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第六話 夜会
同盟国であるグランツォレ帝国大使を歓迎する夜会。夜会には貴族の子息、息女も呼ばれ賑わい、キラキラとしたシャンデリアが光り輝く。人々の話し声、眩暈がするくらいの輝く光。そのどれもが頭に響く。
痛くて痛くて今すぐにでもここを出て行きたくなる。
だけどそれは出来ない。
俺は屈強な騎士であり皇子。それを崩すわけにはいかない。
熱で火照った頬は先程氷嚢で冷やしたから赤みは幾分か治っていた。この分だと人に何か言われるということはないだろう。
エルモアはといえば、やはり騎士の身分を弁えているようでまるで人形のように側に立っていた。身体のことを隠したい俺の意思を尊重してか、なりふり構わず心配するような素振りも見せない。やはりエルモアは優秀な護衛騎士だ。
至って普通そうに装い、なるべく刺激の少なそうなホールの片隅に寄り影を薄くしようと試みる。しかし俺はあくまで第二皇子。やはり人の目からは逃れられず、恐怖に満ちた眼差しに晒される。誰も俺に話しかけはしない。別に寂しいともなんとも思わない。逆に俺にとっては好都合だった。おかげで普通を装うことに集中できる、と思ったのだが……。
「やあこれはこれは第二皇子イライアス殿下ではありませんか」
貼ってつけたかのような笑みを浮かべる白髪混じりの男。グランツォレ帝国大使だ。背後には眉を顰めた父と兄が立っていた。
「イライアス殿下のお噂はかねがね聞いておりますよ。我がグランツォレ帝国皇帝陛下もイライアス殿下には大層気になさっているご様子で、一度お目にかかりたいとおっしゃっていました」
その言葉に嫌気が差す。グランツォレ帝国皇帝とはイェルク皇帝のこと。時を遡る前は俺とライバル関係であった男だ。最初は健全なライバル同士であったはずなのだが、戦いを重ねていくうちになぜか「俺に負けたら結婚しろ」と迫るようにまでなってしまった。男同士が結婚なんてあり得ないと思うが、魔術大国であるグランツォレ帝国では男でも魔法で子どもを産めるらしいから問題ないとのこと。だからって好きでもないのに結婚するわけないだろ。
そう断言してもイェルクは詰め寄ってきたっけ。うざったらしい男だ。
兄の表情が大人しくしてろと告げている。そう言われなくても俺は何もするつもりはない。
「先の戦でも先陣を切って勇敢に戦われたとか。まさか一夜にして王城を陥落させるとは思っていませんでした。なんとも頼もしい限りでございますね陛下」
ハハハと父が引き攣ったように笑みを浮かべる。
「しかし獣には手綱は必須。きちんと手綱を握らなければ何もかもを食い荒しますよ。それこそ主人にも噛みつきかねません」
「それには心配及びません。コレの手綱は私が強く握っておりますので」
そう人当たりの良い笑顔を向ける兄。俺がコレ扱いなのは今更何も思わない。
記憶が蘇る。確か前はこの辺りで大使に斬りかかった。平和を尊ぶ父は大国であり同盟国であるグランツォレ帝国相手に強く出れない。それを分かって何でも言い放題だと調子に乗った大使をムカついて斬ったのだ。舐められればいつか大国に攻められる。だからいっそのことこちらから仕掛けてやる。そんなことも考えていたと思う。
「ハッハッハ。アラン殿下がそうおっしゃるのなら安心ですな」
斬りかかりはしないが、なんか男の顔を見てると腹が立ってくる。一日に五回は足の小指を角にぶつけて欲しい。推察するにこの男は人を苛立たせる才能でもあるのだろう。
「人の世は諸行無常と東の国で申しますが、先の戦も一年前のラルトゥフ戦争もなければここまで混乱も極めることはなかったでしょうに」
それは正論だ。たらればの話にはなるが、戦争がなければ均衡を崩し世界に不調和を招くことも多くの人々が死ぬこともなかった。
「一人のせいで世界は混沌に陥ろうとしている。ここまでくればいっそのこといない方が良いのではありませんか?」
いない方が良い。
重い錘がズシリと沈み込む。
そうか。俺は、いない方がいいのかもしれない。
いや、いない方がいいんだ。
思いつかなかった。
俺は俺の力で帝国の平和を手に入れようとした。だけど違ったんだ。帝国の平和は俺がいなくなれば簡単に訪れるのだ。
厄介者の俺がいなくなれば帝国は平和になり兄の幸せも守れる。
