冷徹婚約者に追放された令嬢、異国の辺境で最強公爵に見初められ、今さら「帰ってきて」と泣かれてももう遅い

nacat

文字の大きさ
1 / 6

第1話 断罪の夜、偽りの罪

しおりを挟む
王都の大広間には、重く張りつめた空気が漂っていた。  
煌びやかなシャンデリアの下、鮮やかなドレスや軍装をまとった貴族たちが、まるで見世物でも眺めるように一人の令嬢を見つめている。  

その中心に立たされていたのは、伯爵家の令嬢、レティシア・グレイス。  
薄桃色のドレスは土の汚れで裾が黒ずみ、金糸の髪は乱れて肩にかかっていた。  
彼女の淡い灰青の瞳は、今にも涙で溢れそうでありながら、必死に誇りを保とうと震えている。  

その前に立つのは、王太子アレクシス。金の髪と青い瞳を持ち、誰もが羨む完璧な美貌の青年だ。  
今日までレティシアの婚約者だった男。  
だが、その口から放たれた言葉は、まるで氷の刃のように彼女の心を裂いた。  

「レティシア・グレイス。お前は私を裏切り、王家の機密を他国へ漏らした罪を犯した。この国の安全を脅かす裏切り者だ」  

「そ、そんな……! 殿下、どうかお待ちください、それは誤解です! わたくしはそんなこと――」  

レティシアの声は震えていた。  
しかしアレクシスは冷たく見下ろしたまま、彼女の言葉を無慈悲に切り捨てる。  

「証拠は揃っている。お前の部屋からは密書が見つかり、門でお前に似た姿の者が目撃された。――これ以上何を弁解する?」  

「それは誰かの仕業です! わたくしを貶めようとする者が……!」  

「黙れ!」  

鋭い声が広間に響き渡る。  
貴族たちは小さく身をすくめ、一様にレティシアから視線を逸らした。  
その沈黙が、まるで彼女の罪を認めるような重さで響く。  

「私は……信じておりました。殿下の傍らにいることが、わたくしの幸せだと。いつかきっと共に国を支えられると思っていたのに……」  

「お前のような女に、この国を任せられるものか。身の程を知れ、レティシア」  

アレクシスの言葉に、胸の中で何かが音を立てて崩れる。  
心臓が痛む。息が詰まる。  
自分がここまで信じ、思い続けた相手が、これほど冷たく自分を切り捨てるとは夢にも思わなかった。  

そのとき、後方で誰かがくすりと笑った。  
声の主は、アレクシスの隣に立つ侯爵令嬢イレーネ。  
青いドレスを着た美貌の令嬢は、慈悲深げに微笑みながらも、その目は明らかな嘲りを宿している。  

「まあ、可哀想に。彼女、何もわかっていないのね。殿下があなたに慈悲をお与えになるだけでも感謝なさい、と言いたいわ」  

「イレーネ……あなた、まさか……!」  

レティシアの声は震えた。  
言葉は喉の奥で詰まり、うまく出てこない。  
イレーネは楽しげに扇を揺らしながら答える。  

「まさか? ああ、もちろん偶然よ。ただ、殿下の身を案じて、真実をお伝えしただけ。貴族として当然の責務でしょう?」  

アレクシスが、穏やかに彼女の肩を支えた。  
その動作は、かつてレティシアだけが許されたぬくもりのはずだった。  

一瞬で目の前が滲んだ。  
すでに答えは出ている。アレクシスは、レティシアではなくイレーネを信じている。  
否、彼女を選んだのだ。  

「レティシア・グレイス。お前の伯爵家の地位と財産はすべて没収。居城を追われ、二度と王都に足を踏み入れることを許さぬ」  

「追放……? そんな……!」  

広間がざわめく。  
貴族たちのささやきが波のように押し寄せる中、レティシアの膝が瓦解したように折れる。  
けれど、誰もその身体を支える者はいなかった。  

「殿下……どうして……どうして信じてくださらないのです?」  

アレクシスは視線を逸らさず、ただ冷たく告げる。  

「もういい。出ていけ、レティシア」  

その瞬間、何かが完全に壊れた。  
どれほど叫んでも、彼には届かない。  
これ以上、言葉にしても惨めになるだけだった。  

レティシアはゆっくりと立ち上がる。  
唇を噛み締め、涙を見せぬように背筋を伸ばし、静かに頭を下げた。  

「……承知いたしました、殿下」  

たった一言、それだけを置いて、彼女は背を向けた。  
背後からは、人々のざわめきと遠い笑い声が溶け合い、重く彼女の足元にまとわりついた。  

城門を抜けると、夜の風が頬を切るように冷たかった。  
白い息が闇の中に消えていく。  
見上げた夜空には、月が浮かび、まるで誰かを見下ろすように静かに笑っている気がした。  

「……あんな人を、信じていたなんて。わたくしは、愚か者ね」  

小さく呟く声が凍りつく。  
胸の奥に渦巻く悔しさと悲しみが、喉の奥を焼いた。  
けれど、それでも歩き出さなければならない。  
どんなに惨めでも、立ち止まれば本当に“終わり”になる。  

