悪役令嬢は優雅にさようなら!〜婚約破棄されたので、自由気ままに生きていきます。

パリパリかぷちーの

文字の大きさ
20 / 28

20

モカが流した悪質な噂騒動は、アフォガートの迅速かつ完璧な対応によって、鎮火した。
商人たちの信頼を取り戻し、『空飛ぶスイーツ店』計画は、再び力強く軌道に乗り始めた。

しかし、ラテの心には、目に見えない疲労が蓄積していた。
自分の知らないところで、陰湿な悪意に晒されていたという事実は、彼女が思うよりもずっと、その心を消耗させていたのだ。

「お嬢様、少しお休みになってはいかがです? 最近、根を詰めすぎでございますわ」

侍女のマロンが、心配そうに声をかける。

「大丈夫よ。この程度のことで、へこたれたりしませんわ」

ラテは気丈に答えるが、その顔色が優れないのを、マロンは見逃さなかった。

そんな日の午後だった。
アフォガート騎士団長から、一通の簡潔な手紙が届いた。

『相談したいことがある。明日の午後、王宮の西にある湖畔の東屋にて待つ』

差出人の名前に、ラテの心臓が、とくん、と小さく跳ねた。

翌日、ラテは少しだけ胸を躍らせながら、約束の場所へと向かった。
王宮の喧騒から離れたその湖畔は、まるで時が止まったかのように、静かで美しかった。
湖面が、午後の陽光を浴びてきらきらと輝いている。

東屋の影に、見慣れた長身の姿を見つけ、ラテは足を速めた。

「お待たせいたしました、騎士団長」

声をかけると、彼はゆっくりと振り返った。
ラテは、その姿に少しだけ驚く。
そこにいたのは、いつもの漆黒の騎士服に身を包んだ堅物な騎士団長ではなかった。
動きやすいシンプルなシャツに、乗馬用のズボンという、今まで一度も見たことのない私服姿だったのだ。

いつもより、少しだけ若く、そして、どこか柔らかい印象に見える。

「いや、俺が早く着きすぎただけだ。来てくれて、感謝する」

彼の声も、いつもより穏やかに聞こえた。

「それで……事業に関するご相談とは、一体何ですの? また、何か問題でも?」

ラテが尋ねると、アフォガートは少しだけバツが悪そうに、視線を逸らした。

「……いや。あれは、口実だ」

「口実?」

「ああ。君が……少し、疲れているように見えたからな」

彼は、ぽつり、と呟いた。

「騒がしい場所から離れて、少しでも、君を休ませてやりたいと、そう思っただけだ。……迷惑だったか?」

その、あまりにも不器用で、そして、あまりにも優しい気遣いに、ラテの胸の奥が、じんわりと温かくなった。

「いいえ。迷惑だなんて、とんでもない。……ありがとう、ございます」

ラテは、素直に礼を言った。

二人はしばらく、言葉もなく、美しい湖の景色を眺めていた。
時折、風が木々を揺らす音と、遠くで鳥が鳴く声だけが聞こえる。
それは、ラテがここ最近、忘れていた、穏やかで、心安らぐ時間だった。

やがて、アフォガートが、意を決したようにラテに向き直った。
その表情は、いつになく真剣だった。

「ラテ嬢」

いつもと違う、名前での呼び方。
ラテの心臓が、ドキリと大きく音を立てた。

「俺は、今まで、自分の人生の全てを、この国と、王家と、そして騎士団のためだけに捧げてきた。私的な感情は、任務を遂行する上での妨げになるだけだと、そう信じて疑わなかった」

