白の皇国物語

白沢戌亥

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1巻

1-2

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 まあ、実際には神殿が認定する〈白〉は常に一人という意味なのだけど――彼女はそう言って苦笑した。とはいうものの、人々と同じように十人十色、様々な属性と特性を持つ各色の魔力、その中に理論上〈白〉は存在しないことになっている。
 光と呼ばれる属性ですら、発現するのは金や銀の髪だ。

「でも、神殿の言っていることはともかく、白い髪の人が見つかることは非常にまれなことなの。遠目には白色に見えてもほんの少し別の色が混じっていることなんて当たり前だし、人々もそう思っているから本当に白い髪の人を見てもそうだと気付かない」

 そんな白の髪に気付けたのは、ここが白龍公の城だからだ。
 彼の身体に異常がないか魔法的な検査を行ったとき、彼の魔力の属性色は存在しないはずの〈白〉を示していた。これが単なる町医者であれば本格的な魔法検査を行うこともなく、行っても正確な魔力の色や属性までは分からなかっただろう。せいぜい、〈白〉に近い魔力を有するということくらいしか判断できなかったに違いない。
 つまり、彼はここに担ぎ込まれ、公爵お抱えの優秀な医者に検査されたからこそ、その正体が発覚し、彼女に問われているのだった。
 存在しない色を持つあなたは、いったい誰、と。

「まさか我がリンドヴルム公爵家にあだなすつもりでここにいる訳じゃないとは思うけど、白の髪を持つとなればこのままどうぞお帰り下さいとは言えないのよ。あなたに何か目的があって、旅をしている最中に、たまたま足を滑らせて湖に落ちたとか、そういうことなら本当に申し訳ないのだけれど……」

 急ぎの旅であるなら、本当に申し訳ないと思う。しかしこの大事な時期に、この国を支え続けてきた公爵家に白の髪を持つ人間が保護される。
 彼女の中には、これは運命に限りなく近いものだという確信があった。
 彼女自身にとっても、この国にとっても、だ。

「ふぅむ……」

 肩口まで伸びた白い髪を目の前に持ってきては、何度も何度も同じように色を確認している彼を見ながら、メリエラは説明を続ける。もしかしたら、このときの彼女は少し気が急いていたのかもしれない。
 やっと変わるかも知れない。今まで変えたくても変えられなかったこの状況が――と思うばかりに。
 彼女にとって幸運だったのは、目の前の男が彼女のその様子に気付きながらも、それを逆手に取るような種類の人間ではなかったことだろう。
 レクティファールは彼女を前にして、なおも静かに話を聞くばかりだ。

「さっきの昔話に出てきた英雄、つまり我が国の初代皇王陛下はこの世界の何処どこの国の民でもなく、いつの間にかこの世界にいた白髪の男性だった」

 いつの間にかというのは、くだんの皇王自身の証言であって実際のところは分からないのだが、少なくともこの国の国民にとっては唯一の真実だ。人とは、曖昧あいまいな偶然に運命を感じるものなのかもしれない。

「伝わっている話には誇張も少し混じっているから、ほぼ確実と言われていることだけ話すわね」

 彼が黙って自分の言葉に耳を傾けていることを確認し、メリエラは続けた。
 かつてこのアルマダ大陸の全土を統べた大帝国崩壊の混乱期。その中で傷付いた人々を導いてこの国を作ったのは、確かに白の髪を持った一人の英雄であった。
 後に『英雄』は『皇』に変わったが、人々にとって〈白〉というその英雄を示す色が特別であることに変わりはなかった。その頃にはもう、ある種の信仰に近い何かが生まれていた。
 それは、白に近い色を持つ子供が生まれるだけでその家は周囲から羨望せんぼうの眼差しを向けられ、もし貴族と縁を得られればどんな身分でも貴族への婿入り嫁入りの機会があったほど、強く、確かな信仰だった。
 中には、奴隷の身でありながらその才覚と髪の色で当時の皇王の目に留まり、皇国軍人の羨望せんぼうの的である皇王の近衛このえ騎士に列せられた者さえいたのだ。今でこそ滅多めったにないことだが、建国から五〇〇年ほどの間は白に近い髪を持つ子どもを誘拐し、高値で売り払おうとする者までいたのだから、皇国の民の〈白〉に対する憧憬どうけいは凄まじい。