これで万事解決じゃないか。だけどなぜこんなに辛いんだ。一番簡単で的確な方法を見つけることが出来たんだぞ。嬉しいはずだろ。
「それは聞き捨てなりませんな」
突然守るように父が俺の前に立つ。
「例え国の厄介者でも私にとっては大切な一人の息子。それをいない方がよいなどと、大使であろうともその言葉許すことはできない」
父の大きな背中で視界が遮られ、大使双方とも顔は見えない。だけど怒気を孕んだ父の低い声。そこにいつもの穏やかさはなかった。
「い、いえそんなつもりはなかったのですが……。私はただくれぐれも目は離さぬようお願いしたかっただけでございます」
怯えたように大使が言う。父が俺以外に怒るなんてましてやいつも慎重に扱う大使に怒りをあらわにするなんて信じられないような光景だった。しかも俺のために怒っている。父は俺のこと厄介者としか思っていないはずなのに。
大使の顔を覗き込めば、まだ怯えたように父を見ていた。その視線を追うと、父の顔が目に映る。
これはまずい。流石に大使が可哀想だ。
「陛下、私は気にしてはおりません。それに大使の言う通りです。私のせいで要らぬ混乱を招き、グランツォレ帝国にも大きな迷惑をかけてしまったのは事実です。大使、それについては深くお詫びいたします」
「い、いえ。私もイライアス殿下に御無礼を働いてしまいましたゆえ……その、申し訳ございませんでした」
大使が呆気に取られながらも逃げるようになんとか言葉を捻り出す。良かった、父はもう怒ってはいないようだった。驚いているように目を見開いてこちらを見ている。
「大使、明日の会談について少しお話ししたいことがございますのであちらへ場所を移しませんか?」
兄がそう言って大使を促す。ナイスタイミング。これで話題も逸れたことだし、大使の身が危険になることもないだろう。
「イライアス」
ふと父が俺を呼ぶ。その口角は嬉しそうに上がっていた。
「成長したな」
父が俺に笑った?
「大使の言ったことは気にするな。お前はここにいていい」
そうして肩をポンポンと軽く叩く。嬉しかった。俺を褒めてくれた。俺に笑ってくれた。もしかしたら俺は父にとってただの厄介者というわけではないのかもしれない。
だけど……。
俺は本当にここにいていいのだろうか?
何かが暗闇に覆われる。
何言ってる。いない方がいいに決まってるだろ。そうすれば全てが丸く治る。兄の幸せもそれで壊れることはなくなるんだ。
テーブルのナイフに目が止まる。銀色の光が魅力的に輝いていた。
だから早く手に取れ。簡単だろ? 前も戸惑いなくやったじゃないか。兄のために。だから早く。
早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く。
錘が深く落ちていく。
頭を押さえる。
目眩がする。頭も痛い。身体も熱い。
早く、早く休みたい。
「イライアス殿下」
背後からエルモアが静かに俺の名を呼ぶ。どうやらいつの間にか父は去っていたらしい。
「あの……大丈夫ですか?」
「ああ。俺は平気だ」
「いえ。お身体の具合が良ければ何よりなのですが、その……」
はっきり言って欲しい。もう熱と頭痛で頭が回りそうにないんだ。
「どうした? 何か問題でもあったのか?」
「いえ、そういうことではなく──」
「イライアス殿下」
ふとふわりと花の香りが漂う。見れば淡い茶髪に蝶の髪飾りが特徴的な可愛らしい顔立ちをした女性が柔和に微笑んでいた。
「先の戦に続き賊の件、勇ましく戦われたと皆の間で話題になっていましたよ。流石帝国最強の騎士様ですね」
彼女はシェリア。公爵令嬢であり、アラン兄上の婚約者だ。
「買い被りすぎですよ」
「そんなことありませんわ。殿下のおかげで帝国はますます豊かになりました。もう物乞いをする孤児も見かけなくなりました。それもこれも全てイライアス殿下のおかげです」
優しげな声が煩わしい。周りの雑音も、光も全て頭に響く。目眩もどんどんひどくなってきた。
「……殿下?」
反応のない俺にシェリア嬢が首を傾げる。シェリア嬢には悪いが早く話を切り上げよう。そう口を開きかけた時だった。
「っ……」
異変が走る。
突然手がフルフルと小刻みに震え出す。抑えようと力を入れるも更に震えは強まる。制御が全く効かない。
こんな時に!!