彼の黒曜石の瞳が、まっすぐにラテを射抜く。
ラテは、ゴクリと喉を鳴らし、彼の次の言葉を待った。

「だが、君と出会って、俺は初めて知った。守りたいと、心の底から願うものが、国や、名誉や、任務だけではないということを」

彼は、不器用な言葉を選びながら、しかし、一言一言、確かめるように、続けた。

「俺は、君を守りたい。君のその類まれなる才能が、誰にも邪魔されず、自由に花開くのを、一番近くで見届けたい」

「……騎士団長……」

「そして、君が作る菓子を……できれば、毎日、食べたい。何より、俺は……君の、本当の笑顔が見たいんだ」

そう言うと、彼は、そっとラテの手を取った。
武骨で、剣ダコのある、大きな騎士の手。
その手が、信じられないくらい優しく、ラテの小さな手を包み込んだ。

「ラテ・メランジュ」

アフォガートは、はっきりと、彼女の名を呼んだ。

「俺は、君を愛している。だから、どうか……俺の、そばにいてはくれないだろうか」

鉄仮面の騎士団長からの、あまりにもストレートで、飾り気のない、しかし、心のこもった愛の告白。

ラテは、驚きと、嬉しさと、照れくささで、頭が真っ白になった。
顔が、燃えるように熱い。
心臓の音が、うるさくて、耳の奥でガンガンと響いている。

(こんな……こんなこと、言われるなんて……夢にも、思わなかった……)

気がつけば、彼女の瞳から、ぽろり、と一粒、涙がこぼれ落ちていた。
それは、悲しみの涙ではない。
『悪役令嬢』という重い鎧を一人で身に纏い、ずっと孤独に戦ってきた彼女の心が、彼の言葉によって、完全に救われた、喜びと安堵の涙だった。

「……返事を、聞かせてはもらえないだろうか」

不安そうに尋ねる彼の顔は、もはや鉄仮面ではなく、ただ、愛する女性の答えを待つ、一人の男の顔をしていた。
感想 2

あなたにおすすめの小説

亡き姉の身代わりとして嫁いだ私ですが、離縁状を置いた翌朝、夫が私の「真実」に気づいたようです』

まさき
恋愛
「サインはもう、いただきました。あとは私がこの屋敷を出るだけです」 ​五年間の結婚生活。侯爵令嬢エルゼが演じ続けたのは、亡き姉・ロザリーの「身代わり」という配役だった。 夫であるカイル公爵が愛していたのは、かつて雪の中で自分を救ってくれた初恋の少女・ロザリー。 生き写しの妹であるエルゼを娶りながらも、彼は一度も彼女を「エルゼ」と呼ぶことはなかった。 ​冷淡な視線、姉と比較される日々。 「君はどこまでいっても、ロザリーの代わりにはなれない」 その言葉を最後に、エルゼは静かに離縁状を置き、屋敷を去る決意をする。 ​しかし、彼女が消えた翌朝。 カイルは、エルゼが大切に遺していった古い小箱を見つける。 そこにあったのは、十五年前のあの日、彼が「命の恩人」に預けたはずの片方のカフスボタン。 そして、幼いエルゼが綴った、あまりにも切ない真実の日記だった。 ​――「あの日、雪の中で貴方を抱きしめていたのは、お姉様ではなく、私だったのです」 ​真実を知り、絶望の中でエルゼを追うカイル。 だが、すべてを捨てて「自分」を取り戻したエルゼは、もう二度と、彼の隣で微笑む仮面の妻には戻らない。 ​これは、名前を奪われた女が自由を掴み、愚かな夫が真実の愛を失うまでの、静かで鮮やかな再生の物語。

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

断罪中、味方が多すぎて王子が孤立している件について

夏乃みのり
恋愛
バーンスタイン伯爵家の令嬢ラミリアは、魔力も剣の才能もない「ごく普通」の地味な女性。 ある日のパーティーで、婚約者であるジェラルド第二王子から「地味で無能で嫉妬深い」と罵られ、身に覚えのない罪で婚約破棄を突きつけられてしまう。 しかし、断罪劇は予想外の展開へ。

愛を知った私は、もう二度と跪きません

阿里
恋愛
泥だらけのドレス、冷え切った食事、終わりのない書類仕事。 家族のために尽くしてきたエカテリーナに返されたのは、あまりにも残酷な追放宣告だった。 「呪われた男にでも喰われてこい」 そう笑って送り出した彼らは知らなかった。辺境伯ゼノスが、誰よりも強く、美しく、そして執着心が強い男だということを。 彼の手によって「価値ある女」へと生まれ変わったエカテリーナ。 その輝きに目が眩み、後悔して這いつくばる元家族たち。 「エカテリーナ様、どうかお助けを!」 かつて私を虐げた人たちの悲鳴を聞きながら、私は最愛の夫の腕の中で、静かに微笑む。

