白の皇国物語

白沢戌亥

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19巻

19-1

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 騎士たちの時代は長かった。
 しかし、騎士が単なる名誉のみの存在となるまでの時間は短かった。
 戦士階級として生を受けた彼らはやがて、もっとも戦場から遠い場所で起居することになる。騎士の特権階級化、貴族化だ。
 彼らは指揮官コマンドルではなくなった。彼らは兵士ソルダドですらなくなった。
 それは騎士という概念の崩壊であり、騎士の終焉しゅうえんだった。
        

 ――シルヴィア大公暦二十二年刊行 ヒューリ・アダン「騎士道の終わり」より



   第一章 古い友人



 友情というものの価値は、様々な外的要因によって時々刻々と変化する。
 無二の親友が最悪の敵になることもめずらしくはない。特に物語などでは、往々にして見られる光景だ。
 彼らは互いをよく知るがゆえに、観客を魅了みりょうする戦いを演じることができる。きずなが深ければ深いほど、その戦いは苛烈かれつなものとなり、人々にとっては魅力的みりょくてきに映るのだ。
 だが〝魅力的みりょくてき〟というかんむりを付けることが可能なのは、物語の中でこそである。
 現実に同じことが起きれば、〝魅力的みりょくてき〟ではなく〝凄惨せいさん〟へと変化する。
〈アルトデステニア皇国〉と〈アルバンライツ騎士国〉の間柄は、そういった状態にあった。


 ヴェストーレ半島国家群の一である〈プロートス〉の海軍将兵にとり、皇国海軍の一個艦隊をじかに目にするというのは、心の底からき上がる憧憬どうけいや恐怖との戦いであった。
〈プロートス〉のラウリッツ半島の沖合に停泊した〈アルトデステニア皇国〉海軍第三艦隊の威容いようは、期間限定の観光名所として人々の注目を集めていた。
 先ごろ発生した〈新生アルマダ帝国〉との紛争では、帝国海軍東方艦隊とにらみ合った第三艦隊は、紛争の終結に伴って通常の海上防衛行動に入っていた。
 その一環として〈プロートス〉への親善航海が行われ、現在第三艦隊の約三分の一がここにいる。
 残りの三分の二は、通常の防衛行動のためにレムリア海を遊弋ゆうよくしていたが、第三艦隊の誇る航空戦隊については、過半が親善航海の任にあった。
 そんな航空戦隊を構成する戦龍母艦の一隻いっせき、〈ルストヴェンデ〉の上空を、エーリケはぐるりと旋回せんかいする。
 彼の目から見ても、〈ルストヴェンデ〉は巨大な艦であった。人工の大地と言っても過言ではない広大な全通式飛行甲板には多数の飛竜が歩き回り、艦首の射出機から発艦する騎もある。
 魔法による補助を用いず、母艦側の機構のみで射出するようになってから、飛竜の戦闘継続時間は飛躍的に上昇した。
 飛竜たちがもっとも体力を消耗しょうもうするのは発艦のときだ。それを軽減し、さらに短時間で多数の騎を空に上げるためには、こういった機構が必要不可欠だった。
 この艦載型の射出機について、皇国は世界でもっとも先んじていると言っていい。魔力を一時的にめ込み、それを射出装置に送り込むことで爆発的な加速を生む魔動機械の開発は、魔導大国である皇国でなければできなかったとまで言われている。
 送り込む側、送り込まれる側の双方に大きな力が加わるせいで、その力に耐えうる構造についての技術の蓄積がある皇国が有利だったのは確かだ。
 他にも、皇国の戦龍母艦には様々な新機軸が盛り込まれている。海上航空基地としての意味合いから、超長距離探測儀とそれを用いた誘導装置が搭載されていた。
 皇国の造船技術の最先端が、戦龍母艦だった。
 ――何もするな、か。
〈ルストヴェンデ〉の艦橋の横を通過しながら、エーリケは出発前に父から厳命されたことを思い出した。
 必要な場は父たちが作る。だからそのときまで、エーリケは決して動いてはならない。そしてそれを彼に守らせるために、父と主君のレクティファールは監視役までも派遣してきた。

〈エーリケ、降りてきてくれ〉

 念話で一方的に送りつけられた言葉によって、エーリケは〈ルストヴェンデ〉の艦橋構造物へ目を向ける。
 艦橋の隣にある見張所では、彼の幼馴染おさななじみが手を振っていた。
 外務院の親善特使として派遣されたケルブだ。

〈ヴァイアス〇一。着艦を許可します〉

 念話に続き、艦内の航空管制室から着艦の許可が与えられる。
 ケルブが管制室に、エーリケを戻すよう要請したのだろう。
 この艦の艦長は、新米士官だった頃にマリアに指導された経験を持ち、しかも、その後マリアの妹であるイザベルの部下となった、海軍主流派――蒼龍公閥のひとりだ。
 ケルブが乗艦したときは、エーリケよりも圧倒的に扱いが上――特使という立場を差し引いても――で、ことあるごとに「若」「若」とやかましい。
 艦長は見た目が若い女性であるため、ケルブも追い払うことができず困り果てている。

〈こちらヴァイアス〇一。着艦する〉

 エーリケは念話を送り、翼をひるがえして艦の後方に回り込む。
 虚空に誘導灯が浮かび上がり、彼を艦へと導いていく。
 戦闘中は敵に見つかりやすいからと用いられない装備であるが、平時の訓練であれば正しい着艦の感覚を養うために使用されることが多い。
 これもまた、他国ではあまり見かけない装備のひとつであった。

〈進入路適正。速度を一一〇に〉
了解ヤー。進路そのまま、速度一一〇〉

 エーリケが視線を下に向ければ、停止中にもかかわらず、艦の周囲には水流制御の術式がぼんやりと輝いて見える。不可視化処理のされていない術式は幻想的に艦を彩っているが、単なる観賞用ではなく実際には喫水下きっすいかの防御に艦周辺の海水を使用するためのものだ。
 術式を用いて水の流れを制御し、魚雷などの爆発力を防ぐ。それ自体は戦闘中も行われることだが、停泊中は水流そのものが壁となって防御を固めている。
 停泊中の艦船ほど、敵に狙われやすい。
 皇国の艦船は完全に船足が止まった状態でもその場で旋回せんかいできるが、やはり動きはにぶくなる。だから、先ほどの防御に加えて、エーリケの眼下の水中では、警戒担当の水龍が泳ぎまわっているはずだった。

〈制動術式を作動。速度九〇に〉
〈術式作動確認。速度九〇。了解〉

 ぐんぐんと近付いてくる飛行甲板。
 彼の着艦する場所には特に障害物はないが、着艦直前に突風にあおられて艦橋にぶつかった者もいないわけではない。最近の探測儀は、空気中の気圧変化を即時観測しているので、突風さえ察知できるのだが、機械装置に完璧はない。エーリケは自分でも警戒を続けながら飛行甲板に進入した。

〈着艦〉

 エーリケは告げ、大きく翼を広げて速度を落とす。
 すでに高度は甲板から二メイテル程度で、速度を完全に殺しきると、そのまま両足を甲板に押しつけた。
 ぐん、と甲板がへこみ、衝撃を吸収する。以前は不快に感じたこの感触も、安全に着艦するためだと思えば納得できるし、近頃は慣れてきた。
 この機構が装備されるようになってから、着艦時の事故は一割も減った。
 飛竜が足を痛めることがなくなり、艦の損傷もなくなった。こうして様々な機構が取り入れられ、今も戦龍母艦は進化し続けているのだ。

〈着艦確認。以上〉

 管制室からの接続が切れ、エーリケは人の姿に戻る。
 変身を終えて目を開けると、そこには青い髪の青年――ケルブが微笑ほほえんでいた。

「空軍だっていうのに、うまいものだね、エーリケ」

         ◇ ◇ ◇


 エーリケとケルブは、そのまま連れ立って艦内にあるエーリケにあてがわれた士官室に入った。
 高級士官用の個室は、応接間と寝室に分かれている。戦龍母艦や戦艦ではめずらしくないことだが、個室など艦長以下の幹部にしか与えられない駆逐艦乗りが知れば、泣いてくやしがる待遇だ。

「リン殿についての情報が入った」

 リン――エーリケの婚約者で、彼の子を身ごもっている。当人も先日まで知らなかったが、彼女は〈アルバンライツ騎士国〉を治める大公の隠し子だった。
 それゆえに、皇国に外交上の問題が起き、レクティファールが尻拭しりぬぐいをしている。
 しかも、そんな中でリンは、大公の弟である伯爵はくしゃくによって〈アルバンライツ騎士国〉に連れ去られてしまった。リンを無事に取り戻すには、より繊細せんさいな交渉が必要となったのだ。
 その一手として、この第三艦隊も、表向きは〈プロートス〉での演習を含む親善航海として海に出ているが、実際は〈アルバンライツ騎士国〉を目指していた。到着後は、ケルブとエーリケが大公と面会することになっている。ただ、当の相手はまだそのことを知らないのだが――
 ケルブの言葉に、黒豆茶を用意していたエーリケの手が止まった。
 かたかたと震える手を押さえ、エーリケは平静を装って茶を注ぐ。
 ケルブはエーリケの内心を気遣ってか、最初の一言以降は何も言わなかった。
 心の準備が必要なのだ、エーリケには。

「ほら」

 差し出された黒豆茶には、砂糖と牛乳が入っていた。
 ケルブは昔から黒豆茶をそのまま飲むことができない。

「ありがとう」

 受け取り、一口すする。目の前の椅子いすに座ったエーリケが、じっとこちらを見詰めていた。
 続きを話せと、彼の目が迫っていた。

「彼女は無事だよ。ただ、警戒厳重な城に軟禁なんきんされているから、さらうとかそういう非合法な手段は無理だ。それに、分かっているのは居場所だけだから、無茶はできない」
「――ちッ」

 エーリケの舌打ちを聞き、ケルブは溜息ためいきを漏らすこともできない。
 予想通りの反応だ。
 この幼馴染おさななじみは昔からこらえ性がない。しばらく離れて少しは成長したかと思ったが、根本的には子どもの頃から変わっていないようだ。

「僕たちが公都におもむくのは三日後。特使として大公閣下に陛下の婚礼式典への招待状を手渡すことになってる」
妥当だとうだな。商公爵なんて呼ばれてる蒼龍公の次期当主。普通の感覚を持ってるなら他の三家よりも仲良くなりたいだろ。俺だって、親父よりはマリア様と仲良くなりたい」

 エーリケはそううそぶきながらも、目は笑っていない。
 ケルブは剣呑けんのん幼馴染おさななじみの表情に肩をすくめた。

「母上は殿下と仲がいいからね、横から手を出さない方がいいよ。母上は僕が知る中で一番独占欲が強い。それを抑えるすべは知ってるけど、抑えるのをやめたら、今の妃候補がまとめてかかっても勝てない」
「――――」

 ケルブの言葉は事実であるが、実際にはエーリケに自制を求める意味を持っていた。
 レクティファールの意思に従う貴族は多い。四公爵家はすでにレクティファール派であるし、ケルブも親友と君主を天秤てんびんにかければ君主を取る。
 そんな状況下で我を通し、国に損害を与えれば、今度こそエーリケの生命はない。
 貴族の罪は平民のそれよりも重くなるのが常だ。そうしなければ国は保てないのだから。

「今朝だったかな。妙につやっぽくて機嫌のいい母上から連絡があって、準備は順調に進んでるから君を押さえつけておくようにってさ。あれはきっと、昨夜あたりに殿下が遊びに来てたね、絶対」

 母の夜遊びにも慣れたケルブ。
 マリアが単に遊んでいるわけではないと知っているからか、それとも妨げるようなことをして母ににらまれたくないからか。
 少なくとも、彼はレクティファールが相手である限り、母を止めようとは思わない。レクティファール自身から求められれば別であるが。

「こんなことを言うのは卑怯ひきょうだけど、僕は君の気持ちが分かる」

 ケルブの強い口調に、エーリケが顔を伏せた。
 確かにケルブであれば、エーリケの内心を理解できるだろう。妻のシヴェイラを奪われ、けがされ、しかもその様子を延々と見せつけられてきたのだ。
 それを持ち出された以上、エーリケは何も言うことができない。そもそも、自分が幼稚な独占欲に駆られているだけだと理解していた。

「そして、君に僕と同じくやしさを味わわせたくない」

 ケルブの本心だった。
 誰にも自分と同じ境遇を経験させたくない。特に娘や母には、幸せになってもらいたかった。
 そうでなければ、自分の味わった地獄は無意味になる。

「僕は弱かった。シヴェイラを守れなかった。だからもう、二度と同じ間違いは犯さない。そのために、君に協力して欲しい。この通りだ」

 ケルブが頭を下げると、エーリケはあわてて腰を浮かせたが、頭をきながら元のように座り直した。
 ケルブの過去を知るからこそ、ケルブの決意を知るからこそ、エーリケは動けなくなった。本当に卑怯ひきょうだ。そう思った。

「くそったれ。マリア様と義弟がよろしくやってるときに、俺はお預けだッ」

 分かりにくい承諾の言葉。エーリケのせめてもの報復で、気遣いだった。
 ケルブはほっとしたように笑みを浮かべると、直後底意地の悪い表情に変わった。どこか、母に似た表情だった。

「あと、母から伝言」
「あ? なんだよ? 生憎あいにくだけど義弟夫婦に喧嘩けんか売るようなことはしねえぞ。妹を出し抜く手伝いとか」

 そんなことをすれば、妃候補全員から敵判定を食らう。
 そうなったとき、彼の皇国での平穏はありえない。

「いいや、殿下にちょっと手ほどきして欲しいんだって。自分じゃちょっと恥ずかしいからって……」
「マリア様が恥ずかしがるってなんだよ。天変地異でも起きるんじゃないか?」
「僕もそれは同意するところだけどね」

 ケルブはこれまでの張り詰めた雰囲気を取り払うように嘆息たんそくし、親友に告げた。

「目隠しとかそういう方面の知識を、殿下に教えて欲しいって」

 がん、と応接卓に額をぶつけるエーリケ。
 薄い鋼板製の応接卓が、彼の額の形にへこんだ。

「ああッ!? 人が恋人を取り戻そうって必死になってるときに、あのヒトは何を!?」
「いや、将来のうちの娘とか君の妹のためとか言ってたよ」
「もっとまずいだろ!」

 エーリケは怒鳴どなりつつも、自分の知識をざっと確認した。
 とりあえず、百時間講義しても問題ない量の情報があった。自分で自分をなぐりたくなった。

「何やってんだよ、俺……」

 がくりとくずおれるエーリケの姿に、ケルブは黒豆茶をすするだけだ。
 これでエーリケの精神状態は持ち直した。単に待たせるだけでは張り詰めるばかりで、いつか切れてしまうだろう。
 だから、こうして緩めることも必要なのだ。母もそれを知ってこのような伝言を持たせたのだろうが、自分のためでもあるにちがいない。
 そう考え、ケルブもエーリケと同じようにくずおれそうになった。
 確かに、前に父から聞いたことがある。
 母はそういったことに対して非常に探究心があり、またそれに向いた心身を持っている。自分はもう限界だ、助けてくれ、と。
 当時は意味がよく分からなかったが、母が蛇とも綽名あだなされる蒼龍の一族の女であることは理解できた。
 できれば娘は真っ当に育って欲しいと思いながら、彼は娘が死んだ魚のような目でぶつぶつとレクティファールに対する愚痴ぐちこぼしている光景を思い出した。

「もう遅いかもしれないなあ、シヴェイラ」

 娘には、熱くはあるがさっぱりした性格の紅龍の女らしい性質を受け継いで欲しかったが、どうやら熱く全力で尽くし通す種類の女になったようだ。

「――龍族を複数めとるのは、失敗かもしれないね」
「――そういうことは初代陛下に言ってくれ」

 ふたりは揃って深々と溜息ためいきき、互いの今後の健闘を祈った。


         ◇ ◇ ◇


「へくちっ」
風邪かぜですか、マリア」

 皇城に来たマリアが、登城する建前である婚礼式典の擦り合わせをしている最中に小さくくしゃみをした。
 レクティファールは首をかしげて懐紙かいしを手渡したが、マリアは息子たちがいるであろう方向を半眼でにらえた。
 懐紙かいしを受け取り、鼻をぬぐい、彼女は言った。