グラスのワインが溢れそうになり、慌てて両手でがっしりと掴む。両手で抑えているものの、その両手が震えてまるで嵐のようにグラスの中が波立つ。その手にシェリア嬢の不安げな視線が注がれる。
「殿下、もしかしてお身体の調子が……」
「いやこれは……なんでもない」
グラスをその辺のテーブルに捨てるように置く。震える手は握って後ろに隠した。
「まさか。私はてっきりお身体が治ったとばっかりに……」
知られてしまった。また俺はヘマばっかりしやがって。
どうしようかと考えるほど頭が痛くなる。頭が回らない。もう本当に勘弁してくれ!!
誰も俺を見るな!! 話しかけるな!! 放っておいてくれ!!
今ならシェリア嬢を睨みつけてしまいそうで目をつぶってただ痛みに耐える。どうか去ってくれと願うも彼女は寄り添うように言葉を紡ぐ。
「あの殿下、一度教会に赴いてはどうでしょうか? 教皇様なら殿下のお身体も治せると思うのですが」
教皇?? そんな奴何の役にも立たなかったぞ。俺がまだ小さい頃に一度診てもらったがなす術なく、結局俺は苦しみに悶えるしかなかったんだ。
「殿下はご存じかと思いますが、新しく就かれた今の教皇様は大層魔法の扱いに長けていらっしゃってこれまで病に苦しむ多くの人々を救ってくださいました。ですから殿下のお身体もなんとかしてくださると思うのです」
今の教皇がなんだか知らないが、なんとかなってるならとっくの昔になってるんだよ。
「心配してくださりありがとうございます。しかし私は平気です。ですから何のお気遣いも必要ありません」
でき得る限りの精一杯の笑顔を作る。額に冷や汗が伝ったのは無視する。
「ですが──」
「何をしているんだ?」
一番来てほしくない人物がよりによって現れる。
本当に勘弁してくれ……。
「アラン殿下……」
「まさかシェリアに嫌がらせをしていたのではあるまいな?」
シェリア嬢の普通ではない表情に兄が顔を顰める。
嫌がらせ? 何のために?
そもそも婚約者だからといってシェリア嬢に嫉妬したことなど一度もない。ノエルに向ける微笑みは本物の愛情だったがシェリア嬢に向けるのは他所様用の言うなれば上っ面だけの笑み。だからこれまで羨ましいなんて微塵も思ったことがないし、嫉妬に狂ったことはない。
「いえ違います!! 実はイライアス殿下のお身体が──」
はっ!? ちょ、何言ってんだ!?
