上 下
293 / 634
第十四章 追録:黒豹は闇夜に歩く

1

しおりを挟む
「ぬいぐるみですか」

頼み事があるからと呼ばれて行ってみれば、長い
まつ毛の奥からあの金色が覗く黒い瞳を輝かせながら
ユーリ様は上目遣いでそんなお願いをオレにする。

「はい!私が抱き締めて眠るのに使うので、両手で
抱えられるくらい大きい物がいいです。種類は別に
問いませんので。お願いしますシェラさん!」

犬でも猫でもウサギでも。

大人びた姿でそんな子どもじみた物を可愛らしく
ねだられてしまうとぬいぐるみではなくオレの方が
ユーリ様を抱き締めたくなってしまう。

今夜はリオン様と共寝をする予定だから、どうやら
それに備えたいらしい。

可愛らしい発想に思わず笑みがこぼれた。

・・・そんな事をしてもあの殿下には無駄な抵抗だと
思うんだが。

だけどせっかくのお願いだ、その望みを叶えない
理由がない。

ちょうどさっき公国に到着したリオン殿下やエルと
情報のすり合わせをして、殿下やユーリ様が晩餐会に
出ている間に今度はオレがバロイ国へちょっと様子を
見に外へ出る予定だ。

ぬいぐるみの一つくらいその間に準備するのは造作も
ない。

晩餐会にオレは出ずに明日の帰国に向けた準備をする
と話せば残念そうな顔をしたユーリ様に、今度は
ダーヴィゼルドでオレが作ってあげた髪型にして
欲しいとねだられた。

あんな些細な取るに足らない日常の世話を覚えていて
くれたのかと思うと心が震えるほどの喜びを感じる。

愛しいオレの女神。

そんな想いを込めながら丁寧に髪を結っていく。

オレの指がその白いうなじや耳に触れるとくすぐった
そうに僅かに身じろぎながらも我慢する、その様も
たまらなく愛おしい。

予定外にリオン殿下のバロイ国滞在が長引いた
おかげで、オレとユーリ様が二人で過ごす時間が
増えた。

その濃密な時間はダーヴィゼルドの時以上だった。

自力では出られないベッドに入れられて、むすりと
不服そうな顔で両手をオレに伸ばす様は不満そうに
少し尖らせた形の良い唇も愛らしく、その可愛らしい
姿はぜひレジナスに自慢しなければと心に刻んだ。

湯をもらい部屋に戻った時、無防備にベッドの上で
すうすうと寝息を立てて眠る、気を許したユーリ様の
寝顔をよく見たくてベッドの上に乗り上げてそっと
その天使のような寝顔を見降ろせば、オレの濡れ髪
からしたたった雫が白く柔らかな頬に落ちる。

そうするとまるで朝露が降りた早朝のバラのような
瑞々しい美しさに、ついその体をオレの両腕の下に
置くと時間を忘れて魅入ってしまった。

それに、薬花へ加護を付けたあの朝。

早朝ながらも準備のためユーリ様を起こそうと柵付き
のベッドを覗き込んだ時、寝乱れた髪を整えようと
伸ばした手をおもむろに掴まれた。

寝ぼけているのか、うっすらと微笑んでオレの指を
まるで赤子のようにその小さな手できゅっと掴んで
離そうとしない様子に胸が苦しくなるほどの愛おしさ
を感じる。

腹の底に昔からずっと残って渦巻く、自分でも
どうしようもない昏い気持ちや感情はユーリ様と
一緒の時を過ごすほどに凪いで薄れていく。

だけども、それに反比例するように今度はユーリ様に
対しての気持ちが溢れてくる。

もっとオレを見ていて欲しい、もっとオレを求めて
欲しいと渇望するような切ない感情が自分の中にも
人並みにあったことに驚かされる。

それはユーリ様に出会わなければ一生気付かずにいた
感情なのだろう。

オレの中には魔法特性そのままに、他者に対する
攻撃性や憎しみの気持ちしか心の奥底にないと思って
いたのに、まだ人間らしく愛情を感じる心も残って
いたのだと気付かせてくれた。

その感謝と愛しいと思う気持ちを、機会があるたびに
言葉を尽くして伝えるのだがなぜかユーリ様には
それが一向に伝わらないのが不思議だ。

「心よりお慕いしておりますよ、オレの女神。」

敬愛と恋慕の情を込めて伝えても、むしろオレの
正気を疑われる。

老若男女全ての者が引き寄せられるように寄って来る
オレの笑顔で見つめても、なぜかパチクリと目を
瞬いては

『大丈夫ですかシェラさん、私が何か別の物凄く
いいものに見えてるんじゃないですか?私のこと、
ちゃんと見えてます?』

と心配される始末だ。

・・・魔導士団長に見つめられたユーリ様は頬を赤く
染めて固まってしまうとユリウス副団長に聞いている
のに、なぜかオレの微笑みではそんな事がない。

これでは伴侶になりたいと申し出ても断られてしまう
のではないか?

ふとよぎったそんな考えに、すっかりその事を言う
タイミングを逃してしまった。

それでもユーリ様の側からは離れ難い。

一体どうすればオレの伝える言葉も気持ちも本当だと
分かってもらえるのだろう?

