狼王の贄神子様

だいきち

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 ヘルグによって、罰とは名ばかりの世話係に任命されたニルと過ごして、二日が経った。もしかしたら、こいつは意外と世話焼きなのかもしれない。
 薬品臭い医務室の中で、フリヤはぶっきらぼうに渡された清拭用の濡れた布を受け取りながら、そんなことを思った。

「じゃあ、俺表でてっから」
「え?」
「えってなんだよ」

 少しだけ機嫌が悪そうな声にはもう慣れた。ニルはそんなことを言ってフリヤから背を向けるのだ。何か気に障ったことをしたかなとも思ったが、特に心当たりもない。もしかして、気を使われているのかと考えれば、それはそれで気味が悪いなと失礼なことを思い浮かべる。

「同じ性別なんだ、特に俺に気を使うことなんてないだろうに」
「別にそんなんじゃねえし」
「なら、背中拭くの手伝ってくれよ。正直まだ右肩が上げづらくて上手くできないんだ」

 これは、本当の話であった。フリヤの言葉に、ぎこちなくニルが振り向いた。布を渡してきた時と同じような勢いで突き出された手のひらの上に、再び布を返す。フリヤは体をずらすように背中を向けると、なんの面白みもない壁と向き合った。
 ヘルグからは、お前が肩の調子が戻るまでは口にするなと言われていたことがあった。しかし、痛いのを我慢すれば、肩もようやく上がるようにもなってきた。こうして秘密ごとを腹に抱えているのも得意ではない方だ。フリヤは、もうあのことをニルへ話してもいいのでは。と思っていた。

 存外丁寧に背中を拭かれながら、フリヤはひとつ決意をした。そうすると、今度はどう話を切り出そうかというところに迷っていた。ヘルグから、お前が伝えろと言われているのは一つだ。それは、カエレスの直属の部下になるための演習試合の日程について。
 どうやら、忠誠はピカイチだがあまり頭の出来が良くない犬獣人たちによって、演習試合は強者の代表四人でのみ行われると思い込み話が進められていたらしい。
 四方を固める門からの各代表が、一人ずつなわけないだろう。そう呆れて宣ったヘルグの顔を思い出す。

(まあ俺はニルのおかげで免除になったけど、そこだけはお礼を言ってもいいかもしれない)

 怪我の功名は、フリヤだけである。四方の門に属する兵士、西門ではヘルグが選んだ力自慢たちが、無作為に対戦相手をあてがわれる勝ち上がりの形式らしい。フリヤが出るはずだった試合は、会場の修復のために日程を延期することになったと聞いている。
 蛇毒のルスフスの本気の毒霧のおかげで、しばらく使えなくなったのだ。

「……お前、くや」
「ねえニル、あ、ごめん……なんか言おうとした?」
「……いや、今のお前のテンションで落ち込んでねえのは理解した」
「落ち込む? 俺が? 何を?」

 どうやら考え事をしていたのが落ち込みに見えたらしい。そんなつもりは微塵もなかったフリヤが、ギョッとした顔でニルを見た。
 数日でようやく目が慣れた。ニルの上等な顔立ちの方が、むしろ落ち込んでいるようにも見えた。きっとこんなことを言えば、また威嚇されて終わりなのだろうが。

「……あ、あのさ。お前この試合に何かかけてた?」
「あ?」
「怒りながら、なんか言ってたじゃん。俺、それが気になっちまって」
「馬鹿正直な野郎だな、お前。そういうもんは、もうちっと相手に気を遣って聞くもんなんだぜ」

 は、と人を馬鹿にするような顔で笑う。人を煽る顔がここまで似合う男は、そうそういないだろう。
 しかし、フリヤは頭が弱かった。鬼族の割に、思考能力は犬獣人に似ていると憐れまれた時でさえ、人懐っこさをほめられているのかと喜んだくらいには。

