英雄になれなかった子

朝顔

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5 祝福

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 カチンとグラスが合わさる音が響いて歓迎の宴は始まった。
 もう一人の英雄様であるルキオラが到着したことにより、宮殿では歓迎を表すパーティーが開催された。

 と言っても、ヘルトが到着してからも宴は毎晩のように開かれていたらしい。
 ただ今回は二人揃ったと言うことなので、多くの貴族が集まった。
 宮殿の大広間を使用してまだ日の沈まないうちからパーティーは始まった。

 こういったパーティーに皇帝は参加しない。
 皇帝となると公の場に登場する機会は限られていた。代わりに動くのは皇太子のファルコンだった。
 まだ会場に姿を現してはいないが、彼が登場したら一気に空気が華やぐだろうとルキオラは思った。

 賓客として会場内の一段高い位置に椅子を設けられて、そこにルキオラとヘルトは座っていた。


「剣術大会では僕が審査員だったんだ。ファルコン様の美しい剣さばき、見られなくて残念だね。もっと、早くくればよかったのに」

 パーティーが始まり、出席者の挨拶が続いた後、ルキオラとヘルトは座ったまま葡萄酒を飲んでいたが、落ち着いた頃にヘルトが話しかけてきた。

「……俺が参加できないように神殿長に進言したくせに……。遅れてしか来れなかったんだ。よくそんなことが言えるね」

「ひどいなぁ。僕はそんなことはしていないよ。ルキオラはいつも僕を悪者にしようとするよね」

 わざとらしく手を振って泣きそうな顔をしてきたヘルトを見て、怒りを通り越して呆れてしまった。
 ルキオラが無言で座っていると、ヘルトは何かに気がついたように声をかけてきた。

「さっさと残りの力を僕にちょうだいよ。かすり傷くらいしか治せないくせに。なにしがみついてんの?」

「……自分でどうこうできるわけじゃない。そんなの分かってるだろう?」

「分からないね。力の弱いやつの気持ちなんてサッパリ分からない。殿下の優しさに期待を持ったりして、虚しいからやめなよ。力がなくなったお前は、すぐに捨てられるよ」

 ヘルトが嫌味を言ってくるのは今日に始まったことではない。
 ルキオラは手をギュッと握り込んで黙って耐えた。

「僕が全部もらうはずだった力を、勝手に割り込んで奪ったくせに。本当に卑しいね」

 こんなところでヘルトを睨みつけたり言い返したら、周囲を扇動して野蛮な性格だと言って回るのが目に見えている。
 なんと言われても耐えるしかない。
 ルキオラが言葉を飲み込んで下を向いた時、会場の入り口からわっと歓声が上がった。



 会場の入り口から登場したのは、ファルコンだった。
 皇宮騎士団を引き連れて入場すると、会場は拍手と歓声に包まれた。
 今日は晴れやかな場であるからか、ファルコンは上下白の装いで、コートの襟元は金糸を使った繊細な刺繍が施されていた。
 金色の髪と目の覚めるようなブルーの瞳は、洗練された装いでよりいっそう輝いていた。

 いつの間にか隣にいたヘルトが消えていて、ファルコンを迎えるように会場の中央を歩いていた。
 ヘルトの姿を見て微笑んだファルコンは、ヘルトに近づいて行った。

 流れるように自然にヘルトの手を取ったファルコンは、英雄のヘルトの祝福を我にと言って甲にキスを落とした。
 皇太子殿下、英雄様と声がかかって、たくさんの拍手が沸き起こった。

 こんな時、自分はどうすればいいのかと考えて、ルキオラは何もできずに動けなくなってしまう。
 仕方なくその場に立って頭を下げることしかできなかった。


 ヘルトはその後もファルコンの側を離れなかった。
 たくさんの貴族達が次々と挨拶に来る中、ヘルトはファルコンの腕に手を添えて、隣で微笑んでいた。
 歓迎パーティーであるのに、座ってばかりはいられない。ルキオラも立ちあがり二人の近くまでは行ったが、ファルコンに名前すら呼ばれていないので、他の貴族達はルキオラをどう扱っていいのか分からないようだった。
 みんな遠巻きにして近づかないので、ルキオラはひとりグラスを持ちながら下を向いていた。

 こういう場は苦手だ。
 社交なんてどう振る舞えばいいのか全然分からない。
 勇気を出して声をかけてみても、困った顔をされて逃げられてしまう。
 それはどう見ても英雄様がどちらなのかが明らかで、見た目は似ているが力がない方に取り入っても意味がないということだろう。
 神殿から出ても、ルキオラを取り巻く環境はほとんど変わらなかった。

 たくさんの人に囲まれている二人の間に入ることなどできない。
 耐えるんだとルキオラは服の袖を掴んだ。
 ファルコンの側で生きるなら、きっとこれは、この先も数え切れないくらい見る光景なのだ。
 その度に傷ついていてはいけない。
 傷んでしまう胸など消えてしまえと歯を食いしばった。


「あれではまるで婚約者のようだな。英雄様は二人いるというのに、誰も声をかけないとは。グラディウスの人間は目が見えていないようだ」

 頭の右上から、低い声が聞こえてきた。
 しかもこの場に相応しくない辛口の言動にハッとして息を呑んだ。

「また会ったな、英雄の子。いつもそんな格好をしているのか? 寒そうで見ていられないな」

 低い声が誰のものか分かったルキオラが顔を上げると、思った通り、宮殿に到着した時に正門で話をしたオルキヌスが立っていた。
 今日も出会った時と同じ、黒の軍服を纏っていた。皇宮騎士団の人間がなぜ黒を着ているのかよく分からないが、彼の艶のある黒髪と同じ色で似合っていると思った。