「兄上!! それはそういうことではありませんでして……その、教会について話していたのです」
「教会?? お前、教会なんて興味なかっただろ」
「最近は違います。シェリア嬢が教会の話をしてくださって久しぶりに教会に赴こうかと話していたところです」
その場凌ぎの出任せにシェリア嬢が喜びに声を上げる。
「まぁ!! では教皇様にお会いなってくださるのですね」
「……え、ええ。ですから私のことはご心配なさらずにどうか不安を煽るようなお言葉は謹んでいただけませんか?」
シェリア嬢がしゅんと小動物のように肩を窄める。
「申し訳ございません。そんなつもりはなかったのですが……」
案の定、兄が俺を睨みつけてきた。
「なんだその物言いは。シェリアは未来の皇妃だ。そんな口の利き方許されるとでも思っているのか?」
「アラン殿下、どうかお気になさらず。私も気にしておりませんので」
「そういうわけにはいかない。おいイライアス、シェリアに謝れ」
「アラン殿下っ!!」
分かった。分かったからもう声を荒げないでくれ。頭が痛いんだ。
頭だけじゃない。視界もさっきからぐるぐる回っている。
一秒一秒が長く感じる。
とにかく今は一人にして欲しい。
そう口を開きかけるももう既に限界だった。
まずい……。
「イライアス黙ってないでさっさと謝れ──」
崩れ落ちるように力が抜ける。視界が傾く。倒れまいと手を着いたところが悪かった。
テーブルが横になり皿が割れ、料理が床に散らばる。グラスのワインも全て溢れ、俺の服を盛大に赤く染める。
賑やかだったホールが一瞬にして静まる。全ての人間が俺に視線を向けていた。
「……すみません、足がもつれてしまって」
「殿下っ!!」
エルモアの力も借りてなんとか身体を起こし、なんともなかったように振る舞う。
なんでこうも上手くいかないんだ。前はこんなことなかったのに。
恐る恐る顔を上げる。兄と目が合う。その瞬間身体の辛さは全て頭から消え去った。
絶望を前にしたような光のない瞳。強い拒絶の色を滲ませて歪む顔。それはまるで目の前に突きつけられた非情な現実から目を逸らそうとしているようだった。
「いや、そんなはずはない……」
溢れる弱々しい声。
なぜ兄上はこんな顔をする?
俺が悪いことをしたからか??
分からない。
だけど確実に分かることがある。
俺はまた兄上を不幸にしてしまった。
「もういい。今日はもう部屋に戻れ」
そう言い放った時には既に兄はいつもの調子に戻っていた。だけどどこか辛そうな面持ちに胸が締め付けられる。兄は目を逸らし、俺が去るまで一切こちらを見ようとはしなかった。
痛くて痛くて今すぐにでもここを出て行きたくなる。
だけどそれは出来ない。
俺は屈強な騎士であり皇子。それを崩すわけにはいかない。
熱で火照った頬は先程氷嚢で冷やしたから赤みは幾分か治っていた。この分だと人に何か言われるということはないだろう。
エルモアはといえば、やはり騎士の身分を弁えているようでまるで人形のように側に立っていた。身体のことを隠したい俺の意思を尊重してか、なりふり構わず心配するような素振りも見せない。やはりエルモアは優秀な護衛騎士だ。
至って普通そうに装い、なるべく刺激の少なそうなホールの片隅に寄り影を薄くしようと試みる。しかし俺はあくまで第二皇子。やはり人の目からは逃れられず、恐怖に満ちた眼差しに晒される。誰も俺に話しかけはしない。別に寂しいともなんとも思わない。逆に俺にとっては好都合だった。おかげで普通を装うことに集中できる、と思ったのだが……。
「やあこれはこれは第二皇子イライアス殿下ではありませんか」
貼ってつけたかのような笑みを浮かべる白髪混じりの男。グランツォレ帝国大使だ。背後には眉を顰めた父と兄が立っていた。
「イライアス殿下のお噂はかねがね聞いておりますよ。我がグランツォレ帝国皇帝陛下もイライアス殿下には大層気になさっているご様子で、一度お目にかかりたいとおっしゃっていました」
その言葉に嫌気が差す。グランツォレ帝国皇帝とはイェルク皇帝のこと。時を遡る前は俺とライバル関係であった男だ。最初は健全なライバル同士であったはずなのだが、戦いを重ねていくうちになぜか「俺に負けたら結婚しろ」と迫るようにまでなってしまった。男同士が結婚なんてあり得ないと思うが、魔術大国であるグランツォレ帝国では男でも魔法で子どもを産めるらしいから問題ないとのこと。だからって好きでもないのに結婚するわけないだろ。
