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十 物静かなその人
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「松木様。かよとのこと、どうなさるおつもりで?」
おこうが、稽古をすっかりかよに任せて稽古部屋から出てきた。
今日も三味線の音を背に剣を振ろうとしていた松木の腕を引いて、隣の待機部屋へと入る。
待機部屋には、いつも通りにおつのとおそめの女中が控えていて無人では無かったが、おこうに気にした様子はない。おこうのそういった振る舞いは、元は仕えている者が傍らにいるような身分だったのだろう、と思わせた。身に付けた所作やふとした態度に、それぞれの歩んできた道が見える。
「どう、とは?」
このような会話を、つい最近も交わしたような気がする。
ただ、おみつを送ってきて、お願いしますと挨拶をし、稽古の時間をじっと待って、ありがとうございましたと頭を下げるだけのかよと松木の仲は、いったいどういった風に世間に伝わっているというのだろう。
「あなた様は、かよの事を好いておられるだろう?」
「……ああ、まあ」
違うとは言えない。恋仲かと聞かれれば違うと言えたが、好いているかと聞かれれば好いているのだから、違うとはどうしても松木には言えなかった。嘘は吐けない性分である。
「そのお気持ちを、かよの前でお言葉になさいましたか」
「いや」
言っても仕方がない。大体さよ、いやかよは、自身の大変な時期になんの助けの手も差し伸べずに婚約を解消した男のことを、憎んでいてもおかしくはない。毎日、律儀に挨拶に出てきてじっと見つめられるたびに、いっそ詰ってくれたらよいのに、と松木は思っていた。
「かよ師匠は松木様と同じで、あまりお話はなされない方なの。とても物静かなのよ」
と、おみつから聞くたびに、やはり人違いであったかと思うこともある。
さよは、話すのが好きな人であった。とりとめもなく、目についたこと、楽しく感じたこと、綺麗に思った草花の話などを松木に聞かせてくれたものだ。口を閉じていれば箏を鳴らしているのだから、物静かであったことなど無かった。
「伝えられるおつもりは?」
「いや」
おこうは、どこか呆れたような顔になった。
「……かよにはこのところ、縁談話が引きも切らず」
「さもあろう」
楽器が弾けるというのはとても素晴らしい特技だ。人並みに弾けるだけでも、武家屋敷での行儀見習いに出たいと望む際、かなり有利になるのだとおつのが言っていた。武家屋敷に行儀見習いに行けたなら、良い縁組が望めるのだという。その為に、三味線だけでなく踊りも箏もと習いごとへ通わされて忙しく、遊ぶ間もないのだと愚痴を言っていた。その口で、後でかるた遊びをしようとおそめやおみつと約束をしているのだから、どこまで本当に忙しいのやら分かったものではないが。
その、縁談に有利となる特技が、かよは人に教えることができる程の腕前である。更に箏もできる。おこうは、かよの箏の腕前も知っている様子であった。踊りも人並みにできた筈だ。舞っているのを見たことがある。上手であるのかどうかは、松木には分からない。
おつのの情報が正しければ、かよは良い縁談相手の条件をたくさん揃えて持っていた。行儀も問題ない。何せ元は武家の娘なのだから。
「でもあの子は、片端から断っているんだよ」
「…………」
良い縁談があれば受ければよいものを。さよには幸せになってほしい、との思いと、縁談を断っていることを喜ぶ思いがひと息に湧き上がって、松木の口はいつにも増して開くことができなかった。
おこうが、稽古をすっかりかよに任せて稽古部屋から出てきた。
今日も三味線の音を背に剣を振ろうとしていた松木の腕を引いて、隣の待機部屋へと入る。
待機部屋には、いつも通りにおつのとおそめの女中が控えていて無人では無かったが、おこうに気にした様子はない。おこうのそういった振る舞いは、元は仕えている者が傍らにいるような身分だったのだろう、と思わせた。身に付けた所作やふとした態度に、それぞれの歩んできた道が見える。
「どう、とは?」
このような会話を、つい最近も交わしたような気がする。
ただ、おみつを送ってきて、お願いしますと挨拶をし、稽古の時間をじっと待って、ありがとうございましたと頭を下げるだけのかよと松木の仲は、いったいどういった風に世間に伝わっているというのだろう。
「あなた様は、かよの事を好いておられるだろう?」
「……ああ、まあ」
違うとは言えない。恋仲かと聞かれれば違うと言えたが、好いているかと聞かれれば好いているのだから、違うとはどうしても松木には言えなかった。嘘は吐けない性分である。
「そのお気持ちを、かよの前でお言葉になさいましたか」
「いや」
言っても仕方がない。大体さよ、いやかよは、自身の大変な時期になんの助けの手も差し伸べずに婚約を解消した男のことを、憎んでいてもおかしくはない。毎日、律儀に挨拶に出てきてじっと見つめられるたびに、いっそ詰ってくれたらよいのに、と松木は思っていた。
「かよ師匠は松木様と同じで、あまりお話はなされない方なの。とても物静かなのよ」
と、おみつから聞くたびに、やはり人違いであったかと思うこともある。
さよは、話すのが好きな人であった。とりとめもなく、目についたこと、楽しく感じたこと、綺麗に思った草花の話などを松木に聞かせてくれたものだ。口を閉じていれば箏を鳴らしているのだから、物静かであったことなど無かった。
「伝えられるおつもりは?」
「いや」
おこうは、どこか呆れたような顔になった。
「……かよにはこのところ、縁談話が引きも切らず」
「さもあろう」
楽器が弾けるというのはとても素晴らしい特技だ。人並みに弾けるだけでも、武家屋敷での行儀見習いに出たいと望む際、かなり有利になるのだとおつのが言っていた。武家屋敷に行儀見習いに行けたなら、良い縁組が望めるのだという。その為に、三味線だけでなく踊りも箏もと習いごとへ通わされて忙しく、遊ぶ間もないのだと愚痴を言っていた。その口で、後でかるた遊びをしようとおそめやおみつと約束をしているのだから、どこまで本当に忙しいのやら分かったものではないが。
その、縁談に有利となる特技が、かよは人に教えることができる程の腕前である。更に箏もできる。おこうは、かよの箏の腕前も知っている様子であった。踊りも人並みにできた筈だ。舞っているのを見たことがある。上手であるのかどうかは、松木には分からない。
おつのの情報が正しければ、かよは良い縁談相手の条件をたくさん揃えて持っていた。行儀も問題ない。何せ元は武家の娘なのだから。
「でもあの子は、片端から断っているんだよ」
「…………」
良い縁談があれば受ければよいものを。さよには幸せになってほしい、との思いと、縁談を断っていることを喜ぶ思いがひと息に湧き上がって、松木の口はいつにも増して開くことができなかった。
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