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その日、最初の授業を前にしてレンは女子寮へと疾走していた。うかつにも今日が提出日の課題プリントをカバンに入れ忘れてしまったのだ。恐ろしい教師の仏頂面を思い出しつつ、レンは女子寮の玄関扉を開け、私室がある三階へ向かって駆け上がった。
そうしてお目当ての課題プリントを見つけ、ホッと安堵のため息をついたところで気づいた。左隣室から衣擦れの音がすることに。左隣は――今渦中の人であるキャメロンの私室である。
てっきり、寮生たちはみな登校していて女子寮内は空っぽだと思っていたレンは不意を突かれた。実際に今、女子寮内にはレンとキャメロン以外のひと気がない。よくよく考えれば玄関扉の鍵が開いていたこともおかしい。朝は最後に出た寮生が施錠する決まりだからだ。恐らく、キャメロンがまだいるので施錠がされていなかったのだろう。
レンはキャメロンが寝坊したのかと思った。あいにくと寮を預かる寮監のジェーンは熱を出した寮生に付き添って病院へ行っている。そしてキャメロンは学校でもそうだが、寮内でも孤立していた。だから、だれも彼女を起こしたりせず置いて行ってしまったのだろうと思った。
あるいはいよいよ登校拒否に踏み切ったか、とレンは考える。キャメロンに対する悪評や批難の声は日ごとに大きくなるばかりだ。女子寮長のイヴェットも、寮監のジェーンも頭を悩ませている。キャメロンは憔悴した様子だが、弱音を吐いている場面は見たいことがないし、そういう噂も不思議と聞いたことはなかった。それでも限界というものはあるだろう。
知ったからには知らぬフリをして置いて行くのはなんだか居心地が悪い。わざわざキャメロンに体調を尋ねる義理など己にはないことは承知しつつ、レンはイヴェットに頼まれているから……と心の中で言い訳をして部屋を出た。そしてそのまま左隣にあるキャメロンの私室を訪ねる。
「キャメロン? 授業始まっちゃうよ?」
ノックを二回して声をかけてみたものの、部屋の中から反応はない。いない、ということはないだろう。だれかがいる気配はするのだから。居留守を疑うレンだったが、部屋の中から呻くような声が聞こえてきたので、心配になった。
もう本格的に冬であったし、昨晩も寮生が体調を崩し熱を出した。風邪であればキャメロンにも感染ったのかもしれない。そういう可能性はあるよな、とレンは考えたあと、意を決してキャメロンの私室の扉を開いた。
「キャメロンー入るよー……?」
果たしてキャメロンはいた。そう広くない部屋に備えつけられているベッドの上で、赤い顔をして横たわっていた。
レンはおどろいた。キャメロンが苦しそうにベッドの上で横になっていることに、ではない。ずり落ちかかっている掛け布団の少し上、キャメロンの胸部が――しぼんでいた。あのちょっと動くだけでゆさゆさと揺れそうだった、豊満な胸が、なかった。
レンは混乱した。それはもう大いに。キャメロンのあの豊かな胸はどこへ行ってしまったのか。あの胸部はかさ上げの結果だったのか――。
しかしキャメロンをよくよく見ていると色々とおかしいことに気づく。肩なんてどこか角ばっていて女性的な柔らかさに欠けている。掛け布団の上にかかる手も、筋張っていた。そして決定的だったのは――キャメロンの白い首にある、喉仏。
――お、お、お、お、おおおおおお男!!!???
キャメロンがなぜか男性になっていることに気づいたレンの混乱は加速する。ここは女子寮だ。男性も足を踏み入れることはできるが、基本的に女性しかいないはずである。しかもこんな朝の早い時間に男子生徒は寮内に入ったりしない。それではなぜ今、キャメロンの部屋に男がいるのか? レンはオタク脳で閃いた。
――え? キャメロンって男だったの? 女装男子だったの?