そう断言してもイェルクは詰め寄ってきたっけ。うざったらしい男だ。
兄の表情が大人しくしてろと告げている。そう言われなくても俺は何もするつもりはない。
「先の戦でも先陣を切って勇敢に戦われたとか。まさか一夜にして王城を陥落させるとは思っていませんでした。なんとも頼もしい限りでございますね陛下」
ハハハと父が引き攣ったように笑みを浮かべる。
「しかし獣には手綱は必須。きちんと手綱を握らなければ何もかもを食い荒しますよ。それこそ主人にも噛みつきかねません」
「それには心配及びません。コレの手綱は私が強く握っておりますので」
そう人当たりの良い笑顔を向ける兄。俺がコレ扱いなのは今更何も思わない。
記憶が蘇る。確か前はこの辺りで大使に斬りかかった。平和を尊ぶ父は大国であり同盟国であるグランツォレ帝国相手に強く出れない。それを分かって何でも言い放題だと調子に乗った大使をムカついて斬ったのだ。舐められればいつか大国に攻められる。だからいっそのことこちらから仕掛けてやる。そんなことも考えていたと思う。
「ハッハッハ。アラン殿下がそうおっしゃるのなら安心ですな」
斬りかかりはしないが、なんか男の顔を見てると腹が立ってくる。一日に五回は足の小指を角にぶつけて欲しい。推察するにこの男は人を苛立たせる才能でもあるのだろう。
「人の世は諸行無常と東の国で申しますが、先の戦も一年前のラルトゥフ戦争もなければここまで混乱も極めることはなかったでしょうに」
それは正論だ。たらればの話にはなるが、戦争がなければ均衡を崩し世界に不調和を招くことも多くの人々が死ぬこともなかった。
「一人のせいで世界は混沌に陥ろうとしている。ここまでくればいっそのこといない方が良いのではありませんか?」
いない方が良い。
重い錘がズシリと沈み込む。
そうか。俺は、いない方がいいのかもしれない。
いや、いない方がいいんだ。
思いつかなかった。
俺は俺の力で帝国の平和を手に入れようとした。だけど違ったんだ。帝国の平和は俺がいなくなれば簡単に訪れるのだ。
厄介者の俺がいなくなれば帝国は平和になり兄の幸せも守れる。
これで万事解決じゃないか。だけどなぜこんなに辛いんだ。一番簡単で的確な方法を見つけることが出来たんだぞ。嬉しいはずだろ。
「それは聞き捨てなりませんな」
突然守るように父が俺の前に立つ。
「例え国の厄介者でも私にとっては大切な一人の息子。それをいない方がよいなどと、大使であろうともその言葉許すことはできない」
父の大きな背中で視界が遮られ、大使双方とも顔は見えない。だけど怒気を孕んだ父の低い声。そこにいつもの穏やかさはなかった。
「い、いえそんなつもりはなかったのですが……。私はただくれぐれも目は離さぬようお願いしたかっただけでございます」
怯えたように大使が言う。父が俺以外に怒るなんてましてやいつも慎重に扱う大使に怒りをあらわにするなんて信じられないような光景だった。しかも俺のために怒っている。父は俺のこと厄介者としか思っていないはずなのに。
大使の顔を覗き込めば、まだ怯えたように父を見ていた。その視線を追うと、父の顔が目に映る。
これはまずい。流石に大使が可哀想だ。
「陛下、私は気にしてはおりません。それに大使の言う通りです。私のせいで要らぬ混乱を招き、グランツォレ帝国にも大きな迷惑をかけてしまったのは事実です。大使、それについては深くお詫びいたします」
「い、いえ。私もイライアス殿下に御無礼を働いてしまいましたゆえ……その、申し訳ございませんでした」
大使が呆気に取られながらも逃げるようになんとか言葉を捻り出す。良かった、父はもう怒ってはいないようだった。驚いているように目を見開いてこちらを見ている。
「大使、明日の会談について少しお話ししたいことがございますのであちらへ場所を移しませんか?」
兄がそう言って大使を促す。ナイスタイミング。これで話題も逸れたことだし、大使の身が危険になることもないだろう。
「イライアス」
ふと父が俺を呼ぶ。その口角は嬉しそうに上がっていた。
「成長したな」
父が俺に笑った?
