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057 逃げるが勝ち

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「譲羽、貴女がこの世界に来てから一年以上経ちました」
「そうですね」
「その間黒龍の穢れが漏れ出す気配もないことは良いことなのですが、やはり黒龍が居ることによって、都の穢れに関しては深刻な問題になっています。その為、大変心苦しいのですが、私は穢れの大元である黒龍を現世から神界に返そうと思います」
「……つまり?」
「七日後、譲羽には申し訳ないのですが、命を絶ってもらう事とします」
「は!?」
「話は以上です」
「ちょっ!」

 真冬の二月、久しぶりに朝早くから局にやって来た穂積が言った言葉に、私は理解が追い付かずに局を出て行こうとする穂積に手を伸ばしたが、残念ながらその手は届かずに空中を切る事になってしまった。
 穂積の姿が完全に見えなくなってから、私は言われた意味をよく考えたが、どう考えても私に死ねと言っている以外の何物でもなく、徐々に私の顔から血の気が引いていくのを感じてしまう。

「やばい。ここに居たら殺される」

 そう声に出して私は穂積が来るから羽織っていた十二単を脱ぎ捨てると、人型に戻った黒龍の方を向く。

「黒龍、聞いてた? 私殺されちゃう」
「あの陰陽師如きに譲羽を殺せるとは思えないが、この屋敷に居てもろくな事にならないのは事実だな。ちょうどいい機会だ、あの陰陽師もこの屋敷も見捨ててどこぞに隠れてはどうだ?」
「そうだよね、殺されるとわかっててここにいる義理はないよね」

 口ではそう言っているものの、若干頭がパニックになっている私は実際にどうしたらいいのかわからず、ただオロオロとしてしまうだけだ。
 その時、黒龍が私の体をそっと抱きしめてくれて、パニックになっている頭を落ち着かせるように撫でてくれる。

「まあ落ち着け。むしろこの屋敷を出ていく事が出来る方がいいだろう。好きなように活動できる」
「ま、まあそうなんだけど……」
「こう言っては何だが、譲羽は引く手あまたなのだから、好きなところを選んでもいいし、その日暮らしで点々と居場所を変えても良いのだぞ」

 黒龍の言葉に、少しずつだけれども頭の中が落ち着いて来る。
 そうだ、私には迎え入れてくれる場所があるのだから、穂積に殺されそうになったらそこに逃げ込めばいいだけの話だ。
 幸いにも、黒龍の評価では穂積の実力ではかなわない存在ばかりだそうなので、逃げ込んでさえしまえば穂積が手を出してくることもないだろうし、上手く行けば私が逃げている事がバレることもないかもしれない。
 しかし、穂積はどうして急に私を殺すなんてことを言い出したのだろうか?
 この間まではその気配すらなかったのだが、何か心境の変化でもあったのだろうか?

「黒龍は、どうして穂積様がいきなりあんなことを言い出したんだと思う?」
「そうだな、可能性としてはあの陰陽師の正室の体調が思わしくないという事が関係しているかもしれないな」
「え、明松様が?」
「ああ、譲羽も先日この屋敷の南西の棟に人がやって来たのは知っているだろう? それがあの陰陽師の正室だ。本来なら生まれ育った実家にいるべきなのだろうが、容体が思わしくないことと、正室本人が穂積の傍に居る事を望んだためこの屋敷にやって来たらしい」
「うへぇ……」
「緑龍の巫女には知られないようにしているようだが、バレるのも時間の問題だろうな。もっとも、バレるのが先か子供が産まれるのが先かはわからないけどな」

 この屋敷に穂積の正室が住んでいると朱里が知ったらまたひと悶着あるだろうが、それとは別に明松の体調が悪いとどうして私が殺されなくてはいけないのだろうか。
 まあ、悪いことはなんでも黒龍のせいにしたがる穂積らしいと言えばらしいのかもしれない。

「はぁ、それにしてもびっくりした。人に死ねとか言われるのは初めてだよ」
「普通はそうだな。しかし、龍神の巫女という加護持ちを妖の血が入っているとはいえ、ただの陰陽師が殺せるものではないのだがな。毒を飲ませたところで、我の力で無効化されるし、刃物を突き立てようにも、生半可な刃物ではそれこそ歯が立たないだろう」
「へえ……、……へぇ!? なにそれ、聞いてない」
「言ってないからな。過去にも龍神の巫女を捧げものにしようとしたものはいるのだ。尽く失敗しているがな」

 今までも龍神の巫女を殺そうとした人が居たことにも驚いたが、龍神の巫女がそんなに頑丈に出来ている事にも驚いてしまう。

「とにかく、一週間しか時間がないから、すぐにでも身を寄せる先を探さないとね」
「譲羽はどこに行きたい?」
「えっと……、まだ考え中」

 玉藻の前の所だったら、衣食住に不自由しないと思うが、穂積にバレてしまう恐れがある。
 鞍馬山や大江山だったらバレる可能性は低いだろうが、若干衣食住に不安が残ってしまう。
 他の所も長所もあれば短所もあるところばかりで悩んでしまう。
 私が悩んでいる間、黒龍は式神で鳥を作り出すと、それを御簾の向こうに飛ばしているのが見えて、私は首を傾げる。

「何をやってるの?」
「あまり気にするな。譲羽の状態を親しくしている妖達に知らせただけだ」
「え! 何を勝手に」
「かまわないだろう?」

 黒龍の言葉に私は唇をとがらせると、不満を隠そうとせずにぐりぐりと頭を黒龍の胸に擦り付けた。
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