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第四章:万世流転編
第十三話「神々の座」 その三
しおりを挟む『瑠子、貴様は本当にヒトと共に生きるつもりか?』
神々の座で、多くの同族を従えた父はそう言った。
数多の第二世代神を従える権能を持ち、その神々によって地上の加護を司る父神は、美しい姿と心を与えられた娘が地上に残った同族の末裔の元に嫁ぐことに最後まで反対していた。
袂を分かった同族への隔意がなかったとは思えない。しかし、それだけではなかったのだと今なら分かる。
自分は、あまりにもヒトを理解していなかった。
『彼らは悪ではない。だが、善でもない。貴様が思うほどヒトとは単純なものではないのだぞ』
地上の同族の青年は、人々の尊敬を一身に集める高潔な存在だった。ヒトと交わったことで神としての力の多くを失っていたが、それでも地上のあの八つの洲を統治するに足る力を持っていると思った。
『父上、妾は空の神と地の神を繋ぐ存在となりたいのです。今ここにおられる諸兄も、ヒトなくしては生きられぬ身。我々が我々として生きるためには、誰かが地上との縁を作らなくてはならないのです』
そういくら名分を並べようとも、自分はただ地上の青年の下に嫁ぎたいだけだった。神々の座から見る地上で、人々の先頭に立つ彼をずっと見詰め続けてきた。
彼の苦しみも悲しみもずっと見守ってきた。その支えになりたかった。
『――よかろう。だが、そうなれば貴様は地の神となり、この座に戻ることはできなくなる。神であるが故に神に救いを求めることは出来ず、ただ己のみを頼るしかない。それでも行くのか?』
祖の神としての力を持つ父は、もしかしたら娘である自分の未来を見通していたのかもしれない。だが、そんな父の言葉に、自分は疑問も不安も抱くことなく頷いていた。
その瞬間、父の目が悲しみに彩られたような気がしたのに、あのときの自分はそれに気付くことができなかった。
自分は不孝者だったのだ。だから、あれほど辛く苦しい目に遭った。
『瑠子、弟たちも決して君を憎んでいる訳ではないんだ。ただ、座の同胞たちがなんの苦労もなく人々から糧を得ていると思い込んでいる。ただ、それだけなんだ』
地の同胞は、ヒトと交わることで多くの力を失っていると聞いた。
しかし、ヒトから見れば十分に強大な力を持ち、その力を用いて人々を守っていた。だが、その感謝の念はヒトと交わった地の同胞たちにとってさほどの力とならず、大半はその背後にいる座の同胞たちに向けられていた。
人々は地の同胞を、座の同胞の劣等存在だと思っていた。ヒトの神話は地の同胞が地上に残った理由を、争いでの敗北故と記していた。確かに座と地の神々は争うことがあった。
地に降りて人々を導くべきという者たちと、天の座にあって人々に加護を与えるべきという者たちの争いだ。
しかし、そこに優劣などはなく、互いの意見が正しいことも分かっていた。どちらが欠けても自分たちは滅びる。人々は神々の加護を失っても多くの苦難を乗り越えて生きていくだろう。だが、神々は人々を失えば生きてはいけない。
故に、八洲の神々は袂を分かった。
地の同胞は座の同胞を守るために自らの敗北を神話とし、人々の信仰が座へと向かうよう仕向けた。そうすれば座の同胞たちが糧を失うことはないと考えた。
座の同胞は地の同胞を守るために、同胞に従う人々に多くの加護を与え、同胞に敵対する者に災厄をもたらした。そうすれば人々は地の同胞に従うことを運命と認識するだろうと考えた。
そうして暫くの時間が過ぎ、地の同胞たちの世代交代が進んだ。
その間に八洲の人々は爆発的に増え、『国』と呼べるものが出来上がった。地の同胞はその国の統治者となりつつあった。瑠子が地の同胞に嫁いだのは、その頃だった。
『妾は気にしておりませぬ。お前様が信じて下さればそれで良いのです』
世代交代が進んだことで、地の同胞の中には拭い難い座への敵愾心が育っていた。それは加護を受けられない夫の一族に顕著であり、それは敵意となって自分に向けられた。
それでも自分は楽観していたのだ。
嫁いだばかりであればしょうがない。時間を掛けて地と座の信頼を修復することこそ自分の役目だと思っていた。
そんなある日、夫が戦に出た、
大陸に住まう巨神を崇める者たちとの戦いだった。
戦いは一年も続き、自分はずっと夫の帰りを待った。愛し合い、心身の繋がりを得たことで、夫が無事であることは分かった。泰然として夫を待つことが后としての役目だと思っていた。
だが、それを傲慢と受け止める者たちもいた。
夫の一族は人々の先頭に立って戦い続けていた。故に、犠牲も少なくなかった。