「どうやら、再教育が必要な子どもが二名ほどいるようですわ」
「それはそれは。やりすぎないように」
「ええ、殿下ではありませんもの」

 そう言われ、レクティファールは眉根まゆねを寄せる。
 確かにやりすぎるきらいはあるが、マリアほどではない。

「私は相手が再起不能におちいったり、精神回復に何ヶ月もかかるようなことはしませんけど」
「あら? そうですか?」

 マリアはぺろりとくちびるめ、レクティファールの鼻先をとんと突いた。

「龍族が降参するほどはげし――」
「ルーラ、お茶ください」

 マリアの言葉をさえぎり、レクティファールは秘書官を呼ぶ。
 すぐに桜色の髪を持つ秘書官が現れ、彼の前に新しい磁碗じわんを置いた。

「どうぞ」
「ありがとう。でも、扉の前で聞き耳を立てないように」
「聞き耳など立てていません、耳がいいだけです」

 ルーラは無表情で答え、レクティファールはそうですかとつぶやく。
 無視された形のマリアは部屋の隅でいじけていたが、ふたりは気にしなかった。

「やっぱり年増はダメなのね、でも年齢とかどうしようもないじゃない。若返るとか、それをやったらもう自分が年寄りだって認めてるようなものだし……」

 マリアにちらりと目をやってから、レクティファールはルーラが盆の陰でそっと差し出した用箋ようせんに目を通した。
 その内容を確認し、彼はルーラにうなずいてみせる。

「退出してよろしい」
「はい」

 マリアは相変わらずいじけたままであるが、レクティファールは椅子いすに深々と座り直して天をあおいだ。
 厄介やっかいごとが迫っている。それも、かなりの速さで。

「殿下、随分ずいぶんそそられるお顔をしてらっしゃいますね」

 近くからマリアの声が聞こえ、レクティファールは視線を正面に戻す。
 そこには、いつの間にか近付いていたマリアの顔があった。
 彼女はレクティファールのひざの上に横座りになり、まるで蛇のように両腕を彼の首に絡める。

「殿下の好きな厄介やっかいごとですか?」
「私が厄介やっかいごとを好いた記憶はありませんが、厄介やっかいごとに好かれている自覚はありますね。今みたいに」
「ふふふ、確かに蛇みたいな女に絡まれるのは厄介やっかいごとですわ。でも、厄介やっかいごとは男をみがく好機です。もっとわたくし好みになって、フェリスをくやしがらせてくださいませ」
「その鬱憤うっぷんは私に向かうんですが、そのあたりはどうお考えで?」

 レクティファールの悄然しょうぜんとした問いかけに、マリアは嬉しそうに答えた。

「それもまた、わたくし好みに殿下をみがく好機ですわ」

         ◇ ◇ ◇


〈アルバンライツ騎士国〉の首都は、ハーデンセンという古い歴史を持つ港町だった。
 レムリア海に接する風光明媚ふうこうめいびな都市で、年間を通じて様々な国から観光客が訪れる。
 新市街と呼ばれる、ここ二百年の間に整備された区画には、大規模な市場や宿泊施設が建ち並び、観光客を相手にする商人たちの生きのいい声が響いていた。
 そんな新市街地と大公宮殿などをようする旧市街地との境界線付近に、各国の大使館がのきを連ねる通りがある。
 ルミレーツ通りと呼ばれるその通りのもっとも目立つ場所で、〈アルトデステニア皇国〉大使館は星龍旗をひるがえしていた。
 大使館の中は、今朝方本国から届いた通達によって、各部署がはちの巣をたたいてたたいてたたき落としたかのような騒々しさだった。

「閣下! 大使閣下! これはどういうことです! なぜこの時期に、友好国の眼前に戦母を並べるような真似まねを……」
「すでに大公府より事実確認の通信がきております! これではまるで敵対国に対する行動だと!」
「ええい! 大使閣下と海軍武官殿はどこだ! 事実を確認しなければ動くこともできんぞ!!」

 通達の内容はそれほどめずらしいものではない。少なくとも、大使館への通達の部類としてはごく一般的なものだと言っていいだろう。
 内容は『当該国海域に海軍の航空打撃戦隊を送り込む』というもの。
 それは間違いなくめずらしい通達ではない。
 ただし、相手国が友好国であり、事前に予定していない行動でなければ、だ。


「海軍の予定は〈プロートス〉での親善航海ではなかったのか! ええい、殿下が狂ったというわけではない。それは分かっている。しかし、これはあまりにも性急すぎるではないか……!」

 アルバンライツ駐箚ちょうさつ大使マンディ・トフュールは、自らの助言者である海軍駐在武官ミドラー中佐を前に、頭を抱えていた。
 ミドラー中佐は大使の様子に深い同情と共感を抱きはしたものの、それを明らかにすることは自分の仕事ではないと理解していた。
 彼は海軍を代表するものとして、大使の意思決定を支援しなくてはならないのだ。

「閣下、海軍本営から、すでに艦隊が移動を開始したという連絡が届いております。建前は如何様いかようにも作れます。それこそ、帝国の艦隊に動きあり、とでもに報告を提出すればよろしい」

 不幸なことに、ふたりは海軍第三艦隊の行動が予定通りであることを知らされていない。レクティファールにとっては必要な隠匿いんとくなのだが、ふたりにしてみれば、海軍の一部が暴走したとしか思えなかった。
 さらに悲劇なのは、マンディは〈アルバンライツ騎士国〉における皇国の代表者であることだった。
〈アルバンライツ騎士国〉に対してはもちろんのこと、皇国本国に対しても〈アルバンライツ騎士国〉における皇国の行動の責任が生じてくる。
 海軍第三艦隊がこちらを目指している以上、その動きについて、〈アルバンライツ騎士国〉と皇国双方に弁明する立場にいたのだ。

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