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ぜんぶ、欲しい 後 〚早苗〛
しおりを挟む数日前と同じように、部屋に連れ込んでホットミルクを渡す。
泣き濡れた頬。
もう秋も深いというのに、制服のシャツ1枚。―――そしてそれは、無惨に破れている。
首筋には、未だ血を流す噛み跡。………俺のキスマークを食い千切ろうとしたかのような。
想定は、していた。
対策も、した。
けれどこんなにも―――痛く苦しいとは、思っていなかった。
葵の様子からして決定的なことはされていないのは間違いない。
だが、あいつへの怒りで頭が煮え立ちそうだ。
葵を傷つけて、泣かせて。
こんなにも、酷い痕をのこして。
手当してもいいか聞いたら葵の身体が震えた。
血の気の戻りつつあった顔から一気に血の気が失せて、大きな瞳が過去を見つめる。
痛ましい様子に胸が痛んで小さな頭をわしゃりと撫でた。
ぬくもりに力を抜いた葵の首を傾け、消毒液をたくさんかける。
またぼろぼろと泣き出した葵にかける言葉が見つからず、ただ、その傷痕だけをガーゼで覆い隠した。
✢
寝間着を貸したら、また躊躇いなく服を脱いだ。
白い裸体に他に痕がないことに安堵して眺めていると、葵が目を瞬いてくちびるを噛んだ。
涙を堪えているんだろう。
無理もない。
実の弟に、あんな傷をつけられて。
でもそれでも、未だ愚痴のひとつも、零さない。
たまらなくなって、葵の服を引っ張った。
抱き枕を言い訳にわざと茶目っ気を見せて笑えば、ようやく葵が小さく笑って。
その華奢な身体を引っ張り込んで後ろからきつく抱きしめた。
冷え切った身体。
この細く小さな体に、どれだけのつらさを抱え込んでいるのか。
控えめに微笑みながら、ただ耐えて。
手を重ねるとあまりにも頼りなく思えて、指を絡めて握りしめる。
すこしでも、ぬくもりを感じてくれたらいい。
✢
きっと色々限界だったんだろう。
抱き込んでぬくもりを分ければ、葵がすとんと眠りに落ちた。
俺の手を抱きしめるみたいに胸に抱えて。
安らかな寝息に安堵しながら、やわらかな髪に鼻先をうずめ、これからのことを考える。
葵は自ら俺の胸に飛び込んできた。
ひとつめの懸念は、クリアしたとしていいだろう。
残る懸念は、あとひとつ。
明日は学校をサボって、荷物を引き揚げて。
ニセモノはきっと驚いただろう。葵に反撃を受けるなんてきっと思ってもみなかったはず。
その裏に俺がいることは、確実にわかっているだろう。
この程度で諦めてくれればいいが……あの執着を見るにその可能性は薄い。
一度目は敗北に膝を折らせたけれど、落ち着いたら次の何かを仕掛けてくるだろう。
葵と俺の関係にヒビを入れるような何かを。
敢えて誤解を招く言動をとっているから、きっと奴は俺たちを恋人同士だと思っていて。
だとすれば、俺を直接落としにくるか、搦手でくるか。
それ以外の何かも、あるかもしれない。
―――何にせよ、負ける気はない。
むしろ、その何かを逆手に取って、二度と葵に手出しできないように心を折ってやろう。
✢
その翌日、予定通り荷物を引き揚げて、同居生活はするりと始まった。
家での待ち伏せも想定していただけに少し拍子抜けしたが、………葵の自室には驚くと同時に胸が軋む思いがした。
その部屋は、玄関を入ってすぐ左、昨日通されたリビングへと続く短い廊下の途中にあった。
てっきり、トイレか納戸だと思っていたそこは、―――おそらく本来の用途は納戸なのだろう。
わずか2畳あるかないか。窓はなく、ベッドと小さな棚でいっぱいいっぱいの空間。
もちろん収納スペースなどはなく、ベッド下の隙間に洋服などを収納し、ベッドの足元にできる空間には折りたたみ机。………勉強するときはこれを使っていたんだろう。
少し恥ずかしげに俯いた葵をむちゃくちゃに掻き抱いた。
二度と、こんな思いはさせない。
甘やかして、ぬくぬくとした幸せに浸らせて、―――ひかえめな笑顔から翳りが抜けるまで。
あんなクズな両親にも、『育ててくれて、ありがとうございました。』なんて書き置きを残す優しい心が愛おしく、苦しかった。
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