白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第三話「来訪者来たりて」 その六

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 寝床で丸くなる水龍のように、マリアは薄い掛布一枚を一糸纏わぬ身体に乗せて寝台に伏せっていた。
 ふて腐れているのだ。
〈マリア、起きている?〉
 彼女の目に前に、表示窓が浮かび上がる。
 マリアが受話承諾をするまでもなく一方的に通信回線を開くことができる相手など、そう多くはない。
 そして音声のみの表示窓の向こうから聞こえてくる静かな声は、マリアにとっていくつもの意味で同輩たる女公爵だった。
「起きているわよ、陛下に放り出されたから」
 軽い口調で言ってみても、不満は隠しきれない。
 後宮での揉め事を極力減らすべく、対女龍族用夜戦兵器としてレクティファールを調整した彼女であるが、それだけにレクティファールの一番の被害者でもあった。
 良い時間に放り出された結果、妙な高揚感と気怠さ、そして不満だけが彼女の中に燻っている。
〈しょうがない〉
「わたくしたちの立場ではどうしようもないものね、まったく、忌々しいこと」
 身体を回して天蓋を見上げ、マリアは表示窓の映像を開いた。
 どこか屋外にいるらしいアナスターシャの姿が浮かび上がる。
〈――瞳、銀環が出ている〉
「あらそう、そんなに入れ込んでいたのかしら」
 マリアは自分の瞼に触れ、笑みを浮かべてみせる。
 一定の年齢を超えた龍族が瞳に浮かべる銀の環。龍眼よりも恐れられている代物だが、それを見た者は大抵の場合死んでいるので伝承として残るばかり。
 アナスターシャも、母が父の死の際に浮かべているのを見たことがあるだけだ。彼女自身は、まだそれを浮かべることができない。
「それで、何の用? わたくしもいつ呼集が掛かるか分からないんだけど」
 そう言いつつも、マリアは自分の出番などないと思っていた。
 この国に近付きつつある両親やこれまでの龍公爵を宥める役割をするのだろうと勝手に思い込んでいる。
 それでも、レクティファールから直接依頼されれば少しはこの気分も晴れるのではないか、と期待していた。
「侵略者もあと少し女の機微を理解できれば好感が持てるのに」
〈持ったところで、結局叩き潰すだけ〉
「その通りよ、だって陛下の敵だもの」
 マリアはあっけらかんと言い切って見せた。
 彼女はある意味、皇国で最も危険なレクティファール信奉者であった。
 レクティファールという君主を最高の皇王にしようという野望を持ち、レクティファールという青年を自分ともっとも相性の良い――身体的にも精神的にも――男にしてしまった。
 後宮の妃たちさえ、基本的にはマリアへの不満は口にできない。孫娘であるフェリスが愚痴をこぼし、文句を言えるのは、彼女がマリアの身内であるからだろう。
 マリアを評して『忠実なる毒婦』であると述べたのは、彼女が惹起した妃同士の揉め事をレクティファールに丸投げされたフレデリックであった。
 彼はマリアが公爵を退くまで、彼女の引き起こした問題の後片付け専門家としての扱いを受け、マリアがケルブに爵位を明け渡してからはマリア対策本部長扱いをされた。
〈――変わった〉
「あなたもね、何が気に入ったの?」
 アナスターシャの背後を、装軌式の重機が通過する。雑音除去はされていても、その光景を見るだけで騒がしさを感じることができた。
「ねえ、皇王陛下の愛玩動物さん」
〈――――〉
 アナスターシャはじっとマリアを見詰めるだけで、その表情から感情を読み取ることはできない。
 マリアはただ、皇城の一部で囁かれている噂を口にしただけだったが、アナスターシャは違うことは違うという種類の人物だ。もしかしたら、幾らか真実が混じっているのかもしれない。
「たまに娘と入れ替わってない?」
 それもまた、皇城と後宮での噂の一部だ。
