上 下
7 / 21

7.再会

しおりを挟む
「うわー! めちゃくちゃでっかい熊だぁ!!」
「くまさん、死んじゃってる……?」
「お肉! お肉だっ!! お姉ちゃんが倒したの!?」

 村人の集会や祭事の会場となるネール村の中央広場。

 クッキーが、背中に乗せていた巨大なマウンテン・ベアを大きな口で巧みに下ろすと、どこから噂が広がったのだろうか、村人達がすぐに集まってきた。好奇心の塊といえる子ども達は、早速その周りを取り囲み、瞳を輝かせて観察している。

 ずっと大きく、愛くるしい瞳に魅惑のもふもふというマスコット的なクッキーよりもマウンテン・ベアの死体の方が子ども達に人気があるというのは、何とも不思議なものである。食べられるか食べられないかという線引きが、忖度と無縁な子どもの中にはあるのだろうか。

 「空気が読める」村の大人達は、アイラとシグルの許に集まっていた。

「おぉ、アイラ! 久々だなぁ! お前が領主になるって話、本当だったんだな! 待ってたぜ!」

 茶色の短髪のがっちりとした体格の青年が、大声で笑いながら人だかりを割ってアイラの前に立ち、すっと手を伸ばした。

「久々……? もしかして――……!?」

 握手に応じようとしたアイラの目端には、剣の柄に手をやり、青年を睨み付けるシグルの姿が映る。

「……もう! シグル、止めてよ」

 アイラは嘆息し、左手を水平に手を伸ばしてシグルに制止を促す。シグルが半歩下がった事を確認すると、アイラは茶髪の男性とがっちり握手を交わした。

「やっぱりそうだ! 久しぶりだね、ジャン! えへへっ。すっかり逞しくなってて、一瞬誰だか分からなかったよ」
「四年だぞ? そりゃあ人も変わる。男子三日合わざれば――……何とか、だろ?」
「『刮目して見よ』だね!」
「そう、それだ! アイラこそ……! 何てぇか……その、綺麗に……なったな」

 ジャンは頬を赤らめて顔を伏せ、空いた左手で頬を掻いた。アイラには見えないが、背後のシグルから、ドス黒いオーラが立ち上っているような気がする。

「ありがとっ! だけどジャン……少し、痩せた?」
「そう見えるか? 今はオレがネールの村長やってんだぜ。多分そのせいだな」

 顔を上げたジャンは、上機嫌にけらけらと笑った。

「村長!? 凄い! 大出世だね!」
「……厄介ごとを押しつけられただけさ。ま、面倒くさい話は後にしようや。村人はここにいるので全員だ。まずはその美しい顔をみんなに見せてやってくれよ! 領主様」

 ジャンは、握った手を名残惜しそうに離すと、後ろに勢揃いした村民達を紹介するように両手を大きく広げてアイラに跪いた。
 こくりと頷いたアイラは、軽く跳躍してクッキーの背に立ち、〈拡声魔法〉を使って口を開く。

「ネール村の皆さん、ご無沙汰してまーす! 私はアイラ・アイザワ……侯爵でーす! 国王の命により、ホウリックの領主になりました!!」

 人だかりからは、歓声とどよめきが同時に起こった。

(こんな小娘がいきなり領主だなんて、不安になるもの仕方ない……か。また一からスタート、わくわくするよ!)

 ここホウリックはもう百年もの間領主が不在の土地。救世の英雄が領主になるという期待と、自由が奪われるのではないかという不安が入り交じっているのだろう。

「お久しぶりです、アイラ様!」

 見知った数名の村人がクッキーの近くに駆け寄り、アイラを見上げて手を振っている。耳目を集めることに据わりの悪さを感じていたアイラは、それを契機にクッキーの背から飛び降りた。

「うんうん、久しぶりだね、マールちゃん! あの時は色々ありがとね!」

 魔王配下の四天王が棲む氷床にアタックするチャンスを待つ間、およそ四ヶ月を、アイラ達はこの村で過ごした。それゆえ村人の中には、アイラ達の顔を知る者も多い。マールという名の女性に一行は、特に気をかけてもらった。

