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モカが流した悪質な噂騒動は、アフォガートの迅速かつ完璧な対応によって、鎮火した。
商人たちの信頼を取り戻し、『空飛ぶスイーツ店』計画は、再び力強く軌道に乗り始めた。
しかし、ラテの心には、目に見えない疲労が蓄積していた。
自分の知らないところで、陰湿な悪意に晒されていたという事実は、彼女が思うよりもずっと、その心を消耗させていたのだ。
「お嬢様、少しお休みになってはいかがです? 最近、根を詰めすぎでございますわ」
侍女のマロンが、心配そうに声をかける。
「大丈夫よ。この程度のことで、へこたれたりしませんわ」
ラテは気丈に答えるが、その顔色が優れないのを、マロンは見逃さなかった。
そんな日の午後だった。
アフォガート騎士団長から、一通の簡潔な手紙が届いた。
『相談したいことがある。明日の午後、王宮の西にある湖畔の東屋にて待つ』
差出人の名前に、ラテの心臓が、とくん、と小さく跳ねた。
翌日、ラテは少しだけ胸を躍らせながら、約束の場所へと向かった。
王宮の喧騒から離れたその湖畔は、まるで時が止まったかのように、静かで美しかった。
湖面が、午後の陽光を浴びてきらきらと輝いている。
東屋の影に、見慣れた長身の姿を見つけ、ラテは足を速めた。
「お待たせいたしました、騎士団長」
声をかけると、彼はゆっくりと振り返った。
ラテは、その姿に少しだけ驚く。
そこにいたのは、いつもの漆黒の騎士服に身を包んだ堅物な騎士団長ではなかった。
動きやすいシンプルなシャツに、乗馬用のズボンという、今まで一度も見たことのない私服姿だったのだ。
いつもより、少しだけ若く、そして、どこか柔らかい印象に見える。
「いや、俺が早く着きすぎただけだ。来てくれて、感謝する」
彼の声も、いつもより穏やかに聞こえた。
「それで……事業に関するご相談とは、一体何ですの? また、何か問題でも?」
ラテが尋ねると、アフォガートは少しだけバツが悪そうに、視線を逸らした。
「……いや。あれは、口実だ」
「口実?」
「ああ。君が……少し、疲れているように見えたからな」
彼は、ぽつり、と呟いた。
「騒がしい場所から離れて、少しでも、君を休ませてやりたいと、そう思っただけだ。……迷惑だったか?」
その、あまりにも不器用で、そして、あまりにも優しい気遣いに、ラテの胸の奥が、じんわりと温かくなった。
「いいえ。迷惑だなんて、とんでもない。……ありがとう、ございます」
ラテは、素直に礼を言った。
二人はしばらく、言葉もなく、美しい湖の景色を眺めていた。
時折、風が木々を揺らす音と、遠くで鳥が鳴く声だけが聞こえる。
それは、ラテがここ最近、忘れていた、穏やかで、心安らぐ時間だった。
やがて、アフォガートが、意を決したようにラテに向き直った。
その表情は、いつになく真剣だった。
「ラテ嬢」
いつもと違う、名前での呼び方。
ラテの心臓が、ドキリと大きく音を立てた。
「俺は、今まで、自分の人生の全てを、この国と、王家と、そして騎士団のためだけに捧げてきた。私的な感情は、任務を遂行する上での妨げになるだけだと、そう信じて疑わなかった」
彼の黒曜石の瞳が、まっすぐにラテを射抜く。
ラテは、ゴクリと喉を鳴らし、彼の次の言葉を待った。
「だが、君と出会って、俺は初めて知った。守りたいと、心の底から願うものが、国や、名誉や、任務だけではないということを」
彼は、不器用な言葉を選びながら、しかし、一言一言、確かめるように、続けた。
「俺は、君を守りたい。君のその類まれなる才能が、誰にも邪魔されず、自由に花開くのを、一番近くで見届けたい」
「……騎士団長……」
「そして、君が作る菓子を……できれば、毎日、食べたい。何より、俺は……君の、本当の笑顔が見たいんだ」
そう言うと、彼は、そっとラテの手を取った。
武骨で、剣ダコのある、大きな騎士の手。
その手が、信じられないくらい優しく、ラテの小さな手を包み込んだ。
「ラテ・メランジュ」
アフォガートは、はっきりと、彼女の名を呼んだ。
「俺は、君を愛している。だから、どうか……俺の、そばにいてはくれないだろうか」
鉄仮面の騎士団長からの、あまりにもストレートで、飾り気のない、しかし、心のこもった愛の告白。
ラテは、驚きと、嬉しさと、照れくささで、頭が真っ白になった。
顔が、燃えるように熱い。
心臓の音が、うるさくて、耳の奥でガンガンと響いている。
(こんな……こんなこと、言われるなんて……夢にも、思わなかった……)
気がつけば、彼女の瞳から、ぽろり、と一粒、涙がこぼれ落ちていた。
それは、悲しみの涙ではない。
『悪役令嬢』という重い鎧を一人で身に纏い、ずっと孤独に戦ってきた彼女の心が、彼の言葉によって、完全に救われた、喜びと安堵の涙だった。
「……返事を、聞かせてはもらえないだろうか」