婚約破棄された悪役令嬢ですが、面倒なので全部放置します

かきんとう
恋愛
 王都の大広間に、どよめきが広がった。  天井から吊るされた巨大なシャンデリアが、何百もの蝋燭の光を反射し、きらきらと輝いている。その光の中心に立つ私は、妙に他人事のような気分で、その場の空気を眺めていた。 「エレノア・フォン・リーベルト! 私は貴様との婚約をここに破棄する!」  高らかに宣言したのは、第一王子であり私の婚約者でもあったアルベルト殿下だった。  周囲の貴族たちが一斉に息を呑み、次の瞬間には小声のざわめきが連鎖のように広がっていく。  ――ああ、ついに来たのね。

「お前との契約結婚は今日で終わりだ」と言った公爵が、離婚届の裏面を読んでいなかった件

歩人
ファンタジー
「この契約結婚は終わりだ。愛人を正妻にする」——フェリクス公爵は離婚届を叩きつけた。 契約結婚の書面を起草したのはクラーラだ。三年前、持参金の代わりに「事業の全権」を譲渡する条項を第十七条に入れた。フェリクスは最後まで読まなかった。 「ご署名ありがとうございます。では第十七条に基づき、公爵領の鉱山経営権、港湾管理権、穀物取引権は本日をもって私に移転いたします」 前世で企業法務を十二年やった女が、異世界の貴族に「契約書は最後まで読め」を教える。

『処刑された悪女は、今度こそ誰も愛さない』

なつめ
恋愛
断頭台の上で、自分の終わりを見た。 公爵令嬢セラフィーナ・エーデルベルク。傲慢で冷酷、嫉妬深い悪女として断罪され、婚約者である王太子に見放され、社交界の嘲笑の中で処刑された女。 けれど次に目を開けた時、彼女はまだ十七歳の春に戻っていた。 処刑まで残された時間は、三年。 もう誰も愛さない。 誰にも期待しない。 誰も傷つけず、誰にも傷つけられず、静かに生きる。 そう決めて、彼女は人との距離を置きはじめる。 婚約者にも、原作の“主人公”にも、騎士にも、侍女にも、未来で自分を断罪するはずの人々すべてに。 けれど、少しだけ優しくした。 少しだけ、相手の話を聞いた。 少しだけ、誤解を解く努力をした。 たったそれだけのことで、なぜか彼らのほうが先に彼女へ心を寄せ始める。 「……あなたは、こんな人だったのですか」 「もう少し、私を頼ってください」 「君が誰も愛さないつもりでも、俺は君を放っておけない」 「ずっと、怖かっただけなんでしょう」 悪女として死んだはずの令嬢が、二度目の人生で手に入れるのは名誉か、友情か、それとも恋か。 これは、誤解に殺された少女が、静かに息を吹き返していく物語。

姉の忘れ形見を育てたいだけなのに、公爵閣下の執着が重いんですが!?~まっすぐ突き進み系令嬢の公爵家再建計画

及川えり
ファンタジー
突然届いた双子の姉からの手紙。 【これをあなたが読んでいるころにはわたしはもう死んでいることでしょう。わたしのことは探さないでね。双子を引き取ってもらえないかしら?】 姉の遺言通り双子を育てようと姉の嫁ぎ先へと突入する。 双子を顧みなかったという元夫のウィルバート公爵に何とか双子を引き取れるよう掛け合うが、話の流れからそのまま公爵家に滞在して双子を育てる羽目に。 だが、この公爵家、何かおかしい? 異常に気付いたハンナは公爵家に巣くう膿をとりのぞくべく、奮闘しはじめる。 一方ハンナを最初は適当にあしらっていたウィルバートだったが、ハンナの魅力に気付き始め……。 2026.4.6 完結しました。 感想たくさんいただきとても嬉しく拝見しています。 ブックマーク登録、いいね❤️、エール📣、感想などたくさんいただきありがとうございます。 とてもとてもとても励みになります。 なろうにも掲載しています。 ※続編書く予定です。