「マールには副村長をやってもらってるんだぜ!」
「副村長!? あのマールちゃんが……感慨深いよぉ」

 自分より背の高いマールの頭を、背伸びしたアイラが腕を一杯に伸ばして撫でると、マールは少しはにかんだ。

「……ところで、アイラよ。そっちのは誰だ? 前はそんな奴、いなかったよな?」

 腰を少し落とし、ジャンは上目でシグルを睨み付けている。両手を組んで微動だにしないシグルも負けじと睨みを返し、二人の視線が交わる点にばちばちと火花でも散っていそうな程に険悪である。

「もう、二人とも。私のために喧嘩なんてしないでよー。この人はね、私の護衛で付いてきてくれたんだ」
「お前に護衛? はっ! そいつは傑作だ。守られるのは一体どっちなんだかな」

 からからと笑いながら、ジャンが半歩前に出た。

「き、貴様! 拙者を愚弄するか――!」

 負けじとジャンににじり寄るシグル。二人の額はもう、触れあいそうに近い。

「ほーら! はじめましてなんだから、自己紹介でしょ!」

 アイラは文字通り二人の間に割って入り、左右の拳骨で二つの額をぐっと押した。

「ジャンだ」
「……シグル」

 二人は同じ角度でそっぽを向き、似たように唇を尖らせている。その様子が可愛らしく映り、アイラの口元には、思わず笑みが浮かんだ。

「こほん……。二人とも、そろそろ怒るよ?」

 しかし、領主としてはそれではいけない。深呼吸し、アイラは意識的に怒りのオーラを迸らせた。
 英雄の一角、世界最高の野伏レンジャーとしてのその威圧感はかなりのもので、額に脂汗をにじませたシグルとジャンは顔を見合わせ、同時に唾を飲み込んだ。

「……拙者、シグル・ライネルと申す者。エルド殿下の命により、アイラ・アイザワ閣下の護衛として参った。しばらくはアイラ殿の護衛としてこの村に滞在する故、よろしく頼むでござるよ、ジャン村長殿」
「村長がいきなり喧嘩ってわけにもいかねぇな。……オレの名はジャン。家名は無い。訳あってここの村長を務めている。よろしく頼むぜ、シグルとやら」

 二人は深々と頭を下げた。立場ある大人としての体面を、ギリギリ保った格好だ。
 初仕事がうまくいったことに目を細めて首を縦に振っていたアイラだが、あることに気づいてその動きを止めた。

「……えぇ! しばらくってシグル、そんなの私、はじめて聞いたよ!? 無事にネール村に着いたんだから、護衛はもう必要ないんじゃ――?」
「拙者もそのつもりでござったが、たった今エルド殿下より〈通信魔法コンタクト〉が入り、護衛の延長が決まったでござるよ。『危険』が完全に排除されるまでアイラ閣下のおそばを決して離れぬように、と」
「設定甘くない? エルドには長距離の〈通信魔法〉なんて出来ないでしょ!? ……王都、大丈夫なのかなぁ」
「おいおいシグルとやら、正気なのか? 次期国王の名を騙ったとなれば、あんた一人の命じゃとても足りんぞ?」
「正気も正気でござる。拙者の言葉に嘘はないでござるよ」
「どっちかというと、嘘で固められてるよね!?」
「……アイラのためってか?」
「無論だ」
「はっは! なかなか気骨のある奴じゃないか! 気に入ったぜ!」

 なぜか打ち解けた二人が肩を組むすぐ側で、アイラは一人、がっくりと肩を落としていた。

「だがアイラ、お前の住む家は整えておいたが、そいつの寝床はないぞ?」
「それは――……」
「問題ござらん! 拙者はアイラ殿と同じ家に住む故。それも、護衛としての努めでござるよ」

 シグルは言葉を被せた。

「んなっ!? おいおい、こんなこと言ってやがるが……いいのか、アイラ?」
「だ、大丈夫だよ、ジャン。シグルはどこでも寝られる特技があるんだよ。床でも……外でもね!」
「余裕でござるな」

