮で侍女として働いたほうがいいと、彼女のお父様が決めたようですね」
「そう・・・・彼女と話ができるかしら?」
なぜか急に、彼女と話してみたくなり、私はそう言っていた。
「話ですか?」
「ええ、お茶会に招待したいの。聞いてきてくれる?」
「お任せください」
カタリナは庭に出て、ユリアさんに話しかける。
ユリアさんは驚いている様子だった。
目が合ったので、私は笑い返した。
「ローナ様とお話しできるなんて、光栄の極みです」
ユリアさんを部屋に招き入れ、紅茶を勧めると、彼女は緊張した面持ちでそう言った。
「そんなにかしこまらないでください、ユリアさん」
「いえ・・・・」
それでも、彼女から感じられる警戒心のようなものが消えることはない。
(突然、接点のない人から呼び出されたら、誰でも警戒するわよね)
理由がわからない呼び出しほど、怖いものはない。それはイネスだった頃に、何度も経験している。
とにかく最初は、ユリアさんの緊張をほぐさなければと思った。
「それで、その・・・・私に、何かご用でしょうか?」
しばらくして、ユリアさんのほうから、質問してくれる。
「話がしたいと思ったんです」
「ですが、私とローナ様にはあまり共通点がありません。おまけに私は口下手なほうなので、お喋りでローナ様を楽しませられるかどうか・・・・」
「そんなに難しく考える必要はないんですよ。ダフネ前皇后陛下のことを、聞きたかっただけなんです」
「え?」
ユリアさんの目が丸くなる。
「実は私、ダフネ前皇后陛下に、一度だけお会いしたことがあるんです。皇后候補者に選ばれる前、お父様に皇宮に連れてきてもらい、ダフネ前皇后陛下と偶然お会いしました。それで少しだけ、話をしたんです」
「本当ですか?」
ユリアさんの表情が、明るくなった。
「と言っても、二言三言、話をしただけなんですけど」
嘘は言っていない。ただ前皇后陛下と話をした時の私の名前が、ローナじゃなかっただけだ。
皇宮では、廃位された皇后の話はしてはならないという、暗黙のルールがある。ダフネ前皇后陛下はもちろん、イネス・ディド・クレメンテの名前も、ここでは誰も口にはしようとしなかった。
でも、今ここには、私とカタリナ、ユリアさんの三人だけしかいない。だから話してもいいはずだ。
「少しの間しかお話しできなかったので、どんな方だったのか、結局わからないままでした。それでダフネ前皇后陛下のことをお聞きしたくて、あなたに来てもらったんです。教えてもらえますか?」
「は、はい! 私に答えられることなら・・・・」
ユリアさんは、ダフネ前皇后陛下のことが好きだったのだろう。ダフネ前皇后陛下の名前が出た瞬間から、目が輝いていた。
それから私達は、お菓子を食べながら、しばらくダフネ前皇后陛下について話をした。
「・・・・皇宮を出た後、皇后陛下は、空気が綺麗な場所で療養していると聞いていました。・・・・でも、まさか、そのままお亡くなりになられるなんて・・・・」
途中までは明るく話すことができたけれど、話が前皇后陛下が亡くなった部分に及ぶと、ユリアさんの表情は暗くなってしまった。
「まだお若いのに・・・・」
「皇宮でとても苦労されていたので、そのせいで――――」
話し過ぎたと思ったのか、ユリアさんの声は弱々しくなっていく。
「いえ、その・・・・」
「ここでの会話が外に出ることはありません。ですから、安心してください」
私が微笑みかけると、ユリアさんは安心したのか、肩の力を抜く。
「・・・・ダフネ前皇后陛下の話ができることを、嬉しく思います。当時を知る人達は、ほとんどいなくなってしまいましたから・・・・」
その言葉が、ずしりと身体の奥を重くした。
(ヘレボルスが起こした政変のせいで、クレメンテだけじゃなく、大勢の人が殺されたものね・・・・)
ヘレボルスが捏造した罪のせいで、私の一族は滅ぼされることになった。
だけど被害を受けたのは、私達だけじゃない。
クレメンテに関わった人達はもちろん、ヘレボルスは混乱に乗じ、敵対する人々を大勢殺した。
「でもユリアさんには、当時一緒に仕事をしていた仲間がいるでしょう?」
励まそうとして言った言葉なのに、なぜかユリアさんの表情は、ますます暗くなってしまった。
「いえ・・・・みんな、いなくなってしまったんです」
「いなくなった?」
問い返すと、ユリアさんはハッと顔を強ばらせる。
「ど、どうやら、長居をしてしまったようです」
ユリアさんは立ち上がる。慌てていたのか、テーブルに腰をぶつけ、カップが倒れそうになっていた。
「す、すみません・・・・仕事が残っているので!」
「そ、そう、そういうことなら・・・・」
慌てている彼女を引き止めるわけにもいかず、部屋を出ていくユリアさんの後ろ姿を見送った。
「なにか、様子がおかしかったわね・・・・」
――――ユリアさんは何かを隠している。そう感じた。
「ダフネ前皇后陛下に仕えていた侍女達のことを、調べてみますか?」
「ええ、お願い。・・・・当時何かが起こったのなら、身を守るためにも、知っておきたいから」
皇宮で起こることはすべて、把握しておきたい。
「では、調査に取りかかります」
カタリナも部屋から出ていった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1,090
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる