白の皇国物語

白沢戌亥

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10巻

10-2

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「それで、用事は済みましたかね。私はまだ仕事が残っているので――」
「まぁ待て」

 そう言って扉を閉めようとするレクティファールに対し、ルフェイルは身体を扉の間に挟んでそれを妨害する。レクティファールが困惑と怒りが混じり合った微妙な表情で見詰めるが、当のルフェイルはいつもの無表情だった。

「仕事、あるんですが」
「そんなもの、夜でもできるだろう」
「それはそうですが」

 そして、フェリスに怒られる。それを避けたいがために時間を作ったのだが、ルフェイルにそのようなことは分からない。

「時期も丁度ちょうど良いから、今日は俺が色々島を案内してやる」

 生活も落ち着き、周囲を見回す余裕ができる時期。先達せんだつとして様々な情報を与えようとルフェイルが考えたのも自然なことだろう。

「はあ」

 レクティファールはルフェイルの提案に、思考を巡らせた。そういえば、島の地理は事前に覚えたものしか知らない。
 班の仲間と街へ食事に出たこともない。そもそも、街はこの騎士学校に来る前に通過しただけだ。
 今後この島で暮らすなら、知識ではなく経験から知っておいて損はないかもしれない。

「それはありがたいですが、何故なぜ突然」
「前に言ったろう。女には相談できないこともある、と」
「言いましたね、そういえば」

 さして気にもしていなかった。
 ルフェイルの好意を無下むげにしたわけではなく、必要性を感じていなかったのである。
 皇王府からは、島での女性関係について既に連絡があり、どこで誰に面会して欲しいという要請も関係各所から出ている。
 アリアの古巣以外の組合加盟〈〉からも、そういった申し出は多かった。リリシアやメリエラも、義理のみにって立つそれらの求めに対しては理解があり、レクティファールとしてはあえてルフェイルを頼る必要がなかったのだ。
 もっとも、それらの事情をルフェイルが知るはずもなく、彼は純然たる好意と善意でレクティファールを誘っていた。彼自身が、かつての先達せんだつの世話になったように。

「うむ、島のくるわにも連れていってやろう。軍の荒くれ者を相手にするだけあって、なかなか良い女がいるぞ」
「いえ」
「心配するな、騎士様のご子息が行っても問題ない合法の店に連れていってやる」

 言うや否や、ルフェイルはレクティファールの腕を取って歩き始める。
 レクティファールはあわてて部屋の扉を閉め、自動的に鍵がかかったことを確認した。この部屋にだけ取り付けられている自動施錠装置だ。油断すると部屋から締め出される。
 一度、班長として合鍵を持っていたフェリスが、彼宛ての荷物とともに、合鍵と自分の部屋の鍵まで置いたまま扉を閉じてしまったことがある。
 当然、鍵は取りに行けない。レクティファールが戻ったときに見たのは、情けなさのあまり半泣きで膝を抱えるフェリスの姿だった。

「ちょっと……」

 レクティファールはふところに部屋の鍵が入っていることを確かめると、自分を引きるルフェイルに向かって、力なく訴える。

「あの、引っ張らないで欲しいなぁなんて……」
「恥ずかしがる必要はない。向こうは専門家だ」
「いや、そうではなく」
街娼がいしょうなら非合法な女もいるが、なに、俺に任せれば、側妃アリア様にも負けない女のいる店だって楽しめる」
「だから、人の話を聞いてくださいって言うのに」

 ルフェイルはずんずんと足音を立てて宿舎の廊下を進んでいく。途中で、廊下にかかっていたレクティファールの私服の上着を衣紋掛けから外し、後ろに放り投げる。
 続いて、自分の上着を肩に引っかけ、得意げに鼻を鳴らした。

「実は、知り合いから車を借りた。機甲科学校の演習場で新型の自動人形が演習中らしいから、まずはそこから行こうと思う」
「自動人形、好きなんですか」
「男の浪漫ロマンだ」

 鼻息荒く答えたルフェイルは、力強く歩を進める。レクティファールといえば、もうなかば諦めたように脱力していた。抵抗する理由を見付けようとしたが、見付けられなかったのだ。
 そして、最後の抵抗とばかりに、レクティファールはルフェイルに問うた。

「門限までには帰れますかね」
「門限破りも男の浪漫ロマンだ」
「――」

 ああ、やっぱり――レクティファールは嘆息たんそくし、そして完全に諦めた。


         ◇ ◇ ◇


〈アルストロメリア民主連邦〉首都アニュアの中央に鎮座する歴史的建築物。
 その建築物――大統領官邸は、その瀟洒しょうしゃな外壁の色と形状より、人々から〈瑠璃宮殿ラピス・ラズリ〉と呼ばれていた。
瑠璃宮殿ラピス・ラズリ〉は、元々この地を治めていた国王の居城を改修したものである。かつての大国の中心であっただけに、宮殿という豪奢ごうしゃな呼び名も決して間違いではないのだが、現在の政治形態から宮殿という呼び名は相応ふさわしくないのでは、という意見があり、公的には大統領官邸とのみ呼称されている。
 その連邦大統領官邸の一室で、初老の女性が大きく溜息ためいきいた。
 彼女の手には、国務長官ガートンの花押かおう入りの報告書がある。

「国務長官は、わたくしに何を求めているのかしらね」
「皇国に対して〝余計なことをするな〟と言って欲しいのではないですか」

 彼女の愚痴ぐちに近いつぶやきに答えたのは、彼女が最も信頼する補佐官だった。
 竜胆色りんどういろの髪をで付け、銀縁ぎんぶち眼鏡めがねをかけた、青年と呼んでも差しつかえのない風貌ふうぼうである。だが、彼の鋭い視線と理知的な雰囲気は、その年齢を一回りも上に見せていた。
 もちろん、彼女――アルストロメリア民主連邦大統領たるキアラ・バルバロスにとっては、補佐官のいつもの姿でしかないのだが。

「マルドゥクに関わるな、と、わたくしが? 皇国に?」
「はい」

 驚いた様子を見せる大統領に、補佐官は感情の一切を感じさせない声音こわねで肯定した。
 しかし、信頼する補佐官の言葉にキアラは頭を振り、報告書を手渡すことで説明の手間を省く。
 初の女性大統領ということで多くの支持を集めたキアラであるが、現在の支持率は決して高くない。友邦である皇国への侵攻が大きな要因であった。
 疲れたように老眼鏡を外して眉間みけんみほぐし、彼女は口を開いた。

「無理よ。わたくしたちは皇国に大きな借りがある。それこそ、国を一度ひっくり返してもお釣りが来るくらい大きな借りが。でもそれは、国民が思うような感情的なものではないわ」

 国家は感情を持たない。
 感情を持つのは、その国の民である。国民の感情は、ときとして国家の感情のように錯覚さっかくされるが、それはどれほど強くなろうと錯覚さっかくの域を出ることはない。
 ただ変えようのない現実として、アルトデステニアはアルストロメリアの現政権を今の立場から追い落とすだけの情報――先の戦いでの連合軍将兵の犯罪行為や、武力侵攻に至るまでの経緯――を手札として握り、それをいまだ切っていなかった。
 そんな両国の関係を人同士のそれに置き換えたとき、アルストロメリアはアルトデステニアに引け目を感じているとも、アルトデステニアがアルストロメリアの弱みを握っているとも言える。アルトデステニアに好意的な見方をするなら前者であり、アルストロメリアに同情的な見方をするなら後者だ。

「摂政殿下はあの戦いで我が軍をたたいたけれど、人的な損害はほとんどなし。そのせいで、わたしたちは皇国の言う『領主としての自衛権の行使』を認めるしかなかった」

 皇国摂政軍が連合軍を攻撃したという事実は、連合軍に兵士を送っている各国の市民にすぐに知られることとなった。当事者である皇国がそれを宣伝したからだ。当然、市民は憤慨した。自分たちは皇国の国民を守るために軍を送ったのに、何故なぜ攻撃されなければならないのか、と。
 しかし、皇国はこの攻撃を『各国政府の統制を外れつつあった連合軍への牽制けんせいと、領主として領民の生命を守るための正当防衛、治安行動である』とした。
 ――各国政府からの訓示で皇国国民への犯罪行為はげんいましめられていたはずなのに、一部の扇動者せんどうしゃはそれを意図的に破り、不必要に両者の緊張を高めた。その結果両者は望まぬ戦闘状態に突入し、いつしか互いを憎しみ合うこととなった。
 そのような新聞記事が大衆紙に載ったとき、連合軍は悪となり、皇国は正義となった。これを肯定する材料が多すぎたのだ。
 摂政軍が介入した時点で、連合軍は一方的に始原貴族軍を攻撃していた。摂政軍の攻撃はそれを停止させるための正当防衛であり、治安維持行動の域を出るものではない。だからこそ連合軍将兵への被害は最低限に抑えているではないか。この軍事行動は連合軍の殲滅せんめつを目的としたものではない。皇国側の説明はこれに尽きる。
 そして連合各国は、結果としてこの言葉に追従することとなった。
 連合軍が始原貴族軍に対する攻撃を行う直接的な原因となった所属不明部隊が、皇国の部隊ではないと証明されたからだ。
 その決定的証拠となったのは、連合軍に従軍していた写真家の撮った写真だった。彼は自分たちに向かってくる部隊を写真に残しており、帰国後に現像、それを公表した。
 調査の結果、彼らの装備は確かに皇国軍で採用されているものであったが、それは〝皇国貴族軍〟のものではなく、〝皇国正規軍〟のものだと判明した。それも既に大部分が廃棄され、一部が研究用に保存されている旧式装備である。

「参戦していない正規軍が、何故なぜ連合軍を攻撃できるのか。自分たちは正規軍の無実を証明する明確な根拠を有し、それを公表する準備ができている」

 皇国側はそう主張し、軍事機密であるにもかかわらずその装備を持つ全部隊の行動記録を連合軍に提出してその精査を求めた。結果は、皇国側の主張を全面的に支持するものだった。
 それを受け、連合各国は一斉に所属不明部隊が皇国の部隊ではないと発表。
 さらに『あのミラ平原での戦いは、連合と皇国に対して悪意を抱く何者かの策謀であり、連合と皇国の間には既に敵意は存在しない』と付け加えた。
 両者とも、もう終わりにしたかったのだ。
 皇国は帝国との潜在的な戦いが控えていたし、連合はもう戦う理由を失っていた。双方とも戦って得るものはなく、それゆえに戦う意味を持たなかった。
 だから、互いに一番傷の浅い決着で手打ちにしたのである。

「皇国は市場としての我国を捨て切れず、我国は多くの資源を皇国に依存している。我々はもう、互いを滅ぼすには難しい間柄なのよ。もっとも、我国にとって皇国は替えが利かないけれど、逆はどうかしら。それにそもそも――」

 滅ぼすには、それこそ相手国のすべてを手に入れられるほどの力が必要になる。相手に確実に勝つだけの力を手に入れた上に、戦火で荒廃した国を復興させるだけの力を蓄えなければ、戦うことなどできない。そして、今のアルマダ大陸にそんな悠長ゆうちょうなことを考えられる国は存在しない。
 その国内総生産額でアルマダ大陸の三大国と呼ばれる新生アルマダ、アルトデステニア、アルストロメリア。それ以外にも、東方には海軍大国にして貿易大国のイズモがあるし、南洋諸島のパルヴァティアとて多くの海洋航路をその手に握り、決して劣弱国とあなどることはできない。
 世界には、既に大陸を制した超大国も複数存在しているというのに、いまだこのアルマダ大陸は戦乱のついえる気配を見せていないのだ。
 確かに、その戦乱が大陸の活力となっていることは間違いなかった。
 ただ、この状況がいつまで続くか分かったものではない。それも判断の材料として決して忘れてはならなかった。
 イズモに挑発行為を続ける南北の〈ウォーリム教国〉をはじめとして、この世界にはまだまだ外の世界へ拡大しようと企む超国家がいる。
 世界最大の超大国である〈統一帝國エリュシオン〉など、南洋で皇国と一戦交えたと聞き及んでいるし、〈トラン大同盟〉も内輪の争いを糊塗ことするために共通の敵を作ろうと画策しているらしい。
 この世界はあまりにも早く変化している。〈アルストロメリア民主連邦〉という国が劣っているのではないとしても、時流に乗れなかったときは早晩滅んでしまう。
 常に大陸の中で三番手、四番手に甘んじているような国が、果たして百年後、千年後の世界で生き残っていられるのか、想像するだけで気分が悪くなった。
 そもそも、かつてあった国を滅ぼしたこの国が、また新たな力によって滅ぼされることに何の不思議があろうか。
 先人たちは力によって専制政治を打ち倒した。ならば自分たちもまた、力によって倒れるのが道理である。自分たちだけが例外であると盲信もうしんする極端な主義者もいないわけではないが、この国で政治をつかさどる者ならば、一度はその可能性を考える。
 皇国への侵攻も、その可能性からの逃避だったのかもしれない。

「――あの摂政が時代の先を見ているなら、その考えに乗るのもひとつの手段、とお考えですか」

 アルトデステニアは明らかに、帝国との戦いとその先を念頭に、国力の増強に努めている。軍の頭脳集団が提出した報告書によると、次に発生する帝国との戦いは長きにわたる両国の戦乱の歴史に終止符を打つほどの規模になるのではないかとのことだ。
 そして戦いは短期間で決するとも推測されていた。国力の疲弊ひへいを考えれば、二度も三度も総力戦はできない。壊すはやすし、作るはかたし。貴重なものほど作り上げることは難しく、簡単に壊れてしまう。
 国も、人も、そして理想も。
 ならば、たった一度の戦いですべてを決することが最良。
 間違いなく、アルトデステニアはそれを目指している。そのために万難ばんなんを排し、戦い以外で戦いの結末を決しようとしている。
 皇国は勝つために戦うのではない。勝ってから戦うのだ。少なくとも、今の皇国の指導者はそれを志向し、行動している。
 敵として見れば、この上なく厄介やっかいな相手であろう。

「ええ、あの若い摂政が皇王になっても今のままの考えであるなら、それがこの国を生き永らえさせる唯一の手段だと思うわ。国父アニュア・ハイストが夢見た国民のための国民の国家、その形がただひとつしかないなどと、誰が決めたの?」
「――おっしゃる通りです」

 頭を下げた補佐官は、しかし自らの大統領の考えに完全に同意したわけではない。
 妥協だきょう怠惰たいだに繋がる。自国の運命を他国の君主にゆだねるなど、この国を作り上げた先人たちに対する裏切りではないか。
 確かに現状で、この国を亡国としないためには、大統領の言う策が一番適しているだろう。
 しかし将来、現大統領が政権から退いたときは、また別の考えがこの国を導く。皇国のように何百年も同じ元首が国を導くというのは、この国ではありえない。それがこの国の長所であり、短所でもある。
 誰もが頂点に立てる国。だがその足元には、敗れ去った数多あまたむくろが積み重なっている。

「大統領、上院院内総務との会食の時間です」
「分かったわ」

 もしかしたらこの地では、あの若き支配者のべる国よりも多くのむくろが、とむらわれることなく野晒のざらしになっているのかもしれない。
 ここは、敗者が消え去る国なのだ。


          ◇ ◇ ◇


 自動人形を開発するにあたり、皇国は公的な研究機関をひとつに絞り込んでいる。
 これは、軍事機密のかたまりである自動人形技術を厳格に管理するためであり、また、潤沢じゅんたくに予算を投じるための手段でもあった。
 門扉もんぴに『皇立』を表す十字星をあしらったその施設は、皇立特務機兵研究院――通称『特機研』と呼ばれている。
 レクティファールとルフェイルは、ここの演習も見に来たのだ。
 しかし、少し時間が早かったため隣接する演習場では、まだ何もやっていなかった。そこで、面白いものはないかと研究院の周囲をぐるぐると回っていたふたりであるが、警衛けいえいに見つかった挙句あげくに、調書を取るからと連行された。
 ルフェイルは同じことを幾度も繰り返しているらしく、警衛分隊の中に顔見知りが何人もいる始末であった。騎士学校の候補生であるため厳重注意だけで済んでいるが、これが他国などの侵入者であれば、既にふたりの生命はない。
 いい加減にしろよ、騎士学校出てから配属希望出せよ、という警衛分隊長の愚痴ぐちを聞き流しながら、ルフェイルは慣れた様子で調書を埋めていき、レクティファールはこれが調書かと興味深そうだった。そのふたりの対比は、警衛たちの間でしばらく語りぐさになったらしい。
 その後ふたりは、警衛たちの見送りを受けて研究院をあとにしようとしたが、たまたま彼らの存在を知った研究院の理事会が、案内役を付けて見学させてくれるという温情を見せた。背後に誰かの存在を感じたレクティファールは、はじめそれを断ろうとしたが、断った方が面倒が多いと判断する。
 ただ、忙しい職員の手をわずらわせるのは忍びないと伝えると、今度は、休日にもかかわらず趣味で研究室に来ている若い研究者がいるという返答があった。その際に、理事会の使いと名乗る事務員が苦虫をつぶしたような表情を浮かべていたのが、レクティファールには印象的だった。
 もっとも、彼の知る研究者も他人に似たような表情を浮かべさせることが多かったため、納得する部分があった。

「それでは、こちらにその研究室の番号が書いてありますので」

 事務員はそう言って一枚の用箋ようせんを差し出し、礼を失さない程度の身ごなしで、そそくさとその場を立ち去った。

「仕方がない、うん、仕方がないな」

 ルフェイルは思わぬ幸運に浮き足立っていた。一方、レクティファールは自分の組織がとどこおりなく動いているかその目で確認する良い機会を得たと考えるべき、と思っていた。本来の立場で視察するとなると面倒が多いが、単なる見学者としてならそれもない。
 実際に仕事をしている研究員たちの声をそのまま聞く機会など、これから何度もあるとは限らないのだ。やはり、幸運だと思って受け止めた方が良いのだろう。

「では、行きますか」
「おうとも」

 生まれて初めて遊戯園ゆうぎえんに行く子どものように、ルフェイルの足取りは軽やかだ。
 レクティファールは落ち着きのないルフェイルを先導しながら、研究所の奥へと足を踏み入れた。


          ◇ ◇ ◇


 神々の御代みよから現代に至るまで、知恵ある者どもは多くの生き物を使役してきた。あまり知能の高くない竜種や亜獣、魔獣などである。
 その中で、皇国の最先端技術を支えている生き物がいる。彼らは自動人形や魔導式甲冑かっちゅう、民生品の強化服にも自らを提供し、皇国の民の生活をしっかりと守っていた。
 彼らは学術的、公的には「触腕種ランカード」と呼ばれ、広くは「触手族ランキア」と呼ばれている。種があまりにも多様に過ぎ、分類すると竜種の百倍にもなると言われていた。
 皇国で彼らは、いわゆる一般的な国民としての扱いを受けていない種族のひとつとされている。それは彼らの大半が、国民として認められる条件のひとつである〝何らかの言語を介した意思疎通ができる〟に当てはまっていないからだ。
 ただ、彼らのうち一部の個体は、身体を発光させて文字を表示したり、接触した相手に直接自分の意思を伝えることができる。また、その知能についても、他の知恵あるものどもと変わらない個体も少なくなく、皇国に対する貢献度から言っても、単なる魔生物として扱うのははばかられた。
 そのため、彼らは国民としての権利と義務をいくらか制限された二種国民として登録されている。もっとも、国民という区分で彼らを見る国は、皇国以外ではたった一国しか存在しない。さらにそのもう一国も、ただ法的に認められているだけで、実際に居留する触手族ランキアはひとりもいないのだが。

「――お邪魔……ですかね?」

 であるからして、触手をうねうねと動かした彼らが扉の向こうにいたとしても、この国では驚くようなことではない。

「うわひゃああ! ちょ、ちょっと待ってください! これは決して……」

 二種国民の婚姻こんいんなども条件付きで認められている以上、触手族ランキアとその他の種族が仲良くしていても何ら問題はない。いて言えば、職場でそういうことをするのはどうであろうかという職業倫理的な問題である。

「ぉおおおおおッ! ちょっと写真機持ってくる……!」
「待ちなさい、相手が了承しなければ憲兵けんぺいのお世話になります」
「ちぃッ!」

 舌打ちするルフェイルを横目に、レクティファールは研究室の現状を確認していく。
 室内は個人研究室として規格化されたもので、本棚と机、そして資料室や実験室になる隣室に繋がる扉で構成されている。その部屋の中心で、赤い表皮を持った触手族ランキアと、この部屋のあるじらしい女性研究員が絡み合っていた。
 何がどうなっているのか、レクティファールにはさっぱり分からない。
 ルフェイルはぐっと拳を握って喜んでいるが、くだんの女性研究員はあせってより深く触手と絡む羽目になっていた。

「ほ、ほどけない……イズルカ、ほら、いい子だから……ね?」

 女性研究員はそう言って触手族ランキアに話しかけ、触手族ランキアは赤い表皮を点滅させてそれに答える。

「ルフェイル、もしかして我々を警戒しているのでは?」
「俺は何もしてないぞ」

 多少の自覚はあったのか、ルフェイルはレクティファールの推測にばつが悪い表情を浮かべて顔をらす。
 そうした態度が幼馴染おさななじみを怒らせるのではないかと思ったレクティファールだが、本人の自覚がないのであれば他人が口を出すことではないと判断した。

「それはそれとして、出直した方が良いですか?」
「いえ、お客様の案内を、と連絡を受けておりますので、もう少しお待ちを!」

 研究員は、イズルカと呼ばれた触手族ランキアなだめ、何とかその拘束こうそくを解いてもらう。拘束こうそくとは言っても、一般的な女性の動きを制限する程度の力であったから、衣服にしわが寄るくらいしか目に見える被害は出ていない。
 イズルカも、おそらく彼女を傷付けるつもりはなかったのだろう。

「申し訳ありません。わたしが担当している子なんですが、あまり人に慣れている種族ではないので……」

 衣服を正し、こうべを垂れる研究員は、そこでヘスティ・ラ・フリーガシンと自らの名を告げた。レクティファールたちも揃って自己紹介し、部屋の片隅にあった応接用の革椅子へと案内される。

「あの子の種族は赤烙種ル・ブランディアと呼ばれるもので、次世代の自動人形に用いられる駆動装置の根幹を成す、魔導筋組織に組み込まれる予定なんです」

 ヘスティの言葉は、先にこの研究所が発表した官報に記載されているものだ。魔導筋組織は他国も同じように研究を重ねているが、皇国は一番乗りで実用化の目処めどが立ったという。

「ただ、これまではあまり人と触れあう機会はなかったんです。最近は研究者たちと一緒に暮らす個体も増えているのですが、やはり小さな頃から慣れていないとなかなか……」
「なるほど」

 触手族ランキアのうち、人々と暮らすことが多いのは、やはりその身体が種々の工業製品の素体として利用されている種だ。それ以外の種族となると、あまり人の目に触れることはない。

「ええと、研究所の案内ということですが、わたしの所属する第三部の方でよろしいですか?」

 第三部は、主に自動人形の主骨格系の研究開発を行う部署だ。他には操縦系、制御系を主として研究する第一部と外装系や伝送系を主に扱う第二部、武装を扱う第四部などがある。
 実際には部を越えてひとつの計画を進めるのだが、施設として見ると、これらの部署はそれぞれ別の場所で仕事をおこなっていた。
 特に第三部と第四部は、他にくらべて広大な敷地を有している。主骨格も武装も、実機を組み上げて様々な試験を行うからだ。場合によっては、軍の施設を借りることもある。

「もちろん、いや、むしろ是非ぜひお願いしたい」

 ルフェイルが身を乗り出すと、ヘスティはおびえるように身を引いた。それほどルフェイルの目は炯々けいけいと輝いており、まるでヘスティを捕食しようとしているようにも見える。
 部屋の奥に鎮座する金属製の筒から触手の一部をのぞかせていたイズルカが、再び警戒色で身体を染める。どうやらヘスティが危険にさらされていると判断したらしい。
 レクティファールはルフェイルの肩を押さえ込むと、笑みを浮かべて礼を述べる。

「感謝します。我々としては、これから何度も戦場をともにするであろう自動人形の成り立ちを知る良い機会です。是非ぜひともお願いしたい」

 レクティファールの言葉は、はやるルフェイルの肩を押さえるための方便に過ぎない。
 早く連れ出さなければ、こちらをじっと見詰めている――と思われる――触手族ランキアに襲われてしまう。

「はぁ……それでは早速参りましょうか?」
「ええ」

 レクティファールは、立ち上がったヘスティに合わせ、イズルカの触手がにゅっと伸びた様子を見て、これはやりにくいと苦笑した。
 触手系の種族は、ヒトと若干思考体系が異なる。ほとんどの者たちが彼らを魔獣の一種として扱うのは、自分たちとの相互理解が難しいと判断したためだ。
 二種国民という扱いも、あくまで法的なものとして捉えるのが常識である。ただレクティファールは、その感情の起伏を類型化することで、何とか意思の疎通が可能になるのではないかとひそかに考えた。

「では、少しお待ちください」

 そう言ってヘスティは部屋の奥へと向かうと、イズルカに対して手を伸ばし、イズルカの身体を自らの肩へと導いた。

「この子、置き去りにすると悪戯いたずらするので……」
「なるほど、それも職務のうちであるならば、我々が口を出すことではありません。ねえ、ルフェイル?」
「おぉ、何か俺をにらんでいる気もするが、別に」

 ルフェイルはイズルカの動きを警戒しながらもうなずき、ヘスティはほっとしたように胸をで下ろした。

「良かった。外部の人は、この子を連れ歩くとあまりいい顔をしないんです。本職の軍人さんはやっぱり違いますね」

 笑みを浮かべるヘスティに、ふたりは引きった笑顔を返した。
 どうやらこの女性、一癖ひとくせあるらしい。


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