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527 トラとトラ
しおりを挟む左右の拳より鋭い爪を生やしたトラ獣人同士が急接近するなり、激しく打ち合いを始めた。
爪と爪が衝突するたびに鳴るのは、ガッ、ガッ、ガッとくぐもった音。
ときおり混じるのは空気を斬り裂く、シュッという音と、トラの口から吐き出される息吹。
十合、二十合と乱打戦。
超至近距離での爪撃の応酬。
双方ともに一歩も引かず。さりとて決定打も入れられない。
この状況に業を煮やし先に動いたのは英円。
左右同時に爪を繰り出し、これを受ける形で弧斗羅美の両腕の動きを封じた次の瞬間、放たれていたのは右足。目の前の相手の太腿上部、腰と足のつけ根あたりを狙った蹴り。
決まれば腰回りに重篤なダメージを負い片足を引きずることになる。機動力が激減し、踏ん張りも利かなくなるだろう。
だが間髪入れずに弧斗羅美も右足を放って迎撃、蹴りを蹴りで防ぐ。
互いの脛同士がぶつかった瞬間、パンっと空気がはじけた。
衝撃にてふたりともによろける。ひょうしにみずから身を引き距離をとったのは英円。
だからとて押し負けたわけではないことは、次に彼女のとった行動により明らか。
銀毛のトラ獣人は素早く後退。間合いを確保しつつ手をのばす。
無造作に掴んだのは最寄りのコンテナ。めきりと鉄面がへこみ食い込んだのは爪と指先。
とたんに肩と腕の筋肉が盛り上がり倍ほどにも膨れたとおもったら、英円はおもむろにコンテナをぶん投げた。
トラと人間のいいとこ取りのハイブリット、獣人化により強化されたバケモノじみた膂力ゆえのありえない芸当。
地面をバウンドしながら転がってくる鉄の箱。
しかし弧斗羅美は避けるどころか、こいつを無造作に蹴りあげてみせた。
蹴り返されたコンテナが逆に英円へと迫るも、当たる直前にふたつに斬り裂かれる。
鉄の箱を一刀両断したのは英円のトラ爪。だが形状が先ほどまでとはちがっていた。数は一つきりになっており、長さと幅や厚みが五倍ほどにも大きくなっている。
これに怪訝そうな表情を浮かべたのは弧斗羅美。
滅爛虎慄紅武爪術にあのような技はない。
戸惑いを隠せない妹弟子。
その反応を前にして愉快そうに目元を細めつつ姉弟子が言った。
「この私が師匠から奪った奥義の書を、ただなぞりサル真似するだけだとでも思っていたのかい? だったらそいつはとんだ見くびりだね。私が身につけたのは幻の武術なんて呼ばれている古臭くてカビの生えたもんじゃない。独自の改良と工夫を施した音嗚滅爛虎慄紅武爪術(ねおめらんこりっくぶそうじゅつ)なのさ。ちなみにこいつは『四の段、斬馬刀』って言うんだよ。どうだい? なかなか豪快な切れ味だろう」
滅爛虎慄紅武爪術の奥義は一から三の段までしかない。
英円は師匠からろくに教えを受けることもなく出奔、その際に盗んだ奥義の書を読み解き、独自の鍛錬と実戦を重ねることで、さらにその上を編み出したという。
恐るべき天稟!
まごうことなき武才!
でもだからこそ弧斗羅美は歯ぎしりをするほどに悔しがる。
「どうして、どうしてそれほどの才能を持ちながら、あんたは道をはずれちまったんだ? 堕ちてしまったんだ? そんな風になってしまったんだ? もしもあんたがきちんとしていたら、いまごろ立派な後継者に選ばれて武の誉れを一身に集めていただろうに……」
それは弧斗羅美の本心。
けれども妹弟子の言葉を耳にしたとたんに、今度は英円がギチリと奥歯を噛みしめて悔しげな表情となる。
「羅美……、あんたがそれを言うのかい? やっぱりちっとも気がついていなかったんだね。おまえが入門したときから師匠がずっとおまえだけを見ていたことを。あっさり私を見限って、妹弟子に鞍替えしたことを。だから、だから私は……」
姉弟子の独白。
ことの真偽は定かではない。
だが姉弟子が暴走するキッカケとなったがの自分だと言われて、弧斗羅美は「そんな」と激しく動揺する。
だというのに一転して急にケラケラと狂ったように笑い出した英円。
「あはははははは、だがおかげで私は自由になれた! つまらないしがらみから解放された。ありがとう、羅美。これでもおまえには感謝しているんだぜ。だからお礼に特別に見せてやるよ。『五の段、怨嗟』をな!」
銀毛のトラ獣人が吠えるのと同時に、もう一方の手に新たに爪が出現する。
それは細く、華奢で、斬馬刀と比べるとあまりにも貧弱。
なのに放つ気配の禍々しさが尋常ではない。
警戒する弧斗羅美の前で、英円は斬馬刀にそっと長細爪を重ねるなり、まるでバイオリンの弦を操るかのごとき動きをする。
とたんに斬馬刀が不協和音を奏で始めて、英円を中心にして周辺の大気がビリビリと震えだす。
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