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第四章:万世流転編
第十五話「八洲の園」 その五
しおりを挟む「やあ、執政殿」
御所に隣接する執政府の廊下で、道雅は低い声に呼び止められた。
声を聞いた瞬間に顔を顰めていた道雅だが、辛うじて表情を取り繕って振り返ることができた。
「これはこれは、議長殿」
諂うように頭を下げた道雅は、その人物の細袴の足先を一度見てから顔を上げた。こいつの爪先を思い切り踏んでやりたいと思った。
そんな道雅の内心を知ってか知らずか、議長と呼ばれた男は元々細い目を尚細くして笑った。まるで戯画に見る性悪狐のようだと、道雅は顔を合わせるたびに同じ感想を抱いていた。
「よしてくれ執政殿。我々はあくまで天子様をお支えするのみ、政を取り仕切っている君に頭を下げられる理由などない」
この男は五位以上の位階を持つ諸侯で構成される議会――公議所の議長を務めている、名を戸瀬鏡野守定満という四十を超えたばかりの男だ。
議会中に幾度も公議所に足を運んでいる道雅にとってみれば、嫌になるほど見飽きた顔である。
「して、某に何か御用でしょうか?」
道雅は定満に何の叛意も抱いていないと言わんばかりに腰の低い態度を崩さなかった。瀬川が百年ほど前に戸瀬から離れた傍流の家だということを加味しても、道雅の態度はあまりにも諧謔染みている。
定満もそれを理解した上で、道雅に笑みを向けているのだ。
「先ほどの議案について少し打ち合わせをしたいと思ってね。ああ、そういえば君の都合を聞いていなかった。時間がないようなら、また日を改めるが?」
この腐れ狐が――道雅はその言葉を喉の奥で押し潰し、努めて温和な声音で答えた。
「まさか、議長殿に足を運んで頂いたのです。天子様のお召しでない限りお応えいたしましょう」
腹芸ばかり上手くなる自分に驚きつつ、道雅は定満を伴って執政府の廊下を進んだ。
せいぜい熱い茶でもてなしてやると思いながら。
「いや、なかなかどうして……私はあなたを誤解していたようだ」
祐筆が淹れた緑茶を眺めながら、定満は感情を窺うことのできない笑みを道雅に向ける。
金糸で縁取られた品の良い詰め襟は定満の痩身にはあまり似合っていないが、その違和感をねじ伏せるだけの力が定満にはある。
ただの痩せぎすではない。この国の中でも有数の力を持つ諸侯なのだ。そんな当たり前のことを改めて感じさせる定満の仕草に、道雅はひどく不機嫌になった。
ただ、それを表に出すほど幼くはない。
「誤解とは? 公議所に誤解を与えるような言動をした記憶はありませんが」
「ああ、言葉が過ぎたようだ。ただ、そうだね、良い意味で誤解を裏切られたと思って頂ければよろしい」
定満は茶碗を置き、茶菓子として供された金箔入りの羊羹を一口切り分け、口に運ぶ。その仕草は時として田舎侯家と言われる瀬川では見られないほどに洗練されていた。
「私は君がもう少し急いてことを運ぶと思っていた。かしこき辺りと大陸を後ろ盾に持つ君だ。その気になればこの国を武力で制圧することもできただろう」
それは道雅が実際に一度は志向したことだ。
この国を根本的に変えるには、一度なりと巨大な力で既存権力を破壊しなくてはならないと思っていた。しかし、それは彼を執政に補した〈帝〉の意志とは相容れなかった。
それを実行するのが権威であろうと権力であろうと、急激な変化は今以上の歪みを国に残すことになる。
その歪みによって国土が荒れた皇国がそれを許すはずがなく、それは〈帝〉の意向と合致した。
「この瀬川道雅、生まれたときが十年ほど遅かったと思っています。あと十年早ければ、議長殿が今言った通りにこの国を掌握していた自信があります」
「それは、確かに執政殿の力であれば可能であったろうな。私も戦場の露と消えていたか、それとも俗世から押し出され、座の神々を崇める神職に追われていたか」
定満は楽しげに喉を鳴らした。
「だが、現実はそうではない。君が手にすることができなかった十年はこの国を現状のまま留めることを強要した」
各地の勢力がある程度纏まった近代だが、それ以上の勢力がこの地に現れる時間は与えられなかった。結局のところ、瀬川のようにもっとも巨大な勢力を後ろ盾に持った家が、最大の権力を握る構図となった。
「残念だよ、私もひとりの男としてそれなりに野心というものがあった。それを現実のものとして君と戦場で相見えることもなければ、もうひとりの執政殿と覇を競うこともできない。実に残念だ」
