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19巻
19-2
しおりを挟む「――まさか私に、摂政殿下へ虚偽の報告をせよというのか!? そのようなことをすれば、私は……」
「お言葉ですが、閣下。海軍軍人として申し上げるとするならば、どこの国のものにせよ、艦隊がまったく動きを見せないなどということはありえないのです。艦隊は生き物です。生き物である以上、常になんらかの代謝を行います。それは間違いございません」
「常ならば艦隊を動かすには足りないような動きを、過大に見積もるということかね?」
マンディの顔に血色が戻る。
自分の外交官僚としての道が途絶えそうになったところに光明が差したのだ。このような反応を示すのは当然だろう。
「我々が行うべきは、敵を過小評価することではありません。少々過大になったとしても、以降の対処の助けとなる情報を発信することです」
それに、と息を整え、ミドラー中佐は囁く。
「すでに状況は動き出しているのです。アルバンライツに反論するための材料にしたところで、ひとつでも多い方がいいでしょう? なに、よしんばこの情報が敵の動きを見誤ったものだとしても、こちらに被害がないならば、本国は我々を罰したりはしませんよ。それが我国の最大の美点なのですから」
「そ、そうだな。私はあくまで祖国を思ったからこそ、帝国の動きを報告するのだ。うん、その通りだ。すまないが文面の方は頼んでもいいかね? 決裁は秘書に伝えておくから、君が私の名前で行っておいてくれたまえ」
「かしこまりました。――閣下、そろそろご息女の鍵盤琴の発表会のお時間ではありませんか?」
「おっと、そうだった! すっかり忘れていたよ!」
マンディは慌てて椅子から立ち上がると、鏡の前で襟をととのえ、衣裳掛けに引っかけてあった礼装の上着を手に取る。
「私は、あの子にこの国で鍵盤琴を学ばせたかったから、ここへの大使就任を希望したんだ。この国でそれなりの賞をとれば、少なくとも悪い嫁入りはさせずに済むからね」
嬉しそうなマンディの様子に、ミドラー中佐は苦笑する。
眼前の全権大使は、官僚としては限りなく小者の精神しか持っていないが、誰憚ることのない家庭人だった。
娘に自分の希望を押しつけることなく、娘の希望に自分の希望を摺り合わせる父親としての度量を持っている。
もしもその度量があと少しだけでも仕事に向けられていたら、〈アルバンライツ騎士国〉のような実質的な属国ではなく、もっと華々しい友好国の大使に任命されていただろう。
「では、中佐、あとのことをよろしく頼む。土産は期待してくれていいぞ」
「ははは、楽しみにしております」
軽やかに廊下を歩いていくマンディの足音を聞きながら、ミドラー中佐は海軍士官学校と騎士学校の同窓に連絡を取ろうと決めた。
自分は本国の政治から遠ざかっているが、同窓生の中には海軍本営に勤めている者もいたはずだ。彼らに情報を求めれば、突然の戦母訪問の理由も分かるかもしれない。
「――できれば、殿下の思い付きでなければいいが」
ミドラー中佐は九分九厘冗談のつもりでそれを口にした。実際は逆だ。
思い付きで振り回されただけならば、軍と摂政に対する罵倒で済む。しかし、高度な政治的事情で行われたのなら、彼は罵倒ひとつできないほど疲労困憊するまで働くことになるはずだった。
◇ ◇ ◇
皇国海軍の部隊編制において、戦龍母艦の扱いは他の艦艇と大きく異なっている。
これは、戦龍母艦が移動する飛行場であり、彼女らに積載される航空戦力こそが存在価値になるからだ。
航空戦力なき戦龍母艦は、駆逐艦一隻分の価値もない――そう断言するのは、当の戦龍母艦の乗組員だ。彼らは自分たちの存在意義をよく理解している。
自分たちが、同じく海軍の主力たる戦艦群とはまったく別の目的で整備されていることも、よく分かっていた。
戦龍母艦の価値は長大な戦力投射能力であり、何も隔てるものがない海上を移動し、敵がさらけ出しているもっとも弱い部分を食い破る狩人だ。
戦艦は海上を支配し、戦龍母艦は空を支配する。
海上の支配が揺らげば戦龍母艦は満足に活動できず、空の安全が確保できなければ戦艦は単なる的になる。
このふたつの戦力は、相互補完することでもっとも価値を発揮すると考えられ、おそらくそれは正しいと思われた。
「さて、では戦龍母艦を鼻先に突きつけられた場合と、戦艦を差し向けられた場合、人々が受ける衝撃はどちらの方が小さいでしょうか?」
薄暗い室内で、落ち着いた男の声が広がる。
