白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第二四話「英雄の島」 その一

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 レムリア海、皇国領セントリヴェール島の南二〇浬の海中。重力制御式推進機関の唸り声じみた重低音を響かせつつ、頭上を巨大な影が通り抜けていく。
 この海域の早期警戒を任務とする警戒潜航艦〈アデン〉は、たった六〇メイテルしかないちっぽけな身体を海底の谷間に潜ませ、己の万倍にも届こうかという質量を眺めていた。
 彼女が海軍総司令部から特命を受けたのがその日の早朝のこと、もはやろくな準備もできないままに海底に身を横たえ、静かに任務を果たしていた。
「目標通過中。速度二〇、方位二―四―五」
 艦長席のすぐ隣にある索敵手席から報告が上がり、艦橋の全天を覆う仮想表示窓を黒々とした巨体が埋め尽くす。
 意味もないのに艦橋の誰もが息を潜め、その通過を待った。
 水龍の持つ感覚器を魔導機械的に再現した全天仮想表示器は皇国の水中航行艦の作戦能力を大幅に引き上げたが、自分よりも遥かに巨大な何かが頭上を通り過ぎていくという光景はあまり見たいものではない。
 艦長席に座る草臥れた軍装姿の中年男は、制帽の鍔を摘まみながらそんなことを考えていた。
「――〈天照〉通過確認。警戒圏外へ出ます」
 巨体が通り過ぎ、その後部で鈍く発光する推進機関の光が見えなくなった頃、索敵手が任務の完了を告げた。
「当艦の索敵範囲外に出ます」
 合成音が一鳴き。
 艦橋中央の立体表示球の範囲から、監視対象が外れたことを示す音だ。
 これが普段なら相手をその範囲に捉えるために追跡するところだが、今日の仕事はあくまでも、目標が自分の担当する警戒区域を事前の通達通りに通過するかどうかを確認するだけだ。
「艦長」
 副長兼航海長が、操舵手席の後ろにある航海士官席から振り向く。
 艦長――海軍少佐フェビア・エールステンは艦内時間に合わせてある腕時計を確認し、命令を発した。
「ん、第二種警戒態勢解除。一時間は第三種警戒を維持して」
「諒解、二種警戒解除、三種警戒は一時間後に解除」
 航海長が復唱し、その内容が文章となって艦内各所の表示部に流れていく。
 すでに艦内の音を完全に遮蔽できるようになって久しいが、こうした部分はまだ完全な遮音が実現できていなかった頃と変わりはない。
 誰もが表示部を見る癖が付いているため、こちらの方が放送などよりも確実なのだ。特に騒音を発する機関部などでは、この方式の方が評判が良い。
 今でこそ海軍艦艇の標準装備となっている艦内表示部は、彼ら水中艦艇部隊から広まっていったのである。
「しかし、妙な話でしたね。わざわざ〈天照〉を隠して皇国領海に招き入れるとは」
 まだ若い機関士が大きく息を吐きながら、ぼやくように言う。
 艦に配属されて二年足らずの彼には、ただ黙って目標を追い続けることへの『慣れ』がまだなかった。
 最初から最後まで常に緊張しているため、無駄に疲労してしまう。
「でも、あれだけ騒がしければ何かあっても簡単に捕まえられますよ」
 機関手の続く言葉に聴音機を操作する聴音手の手がぴくりと揺れるが、フェビアは胡乱な眼差しを機関手に向けた。
「お前さんは、あれが〈天照〉の普通の水中航行だと思ってるの?」
「え?」
 フェビアは艦長席の背もたれを倒すと、顔の上に制帽を載せる。
「あれは『自分らはここにいますよ。隠れてませんよ』って意思表示なのさ。水中航行には必要もないくらい機関出力を上げて、どんちゃん騒ぎをしながら通り過ぎてただけよ。その気になった〈天照〉なら、完全無音航行くらいはできる。船体表面で乱れた水流の音くらいは聞こえるかもしれないけどね」
 水流制御技術によって、水中航行艦の静粛性は大幅に向上した。
 速度は落ちるものの、噪音の発生源だった推進器を使わずに水中を移動することができるようになったためだ。
 これにより、世界で唯一水中を視覚的に捉えられる技術を持つ皇国海軍の優位性は大きく向上することになった。
 どれだけ音を誤魔化そうとも、暗黒の水中を何十キロメイテルも見通す水龍の知覚器と同じものを備える皇国艦を騙すことはできない。勿論、それを誤魔化すための欺瞞装置などは各国が開発を進めているのだが。
「余計な勘繰りをされないための、政治的表現ってやつですか」
 航海長が手元の予定表を繰りながら呟く。
 あと一時間は身を隠していなければならないため、警戒航路を改めて作り直す必要がありそうだった。
 彼は席の肘掛けにある被覆を開いて釦を押し、手元に展開された制御卓を叩き始める。
「でもまあ、艦長も異動前の最後の思い出としては結構記憶に残る仕事だったんじゃないですか?」
「そういうものでもないよ。この暇な海域から出て、もっと暇な海域にトバされるんだから、何を楽しみにすればいいのか」
 航海長の言葉に、フェビアはどこか拗ねたような声音で答える。
 自分は一生小さな潜航艦の艦長でいられればいいと思っていた。どうせ家に戻っても誰もいない、昇進しようと戦地から帰ろうと、喜ぶ者はいない。
