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第四章:万世流転編
第十九話「貴族の誇り」 その五
しおりを挟むその日、ウィーレン・ボルトという退役軍人は、立卓の中で硝子杯を磨きながら客席の一角を占める三人組を眺めていた。
食卓がふたつ、立卓が八席分という小さな店は、時間が早いこともあってその三人組の貸し切り状態で、ウィーレンとしては少しでも稼ぎが増えるのは歓迎するべきことだ。
「それでですね、そのときお姉様がくれた髪飾りがこれなんですよ! 綺麗でしょう?」
「そうですね。ええ」
ただ、馴染みの女性ふたり――かつての上官の娘とその親戚である近衛軍将官――と一緒に店を訪れた男を、彼は知らなかった。
どちらかの好い人なのかもしれないと考えたりもしたが、それにしては雰囲気に色気がない。全くないという訳ではないのだが、どう考えても元上官の娘であるアンヌがその色気を粉砕している。
(ふむ、お嬢さんには色恋は早いのかねぇ)
もうそろそろいい歳で、間違いなく婚約話のひとつやふたつ来ているはずだが、アンヌはそういったことに全く興味を示さない。
一度はこの店でお見合いじみた会食が行われたこともあったのだが、アンヌがひたすら『お姉様』の素晴らしさを語っただけで、その後話が進んだという噂は聞かない。
おそらく、駄目だったのだろう。
「大尉殿はお姉様のどこが素晴らしいと思いますか!?」
そう、今のように姉と慕う人物の素晴らしさを誰彼構わず訊ねるような娘なのだ、まともな感性を持つ男であれば遠慮したいと思うのは仕方がない。
アンヌがもう少し歳を取り、自らの人生を見つめ直すことがない限り、彼女に結婚の道は拓かれないだろう。
「そうですね、私の知る女性の中では一番軍装が似合っている人だと思いますよ」
「やっぱりそう思いますよね! この間出た乙女騎士団の写真集でも、お姉様は輝いていたんですよ! あ、複写見ますか!?」
胸元に手を入れ、写真を挟んだ学生証明書を取り出そうとするアンヌ。
ウィーレンはその様子に小さく溜息を吐いた。
(誰だか分からんが、またお嬢さんの婚期が遠くなるな)
アンヌが引っ張ってきたのだから、おそらくアンヌの知り合いなのだろう。ウィーレンは男の正体についてそう当たりを付け、同情の入り交じった視線を向けた。
だが、男はウィーレンの予想以上の人物だった。
「いえ、私も持ってますから大丈夫です」
(持ってる? 写真集を? あの限定三〇冊だとかいう稀覯本を?)
ウィーレンは抽選に打ち勝って写真集を手に入れたアンヌから、それを散々自慢されたことがある。立卓に座ってこの写真が素晴らしいとか、こっちの角度は少し甘いとか、甘味を食べながら色々批評していたのだ。
四半年後に発売される通常版も買うと意気込んでいたから、まだ限定版しか出回っていないはずだった。
「ちょ、レクト様!? わたしそれ聞いてませんよ!」
「いえ、皆がそれぞれの頁の自分の写真に花押入れて贈ってくれたんですよ。マリカーシェルの花押だけありませんでしたが」
レクト、と呼ばれた男が少し寂しそうな顔をすると、リア・マセリアのマリカーシェルが顔を伏せる。
「それは……恥ずかしかったからで……」
その表情に『女』を見付け、ウィーレンは少し驚いた。
鋭剣が女の形を取って歩いているような存在だと思っていた人物が、まるで普通の娘のように頬を染めているのだ、驚きもする。
しかし、アンヌはまったく別のことで驚いたようだ。
「え? お姉様の花押入り!? ちょ、ちょっと待ってて下さいお姉様! 今から寮に戻って写真集持ってきますから、花押書いて下さい!」
席を立とうとするアンヌ。
しかしすぐにマリカーシェルに肩を掴まれ、席に引き戻される。
「一度寮に戻ったら外出許可取り直しでしょう? 今日は諦めなさい」
「でも……」
今日は、と言いつつも、マリカーシェルに花押を書くつもりはなさそうだった。
おそらくこのまま誤魔化すつもりなのだろうが、果たしてアンヌを誤魔化しきれるのか。
(無理だろうな)
ウィーレンは確信していた。
ことマリカーシェルに関する限り、アンヌの記憶力は機人族にも勝る。
まず間違いなく、次に外出許可が出たときには、写真集を持ってマリカーシェルの家を訪れるだろう。
(しかし、ふむ……あの男のことは少し調べて見るか)
じゃあ、せめてこの複写にと迫るアンヌを見詰めながら、ウィーレンは昔の同僚に連絡を取ることにした。
◇ ◇ ◇
状況が少し変わったのは、アンヌが葡萄酒に手を出した頃からだ。
他国と違って飲酒に特別な規則のない皇国では、幼い子どもでも飲酒をする。
もちろん、出生時の診察によって、この年齢までは飲酒をしない方が良いという診断結果が誰にでも出されているのだが、それを守っている者が果たしてどれだけいるか。
ちなみにアンヌは士官学校に入ってから酒の味を覚えたが、酔うと面倒臭くなるという理由で同窓たちから酒を遠ざけられていた。
「アンヌ、ちょっと飲み過ぎたんじゃ……」
「だいじょおぶですおねえさま! でも聞いて下さいよ大尉殿!」
少し呂律が怪しくなっているが、アンヌの口調は強い。
その強い口調でレクティファールに迫った。
「お父様が最近手紙でですね、貴族の義務がどうと延々語るんですよ。マセリアはこの国のために生まれ、結婚し、子ども作り、次世代に家名を残さなければならないって!」
「それはそれは……」
レクティファールは苦笑するしかない。
彼の立場では、何の意見も示すことができない話題であった。もちろん、何か余計なことを言わないようにと、マリカーシェルが彼をじっと睨んでいるという理由もあるが、何より各貴族家の家風について皇王はそれを尊重するべきだと思っていた。
「わたしは結婚するならお姉様とします! 絶対に!」
「アンヌ!?」
マリカーシェルが慌て、心底困った風な表情でレクティファールを見る。
しかしレクティファールとしては、個人の恋愛に口を挟むつもりはなかった。
性別がない種族や、体外で子孫を作る種族などが居る皇国の婚姻法では、婚姻の条件に性別の項目はないのだ。同性であろうと然るべき審査を通過すれば結婚できるのである。
「そうですか、うん、よろしいじゃないですか?」
おそらく、レクティファールのその言葉は皇国の一般常識に照らし合わせてもそれほど不都合なものではなかっただろう。
そもそも問題がある恋愛だったり、他人の恋愛に色々嘴を突っ込むことが趣味の人物ならば違ったかも知れないが、大抵の人々は余所の恋愛を見守るのが美徳だと思っている。
「レクト様!」
しかし、マリカーシェルは鋭い声を上げてレクティファールを睨む。
失望を瞳に宿し、少しだけ涙ぐんでいた。
「え? 私ここで怒られるの? え? これ悪いこと?」
レクティファールは困惑した。
「お姉様? どうしたんですか?」
アンヌも困惑した。
そして――
「――少し体調が悪いようですので、ここで失礼します」
マリカーシェルはそのまま、店を出て行った。
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