狼王の贄神子様

だいきち

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 グラスの中に氷が踊る、そんな音がした。途端にフリヤは喉が渇いてきて、唾液を飲み込み誤魔化した。意識が浮上してくると、訓練後のような筋肉痛が、体のあちこちに感じとれた。手のひらが乾いたシーツに触れて、少しだけ薬品臭いこの部屋が医務室であると理解した。

「……んあ?」
「あ、フリヤ起きた! わ、バカお前力強いんだよって、うわぁ!」
「ええ?」

 顔を覗き込むように見下ろしてきたフェンが、一瞬にして消えた。フリヤが目を擦りながら起きあがろうとすれば、大きな手のひらに右肩を強く掴まれた。

「え、いっでぇ……‼︎」
「やっぱりな。脱臼してやがる」
「え、ええ⁉︎」

 再び寝台へと背中を押しつけられる。ギシリと軋む音がして、不穏な言葉と痛みに涙目になりながら見上げれば、目の前には見知らぬ男がいた。

(うわ、顔の出来が良すぎる)

 薄桃色の髪。長い睫毛に縁取られた琥珀の瞳が、真っ直ぐにフリヤを見下ろしている。褐色の肌は滑らかで、不思議な色気を放っていた。己の周りにはいないような美丈夫に、フリヤは分かり易く狼狽えた。

「え? ぅえ、えぇだれ!」
「てめえ、人の登場邪魔し腐った挙句俺のウラドちらしやがって、一体どういうつもりだコラ!」
「う、うら」
「ウラドだよウラド‼︎ 俺の砂人形‼︎ 無抵抗なやつに剣向けんのがこの国の礼儀なんか、ああ⁉︎」

(前言撤回、なんだこいつ‼︎)

 まるで押し倒されたかのような距離感で、しっかりと怒鳴られた。全くもって状況は読めないが、どうやらあんな登場の仕方をしておきながら敵意はなかったようだ。わかりづらいにも程がある。

「ぅ、ウラドっての壊したの俺じゃねえって!」
「ニルお前、ヘルグ隊長にコテンパンに怒られたからって八つ当たりすんなよな!」
「うっせえバーカ‼︎ こちとら試合に望みかけてきてんだよ! それを、こんな訳のわかんねえ男に邪魔されてたまっかよ!」
「それはお前が、ざわつかせる登場したから仕方ないだろうが‼︎」

 フリヤから離れたニルが、瞳に苛立ちを滲ませながらフェンを睨み据える。犬獣人でもあり、普段は温厚でも知られているフェンもまた、小柄な身長を気にもせずにニルを睨みつけていた。
 なんだか不穏な空気である。一人では肩もはめることもできないし、怪我をしたフリヤには二人を止めることもままならない。どうかヘルグ隊長がここにくるまでに終わりますように。キャンキャンケンケン、フリヤの目の前で二人がやかましく口論をするのを見つめて、切に願った。
 痛む右肩を抑えるように、枕にもたれかかる。もう誰でもいいから肩を戻してくれないだろうか。フリヤは痛くて少しだけ泣きそうだった。

「文句があるなら直接聞くが」

 フリヤの願いは叶わなかった。低く、静かな声はわかりやすく周りの空気の温度を下げる。ぎこちなく振り向くフェンとニルには後ろめたさがあるからだろう。一応の怪我人であるフリヤは、声が聞こえた時点で空気を読んで大人しくしていた。

「ヘルグ隊長」
「起きたかフリヤ。お前の巻き込まれ体質が、まさか身内にも有効だとはな」
「身内……?」

 身内とはなんのことだろうか。ポカンとしたフリヤの体を揺らすほどの勢いで、ニルがどかりと寝台に腰掛けてきた。振動が肩に響いて呻き声を上げる。その様子に痺れを切らしたのか、ニルとかいうイケすかない男は振り向きざまにフリヤの腕を鷲掴んだ。

「いったぃ!」
「だああもう面倒くせえな‼︎ 貸せ右腕‼︎」
「痛いのは嫌、っだぁいっ……‼︎」

 ゴキン。怖気の走るような関節をはめる音に、フェンの顔が青ざめる。ニルの手によって少々乱暴気味に戻された肩に、フリヤの悲鳴が医務室に響いた。
 フリヤにはない大きな獣耳を、三人がへたりと伏せる。大きな声を出したのは申し訳ないとは思ったが、こればっかりは許されてもいいような気もする。痛みで涙目になっているフリヤの肩に、ニルが手を添えた。暖かな光と共に治癒をする様子に、もしかしたら悪い奴ではないのかもしれないと考えを改めた。

「うう、ありがとう……」
「お前が俺を受け止めなかったらこうはならなかったんだからな。自業自得でもあるんだぜこれは」
「で、お前はいつになったらフリヤに自己紹介をするんだニル」
「ちっ」

 ニルの返事は、もはや舌打ちなのかもしれない。フリヤが疲れた笑みを向けると、それ以上に鋭い目つきで睨み返された。怖い。

「俺もヘルグんとこで世話になっから」
「ほらフリヤ、朝言ったじゃん。大型ルーキーが入ってくるって」
「ルーキーじゃねえ! 俺ぁ一応傭兵上がりだっての!」
「苦手なものは集団行動だ。フリヤ、よろしく頼むぞ」
「えぇええ……」

 ひとまず、お前が動けるようになるまで、ニルに手伝ってもらえ。などと、ヘルグはフリヤの絶句する表情を読み取った上でとんでもないことを抜かした。隊員たちからは慕われているヘルグだが、たまにこうして無茶なことを言うのだ。いくら根が優しく紳士的だからといって、少しぐらいはフリヤのことも考えて欲しかったのが本音だ。
 かといって、大きな声で嫌ですを言って怒られたくもない。まあ鬼族であるから、いつもの振る舞いをすることに日はかからないだろう。フリヤは自分に言い聞かせるように、曖昧に頷くしかできなかった。
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