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第五章:因果去来編
第五話「深き海の底から」その三
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波を蹴立てて一人乗りの魔動艇が海上を走る。
潮風に晒され、幾度も塗装を塗り直したと分かる魔動艇に乗っているのは、背中に荷物を背負った子どもだ。
波を越えるたびに浮き上がる体。しかし少しも危うさを感じさせないのは、その子どもが魔動艇の操作に慣れていると誰が見ても理解できるからだろう。
「ああもう、このままじゃ遅刻だよ! なんで今日に限って発動機の機嫌悪いかなぁ!」
キンキンと甲高い声。その声と、一つに結んだ陽光を受けて緩やかに色合いを変える髪で、子どもが少女であることが分かる。それ以外の要素に、彼女の性別を区別できる外見的要素は皆無だった。
声さえ発しなければ、少年と偽っても気付かれないだろう。
「ええと、今日はどこから入ればいいんだっけ」
彼女は胸元から折り畳んだ防水紙を取り出し、細かく羅列された数字を読み取る。
それは〈ウルーシュ海上船団王国〉バフマー藩王行政府が発行した、船団運行予定表だった。彼女の家である船が属する船団の本拠、巨大船『藩王艦』を中心とした連結船団。海上移動都市の異名を持つ船の運航予定表は、その都度変わる船の位置が記された、いわば海上移動都市の地図だ。
もちろん、図示されるのは最低限の情報であり、あとは定点座標とそこを通過する予定の船の番号のみが並んでいる。
これを地図として瞬時に読み解けなければ、この国で生きていくことはできない。
船団を構成する船の位置は時々刻々と変わるのだ。瞬間的に自分と周囲の状況を脳裏に描けなければ、いつまで経っても目的地に辿り着くことはできない。
故に人々は、自分の子どもに読み書きと同時にこの地図の読み方を教える。この時期を逸してしまうと、人は意識内で運行表を模式化することが困難になり、船団の一員として生きていくこともまた難しくなる。
しかし、彼らがそのような困難を自覚することはない。
彼らの親も、そのまた親も同じように生きてきた。彼らも当然のように陸地を知らないまま成長し、場合によっては揺れない大地というものを知らないまま死んでいくのだ。
「えええっ!? 学校への道、今日は塞がってるの!? 塞いでるのは……海軍!? なんだよアイツら、アタシが遅刻してもいいってのかよ!!」
文句を言いながらも、彼女は巨大船と巨大船の間に魔動艇を滑り込ませる。
突然現れた小型の魔動艇に汽笛が鳴らされるが、彼女はそれどころではない。
嵐でもないのに三日も続けて遅刻となれば、彼女の担当教師は家に直接文句を言うだろう。
そうすれば自然と学校での学習態度の話となり、成績の話となって自分は怒られる。彼女は決して頭がよくなかった。むしろ、悪かった。
「ちっくしょう! 絶対間に合わせてやるからな!! 海軍がなんぼのもんじゃい!! ぶつからなきゃいいんだろ! ぶつからなきゃ!!」
魔動艇の操舵握把を握り込み、ぐん、と加速する。
周囲の船が汽笛を鳴らしてくるが、彼女は全部無視した。そんなことを気にしていては学校に遅れるし、学校に遅れれば親に怒られる。親に怒られれば、手伝いの量を増やされ、遊びに費やせる時間が減る。
彼女は子どもらしい、そう、実に子どもらしい損得勘定によって、本来なら航行が禁じられている区画を疾走した。
彼女はまだ少女だったものの、船団に出入りするあらゆる形の船を知っていた。船の形が分かれば、水の上の道の広さ、波の高さも分かる。それは陸上でいえば、道の幅員と路面状況に当たる。
陸上で暮らす者ならば、ここで首を傾げるはずだ。
道の幅とその路面の状況が分かっただけでは、とても十分とはいえない。地図が頭の中に入っていて、周辺の建物が分かっていてもまだ足りない。
なにせ、陸上には予期しない不慮の出来事が山のようにあるのだ。
事故、工事、或いは災害。
だが、海上船団都市にはそれがなかった。事故はあれどもその位置さえ変化し、ずっと同じ場所が塞がれることはない。災害はあれども、そんな日に小型船舶で海に出る者はいない。そして、海上での工事など道を塞ぐものではない。
「よーし! このまま行けば――」
だから、彼女は気付かない。いつも周囲にいる同じような小型の魔動艇が一艘もいなかったことも、周囲の船が低視認や距離欺瞞の迷彩を施していることも、彼女が向かう先に彼女がいままで見たことのない巨大な船が待っていることも。
「あとはここを抜ければ――!?」
最後の曲線。
ここを抜ければ学校船まであと少し。
しかし、彼女の視界は予想に反して開かれることはなかった。
ここにいるのは海軍の巡洋艦のはずで、彼女はその横を抜けるつもりだった。
不可能だった。
「どいてぇえええええッ!!」
彼女はそう叫びつつ、目の前に迫る巨大な壁を回避するために操作握把を捻る。しかし魔動艇は横滑りしつつその壁に一直線に進み、到底曲がりきれるようには思えなかった。
(あ、死ぬわこれ)
彼女はそう察すると、奇跡を願って海に身を投げた。
初めて親に与えられた魔動艇はそのまま壁にぶつかって砕け散り、彼女もまた殺しきれない勢いのせいで水上を跳ね、壁にぶつかろうとしていた。