そこまで考えたが、その後どうすればいいのかがわからない。女子寮の寮生が男だったなんてことは、あってはならないだろう。いくら男子生徒が許可さえあれば入れるような寮であったとしても、だ。
困ったことに寮監のジェーンは不在。次に頼りになりそうな寮長のイヴェットも、もうとっくに登校しているだろう。今の女子寮には実は男だったらしいキャメロンと、レンのふたりきり。そしてキャメロンが男だった、ということは結構なスキャンダルだと混乱するレンにもわかっていた。
そして困った末にレンは学長の連絡先がスマートフォンの中に入っている事実をどうにか思い出せた。世話にはなっているものの、学長は多忙なので顔を合わせる機会はそれほどない。今だって校内にいるのかどうかすら怪しいだろう。それでもこの非常事態を解決出来るのは学長しかないとレンは思ったので、ひとまずテキストメッセージを送ってみる。
その返信は存外早くきた。レンのぶつ切れの、混乱した様子だけはよく伝わってくるメッセージを、学長は聡明に読み取って「すぐそちらへ行きます。レンは談話室で待っていなさい」とのメッセージが送られてきた。こちらを疑うことなく的確な指示を出してくれる学長に、レンは少しだけ平静を取り戻す。
たしかに苦しそうに横たわっているとは言え、相手は素性不明の男。一階の談話室で学長の到着を待つのが得策だろう。レンはキャメロンを部屋に残して談話室へと向かった。
学長は初老の男性養護教諭をともなって女子寮の扉を叩いた。レンが出迎えると、学長はいつもはくりくりとした目を細めて「それで、キャメロンの部屋はどちらですか?」と聞いてくる。言葉は丁寧だったが、剣呑な様子がうかがえてレンはつばを飲み込み、「こちらです」と階段へと先導する。
キャメロンの部屋には男性である養護教諭だけが入った。キャメロンが本当に男性であるかどうかたしかめると同時に、容体を確認するには適任だと学長が連れてきたのだ。
そして――。
「学長。彼女は――いや、彼は間違いなく男性ですよ。性自認がどうなっているかは知らないが、身体はどこにでもいる男性と変わりない」
養護教諭の言葉にレンは息を呑み、学長はますます目を細めた。
そうしてお目当ての課題プリントを見つけ、ホッと安堵のため息をついたところで気づいた。左隣室から衣擦れの音がすることに。左隣は――今渦中の人であるキャメロンの私室である。
てっきり、寮生たちはみな登校していて女子寮内は空っぽだと思っていたレンは不意を突かれた。実際に今、女子寮内にはレンとキャメロン以外のひと気がない。よくよく考えれば玄関扉の鍵が開いていたこともおかしい。朝は最後に出た寮生が施錠する決まりだからだ。恐らく、キャメロンがまだいるので施錠がされていなかったのだろう。
レンはキャメロンが寝坊したのかと思った。あいにくと寮を預かる寮監のジェーンは熱を出した寮生に付き添って病院へ行っている。そしてキャメロンは学校でもそうだが、寮内でも孤立していた。だから、だれも彼女を起こしたりせず置いて行ってしまったのだろうと思った。
あるいはいよいよ登校拒否に踏み切ったか、とレンは考える。キャメロンに対する悪評や批難の声は日ごとに大きくなるばかりだ。女子寮長のイヴェットも、寮監のジェーンも頭を悩ませている。キャメロンは憔悴した様子だが、弱音を吐いている場面は見たいことがないし、そういう噂も不思議と聞いたことはなかった。それでも限界というものはあるだろう。
知ったからには知らぬフリをして置いて行くのはなんだか居心地が悪い。わざわざキャメロンに体調を尋ねる義理など己にはないことは承知しつつ、レンはイヴェットに頼まれているから……と心の中で言い訳をして部屋を出た。そしてそのまま左隣にあるキャメロンの私室を訪ねる。
「キャメロン? 授業始まっちゃうよ?」