その言葉に身動いだのは、この騒動の原因となった人物の父親だった。
「――戦母は、一定以上の水準にある海軍にのみ許された特殊な艦です。しかし戦艦はそうではありません。人々の認識を考えれば、現段階では戦母の相手国国民に与える衝撃は、戦艦よりかなり小さいでしょう」
カール・フォン・リンドヴルム公爵は居心地悪げに言葉を選びながら、自らの主君に答えた。
息子であるエーリケがしでかした、隣国の姫を懐胎させるという国政上の暴挙について、その権限と権威で関係各所を抑え込んだレクティファールに、カールは頭が上がらなくなっていた。
本来なら、カールたちはレクティファールの後ろ盾として、場合によってはレクティファールの考えを否定するべき立場にある。
だが、今回の騒動を考えれば、リンドヴルム公爵家はレクティファールの皇王家たる〝エルヴィッヒ家〟に、返そうと思っても返せないほどの借りを作ることになってしまった。
「愚息はその……連絡が取れませぬが、まさかあの艦に……?」
「ええ、彼が自分の女性を奪われて大人しくしているとお考えですか、父君として?」
「ありえませんな。あれは自分のものと決めたら相手が誰であっても決して退かないでしょう。まあ、殿下がお相手となれば、例外もあり得るでしょうが……」
カールは、まずそんなことは起きないだろうと思っていた。
あらゆる意味で、レクティファールとエーリケは似ていない。おそらく異性に求めるものも、異性から求められるものも、このふたりはまったく異なっているはずだ。
ただし、それはカールの目から見たふたりに過ぎない。
メリエラやウィリィアなど、レクティファールとエーリケを知る者たちならばあるいは、ふたりは生まれながらの兄弟のようによく似ていると言うかもしれない。
「レイリンシア姫の現在の状況については、各情報部署が全力で調査中です。同じ手口を用いれば皇国の国民を拉致することもできるわけですし、彼らにはその穴を塞ぐためにも頑張ってもらわなければ……」
「よろしいかと」
カールの立場としては頷く以外にない。
大貴族といえども、皇国では政治的な力は制限されている。彼らが持っているのは権威であって、権力ではないのだ。
もちろん、これは建前である。
大貴族が自身の権威を振るえば、実質的に権力を持っているのと変わらないだけの効果を得ることができるだろう。
それを行わないのは、この国で権力を保持しているのが、カールたちが膝を屈するべき相手だからだ。そうすることこそが皇国の形を維持するために必要だと分かっているからだ。
「カール」
「はい」
レクティファールに名を呼ばれ、カールは顔を上げる。
銀色の瞳は初めて出会った頃よりも深みを増しているように思えた。
「人の心はままならないものですね。私は今回の一件でそれがよく分かりました」
「いえ! 愚息が先のことも考えず、好き勝手に行動した結果がこれです! あれは自分が背負うものの重さがまだ理解できていないのです!」
カールは、レクティファールがエーリケの行動を責めていると感じた。
レクティファールにその自覚はないかもしれないが、エーリケの行動がレクティファールの考える政治に余計な手間を追加したのは間違いない。
「あれは……エーリケは昔からそうです。貴族としての自分を嫌っている。貴族の責務など本心ではくだらぬものと見ているのです。それこそ、かつての儂のように……」
カールは、今でこそ皇国貴族の手本とも言える厳格な性格をしているが、公子だった頃はエーリケと変わらぬほどに奔放だった。
ある意味では、雄龍の基本的な性質なのだろう。
己の力を頼みとし、己の心を信じ、己の行く道を選び取る。
そこに他者が介在する余裕はなく、親からの干渉など邪魔としか感じない。
強大な龍種はそれでも生きていくことができる。むしろ群れるよりも生存域の拡大に寄与するとも言えた。
「我らはあまりにも強い力を持っている。そのせいで協調という概念を後付けでしか学ぶことができないのは確かです。我らは、人々が思っているほど高潔な精神を持っているわけではありません」
「ええ、そうでしょう。メリエラを見ていれば分かります」
「――恐縮です。あの娘は我が子ながら、貴族の役目などをよく理解していると思っていたのですが、それは母親の気質を受け継いだからなのでしょう」
今回の騒動は、噂という形でメリエラたち――後宮の面々の耳に入っていた。
反応は様々で、エーリケを個人的に知っている者たちは「ついにやった」と天を仰いで、頭を抱えたし、知らない者は物語でもなかなか見ることのできない状況に興奮気味だった。