「今は落ち着いているけど、本来はそれくらい、この国では〈白〉が特別なの。そして、あなたは『今このとき』にその〈白〉を持って現れた」
「このときとは……?」

 青年は問い、心底不思議そうにメリエラを見た。
 そこに演技と思われるような要素はなく、メリエラは溜息をきながら密かに安堵していた。今のこの国の事情を知っていたら、逃げ出すかもしれないと思ったからだった。
 だがほっとしたのもつかの間、彼の問いに答えようと自国の状況に考えを巡らせると、再び陰鬱いんうつな気分になる。ここで教えれば結局同じことだ。大多数の者は、聞けば逃げ出したくなる。――自分と同じように、死にさえ喜びを見出すかもしれない。
 それでも、言わずにはいられなかった。それを言う責任が、彼女にはあった。
 されども願うことが許されるなら、もしも叶うなら、何も言わずに済ませたかった。言ってしまえば、あとには退けない。目の前の男の人生を確実に、完膚かんぷなきまでに変えてしまう。
 ここに至り、メリエラは自分が途方もなく罪深いことをしようとしているのだと気付く。
 のどがひりひりと痛む。目の前の男を直視できない。
 だが、彼女の中にほんの少しだけ残された高貴なる者としての義務感が、彼女の口を押し広げた。

「――隣国の侵攻と当代陛下の崩御。この国は、建国から二〇〇〇年あまり経過した今このとき、滅亡の危機にひんしているのよ」

 大きく見開かれた彼の瞳に自分の姿が見え、彼女は死にたくなった。


         ◇ ◇ ◇


「始まりは、そうね、きっと当代陛下が即位された頃かしら」

 一年と少し前に即位した当代の皇王は、これまでの皇王とは明らかに違う点があった。
 それは、本来の皇位継承とは違う形の、先代皇王からの世襲で皇王の座に就いたという点だ。
 本来この国の元首である皇王は、他国の王と違い血縁による世襲を行わない。
 当代の皇王が崩御すると同時にその皇王のもとで養育された次代の皇王、つまりは〈白〉である皇太子が皇王としての〈力〉と〈存在〉を継承することによって至尊の座に就くというのが、この国での皇位継承の流れだ。〈力〉とは読んで字の如く皇王が持つ強大な力のことだが、〈存在〉とは皇王としてこの世界に存在するために必要な要素であるという以外知られていない。それは皇王家に近いリンドヴルム公爵家といえども同様で、メリエラも詳しいことは知らされていなかった。

「誰も知らないということは、確かに神秘的で人々の心に畏敬いけいの念を抱かせるかもしれない。だけど、知らないということは、場合によってはその存在をひどく曖昧あいまいなものにしてしまう」

 皇太子は、〈白〉の資質を持つ者がこの世界の周囲にある四つの世界の主に認められ、その皇王の後継者としての〈存在〉を、複雑な儀式によってこの世界に確定させることで、ようやく立場を確立することができると伝えられており、それ以前の〈白〉の資質を持つ者の定義や発生条件などについては皇国の法を記した皇国大法典にも、儀式を行う神殿の記録にも記載がなかった。そして、この一点こそが現在の皇国の危機を生み出したと言える。
 彼女は、衣裳いしょうの裾を握りながら力無く語った。
 思い出すだけでも辛いことを口にするという彼女の行為は、逃げ出そうとした自分を自分で罰するという意味もあるのだろう。唇を噛み締め、その痛みを感じながら言葉を続ける。

「皇位を望んだ当代陛下は、認められた〈白〉でなかった故に四界神殿にも、周囲四界の主にも決して認められず、先代の皇王の死後、結局は次代の〈白〉としての資格を持つ者がいないという異常事態に対する暫定処置として皇王位に座した。だけど、国民は今上陛下が己の欲望のために次代を担う〈白〉を謀殺したのではないかと疑った。そう疑われる程度には、即位した頃の陛下は評判が良くなかったから。そして実際のところ、わたしたち四公爵家もそれは真実だったのではないかと考えているの」

 周囲の雰囲気に流されやすい国民は別にしても、貴族筆頭の四公爵がそう考えているということは、皇国建国時からの伝統ある家名を受け継ぐ始原貴族や、それ以降に叙爵じょしゃくされた有力貴族の大部分も同じように考えているということだ。
 皇王自身も周囲の疑念は十分に承知しており、自分の邪魔になる可能性を持った――自らに対して、特に深い疑念を抱いていた愛国心の強い貴族や、有力な貴族はその大多数が辺境へと転封されることになった。
 表向きは周辺の仮想敵国に面した辺境未開発地域の開発と国防体制の確立のためとされているが、このとき転封された貴族たちの領地を新たに受け継いだのが、極々ごくごく一部の今上皇王支持を明言している貴族たちだったことを考えれば、その領地替えが特異な皇位継承方法のせいで貧弱な支持基盤しか持つことができなかった今上皇王の、政治的地盤固めであったことは、初等教育を終えたばかりの子どもでも分かることだ。

「わたしたち四公は、初代皇王陛下から直々にこの地の自治権を『この国がある限り』という条件で与えられている。故に今上陛下といえども議会の支持も得ずにわたしたちを移封することはできなかった。でも、この騒ぎで四公爵家は皇王家から距離を取るようになり、他の貴族もそのほとんどが自らの領地のみに目を向け、守るようになった。誰もがこの不透明な状況に翻弄され、迷ってしまった」

 四公爵家の領地については、法典に皇王と皇国議会の承認をもって移封を可とするという条文がある。今上皇王は法にのっとった即位ではないという負い目もあり、条文を無視してまで強引な態度を取ることもできず、結果として、四公爵家が領地を追われることはなかったのだが、その心は皇王家とは大きく離れてしまった。
 自分たちを実質的な敵と看做みなしている皇王家を前にして、四公爵家は自分や領地を守るために一定の距離を置いた。
 それが自分たちの義務を怠ることだと気付いていても、他に方法はなかったのだ。
 だがメリエラは、自分が言い訳をしているのだと思った。手のひらに爪が刺さるほど拳を握り締め、肩を震わせる。
 そんな彼女の様子を見て、レクティファールの胸はきしむように痛んだ。メリエラが泣いているのではないかと思った。
 声をかけようと口を開きかけたレクティファール。しかし、そんな彼の行為を、メリエラの血を吐くような声が遮った。

「それでも今上陛下が名君であれば、いいえ、平凡であっても、或いは貴族たちも最終的には支持できたかもしれない。皇国のためになるのなら、次代の〈白〉が見付かるまでの繋ぎとして認めてもいいと。――でも、今上陛下はどうしようもなく皇王に不向きな人だった」

 これまでの行動を聞けば、レクティファールもそう判断せざるをえない。事実、そもそもの始まりが悪すぎたということを差し引いても、当代の皇王の施政は歴代皇王の中でもっとも過酷にして残忍と評されていた。
 貴族議会と国民議会で形作られている皇国議会。当代の皇王は、自分に対する不信任決議を採択しようとするたび――本来ならば議会に皇王の不信任決議などできないが、正当な皇王ではない当代の皇王ならば議会もその主権を認めず、その地位を追うことができた――に議会を、法律で定められた会期中にもかかわらず無理矢理散会させ、自分に都合の良い法案を支持貴族に提出させてはそれを反対する貴族の家族を人質に取るなどして、強引に承認させるという形で権力の掌握を図った。当然、支持貴族に都合のいい法案が多く作られ、国民の心は益々ますます今上皇王から離れていく。
 主権者である皇王であれば皇国の法律上、自己の意思一つで幾らでも法を作ることができる――無論、不必要な反発を防ぐために乱発するようなことはしないが――のだが、さすがにそれでは自らの権力が強くなりすぎ、ただでさえ少ない支持者を完全に失ってしまう。だからこそ、支持者にあめを与えるという意味ともう一つ、正当な手順でその座に就いた皇王ではない自分の存在を認めさせて、その手に権力を握るための建前から、議会の承認を必要としていたのだ。
 さらに彼は自分の直属下にあったが、その役割上高い独立性を保持していた皇国司法院の総裁を辞職に追い込み、自らの支持者をその座に据えた。次いで自分に対して批判的であった皇国正規軍の上層部主流派も各方面の総軍や方面軍司令部へと更迭こうてつし、ここにも自らの支持者を集めて権力を掌握した。
 いっそ電撃的と言って良い速さで文武の権力を掌握した今上皇王は、もしかしたらその地位に相応ふさわしい才能を持っていたのかもしれない。今上皇王の敵となった内、少なくとも、一部の貴族たちは今上皇王をそう評価している。
 今上皇王がもしも自分の立場をわきまえていたら、彼は良い意味で歴史に名を残していただろう。――皇国存亡の危機を救った無欲なる皇王として。
 だが、現実はそうではない。
 彼の政治姿勢は、誰が見ても圧政者のそれであった。