彼女はドレスの裾を掴み、靴の底を凍てつく石畳に叩きつけながら、暗い街道へと足を踏み出した。  
どこへ行くのかも分からない。  
けれど、もう二度と振り返るまいと決めた。  

――その夜、雪が降り始めた。  

粉のような雪が、頬に、髪に、涙に溶けて消えていく。  
レティシアの指先はかじかんで、歩くたびに体力が削られていくのを感じた。  
それでも止まらない。  
冷たさよりも、胸の痛みのほうがずっと深く鋭かったから。  

「望むなら、このまま死ねば楽なのかもしれないわね……」  

誰にともなく呟いたその声を、雪の夜風が運んで散らす。  
けれど、ほんの少しだけ、遠くに明かりが見えた。  

揺らめく灯――辺境へ続く街道沿いの、小さな宿屋の窓から漏れる光だった。  
レティシアは、最後の力を振り絞ってその方角へ歩き続けた。  

だが、あと数歩というところで膝が砕け、雪の上に崩れ落ちる。  
視界が白く滲み、遠くで誰かの声が聞こえた気がした。  

「……君、まさか……!」  

力強い腕が、彼女の身体を支え上げる。  
その腕の温もりに、眠りへの誘惑が一気に広がる。  

「大丈夫だ、もう安心しろ」  

低く、落ち着いた声が耳を撫でた。  
それが、この夜初めて触れた優しさだった。  

レティシアはゆっくりとまぶたを閉じた。  
知らない誰かの胸の中で、雪の冷たさから遠ざかるように意識が沈んでいく。  

その先にある未来が、彼女にとって再び輝きを取り戻すことを――まだ誰も知らなかった。  

続く
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

結婚して5年、初めて口を利きました

宮野 楓
恋愛
―――出会って、結婚して5年。一度も口を聞いたことがない。 ミリエルと旦那様であるロイスの政略結婚が他と違う点を挙げよ、と言えばこれに尽きるだろう。 その二人が5年の月日を経て邂逅するとき

完結 冗談で済ますつもりでしょうが、そうはいきません。

音爽(ネソウ)
恋愛
王子の幼馴染はいつもわがまま放題。それを放置する。 結婚式でもやらかして私の挙式はメチャクチャに 「ほんの冗談さ」と王子は軽くあしらうが、そこに一人の男性が現れて……

「お前との婚約はなかったことに」と言われたので、全財産持って逃げました

ほーみ
恋愛
 その日、私は生まれて初めて「人間ってここまで自己中心的になれるんだ」と知った。 「レイナ・エルンスト。お前との婚約は、なかったことにしたい」  そう言ったのは、私の婚約者であり王太子であるエドワルド殿下だった。 「……は?」  まぬけな声が出た。無理もない。私は何の前触れもなく、突然、婚約を破棄されたのだから。

【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています

22時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」 そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。 理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。 (まあ、そんな気はしてました) 社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。 未練もないし、王宮に居続ける理由もない。 だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。 これからは自由に静かに暮らそう! そう思っていたのに―― 「……なぜ、殿下がここに?」 「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」 婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!? さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。 「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」 「いいや、俺の妻になるべきだろう?」 「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」

わたしはくじ引きで選ばれたにすぎない婚約者だったらしい

よーこ
恋愛
特に美しくもなく、賢くもなく、家柄はそこそこでしかない伯爵令嬢リリアーナは、婚約後六年経ったある日、婚約者である大好きな第二王子に自分が未来の王子妃として選ばれた理由を尋ねてみた。 王子の答えはこうだった。 「くじで引いた紙にリリアーナの名前が書かれていたから」 え、わたし、そんな取るに足らない存在でしかなかったの?! 思い出してみれば、今まで王子に「好きだ」みたいなことを言われたことがない。 ショックを受けたリリアーナは……。

短編 跡継ぎを産めない原因は私だと決めつけられていましたが、子ができないのは夫の方でした

朝陽千早
恋愛
侯爵家に嫁いで三年。 子を授からないのは私のせいだと、夫や周囲から責められてきた。 だがある日、夫は使用人が子を身籠ったと告げ、「その子を跡継ぎとして育てろ」と言い出す。 ――私は静かに調べた。 夫が知らないまま目を背けてきた“事実”を、ひとつずつ確かめて。 嘘も責任も押しつけられる人生に別れを告げて、私は自分の足で、新たな道を歩き出す。

夫から『お前を愛することはない』と言われたので、お返しついでに彼のお友達をお招きした結果。

古森真朝
ファンタジー
 「クラリッサ・ベル・グレイヴィア伯爵令嬢、あらかじめ言っておく。  俺がお前を愛することは、この先決してない。期待など一切するな!」  新婚初日、花嫁に真っ向から言い放った新郎アドルフ。それに対して、クラリッサが返したのは―― ※ぬるいですがホラー要素があります。苦手な方はご注意ください。

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

処理中です...