ノックを二回して声をかけてみたものの、部屋の中から反応はない。いない、ということはないだろう。だれかがいる気配はするのだから。居留守を疑うレンだったが、部屋の中から呻くような声が聞こえてきたので、心配になった。
もう本格的に冬であったし、昨晩も寮生が体調を崩し熱を出した。風邪であればキャメロンにも感染ったのかもしれない。そういう可能性はあるよな、とレンは考えたあと、意を決してキャメロンの私室の扉を開いた。
「キャメロンー入るよー……?」
果たしてキャメロンはいた。そう広くない部屋に備えつけられているベッドの上で、赤い顔をして横たわっていた。
レンはおどろいた。キャメロンが苦しそうにベッドの上で横になっていることに、ではない。ずり落ちかかっている掛け布団の少し上、キャメロンの胸部が――しぼんでいた。あのちょっと動くだけでゆさゆさと揺れそうだった、豊満な胸が、なかった。
レンは混乱した。それはもう大いに。キャメロンのあの豊かな胸はどこへ行ってしまったのか。あの胸部はかさ上げの結果だったのか――。
しかしキャメロンをよくよく見ていると色々とおかしいことに気づく。肩なんてどこか角ばっていて女性的な柔らかさに欠けている。掛け布団の上にかかる手も、筋張っていた。そして決定的だったのは――キャメロンの白い首にある、喉仏。
――お、お、お、お、おおおおおお男!!!???
キャメロンがなぜか男性になっていることに気づいたレンの混乱は加速する。ここは女子寮だ。男性も足を踏み入れることはできるが、基本的に女性しかいないはずである。しかもこんな朝の早い時間に男子生徒は寮内に入ったりしない。それではなぜ今、キャメロンの部屋に男がいるのか? レンはオタク脳で閃いた。
――え? キャメロンって男だったの? 女装男子だったの?
そこまで考えたが、その後どうすればいいのかがわからない。女子寮の寮生が男だったなんてことは、あってはならないだろう。いくら男子生徒が許可さえあれば入れるような寮であったとしても、だ。
困ったことに寮監のジェーンは不在。次に頼りになりそうな寮長のイヴェットも、もうとっくに登校しているだろう。今の女子寮には実は男だったらしいキャメロンと、レンのふたりきり。そしてキャメロンが男だった、ということは結構なスキャンダルだと混乱するレンにもわかっていた。
そして困った末にレンは学長の連絡先がスマートフォンの中に入っている事実をどうにか思い出せた。世話にはなっているものの、学長は多忙なので顔を合わせる機会はそれほどない。今だって校内にいるのかどうかすら怪しいだろう。それでもこの非常事態を解決出来るのは学長しかないとレンは思ったので、ひとまずテキストメッセージを送ってみる。
その返信は存外早くきた。レンのぶつ切れの、混乱した様子だけはよく伝わってくるメッセージを、学長は聡明に読み取って「すぐそちらへ行きます。レンは談話室で待っていなさい」とのメッセージが送られてきた。こちらを疑うことなく的確な指示を出してくれる学長に、レンは少しだけ平静を取り戻す。
たしかに苦しそうに横たわっているとは言え、相手は素性不明の男。一階の談話室で学長の到着を待つのが得策だろう。レンはキャメロンを部屋に残して談話室へと向かった。
学長は初老の男性養護教諭をともなって女子寮の扉を叩いた。レンが出迎えると、学長はいつもはくりくりとした目を細めて「それで、キャメロンの部屋はどちらですか?」と聞いてくる。言葉は丁寧だったが、剣呑な様子がうかがえてレンはつばを飲み込み、「こちらです」と階段へと先導する。
キャメロンの部屋には男性である養護教諭だけが入った。キャメロンが本当に男性であるかどうかたしかめると同時に、容体を確認するには適任だと学長が連れてきたのだ。
そして――。
「学長。彼女は――いや、彼は間違いなく男性ですよ。性自認がどうなっているかは知らないが、身体はどこにでもいる男性と変わりない」
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