「政治的混乱によって低下した税収を補うために税率も先皇陛下の時代に比べて倍近くに跳ね上がり、その結果、国外の商人は皇国の市場から撤退を始めた。それに伴い国内経済も急速に後退、国内の消費も日に日に減り、皇都の店舗ですら固く鎧戸を閉め切り、商店街からは人の気配が消えてしまった」

 心ある貴族や国内の有力者は、今上皇王の暴走を止めようと数々の手を打った。
 穏健派で通る白龍公も、今上皇王と距離を置いているとはいえ、黙って手をこまねいていたわけではない。彼は様々な手段を用いて不満を漏らす同輩たちを説得し、何度も両勢力の間に話し合いの場を設けたし、その席で今上皇王に対して譲歩する姿勢も見せた。
 それでも皇王は自身の才と血統の持つ力を疑わず、心ある家臣たちの苦労をかえりみることは決して無かった。そして、本来なら主君の動きを見て、それをいい方向へと向けるべき皇王派の諸侯は、ひたすら自分たちの栄耀栄華えいようえいがだけを追い求め、皇王の誤りをいさめようとは考えもしなかった。
 この時点で皇国は、今上皇王の欲望が支配する堕ちた国となっていたのかもしれない――そう語ったメリエラは寂しそうに微笑み、窓の外に目を向ける。そこには彼女が守りたいと願う国が、でも守りきれなかった国があった。

「悪意ある独裁、そう言っても間違いではないわ。だけど、この国では皇王がすべてを統帥とうすいすることになっていたから、ひょっとしたらこれも一つの統治の形だったのかもしれない。でも――」

 そのような身勝手で狭隘きょうあいな行いを繰り返していけば、君主と臣民の間に埋めることができない溝ができるのは至極しごく当然のこと。国民たちは二〇〇〇年間皇国を守り続けた皇王の系統に、拭い難い不信感を抱くようになってしまった。
 やがて皇国中央から辺境領や四公爵領へと流出する国民が増加し始める。しかし皇王や支持貴族たちはその原因を突き止めようとはせず、ただ自らの富を保つためだけに更に税を重くしてしまった。
 その結果の、ある意味当然の帰結――

「辺境に追い遣られた貴族たちは、皇王家を見限った。もう見限るしかなかった。この国を守るためには」

 唇を噛み締め、彼女はゆるしを請うように両手の指を絡める。

「そして、わたしたちも――」

 痛みをこらえるような、苦しげな声。
 そんな声を聞き、レクティファールは思わずメリエラの肩に触れようと手を伸ばした。しかしすぐにその手は力を失い、布団の上に落ちる。

「――ッ」

 触れて、何と声をかければ良いのか、分からなかった。
 何も知らない自分が下手な慰めを口にしたとて、それが彼女に届くとは思えない。
 美しい目の前の女性は、本当に心から自分を責めている。その理由さえ満足に知らない自分が、何を言えるのか。
 彼は悩み、口をつぐむことを選んだ。情けない、そう心から思う。
 そして、彼女は自分たちの罪を告白した。

