優雅にざまぁ、ごめんあそばせ

おてんば松尾

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悲劇の悪役令嬢は回帰して王太子を人柱に

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✦11:00 AM~ 神聖なる場の混乱

神殿の奥深くに、真新しい「龍祈殿」が静かに佇んでいた。
重い扉がゆっくりと開くと、冷たい石造りの空間が厳かな気配とともに私を迎え入れた。
中央には白く丸い台座が据えられ、その表面には龍の鱗を思わせる細やかな模様が施されている。
正面には巨大な龍の石像が堂々と鎮座し、鋭い眼光で集まった人々をじっと見下ろしていた。

堂内には百人以上がいると思われる。
みなの視線は、儀式の供物が置かれる台座の中心に向けられていた。

この1時間は、新たに建てられた龍祈殿の説明などがなされ、大神官がこの地に眠る龍神が、儀式によって土地の災いを鎮めるという言い伝えの話をする。そうして新たな時代へ向けて、祈りが形をなす。

……はずだった。

王太子レオンハルトが前へ出ると、場の緊張が高まる。

「聖女と呼ばれた過去?……まったく、笑わせてくれる。虚偽の言葉でアイラを傷つけ、民の信頼を裏切った。妊娠しているなどと、根も葉もない讒言で貶めようとしたその罪、決して軽くはないぞ」

彼は憎しみのこもった目で私を睨みつけた。

前回とは違うことが起こり始めた。

アイラはそっと王太子の袖に指先を添え、目を伏せたままその隣に立っていた。
その仕草は儚げで、まるで今にも倒れそうな小鹿のようだ。

「私が王太子殿下の妃になることを妬んでいるのですね、……うっ……リディア様。お見苦しい限りですわ」

涙をこらえるようなその声の奥に、冷たい計算が潜んでいるのが私にはわかる。

「アイラは新しい聖女として立派に使命を果たすと言っている。護衛騎士との関係も、真っ赤な嘘。リディア、お前は生贄になるのが怖いのか? お前はもう聖女ではない。逃げられると思うな、この嘘つきめ!」

王太子は、私を叱責すると、労わるようにアイラの肩を抱いた。
彼はアイラの言葉を疑うことなく受け入れていた。
まるで意志を奪われたかのように、たやすく彼女の手の中で操られている。
それに気づく気配すらなく、その姿はどこか異様だった。

真実から目をそらすレオンハルトは、まさに愚か者であり、次代の国王としての器には到底及ばなかった。

「殿下……龍神様は、この儀式を心から待ち望んでおられます。神の声が私にははっきりと聞こえる。この儀式が完全になるには、元聖女のリディア様を捧げることが、神のお望みであり不可欠なのです」

冷淡な笑みを浮かべて、彼女は私を見下ろした。

「リディアは、この国の安寧のために犠牲となるべき存在だ。逃れようとしても、もう遅い。神の意志からは誰も逃れられないのだ」

私は唇を固く結び、視線をまっすぐ前に向けた。

そのとき、張り詰めた空間に突如、鋭い音が響き渡った。

扉が勢いよく開き、数人の修道士たちが慌ただしく駆け込んできた。彼らの顔には焦りの色が濃く浮かび、それぞれの手には新聞が握りしめられていた。

それは俗悪なゴシップ誌だった。世俗の噂を集めた醜悪な紙面。

神殿は一瞬でざわめき立った。

「な、何事だ……!」
「儀式の最中だぞ!」

神官たちは互いに顔を見合わせ、列席者たちの間から困惑の声が上がる。壇上の王太子は眉間に深い皺を寄せ、苛立ちと不快感を滲ませていた。

若い修道士が駆け寄り、王太子の前にひざまずき、震える声で叫んだ。

「この記事をご覧ください。神殿の名誉を傷つける、根拠のない讒言が書かれています!」

その誌面には信じがたい見出しが並んでいた。

「……来たわね……」私は表情ひとつ変えず、心の奥で静かに笑みを浮かべていた。

今朝、仕掛けとして渡した資料が、こんなにも早く世に出るとは。
さすがは下世話なタブロイド紙だ。悪事のにおいには実に敏感で、思惑通り、神殿の醜聞を暴く火種を作り出していた。

『神官たちは“聖なる金庫”で私腹を肥やしていた!』
『祭壇の裏に隠された裏金ルートと高級ワインまみれの晩餐会』
『“神の選定”は茶番だった!? 儀式の人選は金と権力で決まっていた』