不安そうに尋ねる彼の顔は、もはや鉄仮面ではなく、ただ、愛する女性の答えを待つ、一人の男の顔をしていた。
商人たちの信頼を取り戻し、『空飛ぶスイーツ店』計画は、再び力強く軌道に乗り始めた。
しかし、ラテの心には、目に見えない疲労が蓄積していた。
自分の知らないところで、陰湿な悪意に晒されていたという事実は、彼女が思うよりもずっと、その心を消耗させていたのだ。
「お嬢様、少しお休みになってはいかがです? 最近、根を詰めすぎでございますわ」
侍女のマロンが、心配そうに声をかける。
「大丈夫よ。この程度のことで、へこたれたりしませんわ」
ラテは気丈に答えるが、その顔色が優れないのを、マロンは見逃さなかった。
そんな日の午後だった。
アフォガート騎士団長から、一通の簡潔な手紙が届いた。
『相談したいことがある。明日の午後、王宮の西にある湖畔の東屋にて待つ』
差出人の名前に、ラテの心臓が、とくん、と小さく跳ねた。
翌日、ラテは少しだけ胸を躍らせながら、約束の場所へと向かった。
王宮の喧騒から離れたその湖畔は、まるで時が止まったかのように、静かで美しかった。
湖面が、午後の陽光を浴びてきらきらと輝いている。
東屋の影に、見慣れた長身の姿を見つけ、ラテは足を速めた。
「お待たせいたしました、騎士団長」
声をかけると、彼はゆっくりと振り返った。
ラテは、その姿に少しだけ驚く。
そこにいたのは、いつもの漆黒の騎士服に身を包んだ堅物な騎士団長ではなかった。
動きやすいシンプルなシャツに、乗馬用のズボンという、今まで一度も見たことのない私服姿だったのだ。
いつもより、少しだけ若く、そして、どこか柔らかい印象に見える。
「いや、俺が早く着きすぎただけだ。来てくれて、感謝する」
彼の声も、いつもより穏やかに聞こえた。
「それで……事業に関するご相談とは、一体何ですの? また、何か問題でも?」
ラテが尋ねると、アフォガートは少しだけバツが悪そうに、視線を逸らした。
「……いや。あれは、口実だ」
「口実?」
「ああ。君が……少し、疲れているように見えたからな」
彼は、ぽつり、と呟いた。
「騒がしい場所から離れて、少しでも、君を休ませてやりたいと、そう思っただけだ。……迷惑だったか?」
その、あまりにも不器用で、そして、あまりにも優しい気遣いに、ラテの胸の奥が、じんわりと温かくなった。
「いいえ。迷惑だなんて、とんでもない。……ありがとう、ございます」
ラテは、素直に礼を言った。
二人はしばらく、言葉もなく、美しい湖の景色を眺めていた。
時折、風が木々を揺らす音と、遠くで鳥が鳴く声だけが聞こえる。
それは、ラテがここ最近、忘れていた、穏やかで、心安らぐ時間だった。
やがて、アフォガートが、意を決したようにラテに向き直った。
その表情は、いつになく真剣だった。
「ラテ嬢」
いつもと違う、名前での呼び方。
ラテの心臓が、ドキリと大きく音を立てた。
「俺は、今まで、自分の人生の全てを、この国と、王家と、そして騎士団のためだけに捧げてきた。私的な感情は、任務を遂行する上での妨げになるだけだと、そう信じて疑わなかった」
彼の黒曜石の瞳が、まっすぐにラテを射抜く。
ラテは、ゴクリと喉を鳴らし、彼の次の言葉を待った。
「だが、君と出会って、俺は初めて知った。守りたいと、心の底から願うものが、国や、名誉や、任務だけではないということを」
彼は、不器用な言葉を選びながら、しかし、一言一言、確かめるように、続けた。
「俺は、君を守りたい。君のその類まれなる才能が、誰にも邪魔されず、自由に花開くのを、一番近くで見届けたい」
「……騎士団長……」
「そして、君が作る菓子を……できれば、毎日、食べたい。何より、俺は……君の、本当の笑顔が見たいんだ」
そう言うと、彼は、そっとラテの手を取った。
武骨で、剣ダコのある、大きな騎士の手。
その手が、信じられないくらい優しく、ラテの小さな手を包み込んだ。
「ラテ・メランジュ」
アフォガートは、はっきりと、彼女の名を呼んだ。
「俺は、君を愛している。だから、どうか……俺の、そばにいてはくれないだろうか」
鉄仮面の騎士団長からの、あまりにもストレートで、飾り気のない、しかし、心のこもった愛の告白。
ラテは、驚きと、嬉しさと、照れくささで、頭が真っ白になった。
顔が、燃えるように熱い。
心臓の音が、うるさくて、耳の奥でガンガンと響いている。
(こんな……こんなこと、言われるなんて……夢にも、思わなかった……)
気がつけば、彼女の瞳から、ぽろり、と一粒、涙がこぼれ落ちていた。
それは、悲しみの涙ではない。
『悪役令嬢』という重い鎧を一人で身に纏い、ずっと孤独に戦ってきた彼女の心が、彼の言葉によって、完全に救われた、喜びと安堵の涙だった。
「……返事を、聞かせてはもらえないだろうか」
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