レクティファールに対する行動も様々で、リリシアは何かを期待した目で彼を見詰め、メリエラは今すぐあの兄の首を叩き落としてくれないかと真剣な眼差しを向けてきた。
メリエラからすれば、兄の無軌道な行動がレクティファールの進む道の障害物になることが許せないのだろう。
彼女は理路整然と物事を考えられる女性だが、ことレクティファールに関しては、龍種の本質以上の直情ぶりを見せる。
レクティファールの邪魔をすれば、たとえ身内だろうと容赦はしないし、レクティファールの望みならば、義理の姉妹となる後宮の者たちを焼き払うことさえするだろう。
「メリエラはなんと?」
「ええと、そうですね」
レクティファールは一応、カールに気を使う素振りを見せた。
彼が娘の言動に衝撃を受けることは分かりきっているから、少しでも和らげようとしたのだ。
だが、それはメリエラの持つ苛烈さの前には、ほんのわずかな抵抗にしかならなかった。
「『今なら兄上に勝てる気がする』と」
レクティファールの言葉を聞いたカールの表情が歪む。
様々な感情が、ひとつの表情を作ることを妨害しているのだろう。
娘は確実に兄を夫の障害と見ている。いや、まだ夫ではない。夫ではないが確実に夫になるわけで、龍族の女が配偶者に向ける愛情は、近親者に対するそれとは次元が違うとなると、結論はひとつだ。
彼女はやる。レクティファールがほんの少しでも許す素振りを見せれば、確実にやる。
「カールの娘ですねえ、彼女は」
「ええ、まさに我が娘です。そして妻の娘です。我らふたりの向こう見ずさを、合わせて受け継いでしまったようで……」
カールとしては受け継いで欲しくない部分だったのだろう。
その声は沈痛であり、哀れだった。
「そもそも、あのふたりって仲が悪いんですか?」
レクティファールは以前から抱いていた疑問を口にする。
メリエラは、レクティファールがエーリケの話題を出すたびに、この世でもっとも醜い害虫を見つけたかのような表情を浮かべる。そして、エーリケと雑談している最中にメリエラの話題を振れば、彼はまるで自分の父親が到底口に出せないような性癖を持っていると暴露されたかのような表情を浮かべる。
これを見て、ふたりの仲が良好であると判断する者はいないだろう。
それほどまでにふたりの態度は分かりやすかった。
「仲は悪くないと思います。あの者たちはそれなりに理性的ですので、血を分けた兄妹を粗略に扱うようなことは考えもしないでしょう」
確かに、命を狙うのは粗略な扱いではない。もっとひどいものだ。
「あのふたりは元々、顔を会わせる機会が少なかったのです。メリエラが生まれた頃にはエーリケはすでに軍にいましたし、儂のふたりめの妻と顔を合わせるのが恥ずかしいという理由で、家にはあまり戻ってきませんでした」
「エーリケにしては、また可愛らしい理由ですね。それとも、新しい母上には会いたくなかったか」
レクティファールが呟いた一言に、カールは深い溜息を漏らした。
「そのようなことがなかったといえば、嘘になるでしょう。エーリケは後妻を軍人としても人間としても尊敬してくれていましたが、母としては認めていなかったように思います」
それは、メリエラの母も自覚していた節がある。
彼女はエーリケに対して母親として振る舞うことはなく、強いていうならば姉のような態度だったという。
「そんな態度は、妻が命を落とすまで続きました。以降は、少なくともメリエラを妹として庇護するようになったのは間違いありません。あれのメリエラに対する愛情は本物です」
「それは分かっています。仮に私がメリエラを傷付ければ、エーリケは自分の命を捨ててでも私に挑んでくるでしょう。彼は自分にメリエラを守ることを課している。しかし、己がこうと決めた使命と、人としての感情はまったく別です」
エーリケは、自分が次のリンドヴルム公爵家当主となることを望んではいない。
カールがどれだけ公爵家の重要性を説いても、決して納得はしない。
彼は、父が有能な貴族であることには疑いを抱いていない。そして、自分が同じような存在になれるとは考えていない。
そうなると、自分が公爵家を継ぐ必要はなく、妹の子を跡継ぎにした方が誰にとっても幸いなのではないかと考えていた。
確かに、メリエラの子ならば誰もが諸手を挙げて公爵位の継承に賛成するだろう。メリエラの子ということは、レクティファールの子ということであり、皇王家の血筋を公爵家に取り込むことは決して無駄にならないからだ。
「彼にはもう少し成長してもらいましょうか」
「はい」
幼かった頃の息子の姿を思い浮かべ、カールは頷いた。