「最後にはわたしたち四公爵家も、国民の苦しみから目をらしてしまった」

 初代皇王につき従ってこの国を造り上げた四公爵家。国民に愛され、慕われた四龍公爵家は結果的には国民に背を向けてしまった。黒龍公、紅龍公、蒼龍公の三家は皇王家からの独立を宣言。この時点で皇国はかつての皇国ではなくなった。民の信頼厚い三公爵家の離反を招いたことで、国民の間には更に皇王家への不信が募ることになる。

「三公爵家の独立宣言は、主家である皇王家からの独立であって皇国という国家からの独立ではないけど、それを認められない皇王家とわたしたち貴族は、話し合いの余地すら見出せないまま内戦状態に突入した。一番大きな被害を受けるのは国民だと分かっていたのに……わたしたちにはもう、それしか道は残されていなかった」

 ただ内戦とは言っても、実際に軍事力を衝突させることはなかった。そんなことをすれば、この国の寿命を更に大きく縮めるだけだと両陣営が理解していたからだ。
 だがそれでも、内乱によって国防体制を維持できない皇国は、周辺国にとっては簡単に手の届く熟した果実と化していた。
 皇王領と貴族領の境界には常に多数の兵力が張り付けられ、国内の治安維持に必要な戦力さえそちらに回され、自然、周辺国に対する備えにもほころびが生じ始めていた。
 それでも、皇王は心の何処どこかで楽観していた。
 周辺の仮想敵国に接している領地は愛国心の厚い始原貴族のもので、彼らが外敵を皇国に入れるはずがない。そう考えていた。
 しかし、彼の思惑は外れた。
 彼は最後まで理解していなかった。貴族とは確かに主君に侍るものではあるけれど、主君が主君足るだけの器を持っていなければ、その限りではないのだと。

「始原貴族は皇国に対する深い愛情は抱いていたけど、今上陛下に対する愛情と忠誠心は無かった。主君に対する尊敬も、忠義も無かった」

 今上皇王の最大の欠点は、他者の心を理解できなかったところだろう。誰もが『利』を求めているのではないと頭では理解していても、その『利』が万人それぞれ違うということは全くと言っていい程理解できていなかった。理解していれば、もしかしたら始原貴族の動きを予想できたかもしれない。予想できていれば、自分の行動をかえりみることもできただろう。
 だが、そんな仮定は無意味だ。
 どうやっても変えられない結果、それは――

「始原貴族は、皇国を守るために周辺国の軍隊を素通りさせた」

 そう、彼らにとっての敵は、諸外国ではなく自らの国の元首だった。

「始原貴族たちは、自らの領地や領民は決して侵させなかった。だけど、それ以上のことはしなかった」

 国を愛し、しかし主君に裏切られて、彼らは国を守るには国を作り替える以外にないのだと悟った。
 そしてそれ故に、誰もがそこから退けない。それが正しいと信じているから、そうするしかないと思っていたから。

「夢であって欲しい。一体どれだけの人がそう思ったのかしら」

 だが、夢などではなかった。
 現実に、皇国の国土は他国の軍隊に侵された。
 このとき侵攻してきた軍は、長年皇国と西方での国境紛争を続けていた〈アルストロメリア民主連邦〉の軍を中核とした西方民主諸国の連合軍であった。平時であれば皇国陸軍西方総軍がそれを防ぐはずだったのだが、今上皇王によって閑職へと更迭こうてつされた前司令官の人事を不服とした西方総軍は中央軍令部の命令を一切黙殺。その背後に西方始原貴族の影もあり、連合軍は一切の妨害を受けることなく無人の野を進むことになった。
 明確にそうであるという証拠は無いが、このときの連合軍の行軍速度と手際の良さを見る限りでは、かなり以前より〈アルストロメリア民主連邦〉と西方始原貴族の間で、なんらかの秘密外交が行われていたのは間違いない。しかしながら、目の前に迫った現実の問題として、自分たちの領地に数万の軍勢が押し寄せてきている中央の貴族たち――現皇王の支持貴族はそんなことを気にしている暇などなかった。
 当然、彼ら連合軍の侵攻目標である皇都にいる皇王にも、まともな思考を巡らせる余裕があるはずもない。

