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第四章:万世流転編
第十九話「貴族の誇り」 その後
しおりを挟む「追わないと不味いですよねぇ」
レクティファールは日頃から『あなたが乙女心を理解することを一切期待しない』と妃を含む嫁たちに断言されるほど、異性関係で色々問題の多い男である。
それが致命的であれば矯正などという話も出るのだろうが、レクティファールのそれは一種個性として見ることができる範囲であるため、皇王府も特に何らかの対応を取る予定はなかった。
もともと皇王というのは、他人の機微に敏ければ出来ない役目なのだ。歴史上そういった君主が居ない訳ではなかったが、大抵が自らの理性に押し潰されて悲惨な最期を遂げている。
もちろん、レクティファールの女たちはそれを良く理解していた。帝王学を修めた者たちが半数以上を占めるのだから、理解は深い。しかし、妃たちは揉め事が発生するたびにレクティファールを責めていた。責めずにはいられなかったし、そうすることが夫のためになるとも思っていた。
実際、レクティファールも自分の行動に問題があることは分かっていた。
だからこのときも、会計には少し多い貨幣を食卓に置き、マリカーシェルを追い掛けようとした。これも成長の証だろう。
「お騒がせしました」
そう言って、席を立つレクティファール。
さてどこに行っただろうかと内包する〈皇剣〉の力を使おうとした瞬間、彼の裾を誰かが掴んだ。
「――待って」
アンヌだ。
彼女は顔を真っ赤に染めながら、レクティファールにしがみついている。
「アンヌさん、私はマリカーシェルを追い掛けますので」
「分かってます……わたしも……」
ずるりと尻をずらし、しかしくたりと食卓に倒れ込むアンヌ。
レクティファールはその様子に眉を顰め、屈み込んだ。
「おねえさまは……わたしが……おまもり……」
食卓に伏せったまま、それでもアンヌはマリカーシェルを追い掛けようとしているらしかった。
上衣の裾を掴まれたまま、さてどうしたものかと店内を見渡す。
すると、立卓の中に居た店主と目があった。
「――――」
店主は無言でアンヌを指差すと、次いで同じ手の親指で店の出入り口を指した。
連れて行け――そういうことらしい。
「ですよね」
この状況の責任は誰が取るのかと言えば、レクティファール以外にはあり得ない。
彼はアンヌを背負うと、亜空間倉庫から取り出した大外套で自分ごとその身体を包む。意識があるのかないのか、アンヌがそろりとレクティファールの首に腕を回した。
「また来い」
立卓の前を通り過ぎるとき、レクティファールに向かって店主がぼそりと呟いた。
「三人なら入れてやる」
「分かりました」
レクティファールは頷き、扉を押し開けて外に出た。
店に入ったときはまだ明るかった空は、だいぶ暗くなっていた。
揺られている。
アンヌは自分の身体を包む暖かさと、心地良い振動に微睡んでいた。
誰かの息遣い。力強く地面を踏み締め、その律動が乱れることはない。
誰だろうかと思い、そういえば今日は敬愛する“姉”と一緒に食事をしていたのだと思い出す。
「おねえさま」
呟くと、自分を背負っている誰かが振り向く気配がした。
だが、すぐに前に向き直り、アンヌにとって心地良い律動の歩調を取り戻す。
「羨ましいなぁ」
誰かが呟いた。
羨ましい? 誰が?――アンヌの思考にそんな疑問が湧き上がる。
「目指す背中が見えるのは、良いことです」
寂しげに響くその言葉は、アンヌの胸に染み込んでいく。
寂しい、寂しかった、“姉”が自分を見付けてくれるまで、自分は寂しかった。
だから、“姉”のために、“姉”が寂しくなったときに近くにいようと思い、その背中を追い掛けた。それが、自分にできる恩返しだと思った。
アンヌは微睡みの中で、自分がマリカーシェルを追い掛け始めた切っ掛けを思い出した。そして、その気持ちをそのまま口に出した。
「わたしがいます」
誰かが立ち止まった。
でも、振り返らない。
再び、歩き出す。
「――それは、心強いですね」
その声が嬉しそうで、アンヌも嬉しくなった。
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