 双子と見紛うばかりの容姿を持つふたりである。ある程度の魔導検査すら誤魔化すことができれば、入れ替わることも難しくはないだろう。
「猫の耳を付けて尻尾を付けてあの銀狼のお姫様と庭を駆け回っているのは、果たしてあなたの娘か、あなた自身か」
〈あなたには、関係のないこと〉
「ええ、その通り。わたくしは陛下に忠誠を誓った単なるマリアですもの。あなたが何を考えていようとも、陛下の意図を邪魔するのでなければ何をしたところで……」
 マリアは恍惚にも似た表情を浮かべていた。
 アナスターシャはそんな同輩の顔を見て、レクティファールはもしかしたら、龍族に対する最も恐るべき力を持っているのではないかと疑った。
〈皇剣〉には龍族の瞳が使われている。そこから分析して龍族に対する魅了術式を完成させたのではないか。龍という種族があまりにも多くの情報量を持っているために、実質的に不可能と言われてきたことだが、もしも二〇〇〇年前から演算を始めていたのであれば――そこまで思考し、アナスターシャは思索を打ち切った。
 マリアは単に、自分が仕える相手を延々と探し続けてきただけだ。
 人恋しさのあまりに船を沈めてきた水龍であるならば、考えられないことではない。
〈マリア、少し頼みがある〉
「なぁに?」
 アナスターシャは娘オリガに話しかけるように、ほんの少し気を遣って言葉を続けた。
〈さっき、陛下から、正式な辞令を貰った。陸軍大佐〉
「ふうん」
 珍しいものではない。
 マリアも必要があれば、海軍の将官として軍装を纏うことがある。アナスターシャは軍務経験が皆無に等しいため、最高でも大佐だ。
 アナスターシャは静かな声でマリアに事情を説明した。
 レクティファールと合同で作った〈アナスターシャ=レクティファール重工業〉――通称アンリ重工。命名、アナスターシャ――が、軍からの依頼で試作品の超重金属砲弾発射用大陸間弾道砲〈オリガ〉を実戦投入することになった。
 しかしものがものだけに、技術者や物資が不足している。そのため、大口径重砲の扱いに慣れている技術者と、それ用の補給物資を扱っている商会を紹介して欲しいというものだった。
「さっきから後ろに見えているのはそれね、壁かと思ったわ」
〈わたしが、背負うから〉
 龍の姿のアナスターシャが背負うほどの大きさともなれば、その巨大さはマリアにも正しく伝わった。
 そんな代物を造っていたことに今まで気付かなかったのが不思議なほどだ。
「そんなものまで持ち出して、あの人は……」
 マリアは頭痛を覚え、額を押さえた。
 レクティファールはどうにも手加減というものを知らない。
 一度力を振るうと決めたなら、おそらく許されるぎりぎりまで力を使うだろう。
〈殴り合う、そう言ってた〉
「魔導砲弾でもない単なる超重金属砲弾を撃ち込むんだから、そりゃ殴り合いかもしれないけど、男ってどうしてこう、ときどき莫迦なのかしら」
〈莫迦じゃなければ、あんなにも可愛く――あ〉
「あら? あらあらあら?」
 マリアの顔が満面の笑みへと変化する。
 大してアナスターシャの方は、目を伏せて口を噤んだ。
「――男の子欲しかったって言ってたものね、そういうことにしておくわ」
 マリアは余裕を見せて笑みを浮かべ、アナスターシャはこれ以上口を開いてなるものかと黙り込む。
「出せるだけの資料で良いからわたくしの端末に送っておいて、技師の方は今からでも手配するわ」
〈――ん〉
 頷き、通信を切ろうとするアナスターシャに、マリアが言う。
「あなた楽しそうよ、ターシャ」
〈楽しい、から〉
 その言葉を最後に通信が切れ、マリアは薄明かりの寝室にひとり取り残される。
 彼女は少し驚いた表情を浮かべ、呟いた。
「――あんな顔したターシャなんて初めて見た」
 何処か得意気な笑みを浮かべた同輩。
 それが自分に対する優越感ではないことを、マリアは願うばかりであった。
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