紙面には大神官や聖職者たちの写真が並び、神殿の裏側が赤裸々に暴かれていた。

信者たちの献金は神殿の修復や孤児の救済には使われず、一部の神官は屋敷の改築や私的な旅行に流用していた。儀式の犠牲者も水面下で“取引”されていたというのだ。

『“神の声”を装い人事を操る聖職者たち。これは信仰か、それとも欺瞞か』

煽るような文面。
この紙面を見た民衆は、放ってはおかないだろう。
私はそう確信していた。

今頃、王都の街ではこの号外を手にした民たちが、神殿への怒りを爆発させているはずだ。
あの資料を渡したのは今朝だったのに、もう紙面となってばら撒かれているなんて、さすがタブロイド紙。動きが早いのは、下世話な噂に飢えた彼ららしいわ。

私はただ心の中で、冷ややかに笑った。
計画通り、この火種は着実に炎を広げる。

アイラの笑みは消え、王太子は誌面に目を落とし表情を硬くする。
龍祈殿は騒然となり、動揺が一気に広がった。

大神官が慌てて壇上に進み出る。額には冷や汗がにじみ、手は震えている。視線を泳がせながら、言葉を探すが声は震えて出てこない。焦りが動作の端々から滲み出ていた。

「殿下……これは……!」

神官たちは青ざめ、囁き合い視線が交錯する。

「こ、このようなことが民衆に知られたら……」
「いや……事実ではないだろう。でっち上げだ、そうに違いない」
「神殿の内部の者が漏らしたのか……」

誰が何を知っているのか、怯えと不信感が広がった。中には腰を抜かして壁にもたれかかる者もいた。

その混乱の中、王太子レオンハルトは誌面から目を離さず、唇を強く噛み締めている。その目には怒りの色が燃えていた。

「……どういうことだ。誰か説明しろ」

苛立ちを込めた声がその場の空気を締め上げる。

「こ、これは……すべて、元聖女であるリディアがしでかしたことなのです……!」

大神官は声を震わせながら叫び、私を指さした。
顔面は蒼白で、額には脂汗が滲んでいる。
まるで自らの罪を必死に隠すかのように、タブロイド紙に暴露された一連の不祥事を、無理やり私の仕業に仕立て上げようとしていた。

「彼女は神殿の内情に通じておりました。裏金の流れや、儀式の選定に関わる不穏な噂も、すべて彼女が……」

アイラが鋭く声をあげた。
「そうですわ!」

場の視線が一斉に彼女へと向けられる。

「リディア様は……悪魔に取り憑かれているのです! かつて聖女と呼ばれたその身に、今や穢れた闇が宿っているのが見えます!」

わざとらしく胸に手を当て、震える声で続ける。

「だからこそ、神殿の秘部を晒し、儀式を台無しにしようとしているのです……。こんな者を聖女として崇めたことが、神への最大の冒涜ですわ!」

神官たちもアイラの言葉に同調するかのように頷き始めた。

「そうだ、あの女はおかしい……」
「最近のリディアの言動は、常軌を逸していた……」
「まさか……悪魔憑き……」

疑念と恐怖が混ざり合い、ざわめきは怒号へと変わっていく。
まるで彼ら自身の罪を覆い隠すための叫びのように。

「……やはり、お前だったのか……リディア……」

王太子レオンハルトの声は怒りに震えていた。
彼の手にはタブロイド紙が握られ、額には憤怒の皺が刻まれている。
その目に宿るのは、真実を見抜く冷静さではなく、感情に流されたままの愚かな怒りだった。

私は驚いて、目を細めた。

(なんて……馬鹿なの……呆れるわ)

王太子の言葉は続く。

「神殿を貶め、民を欺き、儀式を混乱させた……お前のやってきたことは、裏切りだ!」

まるで子供のような断罪。大神官やアイラの言葉を鵜呑みにし、疑いもせず、真偽を問い直すことすらしない。
その姿は、かつて敬意を抱いた「未来の王」の面影とはまるで別人だった。

(この男に、国を導く資格はない。こんな程度で“真実”を見極めたつもりなの?)

アイラが伏せた目元で、密かに勝ち誇る笑みを浮かべる。
その演技にすら気づかず、彼は忠実に操られるだけの哀れな操り人形だ。

私は何も言わなかった。言葉を尽くすだけ無駄だった。

(……滑稽ね、レオンハルト。あなたが最も信じるべき者を、自ら突き放すなんて)

信じたいものだけを信じる者たちに、真実など届くはずもなかい。
もはや、私が何を言おうが、すべての罪は私に押し付けられ、処刑という筋書きから逃れることはできないのだろう。

結局、真実など誰も望んではいないのだろう。
必要だったのは、憎しみの矛先。祭壇に捧げる生贄。

「新しい神殿の人柱として選ばれし者が、その命を神に捧げる」 

大神官の声が、石造りの神殿に低く響いた。

私は何も言わなかった。
祈りも、叫びも。ただの一言すら口にせず、石の階段を静かに上り、冷たい台座の中央へと膝をつく。

「死を恐れるな。神と一体になるための聖なる儀式だ。さあ、行くがいいリディア。これこそが、真の信仰のかたちなのだ」

そして……私が人柱となる正午を迎える。
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