「たとえば、どんなふうに?」
「ああ?」
「だって、俺はニルのこと知りたいけど、気を遣って聞けってお前が言ったんじゃん。俺馬鹿だから、そういうの上手くなった方がいいと思ってるんだ。なら、ニルが教えてくれよ」
「…………」
「おい、あんま口の中見せてると、舌が乾いちゃうぞ」

 口を開けたままあっけにとられるニルへと、斜め上の心配をしていることに気がついていない。
 それでもフリヤはいたって真剣だった。きっと、この試合に何かを賭けているなら、フリヤの出場する予定だった枠をニルにあげれば解決する話でもあるからだ。
 多分、ヘルグもそうなることを見越した上で、罰という形で二人きりになる機会を与えてくれたのかもしれないし。
 うん、と自己完結をするように、突然頷いたフリヤを前に、ニルはびくりと肩を揺らして怯えていたが。

「なんなんだお前、気味悪いな……」
「なんていやあいいんだろ、ちょっと待ってくれよ。ううん……」
「……村を追い出されたんだよ」
「そっかあ……、村を……」

 ボソリと呟いた。ニルの言葉がじわじわとフリヤの頭の中に染み込んでくる。
 なら、ニルには帰る場所がないということか。気軽に聞ける内容ではなかったことに、思わず顔を上げてニルを見つめれば、随分と平然とした顔でフリヤを見ていた。

「お前、それは平気な顔しちゃいけないやつだろ……」
「あ? 別に戻るつもりもねえし、寝床探してたら衣食住つきで兵士募集してんしでこっちきたんだよ。俺が負ける気もしねえしな」
「でもさあ、帰る家がねえんだって強い顔すんのは違くないか! だって、お前それは、俺だったら寂しいと思うよ……」
「いや、なんでお前が寂しがるんだよやり辛えな……。まあ、おかげさまででけえ家は住めそうにねえけどな」
「何お前、召し上げられて城に住むつもりだったのか」
「でけえ寝床は男の箔がつくだろう。それに、俺は城が似合う上等なツラしてるし」

 犬歯を見せつけるように、にい、と笑う。確かに、ニルは野生味のある美しい顔立ちをしている。もう少し髪を伸ばして、毛艶をよくすれば王族にもいそうな顔だ。
 フリヤはまじまじとニルを見つめると、それもそうだとこくりと頷いた。それが、余計にニルの呆れた顔を引き寄せることとなったが。

「そっかあ、まあ王様にはなれねえけど、俺はそういうのいいと思うな。うん。男の夢はでっかくなきゃだしな」
「ま、それもお預けってわけだけどよ」

 ニルの手が、寝具を掴む。それを引き寄せるようにしてフリヤに被せるものだから、ようやく己が裸を晒していたことを思い出した。
 やっぱり、ニルは優しい。女でもないフリヤにこうして気を遣ってくれるくらいには。
 
「叶うよ、だって俺の枠にお前が出るんだもん」
「……あ?」
「これで、俺がお前の夢邪魔しちゃったやつ許してくれよ。ヘルグ隊長には俺から言っとくから!」
「はああ……⁉︎」

 ニルの反応とは真逆で、フリヤはニカリと笑った。
 やっぱり、ニルは挽回するべきだと思ったのだ。演習試合の当日に、砂の魔人を操ってくるという暴挙に走り第一印象はよくなかったが。それでも、中身を知らないまま嫌われるよりは、絶対に素直を曝け出すべきだと思ったのだ。
 演習試合は、脳筋たちの集まりだ。強さこそが正義を謳うやつだって多いし、何よりも憧れられる条件は、かっこよくて強い奴だろう。だから、ニルが出て勝ち上がれば、きっとそこがニルの居場所になる。
 フリヤは馬鹿だが、それが一番いい案だと思えた。
 そんなフリヤに何を思ったのかはわからないが、ニルは両手で顔を覆って、随分と大きなため息を吐くだけだった。

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