「大使の言ったことは気にするな。お前はここにいていい」
そうして肩をポンポンと軽く叩く。嬉しかった。俺を褒めてくれた。俺に笑ってくれた。もしかしたら俺は父にとってただの厄介者というわけではないのかもしれない。
だけど……。
俺は本当にここにいていいのだろうか?
何かが暗闇に覆われる。
何言ってる。いない方がいいに決まってるだろ。そうすれば全てが丸く治る。兄の幸せもそれで壊れることはなくなるんだ。
テーブルのナイフに目が止まる。銀色の光が魅力的に輝いていた。
だから早く手に取れ。簡単だろ? 前も戸惑いなくやったじゃないか。兄のために。だから早く。
早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く。
錘が深く落ちていく。
頭を押さえる。
目眩がする。頭も痛い。身体も熱い。
早く、早く休みたい。
「イライアス殿下」
背後からエルモアが静かに俺の名を呼ぶ。どうやらいつの間にか父は去っていたらしい。
「あの……大丈夫ですか?」
「ああ。俺は平気だ」
「いえ。お身体の具合が良ければ何よりなのですが、その……」
はっきり言って欲しい。もう熱と頭痛で頭が回りそうにないんだ。
「どうした? 何か問題でもあったのか?」
「いえ、そういうことではなく──」
「イライアス殿下」
ふとふわりと花の香りが漂う。見れば淡い茶髪に蝶の髪飾りが特徴的な可愛らしい顔立ちをした女性が柔和に微笑んでいた。
「先の戦に続き賊の件、勇ましく戦われたと皆の間で話題になっていましたよ。流石帝国最強の騎士様ですね」
彼女はシェリア。公爵令嬢であり、アラン兄上の婚約者だ。
「買い被りすぎですよ」
「そんなことありませんわ。殿下のおかげで帝国はますます豊かになりました。もう物乞いをする孤児も見かけなくなりました。それもこれも全てイライアス殿下のおかげです」
優しげな声が煩わしい。周りの雑音も、光も全て頭に響く。目眩もどんどんひどくなってきた。
「……殿下?」
反応のない俺にシェリア嬢が首を傾げる。シェリア嬢には悪いが早く話を切り上げよう。そう口を開きかけた時だった。
「っ……」
異変が走る。
突然手がフルフルと小刻みに震え出す。抑えようと力を入れるも更に震えは強まる。制御が全く効かない。
こんな時に!!
グラスのワインが溢れそうになり、慌てて両手でがっしりと掴む。両手で抑えているものの、その両手が震えてまるで嵐のようにグラスの中が波立つ。その手にシェリア嬢の不安げな視線が注がれる。
「殿下、もしかしてお身体の調子が……」
「いやこれは……なんでもない」
グラスをその辺のテーブルに捨てるように置く。震える手は握って後ろに隠した。
「まさか。私はてっきりお身体が治ったとばっかりに……」
知られてしまった。また俺はヘマばっかりしやがって。
どうしようかと考えるほど頭が痛くなる。頭が回らない。もう本当に勘弁してくれ!!
誰も俺を見るな!! 話しかけるな!! 放っておいてくれ!!