 鼻を鳴らし、何故か得意げなシグルである。

「ちっ! しゃーねーな! 領主様の従者をぞんざいには扱えねぇよ。すぐに村の衆に寝具を用意させる。だが、シグルには村人としての責任もちゃんと果たしてもらうぜ」
「拙者、元よりそのつもりでござるよ? 『郷に入ってはなんとやら』と、アイラ閣下に常々、聞かされているでござるよ」
「『郷に従え』、ね」
「吠え面かくなよ! まずは日の出前に村を五周、走って見回り。それから剣の素振りを千回だ。毎日だぞ?」

 言い争う二人を囲む村人達は、呆れたように一斉にため息を吐いた。そんな慣習など、存在しないらしい。

「……ふっ。その程度でござるか」
「んなっ! 舐めるなよ! それが終わったらだなぁ――……!」

 ジャンが幾ら凄もうと、シグルにとってはどこ吹く風だ。
 天才肌のエルドシグルではあるが、魔王討伐の旅の五年間、早朝夕刻の鍛錬は欠かさず、夜遅くまで内政についての学びも深めた。

「あーあー! 二人ともいい加減にしてよね。……ところでジャン? ネール村、随分雰囲気変わったよね……?」

 ネル山の裾野から村までの道中、アイラが所々で感じていた事だ。

 まず、辺境のネール村には人の出入りなどほとんど無いというのに、放置された空き家が目立った。次に農地だ。春先とはいえ、どこも草一本生えておらず、表土の色は薄く痩せ、クラックが入って乾燥しきっている。
 さらに、以前はひっきりなしに聞こえていた山羊や羊の鳴き声もまばらで、春の爽やかな晴天の日だというのに、村には寂寥感すら漂っている。

 環境だけではない。アイラとて全員を覚えているわけではないが、見知った村人の数は少なく、端的に言えば高齢化している。
 そして体型。農耕と牧畜の確かな技術を持ったネールの人々は、どちらかといえば恰幅が良かったはずだが、今は見る影もなく、皆痩せ細っている。

「……ああ。まあ、アイラなら気づいちまうよな」

 ジャンが目配せをすると、副村長のマールと、長老とおぼしき年老いた男性――アイラの記憶によると前の村長――がそれに応じて小さく頷いた。

「その話はアイラの新居でしようぜ。俺とマールと、ロンボルグ老が案内するからよ。国王からのお触れがあったからな。村人総出で慌てて改修したんだぜ? ……丘の上の一軒家だ、アイラはあそこがお気に入りだったからな」
「ほんとにあの家に住んでいいんだ! やった!」

 満面の笑みを浮かべ、アイラはぴょんぴょんとその場で小さく飛び跳ねている。その様子を見て、ジャンとマールは満足げな笑みを浮かべた。

「ひと月の突貫工事だったからよ、侯爵閣下に満足してもらえるかは分からんがな。でかい従魔がいるってんで、厩舎も急いで作らせた。ま、一人と一匹が住むには上等だぜ?」

 言って、ジャンはシグルを敢えて視界の端に捉えた。鼻をすんと鳴らしてシグルはそっぽを向く。
 仲が良いのか悪いのか。男心など知らないアイラは苦笑するしかない。

「よし。善は急げだ、早速向かおう。若い衆は領主様の土産を井戸水で冷やしておいてくれ。……アイラ、それでいいな?」
「あ……うん。その熊は村へのお土産だからね。そこからの処理は任せるよ」
「今夜は宴だ。酒と馳走の準備も頼む。それじゃあ行こうぜ、アイラ!」

 ジャンはアイラの方に腕を回し、小さな肩をぽんと叩くと、沈む夕日が作る茜色の農道を歩き始める。

「おのれジャン、許すまじ……!」

 その姿を恨めしそうに睨み付け、シグルは地団駄を踏んでいた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

煙草の煙

BL / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:9

あなたの愛なんて信じない

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:100,911pt お気に入り:3,210

王妃となったアンゼリカ

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:169,393pt お気に入り:7,830

逆行した公爵令嬢は逃げ出したい

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:1,817pt お気に入り:100

日本巻絵

現代文学 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

彼女が望むなら

恋愛 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:152

男子高校生異世界に憚る

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:4

処理中です...