「……これはネーヴェと言って、薄絹を重ねて作られている伝統的な衣です。英雄様は常にこれを着用しなければいけないのです」

「まるで女の寝巻きのようだ。下はなにも履いていないのか?」

「きっ、着てますよ。長衣の下はズボンを履いています」

 ずいぶんと変な質問だ。こんなことを聞かれたことがなかったので、ルキオラは頬を赤くして答えた。

「なるほど、似合ってはいるが、やはり寒そうだ。こちらの気候が寒いから、そう見えてしまうのだろうか」

「お気遣いありがとうございます。あの……オルキヌス卿は他国の出身なのですか?」

「ああ、俺は……」

 オルキヌスの浅黒い肌は、ただ日焼けをしたという色とは少し違って見えた。
 もしかしたら彼は、ファルコンが外国から連れてきたという者かもしれないと思った時、人の波がこちらに向かってくるのが見えた。

「ルキオラ、オルキヌスと話していたのか。紹介する手間が省けたな」

 ファルコンが片手を上げて二人が立っているところに近づいてきた。
 隣にいるヘルトは嬉しそうな顔で、オルキヌスのことを見つめていた。

「皇太子殿下、今宵は盛大な場を開いていただきありがとうございます」

「ルキオラも楽しんでいるようだな。ここは神殿とは違うから、自由に過ごしてくれ」

 ルキオラが頭を下げると、ファルコンに優しく髪を撫でられた。
 それだけで一人で不安だった気持ちはどこかへ行ってしまう。
 ルキオラはファルコンに精一杯の笑顔を向けた。

「軽く挨拶でもしていたか? この男がモウル国から来た、私の新しい護衛に就任した男だ。」

「モウル国? 南国のセーベ海に浮かぶ……」

 ルキオラは授業で習った大陸の周辺国のことを思い出した。
 モウル王国は小国だが、歴史上名前の知られた武人を多く輩出している国だと聞いていた。
 あまり開かれた国ではないが、中立国として長く平和を保っているようだ。

「外遊先のセジャンで剣術大会が行われていて、そこで優勝した男だ。聞けば公爵家の三男で気楽な立場、我がグラディウス帝国とも祖父の時代に縁があったというから、これはぜひ来てもらいたいと私が直接声をかけた」

「殿下の仰る通り、気楽な立場で遊んでばかりおりましたので、両親も手を焼いていました。帝国で働けることを光栄だと言って喜んで送り出してくれました」

「先日、開いた大会でも見事な腕を見せてくれて、皇宮騎士団に特別枠で入ることになった。私の護衛騎士を務めるから、よく顔を合わせることになるだろう。ルキオラも覚えておいてくれ」

 なるほどとルキオラは頷いた。
 正規の入団ではなく、特例で入ったので騎士服が黒だったようだ。

「帝国の女神の化身、英雄の魂を持った尊いお二人にご挨拶させていただきます。オルキヌス・エルミネアと申します。どうか、私に英雄様のご祝福を」

 オルキヌスがそう言うと、ヘルトがファルコンの腕から離れて一歩前に出た。

「ふふっ、やっぱり卿は、僕のこと気に入ってくれていたんだね。大会の時も熱い視線をくれたから嬉しかったけど、困ってしまうほどだった。この僕が……」

 ヘルトが白くて細い手を差し出したが、オルキヌスはその手を取らなかった。
 何を考えたのか知らないが、まっすぐ歩いてきてルキオラの前にやって来た。

「えっ……」

「よろしいですか?」

 オルキヌスは上品な顔でニコリと微笑んできたので、ルキオラは一瞬固まってしまった。
 しかし、周囲の視線が自分に集中していることが分かって、慌てて手を差し出した。

 ルキオラの前で膝を折ったオルキヌスは、その手を取って甲に口付けをした。
 柔らかな唇の感触が伝わってきて、ルキオラの心臓は跳ねるように揺れた。

「ぼ……僕の……手を取らないなんてっっ!」

 完全に無視されたかたちのヘルトが怒りの声を上げたが、それを宥めたのはファルコンだった。

「ヘルトは先ほど私に祝福をくれたから、ルキオラに頼んだのだろう」

 ファルコンにそう言われてしまえば、ヘルトも怒りを治めるしかなかった。

 ルキオラは目の前の光景が信じられなくて、目を瞬かせた。
 今まで、ヘルトを差し置いて、自分を選んでくれる人などいなかったからだ。
 ファルコンですら、公式の場ではヘルトを優先しているのに、いくら流儀を知らないとはいえ、どう反応していいのかすら分からなかった。

「これからよろしくお願いします。ルキオラ様」

 呆気に取られていたら繋いだ手を引き寄せられて、耳元に話しかけられてしまった。

 目を丸くてして真っ赤になったルキオラを見て、オルキヌスは楽しそうに微笑んだ。

 この男は何者なのか。
 ルキオラの周りにはいなかった強烈な男の登場で、何かが変わっていく音が聞こえてきた気がした。





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