今ならシェリア嬢を睨みつけてしまいそうで目をつぶってただ痛みに耐える。どうか去ってくれと願うも彼女は寄り添うように言葉を紡ぐ。
「あの殿下、一度教会に赴いてはどうでしょうか? 教皇様なら殿下のお身体も治せると思うのですが」
教皇?? そんな奴何の役にも立たなかったぞ。俺がまだ小さい頃に一度診てもらったがなす術なく、結局俺は苦しみに悶えるしかなかったんだ。
「殿下はご存じかと思いますが、新しく就かれた今の教皇様は大層魔法の扱いに長けていらっしゃってこれまで病に苦しむ多くの人々を救ってくださいました。ですから殿下のお身体もなんとかしてくださると思うのです」
今の教皇がなんだか知らないが、なんとかなってるならとっくの昔になってるんだよ。
「心配してくださりありがとうございます。しかし私は平気です。ですから何のお気遣いも必要ありません」
でき得る限りの精一杯の笑顔を作る。額に冷や汗が伝ったのは無視する。
「ですが──」
「何をしているんだ?」
一番来てほしくない人物がよりによって現れる。
本当に勘弁してくれ……。
「アラン殿下……」
「まさかシェリアに嫌がらせをしていたのではあるまいな?」
シェリア嬢の普通ではない表情に兄が顔を顰める。
嫌がらせ? 何のために?
そもそも婚約者だからといってシェリア嬢に嫉妬したことなど一度もない。ノエルに向ける微笑みは本物の愛情だったがシェリア嬢に向けるのは他所様用の言うなれば上っ面だけの笑み。だからこれまで羨ましいなんて微塵も思ったことがないし、嫉妬に狂ったことはない。
「いえ違います!! 実はイライアス殿下のお身体が──」
はっ!? ちょ、何言ってんだ!?
「兄上!! それはそういうことではありませんでして……その、教会について話していたのです」
「教会?? お前、教会なんて興味なかっただろ」
「最近は違います。シェリア嬢が教会の話をしてくださって久しぶりに教会に赴こうかと話していたところです」
その場凌ぎの出任せにシェリア嬢が喜びに声を上げる。
「まぁ!! では教皇様にお会いなってくださるのですね」
「……え、ええ。ですから私のことはご心配なさらずにどうか不安を煽るようなお言葉は謹んでいただけませんか?」
シェリア嬢がしゅんと小動物のように肩を窄める。
「申し訳ございません。そんなつもりはなかったのですが……」
案の定、兄が俺を睨みつけてきた。
「なんだその物言いは。シェリアは未来の皇妃だ。そんな口の利き方許されるとでも思っているのか?」
「アラン殿下、どうかお気になさらず。私も気にしておりませんので」
「そういうわけにはいかない。おいイライアス、シェリアに謝れ」
「アラン殿下っ!!」
分かった。分かったからもう声を荒げないでくれ。頭が痛いんだ。
頭だけじゃない。視界もさっきからぐるぐる回っている。
一秒一秒が長く感じる。
とにかく今は一人にして欲しい。
そう口を開きかけるももう既に限界だった。
まずい……。
「イライアス黙ってないでさっさと謝れ──」
崩れ落ちるように力が抜ける。視界が傾く。倒れまいと手を着いたところが悪かった。
テーブルが横になり皿が割れ、料理が床に散らばる。グラスのワインも全て溢れ、俺の服を盛大に赤く染める。
賑やかだったホールが一瞬にして静まる。全ての人間が俺に視線を向けていた。
「……すみません、足がもつれてしまって」
「殿下っ!!」
エルモアの力も借りてなんとか身体を起こし、なんともなかったように振る舞う。
なんでこうも上手くいかないんだ。前はこんなことなかったのに。
恐る恐る顔を上げる。兄と目が合う。その瞬間身体の辛さは全て頭から消え去った。
絶望を前にしたような光のない瞳。強い拒絶の色を滲ませて歪む顔。それはまるで目の前に突きつけられた非情な現実から目を逸らそうとしているようだった。
「いや、そんなはずはない……」
溢れる弱々しい声。
なぜ兄上はこんな顔をする?
俺が悪いことをしたからか??
分からない。
だけど確実に分かることがある。
俺はまた兄上を不幸にしてしまった。
「もういい。今日はもう部屋に戻れ」
そう言い放った時には既に兄はいつもの調子に戻っていた。だけどどこか辛そうな面持ちに胸が締め付けられる。兄は目を逸らし、俺が去るまで一切こちらを見ようとはしなかった。
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