残念だと口にしながら、定満の表情は笑顔のままだ。
それが本心からの言葉かどうか、道雅は判断できなかった。
しかしそれがどんな心境から発せられたものだとしても、彼には関わりのないことだ。その時期はもう過ぎている。
「今からでも弓矢で以て語りましょうか? もっとも、そんなことをすれば某よりも大陸の帝弟陛下があなたの領地に龍を送り込むでしょうが」
「それは怖い。だが、やるでしょうなぁ、くくく……」
定満は心底楽しげだった。
自分の領土が焼き尽くされるかも知れないというのに、一切の恐怖を感じていないようだった。
実際、彼は恐怖など感じていなかった。もしもそのようなことになれば自分は真っ先に命を落としており、領地を心配することなどできないのだから。
「まあ、ちょっとした冗談の類いと思って貰えれば。それに、私には帝弟陛下にそれなりの忠義を誓っているのですよ」
「――それはそうでしょうね、あなたは帝弟陛下に嫁いだ真子様の縁類であられる。真子様が嫁がれた以上、帝弟陛下もまたあなたの縁者だ」
そう口にしつつも、道雅は定満が血の繋がりだけで誰かに忠義を抱くことなどありえないと思っていたし、それは正しい認識だった。
「縁者、ええ、確かにその通り」
(しかし、ただの縁に何の意味があるか)
定満は縁による繋がりでレクティファールに忠心を抱いたのではない。その力に対して膝を突くことを選んだに過ぎないのだ。
彼にとって、力そのものが忠誠の対象なのである。
だが、それを知る者は定満本人だけだった。
「議長殿は、これからの世をどう見ておられる?」
道雅の問いに、定満は小さく首を傾げた。しかし、何かを道雅に訊ねることなく答えを口にした。
「我々にとっては生き易く、民にとっては生き難い世になるのではないかな? 我々がどれだけ願おうとも、どれだけ血を流そうとも、兵を失い、土地を失い、果ては感情や自らの命を失おうとも抗えないものがある」
それを人は時代の流れと呼び、運命と呼び、或いは神の意志を呼ぶ。
しかし、この世界にはそれを覆すような存在がいる。それが誰であるのか、誰も知らないだけだ。
「なるほど」
道雅はそれ以上何も言葉にすることはなく、定満も同じように変わらぬ笑みを浮かべていた。
それが五分ほど続き、定満が何かを思い出したように別の話題を切り出した。
「そういえば、天子様が義弟君に何か贈り物をされたと訊いたが、執政殿は何か聞いておられるか? あの清貧を尊ぶ陛下が祝祭でもない頃に贈り物をされたと聞いて驚いたものだが……」
「贈り物……? それならば、帝弟陛下の側室が懐妊した祝いとして内々に〈天照〉の秘奥を贈られたとか。詳しいことは某にも知らされておりませんが、身内のことであれば仕方がないかと」
「なるほど、それならばわざわざお伺いするのも失礼か。私の方でうまく取り計らっておくとしよう」
定満は何度も頷いた。国家元首同士ともなれば、いくら身内であっても何らかの遣り取りがあれば目立ってしまう。それは憶測を呼び、往々にして碌でもない結果になる。
「ただ、〈天照〉の秘奥ともなれば私も人の子、興味が湧いてしまってしょうがない。執政殿も同じではないですかな?」
定満の言葉に道雅は曖昧に頷くのみに留めた。
興味がない訳ではないが、下世話な行動を取る自分の姿を思い浮かべてしまえば、そちらへの嫌悪感が勝る。
「〈天照〉に直接関わるものではないと聞いております。かつてあの艦を操った者たちが残した文化の残り香、とか」
「ふむ、ならば尚のこと気になるが、いと高き方々の文化というものを理解できるほどの見識は持ち合わせておらぬ故、諦めるとしよう」
「それがよろしいかと存ずる」
道雅が同意したことに満足したか、定満は残りの羊羹を切り分ける作業を始めた。
それを眺めながら、道雅はその贈り物の内容にほんの少しだけ思いを馳せた。
なお、それがかつての持ち主をして『HDD』と俗称され、〈天照〉士官居住区の私物記憶領域の奥の奥、思考鍵によって封じられていた記録媒体であることはこの時代の誰も知らなかった。
贈り主である〈帝〉でさえその記録の内容から義弟が持つべきだと判断したに過ぎず、本来の持ち主が現状を知ったら真空に身を晒すか有機反応炉に身を投じるか、つまり自ら命を絶とうとするようなものだとは全く考えなかったのである。
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