 義母だけが彼のことを気に掛けてくれているが、その期待に応えることができなかった自分がその厚意に甘える訳にはいかないのだ。
「何言ってるんです。ピカピカの新造艦じゃないですか。しかもこんなちんちくりんな哨戒潜航艦じゃなくて、潜航母艦。でかい水上艦以上の設備だって聞いてますよ」
 フェビアは昇進後に現在の所属である第四艦隊から新設成った第十三艦隊へと異動し、そこで新型艦を任されることが決まっていた。
 選考理由は『潜航艦の扱いに長け、功を焦らず、慎重で、我が弱い』からだ。仮想敵国の鼻先で戦略兵器を預けられるのだから、そうした性格が求められるのも仕方がない。
 戦略兵器は他の兵器よりも国家の意思に忠実である必要がある。
「半年もずっと海の底に居ろっていうんだから、そりゃ色々設備も整ってるに決まってるでしょうよ。ま、何か起きたらそのまま一生海の底だけどねぇ」
 潜航母艦〈アムリタ〉。フェビアは自分が艦長として預かる艦の名前をすでに聞いていた。
 エルフ族に伝わる水の精霊の名前だと言うが、当然フェビアには馴染みのない言葉だ。ただ、それを命名したのが義母であるという一点のみが、彼にその艦への異動を決意させた。
 海軍の人事が予定通りに行われれば、〈アムリタ〉は義母が計画を承認し、名付ける最後の艦になるはずだ。言うなれば、〈大提督〉イザベルの末娘。彼の妹である。
(戦争の形が変わっちまうねぇ)
 殴り合いをしていれば良かった時代はすでに遠のき、これからの戦争は如何にして相手に自分の戦力を正しく誇示するかが重要になってくる。
 軍はその能力を衰えさせることなく、しかしその力を振るうことが難しくなっていく。今彼の頭上を通過していった星の船の存在こそが、それをもっとも端的に示していた。
 あれだけの力を持つ兵器であっても、政治的配慮からは逃れられない。それが正しい兵器の姿だとは思うが、果たしてそれが本当の兵器の姿なのかと思う。
「機関手」
「え……はい!」
 制帽の下から聞こえてきた少しくぐもった上官の声に機関手は驚いた。
 何か失敗でもしでかしたかと慌てたが、艦橋にいる八名のうち、彼を咎めようとする者は誰も居ない。
「そう緊張するもんじゃない。別に取って食おうって訳じゃないんだから」
「はい……」
 制帽で上官の顔は見えないが、いつもと同じように掴み所のない、やる気の欠片も感じさせない表情を浮かべているのだろう。
「じゃあちょっと聞かせてくれや」
「はい」
 若い機関手は訝るような眼差しをフェビアに向けたまま、頷く。
 それを音から感じ取り、フェビアは密かに笑みを浮かべながら問いを口にした。
「さっきのデカい奴、あれと戦えって命令されたらどうする?」
「は?」
 機関手だけではない、艦橋にいた全員がフェビアの問いに思わず振り向いた。
 しかし艦長がいつものように自堕落な姿勢を崩していないことを確認すると、ただの気紛れだろうと思い直し、各々の仕事に戻っていった。
「絶対勝てない相手だ。この艦の武装は魚雷と浅海用の魔導砲が二門だけ、あいつがちょっと身体を擦ってきただけで浸水して海の底だ」
 さあ、どうしよう――フェビアは更に質問を重ねる。
「それは……」
 機関手は戸惑い、周囲に助けを求めたが、誰も彼に視線を合わせようとはしない。
 潜航艦の乗組員は水上艦のそれよりも結束が強いと言われているが、からかわれている弟を助けようという正義感に満ちた兄はいないようだった。
(何だってんだよ……)
 機関手は艦長の気紛れに心中で毒を吐きながら、ならば自分も真面目に答える必要はあるまいと思い、答えを口にした。
「戦いはしますが、適当なところで逃げます」
「そうか、まあ命令には違反してないな。だが、逃げ切れんだろうなぁ」
「――――」
 改めて言われなくても分かる。
 相手は星天での戦いを前提にして建造された艦だ。それも安定したごく近距離の惑星周辺宙域ではなく、より過酷な空間を前提としているという。
 皇国は衛星軌道開発の研究を細々と続けているだけだが、〈天照〉が破格の性能を持つ艦であることはよく知られていた。
「無駄死にだよねぇ」
「艦長、一体何が言いたいんです? それが命令ならそうするしかないでしょう」
「まあね、お上が必要だって思って命令するんだから、僕らみたいな木っ端船乗りが口を挟むようなことじゃない」
 ただ、それだけでは済まない時代になろうとしている。
 誰もが先を見通し、広い視野で世界を見なくてはならない時代が目の前に迫っている気がする。
(それをこんなおっさんに期待しようとか、勘弁してくださいよ、本当)
 フェビアは自分に対する不審を隠さない機関手に向かって手を振り、話を打ち切る。
 しかし彼はこの日の遣り取りを、頭上に〈統一帝國エリュシオン〉の大艦隊が迫るそのときに思い出すことになる。
 フェビア・エールステン。
 公文書に一切の記録は残らないが、彼の祖国が経験するもっとも大規模な戦争の、先鋒を務めることになる男だった。
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