そんな中、夫の末弟が戦いの中で命を落とした。繋がった夫から漏れ出る悲しみは冷たく、重く、我が事のように胸が痛んだ。それでも、人々の前では毅然とした態度を崩さなかった。
思えば、それが夫の一族の怒りを買ったのだろう。
悲しみは悪ではないと、そのときの自分は知らなかった。悲しみも苦しみも必要なことなのだ。それを無理に覆い隠すことが正しいこととは限らない。
『義姉上は、我が弟の死を喜んでいるのではないか』
寝所に乗り込んできた義弟たちは、そう詰ってきた。
『そのようなことはありませぬ。あの子は妾にとっても可愛い弟、その死を喜ぶなど……』
『なれば、弟を生き返らせてみよ。座の神であれば、人ひとりを生かすことなど容易かろう!』
ヒトであれば、或いは可能だったかも知れない。
地にいる神の中で、自分はもっとも大きな力を持っていた。座から降りたとはいえ、未だ世代を重ねていないのだから当然だ。
しかし、義弟は同胞だった。
神に神を生かすことはできない。出来るとするならば、座にいる父だけだった。その父は、地の同胞を直接救うことなど考えもしないだろう。娘である自分さえも救わぬと宣言したのだ。遙か遠い縁である義弟を救う理由など、あるわけがない。
そう正直に告げたとき、義弟たちは獣のような声を上げて襲いかかってきた。
相手は力を失ったとはいえ同胞である。その数の差もあって抵抗などできようはずもなかった。
彼らは座の神々への敵意を剥き出しにしていた。それは人々との交わりで同胞たちが得た、ヒトらしさの一面だったのかもしれない。
どれだけ泣き叫んでも、助けを求めても、決して救いはなかった。
恐怖と痛み、そして後悔の中で悟った。
父が見ていた未来とは、これであったのだと。
何度父を呼んでも救いは訪れなかった。さもしく義弟たちに許しを請うこともあった。だが、許されない。彼らは座への恨みを義姉ひとりに向けていた。
狐神であるからと獣じみた交わりを要求されることもあった。この上なく不浄である行為も要求された。夫との交わりでも経験したことがないようなこともあった。
やがて、夫が帰還すると知らせがあった頃、ようやく自分は解放された。
義弟たちは兄に后の不貞の証言を並べ立てた。それは宮城の人々の口の端に乗って広がり、やがて夫もそれを信じた。或いは、そう見せかけるしかないと悟ったのかもしれない。
『瑠子、お前を封じる』
そう告げたときの夫の顔を、今も覚えている。
穢れきった后を蔑むと同時に、ほんの僅かな悲しみを抱いていた。あの悲しみの正体が何であったのかは、もう永遠に分からない。
◇ ◇ ◇
「瑠子?」
聞き慣れた声に、瑠子は意識を浮上させた。
後宮の一角に造られた真子の部屋。
故郷八洲と同じ様式の調度品が並び、部屋の半分は一段高い床に畳が敷き詰められている。縁側からは良く整えられた庭園が一望でき、皇妃たちがお茶会と称して集まることも少なくなかった。
『真子、どうかしたのかえ?』
「ううん、何でもないけど、瑠子が泣いているような気がして……」
眠っていたのかもしれない。
身体はすでになくとも、眠れば夢を見る。
『そう?』
この分つ身は、瑠子の過去を知らない。幼い頃から聞かされた悪神としての瑠子は知っていても、それが事実ではないと信じている。
しかし、瑠子は真子に真実を語ることができなかった。
幾千年の果てに得た理解者を失うことが恐ろしかったのかもしれない。
何度も話そうとした。しかしあのときの夫のように自分を蔑むのではないかと考えてしまい。その機会を失ってきた。
「ううん、それならいいの。でも、レクティファール様には瑠子のことをちゃんと話さないと……」
『――――』
真子にとってみれば、夫に隠し事をすることは裏切りに思えるのだろう。
それが可愛らしい女の嘘であれば笑い事だが、瑠子の存在はそんな軽いものではない。
瑠子が真子と同化している以上、レクティファールには瑠子を背負う義務と権利があった。
それに何よりも、瑠子には耐え難いことがある。真子がレクティファールに対してずっと罪悪感を抱き続けていることだ。
自分がいなければ決して抱くことがなかった罪悪感は、真子にはあまりにも重い。元々真子は、他人に嘘をつくことさえ考えないほど素直な性格なのだ。
兄によって隠され、俗世に交わらなかったためにあまりにも純粋な分つ身。瑠子は自分との対比を想像して、可笑しみさえ感じた。
『そろそろ、良い頃合いかもしれぬな』
「じゃあ!」
真子が喜びの声を上げる。
畳の上で狐の尾が揺れた。
『次の夜。共に真実を告げよう』
瑠子は自分の声が震えているかどうか、分からなかった。
ただ真子が心の底から喜んでいることを理解し、胸の奥に鋭い痛みを感じた。
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