今まではどこか自分の中にエーリケを子供だと思う意識があった。
しかしこれからは、あの不出来な息子を一人前の男として扱うべきだろう。
なにせ、息子は自分と同じ立場になるのだ。父親という立場に。
「そろそろ、あれの母にも安心して貰いたく思います。あれの母は生真面目でありましたので」
生真面目で生真面目でどうしようもなかった、どこの血族かも分からぬ名ばかりの龍族の娘。その出自が面白く思え、自分の奔放ぶりで散々振り回した。それでも追い縋ってきた。
そんな女が愛しく思え、どこの血の者か分からぬと嘆くならば、我が血族となればいいと言った。
――あのとき、確かあれは驚いて涙を流し、最後には笑ってくれたな。
エーリケを身籠もったとき、赤子の力の大きさに母体が耐えられないかもしれないと言われた。母親の血は間違いなく龍族のものだったが、あまりにも薄すぎた。
力持たぬ龍として、遥か昔に生存競争に敗れた者の末裔だったのだろう。それが強き龍の血を受けて子をなした。幾万年ぶりかの雪辱の結果は――母体の死。
「あれの母は、母としてほんの少しの時間しか生きられませんでした。儂がこれと選んだ女は、皆、母としてこの上なき女たちで、しかしそれ故に儂とともに歩んではくれませなんだ」
自分の目は正しかった。
自分が選んだ女たちは、この世界で最高の女たちだった。
だから、自分はそんな女たちが遺した子供たちを健やかに育てたいと願い続けてきた。それが実現できたかどうかは分からないが、自分にできる限りのことはしてきたと断言できる。
「あの子たちには、そんな目には遭って欲しくない。そう願っております」
「分かりました」
レクティファールが手を翻すと、投影窓の形が変化し、立体地形図へと姿を変える。
「私とて、甥か姪をこのような形で失いたくはない。そんな父親にはなりたくない」
指先を走らせ、投影図に幾筋もの光の線を引く。
その線はアルバンライツの公都や、さらに北の帝国領へと延びていた。
「可能な限り穏便にことを進めましょう。もっとも、相手側がどう考えるかは分かりませんが。とにかく、私ができる限りのことはするとお約束します」
「ありがとうございます……!」
カールは深々と頭を垂れた。
もはや自分にできることは少ない。
彼はあくまでも皇国の貴族であり、レクティファールが国政を取り仕切る今、外交に対して口を挟む権利を持ち合わせていない。
彼にできることといえば、エーリケが抜けた穴を埋めることと、迷惑をかけた軍に対して補償を行うことだけだ。
「空軍には我が眷属で予備役の者から何人か出しましょう。やつらもかなりくせ者ではありますが、殿下の思し召しとあらば存分に働いてくれると」
空軍はカールの古巣でもある。
以前から優秀な龍族を教官として招聘したいという希望が出ていたことはよく知っていた。
常ならば、それを用意するのが軍の務めだと我関せずを貫くのがカールだったが、今回の騒動で航空教導軍の教練過程に影響が出るのは間違いなく、その穴埋めはどうしても必要だったのだ。
「そうしてもらえるなら、私も一安心です。軍の練成は焦眉の急ですから」
皇国軍の再編成はいまだ途上にあった。
理由は明白で、レクティファールの求める軍の能力と、現在の軍が保有する戦力の間には埋めがたい溝があったからだ。
どれだけ求めても、ない袖を振ることはできない。
軍は拡充された予算に相応しい質と量を求めて、現在も将兵を鍛え続けていた。
エーリケの属する航空教導軍は空軍の教導を司る部隊だが、その役目故に他の軍に対する協力も行っていた。
海軍に対しては海軍航空兵力の増強、陸軍に対しては同じく航空兵力の増強と、対航空戦力の装備開発への協力などである。
皇国軍は航空戦力を戦闘能力の柱としている。
攻めるにしろ守るにしろ、強力な航空部隊が必要不可欠なのだ。
「カールの身体が空いていれば、近衛の方も鍛えてもらいたかったのですが」
「――いずれお手伝いできるかと思います」
カールとて、レクティファールがそれを望んでいて、しかも国のためになるのなら自分の身など顧みない。たとえ自分の身体をすり減らすことになろうとも、自分に課した貴族としての役目に適うならば、喜んで身を捧げる。
ただしそれは、あくまで自分の跡取りが満足できるほどに成長していることが前提だ。
自分の跡を襲う者がいるという保証が得られなければ、我が身を費やすことはただの責任の放棄にしかならない。
エーリケに関していえば、彼の奔放さも責任を背負わせることで多少なりとも落ち着くだろうと、カールは思っていた。