「西方以外の貴族たちも軍を動かしたけど、それはあくまでも自分たちの領地を守るため。決して中央領へと救援に向かうためではなかった」

 皇王は西方の始原貴族をはじめとする辺境貴族たちに向けて何度も勅命を発した。自らを救え、厚い恩賞を約束する、と。その慌て振りはいっそ喜劇的でさえあった。これが単なる冗句じょうくや演劇であるなら、メリエラも大いに笑ったことだろう。しかし、これはまがいものの冗句じょうくや演劇などではない。
 辺境貴族は揃って皇王の勅命を無視。自らを辺境に追い遣り、守るべき国民に血と涙を強いた君主を救う理由など無かった。国を守れないことに苦悩はしても、自らの主君を見限ることに躊躇ためらいはなかった。主君に相応ふさわしくないと判断したのだから、当たり前だ。

「皇王は外務院を通じて何度も〈アルストロメリア民主連邦〉との交渉を行おうとしたわ。でも、〈アルストロメリア民主連邦〉は『国民に対して不当な権力を行使している現皇王は正当な手続きを経ずに即位した者であり、我々は友好国家の元首として認めない』と言って取り合わなかった」

 そう、ここでも正規の手順で皇王にならなかったツケが回ってきた。
 周辺国の内、当代の皇王を皇国の主権者として認めていたのは全体の半数程度だった。〈アルストロメリア民主連邦〉を含む連合軍参加国はいずれも、今上皇王を皇王として認めていなかった。
 これは軍事侵攻を正当化するためという政治的な理由もあるが、現実としてこの皇王を認めては国境を接している辺境貴族ににらまれる。にらまれれば流通が滞り、経済的打撃を被ることになる。一つ一つの損害は小さくとも、その地域全体で見ればその損失は計り知れない。実際に〈アルストロメリア民主連邦〉政府は、それを恐れる大商会から突き上げを受けていた。
 他にも、皇国周辺の小国の中には、万が一皇国との流通が滞れば国の存亡に関わるという国家も存在した。皇国と官民で深い繋がりのあるそれらの小国からの要請を受けて、〈アルストロメリア民主連邦〉などの国家がついに『不当に国権を行使する独裁者』である当代皇王を討つべく、討伐軍を発する――彼らはそのように物語を組み立てた。
〈アルストロメリア民主連邦〉政府としても、皇国の有力貴族に貸しが作れるし、『隣国の悪逆な独裁者』に対して断固たる態度を取ることで主権者である国民からの高い支持が得られる。さらに大商会からの見返りも期待できる上、たとえ直接領土を得られなくても、戦後再び活性化するであろう皇国経済において一定以上の特権を約束してもらえれば、それだけで連邦の経済の底上げに繋がる。
 そして連邦国内の経済が活性化すれば、現政権の立場はより盤石なものへと変化するだろう――そんな連邦政府の考えを後押ししたのは、実は連邦国民の親皇国感情であった。
 国家として事実上の敵国ではあっても、民間段階での貿易相手として長年の付き合いのある皇国国民は、連邦国民にとっては良き隣人である。国土の大半が内陸にあり海上輸送による貿易が困難な連邦は、大海に接し、それに伴い海運国家としての顔も持つ皇国との貿易がその輸出入の大半を占めていた。自然と連邦の国民が皇国からの輸入品に接する機会も多くなり、皇国商人との繋がりもまた太く確かなものになっていた。
 更に今より数十年前、未曾有みぞうの異常気象により連邦が深刻な食料危機に陥ったとき、真っ先に支援を決定し、様々な援助を行ったのは当代皇王の父である先代皇王だった。そんな皇国の動きを見て周辺国が次々と支援に乗り出し、連邦諸国で餓死する者はほとんど現れなかった。
 つまり連邦国民にとって、皇国は恩も義理もある大事な国なのだ。
 それ故に、当代皇王の圧政は国内はもとより〈アルストロメリア民主連邦〉などの諸国でも強く批判されていた。特に民衆の力が強い西方民主国家においては、それが著しかった。
 そんな状況で政府が発した討伐軍を、国民は熱狂をもって支持した。今度は自分たちが皇国の民を救う番だ。連邦首都〈アニュア〉の連邦議会議事堂前の広場では、全国より集まった市民たちのそんな声が唱和された。
 市民の声援に後押しされた連合軍は、まさに破竹の勢いで『賊軍』を粉砕し、そのまま一気に皇都に向かって突き進む。

