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花姫は涙する

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「……ああっ、ようやくだ……! ようやく見つけた、余のいとしいつがいー……!」

後ろ手に、背後からアリーシアを力強く抱き締める人物がいる。

なつかしいその人物のまとう香りが、アリーシアにあの頃の幸せだったときを思い出させる。

「ーどれ程におまえに逢いたかったことか……! もう離しはしないー」

そのたくましい腕とぬくもり、かつて聞いた覚えのあるその声の人物の突然の来訪らいほうに、アリーシアはひどく涙する。

「……お願いです。帰って下さい……きっと貴方あなた様の人違いー……」

そう小さくこぼすアリーシアの声は小気味こぎみに震え、次第に嗚咽おえつが混じる。

(ー逢いたくはなかった……こんな、こんな変わり果てた私の姿などを見せたくはなかった……! それに……このお腹にはー……)


アリーシアの手はみずからの腹部へと伸び、自然と腹をかばう。まるで、そのはらに宿る小さな命のきらめきを守るかのように両手が重なる。

今のアリーシアは、日々の慣れない暮らしぶりに疲れ果て、つややかなはずのくれない色の髪はそのつやを失い、以前はなめらかであったはずのその両手さえ赤くひび割れ、明らかに無残むざんなりをしている。

そのはらに竜帝の御子おこを宿しているとは思えない程に、ひどせているアリーシア。

最早もはやー、そのわずかな体力さえ尽きる寸前のアリーシアの元へと現れた竜帝ジークバルト。

どうやら間に合った竜帝。

自然と涙がこぼれ落ちては、アリーシアを抱き締める人物の腕をらす。

もはや普通の人となんら変わりのない今のアリーシアは、山奥にひっそりと隠れ逃げるように暮らす。

花姫はなひめとしてのたぐまれな力。

自然をあやつり、その最たるものが人の生死さえもくつがえす。ーしかし、それは持てあます力ゆえに、最大の禁忌きんきとされるもの。

最高位の花姫としての象徴的なものとしてるだけの力。代々の花姫も使う事のなかった代物しろもの

その禁忌きんきを犯した花姫のアリーシア。

れのての今の自分。

全ての力を失ったとしても後悔などはしていないはずのアリーシアは、抱き締める人物の優しい声音こわねに、なつかしさといとしさが込み上げる分だけ、たまらなくみじめにも涙が止まらない。

(この方にはこの様な姿ではなく、あの頃の綺麗きれいな私でお逢いしたかった……この様なみじめな姿ではなくー……)

はらはらと涙するアリーシアには言葉が出ない。

込み上げる胸を突く想いが、アリーシアの言葉を詰まらせる。

最早もはや、何を言えばいいのかわからない。

かつてー。

花姫であった美しいアリーシアが暮らした素晴らしい森の隠れさと

外界からは遮断しゃだんされ、そのさとには普通の民はまねかれない限りは、入る事すら許されない聖域。

幸せであった花姫としてのアリーシア。

美しい花のたみだけが暮らす美しい隠れさと

もうあの場所には帰れない。帰ることすらゆるされない。帰りたいとも思わない。

この道を選んだのはアリーシア自身。

花姫であった頃の自分は最早もはやいない。花姫であったと云う事実だけ。

今やただのたみ

竜帝を愛するただの一人のたみ
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