「――――」
いやだなぁと思いつつ薄らと開いた目に、壁の上に立つ誰かが見えた気がした。
潮風に晒され、幾度も塗装を塗り直したと分かる魔動艇に乗っているのは、背中に荷物を背負った子どもだ。
波を越えるたびに浮き上がる体。しかし少しも危うさを感じさせないのは、その子どもが魔動艇の操作に慣れていると誰が見ても理解できるからだろう。
「ああもう、このままじゃ遅刻だよ! なんで今日に限って発動機の機嫌悪いかなぁ!」
キンキンと甲高い声。その声と、一つに結んだ陽光を受けて緩やかに色合いを変える髪で、子どもが少女であることが分かる。それ以外の要素に、彼女の性別を区別できる外見的要素は皆無だった。
声さえ発しなければ、少年と偽っても気付かれないだろう。
「ええと、今日はどこから入ればいいんだっけ」
彼女は胸元から折り畳んだ防水紙を取り出し、細かく羅列された数字を読み取る。
それは〈ウルーシュ海上船団王国〉バフマー藩王行政府が発行した、船団運行予定表だった。彼女の家である船が属する船団の本拠、巨大船『藩王艦』を中心とした連結船団。海上移動都市の異名を持つ船の運航予定表は、その都度変わる船の位置が記された、いわば海上移動都市の地図だ。
もちろん、図示されるのは最低限の情報であり、あとは定点座標とそこを通過する予定の船の番号のみが並んでいる。
これを地図として瞬時に読み解けなければ、この国で生きていくことはできない。
船団を構成する船の位置は時々刻々と変わるのだ。瞬間的に自分と周囲の状況を脳裏に描けなければ、いつまで経っても目的地に辿り着くことはできない。
故に人々は、自分の子どもに読み書きと同時にこの地図の読み方を教える。この時期を逸してしまうと、人は意識内で運行表を模式化することが困難になり、船団の一員として生きていくこともまた難しくなる。
しかし、彼らがそのような困難を自覚することはない。
彼らの親も、そのまた親も同じように生きてきた。彼らも当然のように陸地を知らないまま成長し、場合によっては揺れない大地というものを知らないまま死んでいくのだ。
「えええっ!? 学校への道、今日は塞がってるの!? 塞いでるのは……海軍!? なんだよアイツら、アタシが遅刻してもいいってのかよ!!」
文句を言いながらも、彼女は巨大船と巨大船の間に魔動艇を滑り込ませる。
突然現れた小型の魔動艇に汽笛が鳴らされるが、彼女はそれどころではない。
嵐でもないのに三日も続けて遅刻となれば、彼女の担当教師は家に直接文句を言うだろう。
そうすれば自然と学校での学習態度の話となり、成績の話となって自分は怒られる。彼女は決して頭がよくなかった。むしろ、悪かった。
「ちっくしょう! 絶対間に合わせてやるからな!! 海軍がなんぼのもんじゃい!! ぶつからなきゃいいんだろ! ぶつからなきゃ!!」
魔動艇の操舵握把を握り込み、ぐん、と加速する。
周囲の船が汽笛を鳴らしてくるが、彼女は全部無視した。そんなことを気にしていては学校に遅れるし、学校に遅れれば親に怒られる。親に怒られれば、手伝いの量を増やされ、遊びに費やせる時間が減る。
彼女は子どもらしい、そう、実に子どもらしい損得勘定によって、本来なら航行が禁じられている区画を疾走した。
彼女はまだ少女だったものの、船団に出入りするあらゆる形の船を知っていた。船の形が分かれば、水の上の道の広さ、波の高さも分かる。それは陸上でいえば、道の幅員と路面状況に当たる。
陸上で暮らす者ならば、ここで首を傾げるはずだ。
道の幅とその路面の状況が分かっただけでは、とても十分とはいえない。地図が頭の中に入っていて、周辺の建物が分かっていてもまだ足りない。
なにせ、陸上には予期しない不慮の出来事が山のようにあるのだ。
事故、工事、或いは災害。
だが、海上船団都市にはそれがなかった。事故はあれどもその位置さえ変化し、ずっと同じ場所が塞がれることはない。災害はあれども、そんな日に小型船舶で海に出る者はいない。そして、海上での工事など道を塞ぐものではない。
「よーし! このまま行けば――」
だから、彼女は気付かない。いつも周囲にいる同じような小型の魔動艇が一艘もいなかったことも、周囲の船が低視認や距離欺瞞の迷彩を施していることも、彼女が向かう先に彼女がいままで見たことのない巨大な船が待っていることも。
「あとはここを抜ければ――!?」
最後の曲線。
ここを抜ければ学校船まであと少し。
しかし、彼女の視界は予想に反して開かれることはなかった。
ここにいるのは海軍の巡洋艦のはずで、彼女はその横を抜けるつもりだった。
不可能だった。
「どいてぇえええええッ!!」
彼女はそう叫びつつ、目の前に迫る巨大な壁を回避するために操作握把を捻る。しかし魔動艇は横滑りしつつその壁に一直線に進み、到底曲がりきれるようには思えなかった。
(あ、死ぬわこれ)
彼女はそう察すると、奇跡を願って海に身を投げた。
初めて親に与えられた魔動艇はそのまま壁にぶつかって砕け散り、彼女もまた殺しきれない勢いのせいで水上を跳ね、壁にぶつかろうとしていた。
「――――」
いやだなぁと思いつつ薄らと開いた目に、壁の上に立つ誰かが見えた気がした。
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