自分がそうだったからだ。
しかし、今回の一件である。
こうなれば、カールはエーリケを後継者から外すことも考えなければならない。そうなると次のリンドヴルム公爵は、カールの兄弟かメリエラの血統ということになる。
「殿下? ひとつお伺いしたい儀が……」
「なんでしょう? 答えられることならばいいのですか」
カールは自分が恐ろしく莫迦げたことを聞こうとしている自覚があった。
市井ならば莫迦親がすることだと、指を差され笑われるようなことだ。
だが、やらなければならない。
それがリンドヴルム公爵としての責務なのだ。
「メリエラの子は、いつになるでしょう?」
「――――」
重ねてカールは、この上ないほどに羞恥の感情も抱いていた。
それでもあえて訊ねたのは、彼と彼の一族の将来に関わることだからだ。
彼の一族に関わるということは、ひいては皇国の将来にも大きく関わってくる。
大貴族白龍公の一族は、皇国の屋台骨を形成する一要素。これが揺らげば、倒れることはないにしても、皇国は大きく揺れることになるだろう。
そして、その揺れを抑えるために、かけなくても良い労力を割かなくてはならなくなる。それは国力の浪費だ。
「百年や二百年ならば儂も十分に働きましょう。しかし、後継なきまま振る舞うには、百年でも長すぎます」
後継者が決まらない場合、リンドヴルムの一族は自分たちの自立心を維持できなくなる可能性があった。
彼らには『国士の名門たるリンドヴルムの一族』という強力な自負心があるからこそ、自らの身を顧みず国に尽くすことができるのだ。
それが揺らげば、彼らは自分たちを守るために新たな価値観を創らなければならない。その新たな価値観がなんであるかはまだ分からないが、すぐに作り出したり見つけ出せるようなものではないだろう。
レクティファールはカールの問いの意味をよく理解していた。
だからこそ、普通の神経では答えにくいことであっても、きちんと答えを返した。
「必要ならばすぐにでも。メリエラは嫌がるでしょうが」
「で、ございましょうな」
カールはがっくりと肩を落とした。
レクティファールの言う通り、〈皇剣〉は母体の条件が適合していれば、ほぼ確実に子どもを作ることができる。
だがそれは、〈皇剣〉による人工的な懐妊と受け止められている。故にこの方法は母親の、母親としての自尊心を大きく損なうことになるだろう。
生物としての役割を踏みにじられるに等しい。
だから、歴代の皇王は相手が望まない限り、その力を用いることはしなかった。
加齢による機能の低下。立場故に二度目の機会を得ることができない。懐妊しなければ母たる人物の精神的均衡を維持することができない――など、少なくともそれを行うだけの大きな理由が必要だった。
果たして、リンドヴルム公爵家の存続はそういった場合に合致するのか、今まだレクティファールが判断する段階になかった。
「必要とあれば、メリエラと話しますが……」
「いえ、そうなれば儂が直接あの子に頼みましょう。二度と顔を合わせてはもらえないかもしれませんが」
カールは深々と溜息を漏らし、レクティファールは彼の様子に苦笑した。
「あなたの後継者として、エーリケが相応しいのかどうかを判断するのは、まだ早計です。彼は確かに色々と問題を抱えてはいますが、無謬の者などこの世界には存在しません」
カール自身、公爵位を継ぐ前も継いだあとも、役目に相応しい自分であろうと己を律し続けてきた。
逆に言えば、そうしなければならない理由があったからだ。
かつてのカール、否、本来のカールは、エーリケとよく似た龍族らしさを持っている。それはどれだけ大きな理性を育てようとも失われることのないもので、また、それがあるからこそカールはカールでいられるのだ。
レクティファールは立ち上がると、遮光幕を開けて外を眺める。
冬景色となりつつある皇都の街には、ゆらゆらと生活の煙が立ち上っていた。
「私が言うのもなんですが、子どもは親の鏡なのでしょうね。見ては誇らしくもなり、虚しくもなり、恥ずかしくもなる」
「――はい。まさに」
どれだけ取り繕おうとも、子どもたちには親の本質が見えているのだ。
そして、子どもはその本質こそを手本として成長していく。
「儂にできることは、結末まで親に倣わぬよう手を尽くすことのみ。それが親の責任だと思っております」
愛する者との別れまで見習う必要はない。
カールは自分が経験した悲しみを、エーリケに強いるつもりは毛頭なかった。
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