徒花の先に

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第三十二話 白髪の男

「っ……! イライアス大丈夫か!?」
 突如現れたイェルクに驚く。物音に視線を向ければ、イェルクの他にも医者らと看護師たちが慌ただしく部屋に入ってきた。
 どうやらあの医者は部屋を出て行ったのではなく、応援を呼びに行っただけだったらしい。
「……ヒュー、ヒュー、ヒュー」
 朧げな意識でそう冷静に分析していると、医者の中にふと美しい白髪が目に入る。
 いつもの顔ぶれの中では見かけない。見慣れない人物。
 ぼうっと彼を見つめていると忙しい様子で俺に寄り、首のつけ根に指を当てられる。脈を測っているのだろうか。彼の冷静な視線が俺に向けられる。
「風邪による炎症で喘息を引き起こしている。イリーナ、ステロイドと点滴、ボスミンの用意を」
 そう言うや否や看護師が慌ただしく動き出す。意識が薄まっているせいか男が言うことはちんぷんかんぷんだった。
 うつ伏せになっていた体を仰向けにされ、腕を捲られ管上のゴムのようなもので縛られる。チクリと腕に痛みが走る。
 何をやっているのだろう。
 刺された箇所からは長い透明の管が伸びてその先には何か液体の入ったパックが棒のようなものにぶら下がっていた。
 縛っていたゴムを取られ解放されたかと思いきや腕に刺さった針をテープで固定される。
 俺には中身が何なのか分からないが注射もされる。
 周囲が慌ただしく俺を生かそうと動く。
 今まで見たことのない器具に朧げな意識ながらも俺は目で追っていた。
 ヒュー、ヒューと呼吸をするのもやっとな状態で胸が上下する。ふとあの白髪の男が俺に声を掛けてきた。
「息するの辛いね。今から呼吸が楽になるよう喉に管を挿れるからもう少し頑張ろうね」
 まるで子どもに語りかけるような話し方で言われるが、何か恐ろしいことを聞いた気がする。
 途端口を手で開かれL型に曲がった器具を喉奥に入れられる。反射でえずくが、器具が離されることはない。体を動かそうにも力が入らなくて眉根を寄せ耐えるしかなかった。
 喉奥に透明な管が入れられ、固定するためかテープが顔に張り付く。
 なんだこれ、気持ち悪い。
 今すぐ取ってくれと伝えたいがこの状況では無理だった。
「イライアス、大丈夫だからな。俺がついているからな」
 医者の邪魔にならない所でイェルクがベッド際で屈み、俺にそう呼びかける。
 イェルクに目で取ってくれと訴えるが、理解しているのかしていないのか必死に俺を励ますばかりだった。
 呼吸も幾らか楽になり、仕方なく戦場で何度も引き起こした火事場の馬鹿力を思い出し、体を動かす。弱い身体で戦場を生き抜いてきたのはこの精神力のおかげ。舐めてはいけない。
 筋という筋を使い、喉に突っ込まれた管を取ろうとするとあの白髪の男から慌てて腕を抑え込まれてしまった。
「駄目駄目、それ外しちゃうと呼吸辛くなっちゃうからね」
 看護師から難なくベッドに両腕を縛られ、なんとか外そうと足掻いてみる。
「はい暴れない暴れない~」
 男がいなすように言い聞かせる。クソッ。抵抗してはみたが、他の医者や看護師たちから全身を抑えられ全く動けなくなってしまった。
 また腕に痛みが走る。
「大丈夫、今鎮静剤打ったからね。これでだいぶ楽になるよ」
 男の話す言葉が段々と遠くなっていく。意識がぼんやりとして眠る直前のような感覚になる。
 遂には本当に眠たくなってしまって俺は瞳を閉じた。



♢♢♢



 起きた直後に感じたのは喉の異物感だった。口からは管が出ていてまだ挿れられたままなのかと内心悪態をつく。けれど未だ意識もぼんやりしたままで力は入らず自力で取ることは叶わない。
「……っイライアス起きたんだな」
 気付けばイェルクが安堵した顔つきでベッドに横になる俺を窺っていた。「今、医者を呼んでくるな」そう言ってイェルクが部屋から出て行く。
 自分の状態を確認する。
 身体中から管が伸びていてパックの液体が静かに雫を垂らしながら自分の中へと入っていく。
 横には見たこともない箱型の何かが置かれていた。箱の表面には数字や波形が幾たびも変化しながら浮かび上がっていた。
 とにかく気持ち悪い。喉の管を取りたくて身を捩る。けれど管はしっかりとテープで固定されズラすことも出来なかった。
「……ん、イライアス兄様?」
 眠気に満ちた声が耳を掠め視線を向けると、床に座り上半身だけベッドに預けたノエルが顔を徐に上げ、とろんとした瞳を俺に向けていた。どんどんと瞳が大きく開かれ、覚醒していくのが目に見えて分かる。
「イライアス兄様! 目が覚めたのですね!!」
 寝起きとは思えないほどの速さで勢いよく立ち上がり、涙で瞳を潤ませながら意識を取り戻した俺に喜ぶ。
「……良かった。僕、もう兄様が二度と目を覚さないんじゃないかと不安で不安で」
 よっぽど思い詰めていたのだろう。今にも涙を流しそうな様子で吐露する。
 けれどノエルへ向けていた意識も喉の異物へとすぐに戻る。
 気持ち悪さに顔を歪める俺を見て、ノエルは察したのか申し訳なさそうに言う。
「……ごめんなさい。苦しいだろうけど僕には取ることが出来ないんだ」
 ノエルなら外してくれるんじゃないだろうかと抱いていた期待が潰える。
 もう誰でもいいからこれを外してくれ。
 そう願ってもこの部屋にはノエルと俺しかいない。けれどそこにその誰かが入ってきた。
「調子はどうかな? ……うん、まだ予断を許さない状況だけど改善はしてきたみたいだね」
 男が箱の数値と俺を診ながらどこか掴み所のない口調で所見を話す。
 その男の艶やかで美しい白髪に喉の異物に苦しく悶えたくなる中、思わず俺は見惚れてしまっていた。
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