ずっとお側にいて愛を囁き続ければいつか分かって
くれるのだろうか。

悩みながらモリー公国の城下で手に入れた大きなクマ
のぬいぐるみにオレの髪と同じ色のリボンを結ぶ。

ぬいぐるみの目があまりかわいくなかったので、
それを別のものに付け替えればユーリ様の庇護欲を
誘いそうなつぶらな瞳のクマになった。

リオン殿下と共に晩餐会に出席していてユーリ様が
不在の部屋のベッドの上にそれを座らせる。

それから、こちらに来てからユーリ様が好んだ香りの
香油と同じ香りの香水もベッドへと振りかけた。

ルーシャ国から転移魔法を使って現れた癒し子として
歓迎を受け、今夜の晩餐会でもその力を使うユーリ様
はおそらく疲れて部屋へ戻ってくるだろう。

その時に少しでも安らげるようにとせめてもの
心遣いだ。

・・・さて、この後は。

さきほどリオン殿下やエルとも話し合い、癒し子が
突如としてモリー公国へ現れたと知ったバロイ国が
どんな様子か見ておこうということになっていた。

その反応次第ではリオン殿下は更に皇太子殿下へ
助言を与えたり、オレ達の帰りの行程にも支障が
出ないように対策を取るつもりだ。

オレが行って見てきますよ、と申し出た時に殿下は

「血を見るような事はしてきてはいけないよ。もし
そんなことをしたら変なところで勘のいいユーリは
きっと気付くから。」

そう忠告してきた。

バロイ国に滞在していた間の子どもじみた嫌がらせの
あれこれはエルから全て聞いている。

それを初めて聞いた時は、やはり首を取ってきた方が
いいのではと思った。

毒に精通した権威主義の者など厄介でしかない。

しかもそれが嫉妬深く権力を持った女となれば
なおさら面倒だ。

しかしオレが自分の感情のままに動くことで殿下の
これからの計画に狂いを生じさせることも、ユーリ様
の意向から外れることも良くない。

「・・・血を見なければ良いのでしょう?」

一応そう確かめた。するとすかさず、

「シェラザード様、毒虫の捕獲器がある場所と花粉で
かぶれる花が栽培されている温室を教えます。危険
なので

エルが素晴らしい提案をしてくれた。

「有益な情報に感謝しますよ。ちなみに参考までに、
王宮の水回りはどうなっていますか?」

オレの問いにエルは淀みなく答える。

「水源は全部で3つ。大河の上流に一番近いものが
王宮内での主要な水回りに利用されています。ここに
細工をされると王族以外の使用人や牛馬まで被害が
出ます。第二殿下の宮殿に近い水源は殿下の専用の
ような物ですので、そちらは何かあっても王宮中が
騒ぎになることもないです。」

なるほどと頷けば、リオン殿下は呆れたように言う。

「君達、あんまり僕の前で不穏な話をしないでくれる
かな?これからユーリと一緒に晩餐会だというのに
何をやらかすのかと気になって仕方がない。」

「殿下、ご心配なく。もし今夜バロイ国で何か起きた
としてもそれはただの不幸な事故でしかありません。
たまたまオレが足を運んだ夜に起きた偶発的な出来事
なのですから、殿下が気に病むようなことは一切
ございません。ですからどうぞユーリ様との宴席を
気兼ねなく楽しんでお過ごし下さい。」

そして今。

モリー公国とバロイ国を隔てる大河の前にオレは一人
立っている。

前から調べていた通り、今オレが立っているここが
一番川幅が狭く中洲もあって渡りやすい。

頭上を見上げれば暗く輝く星々。月はその姿を
隠している。今夜は新月だ。

目を閉じて周りの気配を探ってもオレだけだ。

静かに呼吸を整えて闇夜に身を置けば感覚は
研ぎ澄まされていき、まるで自分が一匹の獣に
でもなったように感じる。

そのまま右手を振って滑るように取り出した魔道具に
魔力を行き渡らせた。

充分に魔力がみなぎった魔道具をもう一度、今度は
大きく振ればそれはヒュンと軽やかな音を立てて
しなった鞭の先が中洲の樹木の一つに絡みつく。

そうしてモリー公国の河岸から中洲へ、中洲から
バロイ国側の河岸へと渡れば後は王宮に向かうだけ。

河岸にある集落の家の一つから馬をこっそり借りる。

その馬で闇夜の中を駆ければ、まるで自分が夜の闇
に溶け込んで一体化したかのように気分がいい。

さて、ユーリ様に無礼を働くバロイ国の第二殿下とは
どんな者か。

オレは一路バロイ国の王宮を目指して馬を走らせた。









しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

ただ、あなただけを愛している

恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,698pt お気に入り:259

隠れジョブ【自然の支配者】で脱ボッチな異世界生活

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:631pt お気に入り:4,044

【長編版】婚約破棄と言いますが、あなたとの婚約は解消済みです

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:4,118pt お気に入り:2,189

乗っ取られた令嬢 ~私は悪役令嬢?!~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,931pt お気に入り:115

隻腕令嬢の初恋

恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,059pt お気に入り:101

処理中です...