「中央の支持貴族は何度も防衛線を張ったけど、その防衛線を担っている兵士は徴兵された平民。当然、士気なんてあるはずもない。それどころか公然と連合軍に味方した兵士さえいたそうよ。――まあ、自業自得としか言えないわね……わたしたちにとっては不名誉なことだけれど」

 自嘲気味にわらう彼女。唯一その瞳だけが、悲しげに揺れていた。

「防衛線は虫食い穴だらけ。やっぱり連合軍は止められなかった」

 内応や寝返りが続出し、結果次々と破られる防衛線。やがて支持貴族たちは自己保身のため、皇都への転進を開始した。味方さえ信じられないという状況に、防衛線の維持どころか組織的な戦闘も困難になっていた。
 皇王麾下きか近衛このえ軍を中心として防備を固めている皇都なら、ひょっとしたら辺境貴族たちが救援に来るまで持ちこたえられるかもしれない。そんなはかない期待を胸に、残存兵力と共に皇都へ向かう支持貴族たちだったが、彼らにとって本当の不幸はそこから始まる。

「――支持貴族たちが皇都絶対防衛線に戦力を集結している最中、今から約六ヶ月前の朝、今上陛下が突然身罷みまかられたの」

 自殺とも、謀殺とも、病死とも言われているが、真実は未だ判明していない。
 その頃にはもう皇都は連合軍に包囲されてしまい、中の状況を詳しく知るすべは無かったのである。

「でもこんなことになって困ったのは、連合軍も同じだった」

 何せ、今回の侵攻の大義名分が勝手に消えてしまったのだ。
 悪の独裁者を討つことで幾らかの特権を皇国から得ようとしていた連合軍だが、その独裁者がいなくなってしまえば皇国に武力侵攻する大義を得られない。大義もなく武力による行動を起こせば、今度は自分たちが民衆にとっての『悪』になってしまう。各国政府は、国内の対抗勢力が皇王崩御の情報を掴み、自分たちを政権から引きり降ろそうと画策していることに気付いていた。
 何としても、国民を納得させる勝利を得なくてはならない。
 そんな各国政府の意思を受けた連合軍は、皇王崩御による混乱で悪化している治安を回復するという理由で皇都の包囲を続けた。その間、およそひと月。
 その一ヶ月の間に連合軍に軍を派遣している国家の政府と、彼らを招き入れた辺境貴族の間で停戦条約が締結されるはずだったのだが、そこでも幾つか新たな問題が出てきた。
 辺境貴族たちは事前に約束されていた賠償金の内の何割かの支払いには応じても、各国政府が求めるような経済的な特権は認めなかったのだった。
 約束が違うと詰め寄る各国政府に対し、辺境貴族たちは今や故人となった皇王の身柄を連合軍が引き渡さない以上、約束を果たす義理はないと強硬な姿勢を崩さなかった。今上皇王の身柄を確保できず、大義名分を失ったのは辺境の始原貴族たちも同様だ。これ以上国土と国民を疲弊ひへいさせるような真似は絶対にできなかった。
 各国政府は辺境の始原貴族たちの言い分に一旦は引き下がる。身柄の引き渡しという項目は確かに事前の約束の中にあり、彼らもそれを認識していたのだ。
 だがこの時点で、皇王の身柄はすでに支持貴族たちによって葬られたあとだ。
 そして、皇王のびょうは皇都の地下深くにあり、当代皇王とその近親者と一部の儀式院職員以外の立ち入りは認められていない。
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隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

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